2024年11月6日水曜日

左の総括

一応ようやく結果が出たようなので総括しておく。
(いつも通り具体を避けて抽象的に述べるので読みづらくてすいません。。)

とは言ってもこれまで散々述べてきた通り、あちらの根本は「利己」であるということの繰り返しであるが。

まぁそれが象徴的に民意として「流石に目に余る」という結果になったことは、確かに歴史的にもマイルストーンになるだろう。
(恐ろしいことに暴動などを煽動してちゃぶ台返しを画策してると言ったような怪文書も出回っているらしいが。しかし怪文書が世間に出回ってはあちらとしては世も末であろう。まぁこれもまた末期症状ということが「振り返って」検証されるのであろう。あちらの特性として歴史を学習しないので、それが正しく断末魔であるということに当事者は全く気付かないようである。)

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敢えて物語的に話すが、岡目八目とでもいうのか、無論初心を持った方は大変有意義であってそう言った方々に支えられてきた訳ではあるが、下手をすると生兵法で挑むと、あちらもアホではないのでまんまと付け入れられて本末転倒的にあちらに与する勢力になってしまう人が多数出現した次第である、ということ。

別に政治やSNSを言う訳ではないが、実際に接近しすぎて(当初は高い志があったのに)、そう言った方々の心情を代弁する訳ではないが、知らず知らずに当初の反対側の急先鋒になって(奉られて)いたりする訳である。(それほど哀しい事はない。)
(一応、冷静な分析としてはSNSという「誰でも世界に参加できる」ツールの特性をよく理解して、先回りして、不適な笑みを表には表さないようにして虎視眈々と待ち受けていた図、といった所。さすが左的な蛇のような爬虫類的な性質である。)

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子は親の背中を見て育つという通り、例えば国のトップや、大きくみて「世界の流れ」が現状のような無法地帯になっていると子が捉えるのであれば、子がそれを真似するのは当然であろう。
あちらが一体どれほど軽い考えで始めたのかは知らないが(利己なので)、いよいよ世界中で利己的事件が顕著になってきた。(日々発生する世界中の利己的事件を観て、左の当事者は一体何を思うのか?無論「しめしめ」と発狂的に思っているのだろう。(よくそんなことで快楽を得られるものだ。自らの意思で現世において動物にならなくても良いのに。))

上記の親子の例で言うと、親は確信犯なので残念ながら手遅れかもしれない。(し、そうでなく、ちゃんと更生可能かもしれない。人はどこからでも変えられる。記述の通り。)
記述の通り、いざダメとなったと自覚すると蜘蛛の子を散らすようにトップから逃げ出すという喜劇が見られると述べた通りであるが、それら完全に染め上げられた方達は自分は決して悪くないと信じ続けて行くのであろう。

問題は、それらに「染め上げられてしまった人々」である。
上記に示した通り、図式としてはものすごく単純であって、果たして今回の厳正たる結果を自分の目で見て、現世の命でそれを受け止めて、果たしてなんと思うか、と言う問題。
(下手をするとその序列に今回の選挙であちらの代表に選ばれた人も並ぶのでは?とさえ思えてしまう。)

これまた記述の通りであるが、悪は悪で悪いと言うのは誰でも分かるのであるが、それを他人を巻き込んで煽動してしまうと言うことは、迷える子羊を「善意を以って」奈落の底にまんまと突き落とす、またはそれに加担させる、と言うことで、ものすごく罪は大きいと思うのである。

私が述べるまでもなく、ここのところの問題は「近視眼的に利己に向かわせた罪」と言ったところであろう。
そうであろうし、それがぐだぐだとまんまとあちらの思惑通りに誰も鶴の一声も発せずに、発しても口を塞がれて過ごしてきた、過ごさせられてきた歴史の一ページであったと言うことであろう。

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冒頭に「選挙結果を暴動でちゃぶ台返しする画策をしてる」と書いたが、ここまで述べてきたを正に理解すれば、その角ももげるであろう。
(しかし、鬼とか鬼の角というのは無論抽象であると思うと同時に、本当に具体であったのだろうと思う。そのような具体的な鬼に人生上遭遇しないことに越した事はないのであるが、これだけ科学が発展した文明においても、それらおぞましい鬼は嫌でも目の当たりにしてしまうのだなと恐ろしくも思い、また哀しく思うものである。)
(何回の繰り返しになるか分からないが、現世の問題はそれらが巧妙化、潜伏化して「まんまと」「善意の人を」悪に走らせる巧妙化が進んでいるということ。分かる人にとっては、ある意味それだけ、と述べた通り。)
(言うまでもなく、それらを「無明」と言うのであるが、無明の恐ろしさは、本人が自分が無明の中にいると自覚するまでは、自分は「明」サイドで立派に自立してると思っている事である。更に恐ろしいのはそう言った人を悪に走らせる、左側の「完成された」「マニュアル化された」手口であろう。記述の通りであるが、一旦その道に入るともはや自分の頭だけではその道からは抜け出せないような仕組みになっている。恐ろしや。。)

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おそらく、所謂左が世に出現した時点でもその大いなる矛盾(矛盾という言葉さえ勿体無くて、理屈という言葉も勿体無くて、屁理屈くらいなのであるが)にはちゃんと地に足がついた方々は分かって、当時からも反論が多数出たであろうが(残念ながら「インテリ」はまんまと流されてしまったようであるが。。地に足がついていたかどうかの問題であろう。無論過ぎ去ったことはとやかく言うつもりはない。)、なぜこれほど百年近くも浪費してしまったのであろうか?と言う総論に、そろそろ入らなければなるまい、と言う事であろう。

確かにこれ以上は先人に怒られる。


2024年9月5日木曜日

視覚と聴覚の相関

錯覚というか感覚間の相関について。
(一応、新しい錯覚の分野)
(相関というか、「相互関係」とでもいうのか、所謂総合意識の分野。(もし未開拓なのであればここに新たに開拓した。))

例えば真っ暗なところで聴く音と、明るい所で聴く音の関係。
(一方は大きく聞こえ、一方は小さく聞こえる、など)
(大きさ(強弱)の他にも高低差や周波数的な要素などなど)

タイトルは取り敢えず視覚と聴覚としたが、所謂五感の全組み合わせを含む。
一応、「意識」まで含めて六感の全組み合わせまで含んでおく。
(仮想まで含むと六感に留まらず、任意の数まで仮定可能であるので、そこまでこのアイデアの範疇に入れておく。)

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なお、上記のようなボトムアップを今後百年か千年かは分からないのだけれど、積み上げていくと、「ボトムアップ的意識」の成り立ちも分かってくるだろう。
(そして「意識」はどこまで行っても仮定であるということに、巡り巡って気づくのだろうか。)





2024年8月25日日曜日

優位性

あちらの構造理解の通り、行き着くところは利己であり、それが故に目の前の「敵」をやっつけるしか考えることができなくて、いざトップになったとしても「ではどうしたいのか」「何をやりたいのか」が空っぽなのであることは既述の通り。

レッテル貼りとかは正しくあちらが生み出した滑稽な産物であるが、これこそ「嘘も百回繰り返せば真実になる」的な自己満足の所業であろう。

あちらの本質は利己である、と見抜いた(というかちょっと10分くらいでもちゃんと考えれば誰でも分かることであろうが)通りであるが、それを発展させると単純に「優位に立ちたい」ことの表れでもあるということも同時に分かるのである。

例えば今、世界地図を広げてみんなで世界の事を話し合っているのに、誰か一人が突然大声で「私はここにいるんだよ!」と怒鳴って自己主張を始めるようなものである。(自分でも嫌になるがどうしてこういったわかりやすい構図(滑稽漫画といった方が良いか。。)を瞬時に発想できてしまうのであろうか。。)

一応このどうしようもない構図上で話を続けると、誰か穏当な人が「今は世界について話してるんですよ」といくら優しく言おうが、この怒鳴った人はますますエスカレートして「差別だ!」とか発狂レベルで叫び出すのであろう。(はぁ。。)
更に付け加えると、そうやってザワザワやってると、「いや、怒鳴ってる方が正しい」とか言って群衆の一部がそちら側に加担してしまう始末である。

ある意味、世界地図を見てる時点でちゃんと解決しなかったせいでもあるともいえるし、実際こうなってしまうと収拾はつかなくなってしまう、とも言える。

これの問題は何かというと、ディベート的に言えば、まともなコミュニケーションが取れない人がいたという事であり、いざ収拾がつかなくなった際に、それより上層で見える人がいなかったという事であろう。(簡単である。)

※ちなみに「層理論」は上記二点の問題も解決できるものである。

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とても哀しい事であるが、所謂あちらに傾倒してしまった方は、もう元に戻す事は難しい。利己と自己優位性に突っ走っている荒れ牛のようなものである。本当は大きな土台の上でギャアギャア騒いでるだけの胡麻粒のようなものなのにも関わらず、あたかも世界は自分の思うがままと勘違いして政策(とか、ここぞとばかりに格好をつけて自分の正当性と担保するような言葉を使うのだが)を編み出してブルーシートを作って自己満足しているのである。

常に述べている通り、それではそういった「出来上がってしまった」方とどう対峙するか?という話である。
とても残念ながら成体として出来上がって、もう元に戻ることができない人は、その人がなんの疑いもなく安心して暮らせる場所を与えるしかないだろう。(既述「ディベートの困ったちゃん」参照)
その人が自分の利己と自己優位性を保ったまま暮らせるのであるから、その人としては満足だろう。
裏を返すとみんなが真剣な話し合いをしてるのに、自分の利己と自己優位性を頑なに主張してきたのであるから仕方ない。(あちらの人は、大の大人であるのに、それでも「疎外だ!」「人権だ!」とか叫びさしそうな勢いではあるが。。)

なお、最後に付け加えるならば、無論人はいつどの時点でもやり直すことができる、稀な生物であるので、その人が本当に改心したのであれば、そこからはぜひまともに生きていって頂きたい。
※またしても既述の通りであるが、こういう事を言うと「しめしめ」と「賢く」潜伏・脱走してしまう輩がいるので片時も気は抜けないのであるが。(本当に「やれやれ」である。)





伝説商法

世の中には「炎上商法」なる手口が存在するらしいが、その進化版として「伝説商法」(または「伝説化商法」)を発表する。

主にガジェット分野であるが、古の製品の中には「何故この仕様にした?」的なものがあって、運が良ければメーカーや設計者本人にその意図も聞くことは可能なのであるが、意図が分かる・分からないに関わらず、情報伝達理論の通り「伝説化」するものがあるのである。

そう言った伝説が出来上がると、当然該当品は需要 >>> 供給 となるので保有者であり、かつそれを手放しても良い人であれば、その人はその分の対価を受け取ることができるのである。

伝説化商法とは、それを意図的に発動させる商法である。(無論余程の愚か者でない限りはその意図を表には絶対に漏れないようにするだろうが。)

伝説化の基本は、後から考えて「なんでそんな設計・仕様にしたのか?」をある程度時間経過した将来の人が思う・楽しむものであるので、それを敢えてするという事は、現代では株主がいたりとかシビアなビジネス現場で日々真剣に物作りを行なっている(行わざるを得ない)現場で、「敢えて」バグとしか言えないようなことをするようなものである。
よってそれを通過させる体制なのか?それを通過させる経営陣はどうなってるのか?という話でもあるし、いざそれを世に出してもそのような「おかしな」製品は自然淘汰で単純に売れないだろう。

むしろそれを意図的に行なっているのであれば、同業他社なり、というか一般消費者から(それこをネットから)「ふざけるな!」という非難が凄すぎて、その時点でその企業の存亡の危機であろう。(これを「周知の上の第一波」とでも言うのだろうか?)

あわよく炎上しなかったり、したとしても何とか乗り切ったとしても、そんなことに頼っている企業であっては普通ではあるまい。

※ビジネスの歴史の通りであるが、実際上全て真っ直ぐに完璧に貫いていた側と、ちょっとだけ・たまに「何やってんだ?」といったことをやってきた側とでは後者の方が人気があったりするわけである。人気とはつまり売り上げとかの数字でも出てくる話。

しかし、それはあくまで短期的な話であろう。そうであろうし、そう見通さなければならないと思う。(そう見通せない人が「炎上商法」に走っているともいえる^^)

言うなればこれはある種劇薬であって、そんなものでまんまと当たりを経験してしまえば「やはりこれでいいんだ!」とかいって、引き返せない側の道を進んでしまうのであろう。

本論は炎上商法をごく単純に発展させただけのくだらない話であるが、こういったものが出てくるのもまた世の中だと思うので、つまり簡単にこういったことは見通せるので最初に書いておくのも悪くないと思って書いておいただけである。


2024年7月27日土曜日

蜃気楼補正機構

暑い道路などでモヤがかかるが、これを補正する機構。
より広義で言えば、例えば地上の望遠鏡だと大気の影響があるので、宇宙に望遠鏡を持っていってそれを回避しているが、地上の望遠鏡についても補正する機構。
また、宇宙望遠鏡であっても、より遠い領域になると途中のガス雲やチリの影響もあるので、それらの補正にも応用できる。

モヤ補正機構の基本コンセプトは、不可逆変換のものを学習によって補正するというもの。
今時の言葉で言えば所謂AIである。(最近は何でもAIになってしまったが、実際には「実用可能段階になったニューラルネットワーク技術」と言ったところか。)

モヤの場合は、モヤがない状態という答え(教師信号)をゴールにして、モヤがかかったものからモヤを取り除く学習を行う。
画像中の一点の画素(光源)について言えば、道路の熱によって光の経路が屈折させられているのだが、光源としては映った画像と比べて本来は上なのか?下なのか?右なのか?左なのか?というのを「答え」を元に補正を行うということ。
光がどれくらい屈折するかは条件次第なので、どこでどう屈折するかと言った物理的解釈上にAI学習を載せるイメージ。
(単純な画像補正でもある程度は効果があるかも知れないが、どちらかというともう少し科学的なフィルター。)

このフィルターが一旦出来てしまえば、他の同一条件のモヤも同様に補正可能になる。

また、被写体との距離、モヤがかかる距離の範囲、モヤがかかってる道路などの温度、と言った条件を増やしていけばより応用が効くフィルターになる。

モヤというのはものすごく簡単に言ってしまえば、光が途中で「思いがけず」邪魔されている現象なので、そのまま宇宙望遠鏡のガス雲などにも応用可能。

宇宙の観測は地球という定点からの観測しか行えないため(そのうち頑張って地球から遥か遠くに宇宙望遠鏡を設置するかも知れないが、宇宙の広さから言えばほぼ定点観測。ただしそれであってもものすごい価値はあるのであるが)、いかに収集したデータを有効利用するかがカギである。


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注意点としてはあくまでも補正であって、不可逆変換されたものを「復元」するものではない。
ただし、AIという高性能の、言うなれば「推測」によって例えば99%とか元の状態に補正することが可能になる機構である。

科学者であればその辺の「証拠になるもの」と「証拠としては扱えないもの」の違いの認識は大丈夫だと思うが、または「統計的に正しい」ものとして採用されるかも知れないが、あくまでも補正が根っこであることは忘れてはならないだろう。(細かく言えばこれまで「正しい」とされてきたものであっても、実はそう言ったものによっているものあるだろう。)


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これまで「ただのノイズ」と思われてきた映像や宇宙のデータなども、このフィルターを通し直すことで新たな事実が続々と発見される。
このフィルターに限らないのだが、補正技術が向上するたびに過去に撮られた動画や宇宙のデータとかさまざまな科学的なデータは宝の山になるだろう。
(おそらくコンセプト的には、統計データでさえも補正可能と考えられる。)

タイトルは蜃気楼補正機構としたが、どちらかというとこの壮大なコンセプトを発表するのが主旨である。




2024年7月4日木曜日

金という名の信頼

あちらの構造理解の通り、行き着くところは利己であるので、それを以て組織を作ろうとしても必然的にトップ一人が権力を握るしかないのである。(所謂独裁。どうにか集団で指導しようとか試みたとしても、中心にある考え方が利己なので成立するわけがない。)

そしてその組織内部で「信頼」が醸成するわけもなく、言うなれば「金」という名の「信頼」でしかありえないことはみなさん言われる通りである。

ことここに至って、その頼るべき「金」つまり「経済」も実は壮大な虚構(メッキにメッキの上塗り。全く当てにならない発表される経済指標などなど)だったのであるから、聡明な(感が鋭い)人は人に気付かれないようにとっとと、かつ静かに国外に逃げ出してるのは当然であろう。

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既述の通り、そんな体制にしかなり得なかったことまで含めて彼らの結果なのだろうが、一方でやはり何も知らずに国民にさせられてしまった人も気の毒と思ってしまう。

あちらの国民は、それこそ超強力な情報ピラミッドで情報統制されて、実態は知る術もないのかもしれないが、いくら穴を塞ごうが「完璧」というのはあり得ないわけで、実際上は民間人も分かってはいるのだろう。
(どこかでも書いたが、この「完璧はあり得ない」については歴史で何度も性懲りも無く繰り返されているのであるが、今回もあちらはまんまと同じ轍を踏んでいるだけ、といえばそれだけなのであるが、一体いつになったらこの点を学習するのだろうか?)

問題はあちらの上部に「気付いたことを気付かれる」だけでも危険であって、具体的には瞬時にとっ捕まってしまうわけで、いかに「気付いたことを気付かれ」ずにスマートに国外逃亡するか、ということであろう。結局は相当の金持ちしかそんなことはできないのが現状なのかもしれない。

民間人でさえそういった状態なので、もしも党に関係した人だとしたら逆に「気付いてしまう」事への対処はさらに困難を極めるだろう。(逆説的に言えば「気付かないほうが幸せ」となるのであるが、それは冗談)

おそらく知ってしまった、気付いてしまった、分かったとしても表には口が裂けても言えないだろう。無論口に出すことも、気付いた素振りも外には一切出さないのだろうが、あちらのやり方は巧妙で(そんなことにだけ長けてる)、一体どうやって調べたんだ?と思うまもなく嫌疑をかけられてしまうのである。(恐ろしや。あちらのこれまでを見るに、実は別に証拠がなくても関係なく、まるで思いつきやその日の気分で嫌疑をかけるのだろうが)
あちら側からすれば「裏切り者」をいかに炙り出すかという技術だけ向上させているわけで、熱意でイノベーションが生まれると言われるが、これだけが唯一の彼らの生み出したイノベーションなのであろう。(あとはコピーだけ)
※なぜあちらではGAFAやトヨタのような企業ができないのか?みたいな議論があったりするが、民主国家側からすれば当然であって、イノベーションを舐めるなよ、的な話だけなのであるが、結局は金でしか繋がってないためと言えよう。結局を何をするにしても、また何をしたとしても全ては上が持っていってしまうのであるから、何をしようが馬鹿らしくなって当然であり、そうであるならば上手いこと言って(装って)せめて金でももらっておこう、くらいになるしかないのである。もう何十年やってるか分からないが、もしもイノベーションを起こせないことを嘆くのであれば、とっとと構造的原因に気がついて、それこそ「革命」でも起こせば良いのだろうに、これまた見た通り怠慢な性質でもあるのでダラダラと今の仕組みのままここまできてしまっただけとも言える。
思えばいくら「世の中をよくしよう」とか「世界を変えよう」と純粋な気持ちで思ったとてしても、またもしもそれを実現できたとしても、その功績は全て党のものとなるのでバカらしくて嫌になるだろう。私が常に思う「声なき声」とはこういうことであって、こう言ったレベルで「一生を棒に振るしか選択肢がない」ということが問題であって、どこかの団体が人権とか文字だけ書いたり音声として読んだりだけしているが、もしも人権というならばなぜこの一点が見れないのだろうか?(メクラだろうか?それこそ臆面もなく「はいそうです」とか言い出すのだろう。)

民間側も、いかに嫌疑をかけられないか、いかに言い逃れするかということだけ発展してきたといえよう。(「上に政策あれば下に対策あり」と言われる通り。壮大な浪費や勿体無いという感覚は覚えないだろうか?)

果たしてこれが健全か?ということが一つの俯瞰した時の命題であって、これもそろそろ総論は出始めてくるだろう。

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目下の問題はあちら内部で今を生き抜いてる人たちであって、上記の通り実態を知ったとしても誰にも言えない状況はしばらく続くのであるが、大切なことは「知ってる人」が内部的に増えていくことであろう。
あちらの内部で生きる以上は、どんなに100%信頼してる人であっても迂闊に相談しては危険であるので、実態として知ってしまったことは誰にも言わないほうが良いのではあるが、「表面上は見えないが、実は知ってる人が大勢いるはずだ」と知ることが大切である。



2024年6月22日土曜日

医療費と補助金など

医療費の増加が話題になってるが、聞けば聞くほど当然というか「成る可くして成っただけ」とも言える。
言われている通りなので詳細は割愛するが、これだけ大量に薬を処方されたり、高血圧だ血糖値だ減塩だとか騒がれたり(つまり高齢者の医療費)と言った感じである。
ちょっとしたことでも大量の薬が処方され、それこそ「取り敢えず薬を処方しておきますね」くらいの感覚で処方されてるのではないだろうか?(別分野で「取り敢えず」が通用するのか?例えば大工さんが「取り敢えず柱を100本建てときますね」と言ってるようなものではないのか?)

また、補助金の闇も最近ではようやく認知されるようになってきたかと思う。たとえば出産育児一時金であるが、これは本来出産時にかかる費用を補助するもので、一般的に出産時にかかる費用を元にプラスアルファの余裕を持たせた金額であったはずである。つまり「実際にかかった費用を補助します。ただし上限は42万円です」という主旨であったはず。よって病院側も確実に費用を受け取れるし、出産する側も費用を助けてもらえてお互いWin-Winになれるものであった。
しかし実際に見聞きした感じだと、この上限値の42万円を見据えて料金設定されているのではないか?と勘繰ってしまうのである。(と言うかすでに具体的に取材して「そうです」と言う話がどこかにあったか)
見聞きした中には、ある病院で出産された方のケースだと、破水が予定より早く出てしまい最終的に出産までに2〜3日病院に入院されたのだが、その時にかかった費用は出産時の「標準」が42万円になっているので、追加の数日分の入院費など合わせてトータル70数万円、よって持ち出しとして30万円くらい掛かったそうである。

おそらく病院とか医療提供側に悪気はないのだろう。それを受ける側も当初は「いつもお世話になってるし人助けを生業とされて立派なので」的なことで特に気にはしてなかったであろう。
つまりこれが補助金の危うさなのである。
「ただより高いものはない」「ただより怖いものはない」とはこのことと言えよう。
「ここまで必ず貰える」と言うことが分かっていれば人は誰でも、またどうしても貰える分はもらっておこうと思ってしまうものなのである。(これを愚かと言うのであれば、愚かな人民に愚かなことをさせないように仕組みを考えなければならない、と言う話になるべきなのであるが、これまた愚かなことにむしろ人民に愚かなことをするように敢えて誘導しているとも見て取れるのである。全体を見れる、また正しい方に誘導しなければならないものが、人をして悪に走らせるのは、実際に悪を働く人よりも遥かに罪が重いのはこのためである。まさに悪の仕業なのであるが、果たして現代の現在で、つまり今息をしている人の中で一体どれだけの人がこの重罪に気づいている人がいるのだろうか?確定された歴史を読んで、確定された評価を見て「なんて愚かなのだ」と思うことはできるのであるが、いざ今現在息をして生きていると下手すると自分もまんまとその「愚か」側を演じてしまうということである。良心の呵責があれば良いのであるが、下手をすると「自分は悪くない」と自己催眠させて突き進んでしまうのである。詳細は既述ブログの通り。)

まとめ直すと、全体を俯瞰すれば「ここまでは補助しますよ」と言うルールを作り、お医者さんや病院は「それでは」とか言ってそこまでもらうようになって、後追いで「税金が高い!」と怒っているようなものである。
補助金は上限とか適用ルールが明確で分かりやすいので例にとったが、およそ同じような仕組みで、但し仕組みはものすごく複雑なのでぱっと見はわからないが、医療や薬とか関連業界にはこう言うことがあることは、すでに「闇」を暴いてこられた通りであろう。

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財政破綻論でこの年々増え続ける医療費も原因に挙げられていたりするので、財務目線でも見てみることにしよう。
骨太方針の通りではあるが、ものすごく簡単に言うと緊縮財政方針で「入った分しか使わせない」「三年間で1,000億円しか使っちゃダメ!」の一点張りなのである。
つまり市場に「血液」として循環する金が限られている・絞り込まれているので、経済は萎む一方(デフレ)なのは至極当然のことであろう。

この限られたパイしかない状況でみんながどこに金を回せるか駆け回ってる状況で、むしろ年々受ける額を増大させてるのが医療なのである。
そう言う意味では医療はこの30年とかのスパンで見た時の勝者と言えるかもしれない。(財務側と30年前からよほど結託して計画を立てていたのだろうか?)
しかし遂に闇が暴かれつつあったり、健康寿命増進(高齢者医療費の抑制)とか言われるようになったり、未病対策とか言われ始め、おそらく近々お金の面にも皆んなの目が向けられることになってくるだろう。
(お金の話になるとガメツイとか君子や聖人のやることではないとか言い出す人がいるが、金に疎いと一方的にしてやられるだけである。(現実世界で財務の役人さんに100%コントロールされている通り)。現代では財務はもはや一般教養と言える。)

※性善説的に財務のお役人さん側の立場を考えると、もしかして緊縮をやめてお金を回して経済復興しても良いが、結局医療に吸い取られて、本来回したいところへ回せないので、「医療をさっさと見直せ!」と暗に我々に諭してくれているのだろうか?もしそうであれば尊い。

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最後に、これは制度の問題であって現場の問題ではないので、念の為注意喚起しておく。
しかもその制度は間接的に我々自身が決めたものである。なので決して現場の医療従事者とか医療関係者に対して云々カンヌン言ってはならない。
人とは哀しいもので目の前に人参をぶら下げられれば追っかけてしまう生き物なのである。
普通の企業でも年度末になると予算消化とかいって色々買ったりするだろう。それはつまり税金=(収入ー経費)×税率 なので、企業の税金対策なのである。
経営者や経理、個人事業主の方であれば誰もが「うんうん」とものすごくよくわかる話だとご理解いただけるであろう。

つまり税金の仕組みが上記方程式である以上、「経費を使って税金を下げる」と言う点には善だの悪だのはなくて、「あの会社はあんなに経費を使って税金を減らして悪だ!」とはならないのである。
これも見聞であるが、個人事業主の方である年はものすごく忙しくて本当に最小限のものしか買わずに、つまり経費がものすごく少なかったら所得税とか所得を元に算出される住民税とか国民健康保険が爆上がりしたらしい。
その人の仕事は常連さんからの請負の仕事で1ヶ月いくらみたいな感じなので収入としては前年とほぼ一緒だったらしいが、経費が小さくなったので当然税金は上がったわけである。
忙しくてそれに見合って収入も増えればまだしも税金だけ上がっては「一生懸命働いた年の方が税金が高くなってなんだかなぁ」と嘆いておられた。現代の税金の仕組みがそうなっているから「仕方がない」と言う好例である。
※現代では 税金=(収入ー経費)×税率 の考え方になっているが、上記のような矛盾も含んだものと言える。おそらく百年後とか千年後の人がこれを見たら「なんてトンマな式なんだ」と笑われるかもしれない^^;
※ちなみに次次世代経済として「ネオ・アナログ経済」も考察してます。


当然、不正会計や「何でもかんでも経費にしちゃえ」みたいな確信犯はダメであるが、税金の方程式に則って税金対策するのは普通であるし、先ほどの現代の教養で述べた通り、金に疎いと一方的に巻き上げられるだけなのである。
つまり会社員であっても間接的に企業の一部として、また経営者や個人事業主であれば直接税金と向き合ってるわけで、そこに税制上の特例があれば適用したりしているだろう。
それと同様に医療業界では補助金なり点数システムなりがあって受けれるだけ受けようとするのもまた同じなのである、と言うこと。
確実に貰えるものであれば貰ってしまうものである。また、確実に貰えることが分かっているのであれば当てにしてしまうものである。「取らぬ狸の皮算用」のことわざと異なる点は、狸は100%確実に取れることを既に知っていると言う点である。そして確実であればそれを元に計画も作れてしまうと言う点である。
言うなれば制度ができた時点ですでに将来の計画・算盤はじきも同時に完成しているのであろう。(下手すると中にはそういった話が上がった時点ですでに将来の設計図を完成させてる人もいるかもしれない。そういう計算が好きなのであれば事業はやめて政治の世界に入った方が良いだろう。ぜひ内側から全体の最善解を弾き出して頂きたい。)
おそらく補助金という「ただより怖いもの」の問題の本質はこの辺になるだろうか。
今回は一番よく聞く医療についてだけ述べたが、およそ補助金なり特例なり優遇なり「賢しい(と本人たちは思い込んでる)仕組み」があるところは同様である。

一度肥えさせてしまったものを細らせるのは大変であるが(つまり遡ると30年くらい前なのかいつくらい前なのかは知らないが、軽い気持ちで始めてしまったことを嘆くのであるが(これも決して人を嘆くのではなく、その罪を嘆くのであるが))、仕組みとしておかしい以上は仕組みから変えなければなるまい。
患者を増やさないと成り立たない仕組み、医師と薬剤の結託、補助金・給付金・保険制度の仕組み、それら仕組みから来るものなのか、または「踊らされて」いるのかではあるが高血圧だとか血糖値だとか減塩だとか、引いては添加物漬けにさらされる日本人とか、果ては食料自給率の問題や、農家を助けるどころか結果的に先細りさせるように仕向けてるとしか思えないような政策、それら全て仕組みから見直していかなければならないだろう。(ここまで見事に日本を破壊しようとしてきた「大人たち」には呆れ果てるし、百年後、千年後にそれこそ恥ずかしい事柄として教科書に載ったりする訳で、よく恥を感じずにいられるものだと感嘆する。拍手でもされれば喜ぶつもりなのだろうか?息をしてる人は自分がどれだけ「利己まっしぐら」かが本気で分からない好例とも言える。まさに無明である。それなので息を終える直前や老後とかに人生を振り返って後悔したりするのかもしれないが、そしてそれを全て白状してくれればまだしもなのであるが、結局利己を引っさげたままいってしまうのであるから卑怯千万この上ない話だと思うのであるが、それであっても人は憎んではなるまい。その人がしでかした悪を憎むべきであるし、俯瞰すればそんな愚かな人を生み出してしまった環境を見直すしかない、と元の話に戻るのである。恥があるかどうかについては正に利己的であれば自分さえ良ければ良いのであろうから、将来何言われようがお構いなしということで恥も何もないのであろう。所謂左側も「自分だけ。良くてせいぜい数世代だけ」のことしか考えてないということは別記事で書いた通りであるが、左でない人であっても結果的には左に染まった人と同じことをやらかすことになる(少なくとも周りからはそう見られる)のであるが、本当に本人はそれで良いのだろうか?という話でもある。あとで「私は悪くなかった」と言い張って生きるか、自己忘却するか、「しらを切り通す」とかしかなくなると思うのだが、また周りも「やれやれ」と社会にいさせてあげるしかないのであるが、その辺までよくよく考えていただきたいものである。)

※先ほどの財務官僚性善説に従えば、実は財務側も本心では手を引きたいと推しはかることができる。財務が味方につけば千人力なので一気呵成に見直しを完了しようではないか。(財務側は最初に医療と結託してしまったので自分からは言うに言えないとも言える。)この辺については常にのらりくらりと回答をずらしていることを逆手にとって、良い方向に受け止めさせていただこう^^
(財務側で誰か本気で涙を流しながら頷いてたりして^^)

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ちなみに、もしも財務を論ずるのであれば、所謂「信用創造」くらいに行き着く。正しく資本主義の根幹でもあり、それを国レベルで考えた場合もである。なぜ信用して貸すか(資本を約束するのか)と言えば事業として発展を見込んでいるからであって、その恩恵として一点何倍とかになって、うまくいけば2倍とか何十倍とかになって返ってくると思うからである。(無論この論調だけで突き進めると危ないことは誰もが知っての通り)。
そして国レベルでの信用創造というのはいわば国への投資ということなのであろう。国が金を回すのは当然インフラ整備だったり資源事業であったり、資源の限られる国特有の、そして強みの第二次産業だったり、例を挙げればきりがないが、いずれも将来への「投資」の意味合いが強い(というかほぼ100%?)のである。

このまま進めても反論につぐ反論で、時間稼ぎで有耶無耶になるのであろうから結論だけ述べておく。

誰もが納得する指標として、投資に対する将来の、将来時点での価値を基準としたマップがこれまで誰も示してこなかったので、ああだこうだ言いてるだけなのであるので、将来時点での価値を基準としたマップをここに公表することとする。そしてそれで全ては解決される。(逆おいしてるので当然そうなるということ。立脚が解決なので、もしも精度とか頭が足りないのであればそこから逆算で構築すれば良い。)
少し難しく言ってしまったかもしれないが、ものすごく簡単な話であって、例えば去年の価値でX円投資しましたけど、今年は全体の価値自体が上がってるのでB/Sに反映させれば借金としてはむしろ大幅に減ってます、複利まで考えればものすごく素晴らしい投資です、というだけのことである。(突き詰めるとやはりこの辺も財務は一般教養なのであろう。せいぜい一般教養で済んでしまうレベルで国民は右往左往「させられている」のである。。)

数字で言えば誰もうんともすんとも言えないので、「価値反映版B/S」を以って解決とすることとしよう。
※国の舵取りを自認しているのであればむしろ財務官僚に作って欲しいものであるが、残念ながら「気概」ということ自体が御法度というか、ただただ「言われた通りだけ動く」ことだけが官僚に成り下がってまったので、望むべくもない(情けない。。親とか御先祖に情けなくないのだろうか?これまた「ないです!」とか逆ギレされそうで別の意味で恐ろしいのであるが。)
よってこのように民間から声を上げるしか解決方法はないのであった。

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「戦い方の基本」で述べてきた通り、「誰と(何と)戦うか?」の通りなのであるが、決して人と戦ってはならないので、一応付言しておく(既述ブログ参照)
勇ましいことを述べると、どうしても血気盛んな方は勘違いしてしまうので念の為。
(とてもくどくなってしまうが、今回で言うと医療関係者は敵ではないし、財務関係者も敵ではない。それぞれむしろ自身の職を全うしている素晴らしい方々である。「仕組み」をちゃんと考えましょう、と言うだけである。)






2024年6月8日土曜日

都のトップ

真しやかに言われているが、都民が愛想を尽かして東京から流出することで首都圏一極集中の解消・地方再生を狙うためにあえてとんでもない人がドヤ顔で出てきているということ。
(つまり本人には気づかれないように道具となってもらうということ。)

冗談なので深くいうまでもないのであるが、冗談を、冗談を言ってはいけない本気の場所で聖なる場所で臆面もなく実行できる大人がいるわけで、しかも下手したら周りから崇められたりしているわけである。
(付け加えると、自分たちは何て頭が良いのだろうかとさえ、同じ穴の中で思っているかもしれない。)

もはやなんでもありの、それこそ味噌も糞も一緒の方々なので、本気でやらかしているのかもしれない。

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なお、「本人には気づかれないように…」の点については、既述の通り将来的な解法とも言い得るものである。
つまりこちらがいくら理論的・数学的に正しいことを眼前に突きつけても、あちらはそれを理解できない、理解しようとしてない訳であり、しかも成体となって完成されてしまっていて、自ら変わろうともしない、もはや変わることができなくなってしまっているから、しょうがないので彼らの満足して生きていける場所を作ってあげて住んでもらうしかない。

※ここぞとばかりにマイノリティをどうするだの人権だのと言い出す輩がいるが、誰も排除とか言ってない訳で、要は「頭が追っつく」ことができない、拒否してる(自分の意思で)訳であるから、そう言った方でも幸福に生きていける場を設けましょうというだけである。抜け目なく考慮済みであるので詳細は既述参照。
※なおあちらの言う権利と言うのも半端なものであって、その権利を主張するのであれば赤ん坊から100歳を超えるお年寄りまで完全平等に権利を主張すれば少しは分かるのであるが、なぜか一部(というか自分)の権利しか言わないのである。さらに言えば動物とか植物とか微生物とか、山とか川とか物とか目に見えないものまでちゃんと権利を考えるべきであろう。

※または選民だの高尚なことを言い出す輩もいるが、本気で大衆政治とかエリート政治とか歴史を踏まえて学んでるのか?ということ。逆にいうと今だにそんなに極端な古代の考え方にまでしか辿り着けてないのか?ということ。(よく学者として給料もらえて食べていけてるな。それこそ現代の懐の深さに感謝すべきであろう。)
政治3.0で述べている通り、正しくそんな古代の単純思想から一歩前進しなければならないと話してるのに、そんなに威張って古典思想をひけらかさなくても良いだろう。


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冒頭の話に戻ると、あちらの方はそれこそその人の正義だと思って一生懸命都のトップになろうとしているわけで、結果として首都圏一極集中の解消・地方再生に使えるのであれば有り難く利用しましょうというだけである。
(例えればあちらの方々は目の前しか見えておらず自分の利己にまっしぐらにしか進めないので、そんな人にリーダーでもさせたらみんなが道連れになるだけなので、当然の解法としてはちゃんと周りが見えている人たちでその人が僻まないように、その人が気付かないかもしれないが親のような眼差して道標を作ってあげるということである。)
(学校とかでも話し合いの時に自分の主張しかせず、多数決で自分の案が通らなかったりすると泣きじゃくってルールを強引に変えようとする困ったちゃんがごく稀にいらっしゃったりするが、まさしくそれが良い例であって、そう言った困ったちゃんには(無論最初は教え諭すのが第一だが)その人が僻まないように、その人の成長を願って、居場所を与えてあげるのが最善極所解なのである。ディベートを拒否しているのだから仕方がない。)

※なおこのバカみたいな噂は、首都圏一極集中の解消・地方再生についてだけ着目して言われてるという本当の冗談なのであって、その他の太陽光とかEVとか「一体どこ見て言ってるんだ?(続く言葉は「大陸ですか?」。人によってははっきりと「はい」とか言いそうな勢いであるが。)」と言った他の様々な冗談では済まない話も多数あるわけであるから、しっかりと追求、見極めをしていかなければならない。



2024年5月10日金曜日

依存型の行き着く果て

(走り書きなので、ちゃんとまとめが必要)
依存型(留学生問題、生活費問題、在日問題などなど)
日本国民を売り物にしてるとか、あちらの言いなりとか言われる。

一方でそれを「しめしめ」と行ってる方はというと、短期的には楽ができて「あいつらアホだな」とか優越感に浸れるかもしれないが、長期的にみると依存から脱却できず精神的成長がない。
おそらく世界からそっぽを向かれたら虚構はガラガラと崩れるのだろう。

そこまで含めて我が国とか欧米などは「あえて野放し」にしているのかもしれない。
(こうなったことを自然の成り行きと見るか、そこに仮想的人格を想定するかの違い。または本当に世界のシナリオを書いて誰にも気づかれずに実行してる超天才がいるかもしれないが。。)

いうまでもないが我が国でもこれだけ声なき声として忍耐することしかできなかった間に蓄積されたものは書き表しようがなく、いよいよ臨界点も近いような雰囲気やそれを思わせるような出来事も出始めてる。
(既述の通り、いざそっぽを向かれた時に想定されるのは「支えがなくなってこんなボロボロになってしまった私を見て可哀想だと思わないの?」とか言ってそれこそ恥も何もなくすがってくるという図である。)

最後に、あちらはあちらで「国民」は一様に悪いとは言い切れず、簡単に言えば「ろくでもないトップ(頭脳)を持って、それに従うしかない国民は悲惨だな」と言ったようなことである。(しかしそれを、その制度を、その仕組みを良しとして採用してしまったことに遡ることまで含めれば、やはり身から出た錆と言えるのだが。この辺も既述の通り。)





2024年2月18日日曜日

過剰反応をわっしょいする社会

総合すると現代の病巣は過剰反応をわっしょいする社会という事だろう。
全てが全てを助長しているので当然である。
世の聡明はこれを見た瞬間に「はっ」と分かるのであるが、
そうならない構造が巧みであり問題ということ。

本気というのはそこからの問題である。


2024年1月19日金曜日

左的な個人主義

左的な個人主義と言われるが、究極的には、自分が何をするのか、自分がこの時代のこの環境で何をするのか、ということになり、自然と「周りがどうの」とか「環境のせい」とかいう話にはならないのであるが、簡単にいうと考慮不足なのであろう。

左の総括

一応ようやく結果が出たようなので総括しておく。 (いつも通り具体を避けて抽象的に述べるので読みづらくてすいません。。) とは言ってもこれまで散々述べてきた通り、あちらの根本は「利己」であるということの繰り返しであるが。 まぁそれが象徴的に民意として「流石に目に余る」という結果にな...