2021年2月15日月曜日

発言は文脈の一部(オリンピック問題に添えて)

発言は文脈の一部である。

オリンピック問題に関してだが、氏の発言を文脈で
読んでみると、単なる引用ではないか。
しかも決して批判的な意味で使っているわけではない。

「メディア」という文字とか文章とかを取り扱う組織にしては
国語力というか読解力がなさすぎるのではないだろうか。
まさか誰一人「行間を読む」ということを教わってこなかったのだろうか?

百歩譲って読解力がなくて残念だったとしても、批判を
独り歩きさせて先導することがメディアの役目なのだろうか。
氏の発言全文はさして長くもないので、全文をメディアで
ちゃんと流して、それをどう受け止めるかは聞く方に委ねるのが
メディアの役割ではなかったのか?

ーーー
今回の一件で(というか毎度のことかもしれないが)、メディアに
非協力的な人が増えるだろう。
せっかく取材に来てくれた人たちがかわいそうだから、サービス精神で
誠意をもって情報発信したのにも関わらず、後になってから、
それこそ後出しじゃんけんまっしぐらで揚げ足取りをされるのならば、
何が嬉しくて積極的に発言しようと思うだろうか、ということ。

思えば取材に来る人は、親だろうが知り合いだろうが赤の他人だろうが芸能人だろうが
プロの有名な取材する人だろうが変わりなくて、あくまでも信頼関係が
成り立っているからこそ情報共有するわけである。
また、友人とかと話してたり独り言だったり、さして意識せずに発した
言葉がメディアに渡ると途端に殺人事件の証拠に祭り上げられてしまうのである。

メディアが取材に来たというだけで、なぜか発言することが義務化して
いないだろうか。立場的に「公」の方が比重が多い人だとしても、
「私」はあるわけで、(この辺はメディアが誕生してからさんざん
議論されてきたことではあるだろうが)私的な発言はメディア側が
煮るなり焼くなり好きにさせていただきますというならば、それこを
言論統制だろう。
この辺の公私混同についてはむしろメディアの方がプロであるのだから、
メディア側でちゃんと義理を通して私的発言は表に出さないのは当然で、
ちゃんとデータ的にもどこにも記録に残らないようにするべきである。
(ジャイアンでもないのだからか、「俺のもの(発言)は俺のもの。
おまえのもの(発言)も俺のもの」はいい加減成り立たない。
神にでもなるつもりなのだろうか?)

ーーー
今回は面白い続きがあって、オリンピックの会長をさんざん攻撃してたと
思ったら、実は自分たちの首を絞めていたのではないだろうか、ということ。

100%純粋なスポーツマンシップで、すべてボランティアとか経費を
すべて自分たちで捻出して開催とかならよいのだろうが、
開催地誘致とかでも一般市民に知れ渡ってきたことであるが、やはり
きれいごとだけでは済まなくて、オリンピックは利権が絡んでいる
ということ。

私はむしろ、このコロナ禍で人が来ない=売り上げが伸びないのに
なかなか中止の方向にならないので、実はかなりキレイな組織なのかな?
とか勘ぐったりもしていた。
(おそらく一回中止すると今後への影響が大きく、(ほら見ろ、利益優先では
ないかと言われイメージダウン引いてはスポンサー離れ、それも国家レベルの、とか、オリンピックと言う汚い金にまみれた組織のもとで競い合うのは信条に反すると言う有志が自分たちの大会を開いてしまうとか。)おそらく収支はトントンか赤覚悟でもやっておくべきと
判断したのだろう。)

しかし、首相まで務められていた、いわばものすごい「公」な人を
引きずり下ろしてしまったわけで、その後釜を担う人はそれ以上に
「公」でなければ、メディアにいったいどんなボロを探し出されて
火あぶりにされてしまうだろう、ということで誰もやりたがらない
ことは当然である。

オリンピック中止となれば当然メディアの取り分も(おそらくかなりの
かせぎどころだったのでは?)無くなるわけで、気づいたら自分の首を
しめていたという、なんとも情けない喜劇である。
(今後の展開はメディアが頑張ってオリンピック開催できるように
委員会をわっしょいするのだろうか?)

この、メディア+利権については(無論明るみには出ないが。だからこそ
人々が面白がっていろいろ憶測したり陰謀論が出てきたりするのだが)、
世間でいろいろ言われている通りなので深くは触れないが、
今回の件についてはいくら何でも野放しにしすぎたのだろう。
もう少し手綱を引き締めたほうがよかったのではないだろうかということである。
(世間に、統制が取れてないと思われてしまう。)

総括としてはいつもの通り「やれやれ」なことである。

ーーー
なお、あちらの感情攻撃に屈して要求を飲むと何もいいことはない。むしろあちらを助長するだけである。
今回もこれだけ氏の発言を「マイナスのイメージ」と流布しておきながら、もう自分たちは関係ない姿勢という有様である。
オリンピック開催まで間もないこんな時にトップが代わり、(失礼だが、またそうはならないと思うが、)もしも失敗でもしたら、メディアはお祭り騒ぎで非難でもするのであろう。
(こういうのを見て思うのは、メディアは泣き女なのかと感じる人も多数いるのではないだろうか。いい・悪いは関係なく、メディアは将来的には祭りを盛り上げるためだけの役割を持ったものになっていくのではないだろうか。落とし所というやつである。いつも何でも喜び勇んで大声を出してくれるのだから、適材適所ここにありである。)
(メディアで色とは関係なしに使命感を持って一生懸命働いている人としては、もしもこのようなレッテルを貼られてはいたたまれまい。だからこそ信頼回復に努めてほしいものである。(そもそもここまで色がついてしまうと信頼は回復しようがないであろうから、(明確に悪を根こそぎ焼き払いましたとかでもない限り)組織として上記の通り落としどころに落とすとか、それこそ解体するとかしかないのであろう。)

0 件のコメント:

コメントを投稿

左の総括

一応ようやく結果が出たようなので総括しておく。 (いつも通り具体を避けて抽象的に述べるので読みづらくてすいません。。) とは言ってもこれまで散々述べてきた通り、あちらの根本は「利己」であるということの繰り返しであるが。 まぁそれが象徴的に民意として「流石に目に余る」という結果にな...