医療費の増加が話題になってるが、聞けば聞くほど当然というか「成る可くして成っただけ」とも言える。
言われている通りなので詳細は割愛するが、これだけ大量に薬を処方されたり、高血圧だ血糖値だ減塩だとか騒がれたり(つまり高齢者の医療費)と言った感じである。
ちょっとしたことでも大量の薬が処方され、それこそ「取り敢えず薬を処方しておきますね」くらいの感覚で処方されてるのではないだろうか?(別分野で「取り敢えず」が通用するのか?例えば大工さんが「取り敢えず柱を100本建てときますね」と言ってるようなものではないのか?)
また、補助金の闇も最近ではようやく認知されるようになってきたかと思う。たとえば出産育児一時金であるが、これは本来出産時にかかる費用を補助するもので、一般的に出産時にかかる費用を元にプラスアルファの余裕を持たせた金額であったはずである。つまり「実際にかかった費用を補助します。ただし上限は42万円です」という主旨であったはず。よって病院側も確実に費用を受け取れるし、出産する側も費用を助けてもらえてお互いWin-Winになれるものであった。
しかし実際に見聞きした感じだと、この上限値の42万円を見据えて料金設定されているのではないか?と勘繰ってしまうのである。(と言うかすでに具体的に取材して「そうです」と言う話がどこかにあったか)
見聞きした中には、ある病院で出産された方のケースだと、破水が予定より早く出てしまい最終的に出産までに2〜3日病院に入院されたのだが、その時にかかった費用は出産時の「標準」が42万円になっているので、追加の数日分の入院費など合わせてトータル70数万円、よって持ち出しとして30万円くらい掛かったそうである。
おそらく病院とか医療提供側に悪気はないのだろう。それを受ける側も当初は「いつもお世話になってるし人助けを生業とされて立派なので」的なことで特に気にはしてなかったであろう。
つまりこれが補助金の危うさなのである。
「ただより高いものはない」「ただより怖いものはない」とはこのことと言えよう。
「ここまで必ず貰える」と言うことが分かっていれば人は誰でも、またどうしても貰える分はもらっておこうと思ってしまうものなのである。(これを愚かと言うのであれば、愚かな人民に愚かなことをさせないように仕組みを考えなければならない、と言う話になるべきなのであるが、これまた愚かなことにむしろ人民に愚かなことをするように敢えて誘導しているとも見て取れるのである。全体を見れる、また正しい方に誘導しなければならないものが、人をして悪に走らせるのは、実際に悪を働く人よりも遥かに罪が重いのはこのためである。まさに悪の仕業なのであるが、果たして現代の現在で、つまり今息をしている人の中で一体どれだけの人がこの重罪に気づいている人がいるのだろうか?確定された歴史を読んで、確定された評価を見て「なんて愚かなのだ」と思うことはできるのであるが、いざ今現在息をして生きていると下手すると自分もまんまとその「愚か」側を演じてしまうということである。良心の呵責があれば良いのであるが、下手をすると「自分は悪くない」と自己催眠させて突き進んでしまうのである。詳細は既述ブログの通り。)
まとめ直すと、全体を俯瞰すれば「ここまでは補助しますよ」と言うルールを作り、お医者さんや病院は「それでは」とか言ってそこまでもらうようになって、後追いで「税金が高い!」と怒っているようなものである。
補助金は上限とか適用ルールが明確で分かりやすいので例にとったが、およそ同じような仕組みで、但し仕組みはものすごく複雑なのでぱっと見はわからないが、医療や薬とか関連業界にはこう言うことがあることは、すでに「闇」を暴いてこられた通りであろう。
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財政破綻論でこの年々増え続ける医療費も原因に挙げられていたりするので、財務目線でも見てみることにしよう。
骨太方針の通りではあるが、ものすごく簡単に言うと緊縮財政方針で「入った分しか使わせない」「三年間で1,000億円しか使っちゃダメ!」の一点張りなのである。
つまり市場に「血液」として循環する金が限られている・絞り込まれているので、経済は萎む一方(デフレ)なのは至極当然のことであろう。
この限られたパイしかない状況でみんながどこに金を回せるか駆け回ってる状況で、むしろ年々受ける額を増大させてるのが医療なのである。
そう言う意味では医療はこの30年とかのスパンで見た時の勝者と言えるかもしれない。(財務側と30年前からよほど結託して計画を立てていたのだろうか?)
しかし遂に闇が暴かれつつあったり、健康寿命増進(高齢者医療費の抑制)とか言われるようになったり、未病対策とか言われ始め、おそらく近々お金の面にも皆んなの目が向けられることになってくるだろう。
(お金の話になるとガメツイとか君子や聖人のやることではないとか言い出す人がいるが、金に疎いと一方的にしてやられるだけである。(現実世界で財務の役人さんに100%コントロールされている通り)。現代では財務はもはや一般教養と言える。)
※性善説的に財務のお役人さん側の立場を考えると、もしかして緊縮をやめてお金を回して経済復興しても良いが、結局医療に吸い取られて、本来回したいところへ回せないので、「医療をさっさと見直せ!」と暗に我々に諭してくれているのだろうか?もしそうであれば尊い。
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最後に、これは制度の問題であって現場の問題ではないので、念の為注意喚起しておく。
しかもその制度は間接的に我々自身が決めたものである。なので決して現場の医療従事者とか医療関係者に対して云々カンヌン言ってはならない。
人とは哀しいもので目の前に人参をぶら下げられれば追っかけてしまう生き物なのである。
普通の企業でも年度末になると予算消化とかいって色々買ったりするだろう。それはつまり税金=(収入ー経費)×税率 なので、企業の税金対策なのである。
経営者や経理、個人事業主の方であれば誰もが「うんうん」とものすごくよくわかる話だとご理解いただけるであろう。
つまり税金の仕組みが上記方程式である以上、「経費を使って税金を下げる」と言う点には善だの悪だのはなくて、「あの会社はあんなに経費を使って税金を減らして悪だ!」とはならないのである。
これも見聞であるが、個人事業主の方である年はものすごく忙しくて本当に最小限のものしか買わずに、つまり経費がものすごく少なかったら所得税とか所得を元に算出される住民税とか国民健康保険が爆上がりしたらしい。
その人の仕事は常連さんからの請負の仕事で1ヶ月いくらみたいな感じなので収入としては前年とほぼ一緒だったらしいが、経費が小さくなったので当然税金は上がったわけである。
忙しくてそれに見合って収入も増えればまだしも税金だけ上がっては「一生懸命働いた年の方が税金が高くなってなんだかなぁ」と嘆いておられた。現代の税金の仕組みがそうなっているから「仕方がない」と言う好例である。
※現代では 税金=(収入ー経費)×税率 の考え方になっているが、上記のような矛盾も含んだものと言える。おそらく百年後とか千年後の人がこれを見たら「なんてトンマな式なんだ」と笑われるかもしれない^^;
当然、不正会計や「何でもかんでも経費にしちゃえ」みたいな確信犯はダメであるが、税金の方程式に則って税金対策するのは普通であるし、先ほどの現代の教養で述べた通り、金に疎いと一方的に巻き上げられるだけなのである。
つまり会社員であっても間接的に企業の一部として、また経営者や個人事業主であれば直接税金と向き合ってるわけで、そこに税制上の特例があれば適用したりしているだろう。
それと同様に医療業界では補助金なり点数システムなりがあって受けれるだけ受けようとするのもまた同じなのである、と言うこと。
確実に貰えるものであれば貰ってしまうものである。また、確実に貰えることが分かっているのであれば当てにしてしまうものである。「取らぬ狸の皮算用」のことわざと異なる点は、狸は100%確実に取れることを既に知っていると言う点である。そして確実であればそれを元に計画も作れてしまうと言う点である。
言うなれば制度ができた時点ですでに将来の計画・算盤はじきも同時に完成しているのであろう。(下手すると中にはそういった話が上がった時点ですでに将来の設計図を完成させてる人もいるかもしれない。そういう計算が好きなのであれば事業はやめて政治の世界に入った方が良いだろう。ぜひ内側から全体の最善解を弾き出して頂きたい。)
おそらく補助金という「ただより怖いもの」の問題の本質はこの辺になるだろうか。
今回は一番よく聞く医療についてだけ述べたが、およそ補助金なり特例なり優遇なり「賢しい(と本人たちは思い込んでる)仕組み」があるところは同様である。
一度肥えさせてしまったものを細らせるのは大変であるが(つまり遡ると30年くらい前なのかいつくらい前なのかは知らないが、軽い気持ちで始めてしまったことを嘆くのであるが(これも決して人を嘆くのではなく、その罪を嘆くのであるが))、仕組みとしておかしい以上は仕組みから変えなければなるまい。
患者を増やさないと成り立たない仕組み、医師と薬剤の結託、補助金・給付金・保険制度の仕組み、それら仕組みから来るものなのか、または「踊らされて」いるのかではあるが高血圧だとか血糖値だとか減塩だとか、引いては添加物漬けにさらされる日本人とか、果ては食料自給率の問題や、農家を助けるどころか結果的に先細りさせるように仕向けてるとしか思えないような政策、それら全て仕組みから見直していかなければならないだろう。(ここまで見事に日本を破壊しようとしてきた「大人たち」には呆れ果てるし、百年後、千年後にそれこそ恥ずかしい事柄として教科書に載ったりする訳で、よく恥を感じずにいられるものだと感嘆する。拍手でもされれば喜ぶつもりなのだろうか?息をしてる人は自分がどれだけ「利己まっしぐら」かが本気で分からない好例とも言える。まさに無明である。それなので息を終える直前や老後とかに人生を振り返って後悔したりするのかもしれないが、そしてそれを全て白状してくれればまだしもなのであるが、結局利己を引っさげたままいってしまうのであるから卑怯千万この上ない話だと思うのであるが、それであっても人は憎んではなるまい。その人がしでかした悪を憎むべきであるし、俯瞰すればそんな愚かな人を生み出してしまった環境を見直すしかない、と元の話に戻るのである。恥があるかどうかについては正に利己的であれば自分さえ良ければ良いのであろうから、将来何言われようがお構いなしということで恥も何もないのであろう。所謂左側も「自分だけ。良くてせいぜい数世代だけ」のことしか考えてないということは別記事で書いた通りであるが、左でない人であっても結果的には左に染まった人と同じことをやらかすことになる(少なくとも周りからはそう見られる)のであるが、本当に本人はそれで良いのだろうか?という話でもある。あとで「私は悪くなかった」と言い張って生きるか、自己忘却するか、「しらを切り通す」とかしかなくなると思うのだが、また周りも「やれやれ」と社会にいさせてあげるしかないのであるが、その辺までよくよく考えていただきたいものである。)
※先ほどの財務官僚性善説に従えば、実は財務側も本心では手を引きたいと推しはかることができる。財務が味方につけば千人力なので一気呵成に見直しを完了しようではないか。(財務側は最初に医療と結託してしまったので自分からは言うに言えないとも言える。)この辺については常にのらりくらりと回答をずらしていることを逆手にとって、良い方向に受け止めさせていただこう^^
(財務側で誰か本気で涙を流しながら頷いてたりして^^)
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ちなみに、もしも財務を論ずるのであれば、所謂「信用創造」くらいに行き着く。正しく資本主義の根幹でもあり、それを国レベルで考えた場合もである。なぜ信用して貸すか(資本を約束するのか)と言えば事業として発展を見込んでいるからであって、その恩恵として一点何倍とかになって、うまくいけば2倍とか何十倍とかになって返ってくると思うからである。(無論この論調だけで突き進めると危ないことは誰もが知っての通り)。
そして国レベルでの信用創造というのはいわば国への投資ということなのであろう。国が金を回すのは当然インフラ整備だったり資源事業であったり、資源の限られる国特有の、そして強みの第二次産業だったり、例を挙げればきりがないが、いずれも将来への「投資」の意味合いが強い(というかほぼ100%?)のである。
このまま進めても反論につぐ反論で、時間稼ぎで有耶無耶になるのであろうから結論だけ述べておく。
誰もが納得する指標として、投資に対する将来の、将来時点での価値を基準としたマップがこれまで誰も示してこなかったので、ああだこうだ言いてるだけなのであるので、将来時点での価値を基準としたマップをここに公表することとする。そしてそれで全ては解決される。(逆おいしてるので当然そうなるということ。立脚が解決なので、もしも精度とか頭が足りないのであればそこから逆算で構築すれば良い。)
少し難しく言ってしまったかもしれないが、ものすごく簡単な話であって、例えば去年の価値でX円投資しましたけど、今年は全体の価値自体が上がってるのでB/Sに反映させれば借金としてはむしろ大幅に減ってます、複利まで考えればものすごく素晴らしい投資です、というだけのことである。(突き詰めるとやはりこの辺も財務は一般教養なのであろう。せいぜい一般教養で済んでしまうレベルで国民は右往左往「させられている」のである。。)
数字で言えば誰もうんともすんとも言えないので、「価値反映版B/S」を以って解決とすることとしよう。
※国の舵取りを自認しているのであればむしろ財務官僚に作って欲しいものであるが、残念ながら「気概」ということ自体が御法度というか、ただただ「言われた通りだけ動く」ことだけが官僚に成り下がってまったので、望むべくもない(情けない。。親とか御先祖に情けなくないのだろうか?これまた「ないです!」とか逆ギレされそうで別の意味で恐ろしいのであるが。)
よってこのように民間から声を上げるしか解決方法はないのであった。
「戦い方の基本」で述べてきた通り、「誰と(何と)戦うか?」の通りなのであるが、決して人と戦ってはならないので、一応付言しておく(既述ブログ参照)
勇ましいことを述べると、どうしても血気盛んな方は勘違いしてしまうので念の為。
(とてもくどくなってしまうが、今回で言うと医療関係者は敵ではないし、財務関係者も敵ではない。それぞれむしろ自身の職を全うしている素晴らしい方々である。「仕組み」をちゃんと考えましょう、と言うだけである。)