2016年5月27日金曜日

脱却の解明

戦後史観とかそこからの脱却とか言うが、結局
いつ戦勝側のしめつけが解かれたのかがどこにも明解されてない。

これを明解にすれば琉球も自ずと解決する。

結論を端的に記すと、戦で当時のあちらは勝ったが
「層」では勝てなかったということ。
まんまと吸い上げようと思ったがどうもそうも
いかない。何をしてるんだと上官というか本土など
からけしかけられる。
あれよあれよと復興し止めようがない。

経済では不安定要因が、俯瞰する側からすると
キーファクトであったりする。つまり置き土産。
というかあからさまな腹いせであろう。

この層を見てしまえばこれまでも右だか左だかも
「なんだったんだ」とはっきりと認知できよう。

まずはそこからということ。

敢えて追加すれば、まんまと右と左で想定通りに
不安定化したとほくそ笑んでいたであろうが、
すでにそれさえも吸収しつつあり、
最近表面化している通り明らかな焦りが噴出
し始めているということ。

いかに賢しい(というか、たったの騙し上手だけで
ずる「賢い」だけであったと後世で評価されるのだが)もの
であっても、結局「層」が捉えられなかったのである。

いかほどに手のひらの表皮具合であるかが
分かるであろう。
(どうぞ焦って層理論をにわかに研究されれば
よろしい。いつもの繰り返しでしかないが。
前回記述したとおりむしろ浸透しないほうが
反比例するのであるから、いつもどおり
おとなしい考察だけを残しておこう。)


2016年5月14日土曜日

経済で詰まれること

経済で自国を守れないとかように悲惨である。
挙句の果てにははけ口をもの優しい隣国に転嫁して
しまう有様である。
(「覚悟」のない風土・歴史まで見計らって、つまり
一線は越えないと見切って達成したのかもしれない。)

おそらく根源はそれらはこのまま駒として動きまわって
欲しいであろう。
逆説は末端まで仕組みを知ってしまうことに
怯えていることであろう。

必然と陰謀とあろうが、仮にまんまと仕組みを作り
上げたものがいるとすれば、それはその仕組が
知れ渡ることを恐れるのである。
無論これはただの必然で成ったというものもおるし、
仮想するなら当然抑えるベクトルが効いているはずである。

経済で「詰まれて」しまった組織はそのベクトル
(「魂」というとしっくり来るか)まで
従うかどうかということを目の前に突きつけられている
ようなものである。
もしも従うならどうぞ後悔のなきように。
そうではなく如何に侵されようと最後の核があって
それさえは明け渡さないというのであれば、幾世を
持ってしても、平易に言えば自国を取り戻すには
数十年かかろうが徐々に回復していこうという覚悟を
末端レベルで持てるかということになる。
(それの核のなさが心配であるが。まさか何百年・
何千年の計としてあの民度を作り上げたのであれば
あっぱれである。歴史を見る限りはそういったスパンで
局所に集中的に謀略できる組織はないので、必然としての
民度(とほほ。)だと思われるが、謀略は知れずしてこその
ものなので一応可能性は残しておこう。)

いずれにせよ三世を売れるかどうかということ。
(詳細は「自由獲得の歴史」参照)
「売れぬ」というのであればではどうするか。
ただその土俵に正々堂々と乗るだけである。
つまり上記それらの「恐れ」に対し「知る」ことで食い違いのない
知見のもとで対話ができる。あとは原始的多数論。
解決はいつか知らぬが解はとうにここに明記される。
ただそれだけ。

ーーーーーーー
優位層の常であるがシナリオがある。そして対処がある。
最悪の場合は火を放って表から消えるのが常套手段。

それらの知る手段としては、詳細化はされつつあるが
表層のパラメータしかない。(あとはマークしたものの
詳細。マーク率の向上に勤しんでいよう。)

例えば対抗する論調が出ると一時的に加熱するが
それに対しては対処がすでにある。

よってこれが全く認識されないことが希望であろう。
層理論の歯車を手のひらの上で止める滑稽さに
気づけば賢人であろう。


2016年5月13日金曜日

簡易版

よりシビアな話に入るとすると
相手が模索なのか一方なのかということ。

模索であれば懐柔、一方であれば徹底。
別に昔からである。
違うのは層をごっちゃにしないことだけ。

いわばその現代の曖昧さを突いてきているので
必然として層の明確化がなされるのである。

後からすると「なんだ、それだけか」となるが
これまで同じことを数多の方向から言ってるが
なかなか浸透しないことこそが、「層」の浸透の
困難さであろう。ただ、いつ「堰」を切るかだけで
あろう。あらゆるところがそのコントロールに
走ってる状況である。

2016年5月12日木曜日

使われよう

では例えを。
(「では」と言うがただの繰り返しであるが。)

そちら側へは「どうすれば取り分が増えるか」を徹底的に
考察してもらうのである。(それらの原理として)
それらの尊厳も守られ文句の出ようがない。
(最大限の足の引っ張り方など既述の通り)

自己検疫といえよう。
それらもそれらの「使命」で活動するため尊厳も
守られる。
如何に哀しいかはさんざん述べたので繰り返さないが
これが内包するということ。

「拒否を選んだもの」の必然の結果である。
どうぞ「永遠」を与えよう。

2016年5月8日日曜日

原理を知ること

例えば経済で言うとそちら側の発想は
いかに易きに甘んじて肥えるかということ。

原理として「支えあい」は無くしようがないのだが、
それをいいことに堕落する方向性・ベクトルのような
ものがあちら陣営の源である。

支え合いが必要であるように、哀しくもこれら
すがるものの存在も必然である。

現状は同一レベル上でまんまとすがられている
だけである。

本来はそれら活動の可能性を自ら辞退している輩は
もはや発言権も拒否しているはずであるが
いかにも雄弁にのうのうと主張を言ってのけている。
(そちら側への誘い、煽り、揚げ足取りも得意分野で
 ある。正に肥えるためならなんでもするのである。)

ただそれだけ。あとは既述「「よしよし」と扱わざる
をえないもの」などを参照。

ようはそれら拒否者は本人には気付かれなくても良いので
そっと温かく内包してあげれるくらいのレベルや体制に
なりましょうと言うことであるが、そのためにそちら側の
原理をレントゲン写真のように広く視覚化することが
一助になるということである。


2016年5月7日土曜日

誰もがつくり話をしていた時代

むしろこれに焦点を合わせて良いのではないだろうか。

そういうアトモスフィアであったと。
そうでは無い本流、層理論があるから
次に繋がるのであるが、「捉えたい」側への
口述として。つまり餌として。
幾重にも踏まえての極言であることは
言うまでもない。

詳述さえ不要であるが対価と金銭と幸福が
同一の環境で共産下にいて本当に満足で
あったの言うこと。
大小の影響の大きさはもはや繰り返さないが。
(既述の通り)

2016年5月5日木曜日

では

では述べる。

土台か表層かということ。

現代で言う高次的「学問」に恣意が入りうること。
(それはゆくゆくは「学」ではなく止揚の一極で
あったということ。)

原点に帰するということ。
経済とはなんであり政治とはなんであり社会とはなんであり
個人とはなんであり人とはなんであり有機体とはなんであり
。。。
現代はようやく政治くらいで逡巡しているくらい。

これが土台に帰する流れ。
例えばその時点で陸しか知らないのであれば陸全体を知る
流れ。海底まで知ったのであれば海底全体を知る流れ。

他方は利用する流れ。
陸を知るものから全てを掌握し、海底を知るものから全てを
掌握する。
いわいる後追い。どんどん開発研究してくれと願っている
ことであろう。

いつも言うとおり分かりやすいものを利用し続けてきている
のがあるのであるから、さすがにこれくらいは対策をもっている
であろう。

ーーー
毒されていると何を言ってるのか分からないだろうから
では再度。

土台は例えば水面に液体を垂らして深層に流れる側。
表層とは水面の表層に漂う側。
一現象に対して表裏一体であり、力学的にもまた
現実の過程においてもまさに生身の生を持って
立証されてきた事実。

よくぞ表層をふわふわと漂ってたかだか数世代の利己に
漂っていられるものだ。ではどうぞ最大の幸福を提供して
くれようと思ってしまうものである。
(たったそれだけで満足できるのであるからかなり
安上がりである。)
それよりかは土に足をつけて今生を全うしたほうが
私はよほどよい。

いくらでも観念的だとか誹謗すれば良い。分かりやすいものに
流れる風潮を作った源泉にむしろ合わせて喩え話をしたに
過ぎない。
(ああいえばこう言うのがあちらの特技なので、(というか
それしか能がないのだが)せいぜいこれを論破できる論理というか
屁理屈をこねる段階で、必然的に屈するより他ないと
一握りでも良いから聡明な言葉を分かるものがいれくれれば
よい。1%であったとしても積み重ねれば大きな蓄積になる。)

2016年5月4日水曜日

とっくに転換期は越えて

とっくに転換期は越えている。

例えば民意の所在や資本の根源の遷移など。

転換期であることをことさら蔑ろにしようと
していることがむしろ明白。

つまり転換期で打破できるかということ。
哀しいかな最大限を手のひらでせっせと工作しているが
層が違いすぎる。
違いすぎる層の渦の前にもがいているだけであると
総括されよう。

卵が先か鶏が先かという命題が未だに成り立つことが
奥ゆかしいがちょうど発端をたどると同じになる。

極大の大団円という途中経過しか見れないことを
嘆くか、大団円という歴史の節目に巡りあったことを
幸と思うか。
言い過ぎたのでこれ以上言わないが、たったこれだけに
幾代を費やしたかということ。(言い過ぎてるので
あとは既述参照。)


黒幕は賢しいと言われている、軍師が居ると言われている。
そこからの疑問になることが哀しい。
原点に返る。

2016年5月3日火曜日

対談について

対談についてであるが第一に
民意はメディアはあらず。
と過去に言ったとおり。

もはや(というか最初からであるが)先導するしか
道がないことを示している。
(言わんこっちゃない)

以上であるが、どうせ最大限引っ張るのであろうから
別枠で書いておこう。
(正面切って対抗すると「しめしめ」となるので注意。)

これまで表層部で済んでいたが、今回はどれほどの
中枢具合かということ。
理論として力学として出したので個別に意見して
私情でも入っては困るのであるが、今回のそれは
自陣営と他陣営を同時に煽る格好の切り札を
ついに切ってきたとも見えるが、そんなに浅いのか
とも疑われる。

レールが敷かれたメディアは最大限の発信をする。
記者一人ひとりまで落としこむと、「自己の正義・使命」まで
言わしめるレールである。(何の疑いも持ち得ない状態。)

いかに作られてきた「民意」であるかという命題に戻る。
民意はメディアはあらず。

ではインターネットかと短絡は飛びつくがそうではない。
(おそらく今回の発表は賢しくもそれくらいの反応まで
見据えたうえでの発表のように見える。)

世にでてるいわいるメディアは当然で、それを視聴してるのが
どれだけいて、その他にメルマガがどういったものが出ていて
読者がどれくらいでを調査したうえで発信の効果を
シミュレートしている。

上記はかなり当たり前を繰り返して書いてるだけにすぎない。
構造を知れば、つまりなぜここまで周到に抑えられてるかという
逆説は「目覚め」を恐れているからだけである。
今回の無恥は(というか常にだが)それこそついに生身の
裸体をさらけ出したか、といったところか。。とほほ。
(と読まれることを読んでいるはずなので、とりあえず
今回は表面だけなぞっておこう。)

2016年5月1日日曜日

Smart suggestion

ユーザが迷っていることを検知して機能を提案する機構。

対象は主に以下。今後いくらでも追加可能。
・スタートメニュー
・Windowsでいうメニュー(ウィンドウ上部のもの。命名の問題ではない。)
・Macでいうメニュー(画面上部のもの。命名の問題ではない。)
・端末で動作するアプリケーション
・Webブラウザで動作するアプリケーション
・その他の全てのいわいるOSで動くCUI,GUIを含めた
 全てのUI(人とも限らない)
 よって機械間のUIも含まれ、すべてのプロトコルも含まれる。
・OSに限定せずシステムすべて
 (つまり全てのアイデアを内包する。)
(せちがないが今日はこれくらいにしておく。)

ーーーーーーー
これはむしろ対ヒューマン向けの機構である。
例えばメニューを行ったり来たりしてることを検知するのである。
(「この流れではこれをしたいのはあたりまえだろう」を救うのである。)
(上記の「流れ検知機構」も出しておく。
ユーザ操作の順番や、マイルストーン通過状況(いくらでも拡張可能。
その全てを網羅、将来発生するものもここに帰着する。)を把握して
次の要求に対する答え・提案をサジェスチョンする機構。)

逐次追跡ポインティングデバイスのほうが分かりやすかったかもしれない。
しかし突発追跡型であってもいろいろな入力補助によってヒューマンは
追跡可能である。
(であるからしてのこの先行発表である。)

コード文鎮

仕組みはごく単純

コードのズレ落ちをさせないために、コードが自然落下や
ある程度の引張にも耐え得るくらいの重量を持った文鎮。
コードが通るくらいの溝があるが、コネクタ部はすり抜けないくらいの
幅のみぞである。

一つのコード文鎮に複数の溝を持つことができる。
(一応0から多としておこう。)


左の総括

一応ようやく結果が出たようなので総括しておく。 (いつも通り具体を避けて抽象的に述べるので読みづらくてすいません。。) とは言ってもこれまで散々述べてきた通り、あちらの根本は「利己」であるということの繰り返しであるが。 まぁそれが象徴的に民意として「流石に目に余る」という結果にな...