2016年5月3日火曜日

対談について

対談についてであるが第一に
民意はメディアはあらず。
と過去に言ったとおり。

もはや(というか最初からであるが)先導するしか
道がないことを示している。
(言わんこっちゃない)

以上であるが、どうせ最大限引っ張るのであろうから
別枠で書いておこう。
(正面切って対抗すると「しめしめ」となるので注意。)

これまで表層部で済んでいたが、今回はどれほどの
中枢具合かということ。
理論として力学として出したので個別に意見して
私情でも入っては困るのであるが、今回のそれは
自陣営と他陣営を同時に煽る格好の切り札を
ついに切ってきたとも見えるが、そんなに浅いのか
とも疑われる。

レールが敷かれたメディアは最大限の発信をする。
記者一人ひとりまで落としこむと、「自己の正義・使命」まで
言わしめるレールである。(何の疑いも持ち得ない状態。)

いかに作られてきた「民意」であるかという命題に戻る。
民意はメディアはあらず。

ではインターネットかと短絡は飛びつくがそうではない。
(おそらく今回の発表は賢しくもそれくらいの反応まで
見据えたうえでの発表のように見える。)

世にでてるいわいるメディアは当然で、それを視聴してるのが
どれだけいて、その他にメルマガがどういったものが出ていて
読者がどれくらいでを調査したうえで発信の効果を
シミュレートしている。

上記はかなり当たり前を繰り返して書いてるだけにすぎない。
構造を知れば、つまりなぜここまで周到に抑えられてるかという
逆説は「目覚め」を恐れているからだけである。
今回の無恥は(というか常にだが)それこそついに生身の
裸体をさらけ出したか、といったところか。。とほほ。
(と読まれることを読んでいるはずなので、とりあえず
今回は表面だけなぞっておこう。)

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