例えば経済で言うとそちら側の発想は
いかに易きに甘んじて肥えるかということ。
原理として「支えあい」は無くしようがないのだが、
それをいいことに堕落する方向性・ベクトルのような
ものがあちら陣営の源である。
支え合いが必要であるように、哀しくもこれら
すがるものの存在も必然である。
現状は同一レベル上でまんまとすがられている
だけである。
本来はそれら活動の可能性を自ら辞退している輩は
もはや発言権も拒否しているはずであるが
いかにも雄弁にのうのうと主張を言ってのけている。
(そちら側への誘い、煽り、揚げ足取りも得意分野で
ある。正に肥えるためならなんでもするのである。)
ただそれだけ。あとは既述「「よしよし」と扱わざる
をえないもの」などを参照。
ようはそれら拒否者は本人には気付かれなくても良いので
そっと温かく内包してあげれるくらいのレベルや体制に
なりましょうと言うことであるが、そのためにそちら側の
原理をレントゲン写真のように広く視覚化することが
一助になるということである。
0 件のコメント:
コメントを投稿