どこかにも書いた通り、本ブログは公開情報という事実を元に、不明な点については変に解釈することなく書いているため逆説的に良くも悪くも必然的に書いた通りになっているためか、知る人ぞ知る指標のような感じになっているのである。
お陰様で見てくれる人がいるのかも知れないが、不思議なことに海外からのアクセスだらけである。
さすが情報国家はインテリジェンスがしっかりしてるなと思う一方で、我が国はこんな深く考えるサイトは誰も見ないということに、なんとも情けないと思う。
しかし、それまで含めてわが国というのはそういうものなのだろうな、とも思う。
海外勢のいわゆるインテリジェンスについては、さすがしっかりしていると思う一方、無論国家の重要ごとに携わるという自負と誇りで素晴らしいお仕事をされているのは思うのだが、やはりどうしても組織人としての活動という側面を良くも悪くもお持ちであろう。悪く言えば「仕事としてやっている」ということである。
他方我が国は、スパイは活動し放題であるし、国の組織としては本当にまともにインテリジェンスはおろか情報収集さえしてるのか?といった感じである。大昔はそんなことはなかったのであるが、近現代はご存知の通りまともなことは何一つできない有様になってしまった。(脱線すると、また逆に言うと所謂左がやりたい放題やっているのだが、それはあちらとしても政治とか国の基幹こそがやはり主戦場と思っている事の証左であろう。そこで暴れることが日本をバカ国家にするには効果的と思っているのであろう。よってある意味ではそれら暴れん坊の暴れる場として政治の場を与えているのであるから、実はかなり巧妙な上手いやり方だとも思うのである。この調子であちら側には「我々は頑張って意味のあることをしてるんだ!」と思わせ続けられる場を提供し続けておいていただければと思う。)
そこで今日のキーワードである草莽崛起になるのである。
良くも悪くも我が国は草莽崛起なのであろうなとも思うのである。
また、「本当の強さ」とでも言うのか(これはいくらでも抽象的にでも、あるいは具体的にも述べることは可能ではあるが)、国がいざ立ち上がらんと言う時にはやはり日頃の市井の民がいかに目覚めて行動するかになるのだと思う。
海外でも志をたてて立派に国をリードされる方が大勢いることは無論知っているが、あえて比較的に述べれば、我が国にはそ行った人が(表には出ないけど)わんさかといる訳である。そこには組織の一部として動いているという意識もなければ、私心のために動いているという意識さえなくて、純粋に将来のため周りの人のため国のため世界のために考え、動いているのである。「全てを自分ごととして受け止める」に通ずるものがあるが、やはり純粋さと言うのはかなり強力な原動力で、全てが自分ごとであり、自分のためイコール世のため人のための境地なのである。
その点が組織人として仕事としてやってることと大きな違いであろう。
我が国は何かあるとどこからともなく人材が出てきて難局を潜り抜けてきた訳であるが、それは正しくまるで葦のようにニョキニョキと元気よくあっちとかこっちとかから伸び出てくるようなものであって、それが故に草莽崛起なのである。
(一点だけ注意しておくと、だからと言って安心して良いと言う話ではなく、国の機関としては最低限「組織」としてのインテリジェンスは先進国並みにしておかなければならないと思うが。。)
よってこれまた逆説的になるが、我が国ではわざわざ私の書いたこと読まずとも「そんなの当たり前」のこととして修養されており、伝統・文化として継承されてきて、継承されていくのである。(よって本ブログはほとんど日本人に読まれてない、と言う自虐ネタ^^)
逆にせっかくだから述べておくと、海外の方になるが、みなさん知っての通り「なんとなく」日本が注目されているのはご存知だろうが、まだそれはものすごくうっすらとした感覚であって、まさしく「なんとなく」の状況が現状なのであるが、一つの側面・切り口としては上記で述べたような国民性のようなものが挙げられるようである。
これは散々、また日本に限らず言われ続けられてきた事だとは思うのであるが、憧れてるだけでは憧れだけで終わってしまい、大切なのは小さくても種を蒔くことなのであろう。それこそそこには私心は不要(というか修養に長けた人であればわかると思うが、私心が入り込む余地など生じようもない事であるが)であり、純粋に自分の国の将来(国とか大袈裟に言わずとも自分の周りの人、コミュニティ)を本気で案ずるのであれば、自分の一生では無理でも自分の蒔いた種で子孫が安らかになるのであればそれで良いと言う境地であろう。(名声なんぞと言うのは後で勝手に他人がつけるものである。少なくとも目的ではない。)
「うちは現状を見るにつけ絶対無理」と嘆くだけでは今世でも来世でもいつまで経っても変わりようがない。逆に言うと変化とはいつか蒔いた種から始まるのであり、種を蒔いていなければ芽は出ようがないのである。