統べる側からすれば伸びぬものがおらぬほど
統べ易きことはなかろう。
飼われるということは悲惨である。
(既述の「如何に杭を打つためだけに労力を掛けてきたことか」
を参照)
外患が際立ってなくなった彼らの「うさ」は当然内憂に
伸びて高性能もぐらたたき機になりうせたのだろう。
(あと、しっかり高性能ふところ暖め機)
おそらく、その本来の理想、目的を正確に把握しきれて
いないのであろう。
こんなことは、貨幣社会では成り立たないことぐらい
子供が数時間勉強しただけで分かることである。
それをさも崇高なる知識のごとく見せびらかして
一晩考えれば分かることもさも早急なる刷新だと
ヒステリーを起こさせ、聖賢とは反対の正バカを
斡旋させ意志を放棄し本能の先鋭を崇拝して
しまった事実。
さあどうぞ、その禍根の返り血を充分に逃げずに
受け止めてくださいといったところだが、哀しいかな
救済されるのである。大多数は滅亡を望むであろう。
しかしそれは激情、憤慨、一時の理性を超えた感覚である。
理想だか、理性だかも分からずに突っ走る事実。
それをきょとんとて、遠くから助言するしか術が
ない事実。
既述のとおりだが、切り口として、如何に彼らの目的の
時空的浅はかさがあげられる。
(せいぜい自己を中心として数世代だけ、のくだり。)
何億だか何十億だかの脳として機能していれば、自ずの
見通しの浅さには気付いて驚愕できるぐらいの脳は有して
いよう。
それを、これも既述だが、スーパー忘却機構を駆使して
網膜をすりぬけさせることは自ずを廃したものの
仕業であることを具体的に明示した。
分かっていてやめられない。それを国家レベルで野放し
できてしまう世界レベルなのであった。
彼ら的には分かってもやめさせない、やめる雰囲気が
微塵でも嗅ぎつけられたら徹底的に追い込まれるから
辞めるに辞めれない。
結局、自己が1番、2番が後世(直系のみ)という
何回言えばいいかわからないがせいぜい数世代の
物語に付き合わさせられているのである。
(日本的現実に比喩すれば、如何にやくざ的やり
かたであろうか、といったところか。これでも
かなり生易しい表現であることは読める人は
分かるであろう。)
演劇であれば面白いですむが、もはや内部からは
声さも挙げられない(本当は聡明なる志士が咆哮
していよう)現状なのである。
辞める前、諦める前に、せめて土壌を耕してほしい。
幸いにも辞めるときに良心に気付いたのであれば、
良心の呵責として、崩壊後の人民のために芽をまいて
おいて欲しい。
ここに明らかにしたようにいかに利他、そこまで
いかなくても如何に相手のことを想像するかくらいまで。
これまで述べたように、これら上記は議論することさえ
浪費なのであって、考えるべきは対話のスタンダードを
そなえた後に、つまり対等に(哀しいかな、現代風で言うと
「まともに」)話ができるようになってからの支那と、
西部は独立や崩壊をするであろうから、つまり東アジアの
あり方、そしてそこに下手に付け込まれないように対外的な
外交の憂慮なのである。
こういった議論に参加できるくらいの対話のスタンダードを
兼ね備えた成人に成り代わってみせます、という気概があれば
それでよいだろう。(現時点では微塵もない。)
救うべきは飼われて埋もれた聖賢、飼われても信念を曲げなかった
声なき声であることは言うまでもない。数多声なき声よ。
(そしてそれを目の当たりにして無視し続けてきた既存よ。)
PS
特に書かなかったが、スーパー属国をなのる彼の国は
上記を読めば別にどうぞふらふらしてください、と
合点がゆくであろう。いざ目覚めて決する、しかし
時すでに遅し、これを延々と繰り返す。
ーーー
「字」さえ読めれば。。
既得権益が血眼になるが、それらの願望は、既述のとおり
数世代だけなのであった。