2016年6月4日土曜日

アボカド


アボカドの葉。
このように静止画にして至近距離でずっと見てると葉の裏から見たように見えてくる。一旦そう見えるとなかなか元の認知に戻れない。aerialのようなものである。(画像処理のお題目として使用していたビル街の鳥瞰画像で白黒・上下などを反転させた画像のこと。当時は画像分野の一般的な教材と思っていたが、いざGoogleしてみたらぜんぜん見つからなかった。)

明るい部分の膨らみと、葉脈の浮き彫りとの葛藤。

どうやってAIに認知させようか?
リアルタイムで見ていれば3D認知(4D認知)が機能するので誤認しないが、
静止画が故に起きる現象。
人間でも錯乱するからAIも認知不可とするか、諸条件から
「これは葉の表である」と認知して人間の認知を超えるか。

「箱の内側・外側」認知のように内側に見えても外側に見えても
どちらも正解の50%:50%の状態がある。
そこに諸条件を加えて内側が正解なのか外側が正解なのかの
境界値を導き出すことは可能。これは認知ではなく計算しつくされた
「メカニズム」側の答え。
現実世界の諸条件を加味しようとすると計算量は発散するので
やはり認知側が必要ということ。

いずれ「メカニズム」的に追いつかれるかもしれない。
そうなれば何が厳密な「正解」かを逆に問われだして
「正解待ち行列」ができそうである。

そうなると極値解を与えてどうなるかを見てみて、
の繰り返しになろうからいかに最良の極値解を与えるか
の競い合いになるのだろうか?

なんだか多段カオス理論の様相である。(でしかない)
分かりやすく言えば、培ってきた・積み上げてきた土台も
仮定から始まってるかもしれないということ。

なぜものをものと認知したほうが都合が良かったのか。
なぜ青色を青色と認知したほうが都合が良かったのか。
なぜヒトは紫外線は認知しなくてもよく、虫は紫外線を
認知したほうが都合が良かったのか。
認知とはつまり原点回帰なのである。
(そしてそれが淘汰に繋がる。)

認知を変えて淘汰されても生き延びる・生き延びた・
生き延びたであろうパターンがあってその土台の上には
どういった個体・集団が形成されるかを調べることができる。
(認知レベルはいくらも変えられる。一瞬前から根源まで。)
いずれ研究されようが、未発なのでここに確立しておこう。

認知を変えた世界で醸成される理論もあろう。
そこまでこの理論の範疇にしておく。
つまりシミュレーションなどで形成された個体や集団や
社会などで生成されたそれらの生成物および抽象
(考え方、アイデア、過程、感覚、決め事、法律、経済、
科学、哲学、美術、芸術など全て)は
ここに帰結する。
(せちがなくて悲しくなるが致し方ないことは既述の通り)

以上がアボカドの葉を見て思いつくまま書いたこと。
(これをとっかかりにされても困るので、
アボカドの葉は論理展開の発端に成っただけであって、
オリジナルのアイデアは、そのとっかかりの有り無しに
関わらずここに存在していたので動機ではない、
ということを一応書いておく。ふぅ、なんだこれは。)


2016年5月27日金曜日

脱却の解明

戦後史観とかそこからの脱却とか言うが、結局
いつ戦勝側のしめつけが解かれたのかがどこにも明解されてない。

これを明解にすれば琉球も自ずと解決する。

結論を端的に記すと、戦で当時のあちらは勝ったが
「層」では勝てなかったということ。
まんまと吸い上げようと思ったがどうもそうも
いかない。何をしてるんだと上官というか本土など
からけしかけられる。
あれよあれよと復興し止めようがない。

経済では不安定要因が、俯瞰する側からすると
キーファクトであったりする。つまり置き土産。
というかあからさまな腹いせであろう。

この層を見てしまえばこれまでも右だか左だかも
「なんだったんだ」とはっきりと認知できよう。

まずはそこからということ。

敢えて追加すれば、まんまと右と左で想定通りに
不安定化したとほくそ笑んでいたであろうが、
すでにそれさえも吸収しつつあり、
最近表面化している通り明らかな焦りが噴出
し始めているということ。

いかに賢しい(というか、たったの騙し上手だけで
ずる「賢い」だけであったと後世で評価されるのだが)もの
であっても、結局「層」が捉えられなかったのである。

いかほどに手のひらの表皮具合であるかが
分かるであろう。
(どうぞ焦って層理論をにわかに研究されれば
よろしい。いつもの繰り返しでしかないが。
前回記述したとおりむしろ浸透しないほうが
反比例するのであるから、いつもどおり
おとなしい考察だけを残しておこう。)


2016年5月14日土曜日

経済で詰まれること

経済で自国を守れないとかように悲惨である。
挙句の果てにははけ口をもの優しい隣国に転嫁して
しまう有様である。
(「覚悟」のない風土・歴史まで見計らって、つまり
一線は越えないと見切って達成したのかもしれない。)

おそらく根源はそれらはこのまま駒として動きまわって
欲しいであろう。
逆説は末端まで仕組みを知ってしまうことに
怯えていることであろう。

必然と陰謀とあろうが、仮にまんまと仕組みを作り
上げたものがいるとすれば、それはその仕組が
知れ渡ることを恐れるのである。
無論これはただの必然で成ったというものもおるし、
仮想するなら当然抑えるベクトルが効いているはずである。

経済で「詰まれて」しまった組織はそのベクトル
(「魂」というとしっくり来るか)まで
従うかどうかということを目の前に突きつけられている
ようなものである。
もしも従うならどうぞ後悔のなきように。
そうではなく如何に侵されようと最後の核があって
それさえは明け渡さないというのであれば、幾世を
持ってしても、平易に言えば自国を取り戻すには
数十年かかろうが徐々に回復していこうという覚悟を
末端レベルで持てるかということになる。
(それの核のなさが心配であるが。まさか何百年・
何千年の計としてあの民度を作り上げたのであれば
あっぱれである。歴史を見る限りはそういったスパンで
局所に集中的に謀略できる組織はないので、必然としての
民度(とほほ。)だと思われるが、謀略は知れずしてこその
ものなので一応可能性は残しておこう。)

いずれにせよ三世を売れるかどうかということ。
(詳細は「自由獲得の歴史」参照)
「売れぬ」というのであればではどうするか。
ただその土俵に正々堂々と乗るだけである。
つまり上記それらの「恐れ」に対し「知る」ことで食い違いのない
知見のもとで対話ができる。あとは原始的多数論。
解決はいつか知らぬが解はとうにここに明記される。
ただそれだけ。

ーーーーーーー
優位層の常であるがシナリオがある。そして対処がある。
最悪の場合は火を放って表から消えるのが常套手段。

それらの知る手段としては、詳細化はされつつあるが
表層のパラメータしかない。(あとはマークしたものの
詳細。マーク率の向上に勤しんでいよう。)

例えば対抗する論調が出ると一時的に加熱するが
それに対しては対処がすでにある。

よってこれが全く認識されないことが希望であろう。
層理論の歯車を手のひらの上で止める滑稽さに
気づけば賢人であろう。


2016年5月13日金曜日

簡易版

よりシビアな話に入るとすると
相手が模索なのか一方なのかということ。

模索であれば懐柔、一方であれば徹底。
別に昔からである。
違うのは層をごっちゃにしないことだけ。

いわばその現代の曖昧さを突いてきているので
必然として層の明確化がなされるのである。

後からすると「なんだ、それだけか」となるが
これまで同じことを数多の方向から言ってるが
なかなか浸透しないことこそが、「層」の浸透の
困難さであろう。ただ、いつ「堰」を切るかだけで
あろう。あらゆるところがそのコントロールに
走ってる状況である。

2016年5月12日木曜日

使われよう

では例えを。
(「では」と言うがただの繰り返しであるが。)

そちら側へは「どうすれば取り分が増えるか」を徹底的に
考察してもらうのである。(それらの原理として)
それらの尊厳も守られ文句の出ようがない。
(最大限の足の引っ張り方など既述の通り)

自己検疫といえよう。
それらもそれらの「使命」で活動するため尊厳も
守られる。
如何に哀しいかはさんざん述べたので繰り返さないが
これが内包するということ。

「拒否を選んだもの」の必然の結果である。
どうぞ「永遠」を与えよう。

2016年5月8日日曜日

原理を知ること

例えば経済で言うとそちら側の発想は
いかに易きに甘んじて肥えるかということ。

原理として「支えあい」は無くしようがないのだが、
それをいいことに堕落する方向性・ベクトルのような
ものがあちら陣営の源である。

支え合いが必要であるように、哀しくもこれら
すがるものの存在も必然である。

現状は同一レベル上でまんまとすがられている
だけである。

本来はそれら活動の可能性を自ら辞退している輩は
もはや発言権も拒否しているはずであるが
いかにも雄弁にのうのうと主張を言ってのけている。
(そちら側への誘い、煽り、揚げ足取りも得意分野で
 ある。正に肥えるためならなんでもするのである。)

ただそれだけ。あとは既述「「よしよし」と扱わざる
をえないもの」などを参照。

ようはそれら拒否者は本人には気付かれなくても良いので
そっと温かく内包してあげれるくらいのレベルや体制に
なりましょうと言うことであるが、そのためにそちら側の
原理をレントゲン写真のように広く視覚化することが
一助になるということである。


2016年5月7日土曜日

誰もがつくり話をしていた時代

むしろこれに焦点を合わせて良いのではないだろうか。

そういうアトモスフィアであったと。
そうでは無い本流、層理論があるから
次に繋がるのであるが、「捉えたい」側への
口述として。つまり餌として。
幾重にも踏まえての極言であることは
言うまでもない。

詳述さえ不要であるが対価と金銭と幸福が
同一の環境で共産下にいて本当に満足で
あったの言うこと。
大小の影響の大きさはもはや繰り返さないが。
(既述の通り)

二重スリット実験及び天体の光の干渉縞について

電子や光子で二重スリット実験が行われ、「確率の波」や「パラレルワールド」などで説明がなされている通りであり、その「事実」の細かい点は省略。 今回の話は、その現象は現実世界でも常に起きているということ。 我々が自分の目で見ている現実世界の範囲では、多数の光(光子)が光源から発せられ...