2015年9月4日金曜日

未だ個人意志と組織意志のはざまで漂う哀しさよ

未だ個人意志と組織意志程度のレベルでしか
議論できない現世の素晴らしさと哀しさよ。
それは前世もしかり、さてははるか古の無名の志士の
開眼に悟られ過ぎ去ってしまったことかもしれない。
それら数千万億年を経てしてもここに言う現状を
見ては救いようのなさに辟易されよう。
ーーーーー
活動を見るに前線にはそれらが呼称する「イデオロギー」は
入れ込まず緩衝材としてのみ機能させている。
つまりそれら表面に何も言っても彼らは取り付く島がない。
意志を道具として誇張しながら、当人たちの意志はないから
当然で、いくら本を読まそう、意思疎通をはかろう、
対話のスタンダードを知ってもらおうとしても彼らには
痛くも痒くもないのである。
読書制限、否、巧みな陣営依り情報の流布および
人権を気にして決して言わないが「義務」にかなり近い
レベルでの課題のようなものによって開眼を防いでいる。
社会レベル、現在の一番大きいレベルで言えば国で
やっているので浅ましい。
その辺はさすがなのであって、適材適所、これでダメであればそれを使う手法は巧みなのである。(既述、[如何に人民を誘導する術に資源を費やしたことか]参照)
とうにシミュレートされてるが貨幣を土台にしたシナリオである。
意志もなく不意に現世を優雅に過ごせることが確証できた
ものを見よう。現世の極みを尽くすのではないか。
敢えて言うまでもないが、見よ彼の上層部よ。
如実に近視眼的特徴を体している。
既述のとおりせいぜい良心的希少存在が居たとしても
数世代である。(と言われても仕方ない無限地獄で
あることを悟れれば変化である。「恥」と知り
ようやく変化するのである。ぜひ憤ってほしい。)
化けの皮を剥がすと「貨幣は嘘をつかない」を逆手に
取っているのである。しかし本丸はそこまで馬鹿ではなく
経済学によって秩序は保たれており、そういった
「バグ」も見事に排除されたのである。一体何十年前の
理論で臨んだのであろう。

2015年8月2日日曜日

分散ストレージ

モバイル端末もストレージ領域を提供する機構。
ネットワーク全体ではトラフィックが分散される。暗号化が鍵

"記憶再現システム"と組み合わせることで言わんとする目的が
より的確になる。
http://hirog07.blogspot.com/2015/04/blog-post_17.html

2015年7月25日土曜日

関わらないという選択

関わらないという選択も英断成り得る。

将来の有望も、安き族に阻まれてしまえば勿体ない。

族に囲まれしことは残念であろう。
しかし展望を滅するよりは関わらない選択を
取ったほうが英断である。

それを若年で悟るは難しい。
あまた悔やまれぬ英霊よ。

族に囲まれるという逃れ得ぬ運命的環境であれば、
決して逃げるのではなく、関わらぬという英断を
決行するのである。
それらの族は、そなたの社会的レベルには遠く及ばず
族・俗であることを良しとする者達である。
関わりを持つことの弊害のほうが、上から見ても
下から見ても大きいことは明明白白であるがゆえ、
しかし残念ながらそなたに加勢するものもおらぬが
ことゆえに、今は御身を隠すが英断なり。

見よそれら禍災をのがれ藪道(やぶみち)を通り越しき
ものたちを。
それらの根は気丈にしてもはや過去の禍根はみごとに
断ち切ってるさまを。

いかに勿体ないかである。
展望の芽を断ち切る組織的低族・低俗性。
しかしそれは、それら低族・低俗性は、それに立ち向かってきた
将来性・展望をより強くしてきたという過去を鑑み、俯瞰的に
有り難みを感じさえすればもはや恐れるもの・恐れることは
ないのであった。

いくばくかだけでも諸氏の約束された将来を救うことが
できるのであれば。

-- 後記
自らを断ってしまっては低俗の思うがままである。
社会的レベル・自分の口に出ぬ想いがそれらに勝っている
のであればその時点で勝利である。
歴史はいかなる強制に対しても自己の意志は明け渡さない
という歴史の積み重ねであった。(ここにおいて
数多の無念をいつでも偲ぶのである。みながここまでの
水準で人を見れれば世界は変わるのであろうが。
【対話のスタンダード】参照。)

以上はなるべく普遍的立場で書いた。
現状に照らし合わせれば、組織で言えば学校や会社が
当てはまろう。

学校であれば、遙かなるいく数年を真正面から、
体当たりで正々堂々と【関わらない選択】をするのであれば
それさえ突破すればみんな社会人なのである。

社会に出ればお互いみんなが初対面になるのであり
いまこそ虐げられた社会性をこれみよがしに発揮すれば
よいのである。これまで如何に低俗なソサエティに属していたか
肌身を持って感ずることができよう。
そこまでいけば自ずから許せるのである。自ずから乗り出して
それらを調査する必要はないししたくもないだろうが
風のうわさで過去のそれらが現在どうなっているか聞き及ぶ
こともあろう。よほどひどいことになってるものもおるが
たいていは彼らそれぞれの幸せを見つけて平和に暮らして
いるのである。
【幼少】とはそういうもので信条があろうとなかろうと自分を
最大限突っ走ってしまうのである。
(組織全体が過渡期であり、あるものは暴走性、歯止めのかからなさ
を哀しいながら現場を使って他者を酷使して学育していくのである。)
それが分かった時点でそれさえも愛おしくなるが、常に同じ組織にいて
幼い時分には反発しか感じられまい。
先ずはそれらも、ことが表面化しないように隠蔽・口実を駆使している
ことを知ることが足がかりになる。彼らなりに必死なのであることが
分かればちょろいものである。あな愛おしきこと。

本質の現れと思ってほしい。
低俗に翻弄されるよりは、数多(あまた)無念や禍根を想って
ほしい。そしてそれはそれらイバラをくぐってきた諸氏においてこそ
人の根としてまざまざと存在しうるものと実感したことを
想ってほしい。
実は我々はある程度問題の本質が分かって、切り口はある程度
限定される中で問題を議論できるのであるが、それをかいくぐって
きた実績を持って世界の問題に視点を転じていきたい。
本当の混沌であれば理論を使うものは愚になろう。幸い混沌ではない。
ここだけではなくあまたなる箇所において混沌に打ち勝つ
イバラをくぐり抜けてきたものがいるのであって、
今のイバラは正に相対する本質なのである。

足を動かしあとからついて来ることであるが、荷を【おう】ことは
日本人とかをおいておいて本質的にすごいことだと思う。
これらを明確にして議論する必要が有ることを何度も申し述べてきた。
明確にするために如何に体系化するかも示してきた。
相対するべきは数多(あまた)なる禍根でありその発生である現世であり
あるべき来世なのである。如何に低俗が低俗で、如何に相対するべき今が
何かで、如何に下俗に翻弄されるのもったいなきことが分かろう。
下俗に対しては【よしよし】として良きオトナになることを願うしか
なし。もしもこれを国家レベルで【読んで】くれれば幸いである。
人類として如何なる低俗も決して諦めず、決して見捨てないことの
表明がなされてきたこと、それを改めて明文化することの意義を
尊重したい。温かいものだな。)

2015年7月20日月曜日

残る・残すことをよしと思わぬこと

残ること・残すことをよしと思わぬこと。

我々(いまひろがりつつある「我」を含む)は
残すをよしとせず、それはつまり物質的に
残すは言外、道をたどって残すを恥ずかしいと思う
のである。

いろいろな階層をとびかってしまうがこれを
彼らにせんじせむればまだましになろうが、
内部でもざんねんながらせんずる必要がある
やからがおろう。
(それを「哀しい」とおもえる程度にならなければ
ならならないが、これを「読む」のは幾千年後で
あろう。馬鹿らしいが「読む」を「文字を読む」と
同義と捉えてほしい。いうまでもないことを書くこと
の忍びなさやさやあらむ)

ーーー
正論がヘッドの持論になること。
正義がヘッドの理念になること。
成果がヘッドの持ち分になること。
前進がヘッドの気分をあげつらうこと。
後退がヘッドの気分を損ねること。
正論がヘッドの意にそぐわぬこと。
正義がヘッドの理念にそぐわぬこと。
正論がヘッドの持論にそぶわぬこと。

すごい、コピペ(Copy&Paste or waste)で本質を
書けてしまった。
その哀しみを数年後、否、数百年後、否、数千年後
否、数千、数万年のあまたの表層に現れぬ
隠蔽した声にならない屈辱を今こそ受ければよかろうに。

(あまりこういうことは公開しないが、あまた数億人の
路頭に迷う方々がしのびないのでせめてもの救済と
おもい、言うまでもないことを、ありきたりのことを
良心のある誰しもが思うことをなぜかなぜか
文面としてブログとして書くのであって、
読める人が、否、読めぬ人も含めて残すことを持って
これまで行ってきた「下らぬ数千年」をようやっと
終えてまともな「対話のスタンダード」を確立するを
良しとするがままでである。
(何回言えばよいのだか、ようやくである。
げんじつはどれだけ遅れれば幸せなのか!?)
何度もは言わない。以上。

2015年7月12日日曜日

建設か破壊か

築きあげる土壌を形成するか、破壊者、組織的破壊者と
なるか。
その淘汰と見るがよろしい。
これを持って、どちらが正であるか分かるのであれば
イデオロギーに苛まれるものはそれを離脱するのも
英断であろう。

往々にして根本は隠蔽される。
信念と思いてフォローするも正反対に加担するが
如しは死ぬまで気付かぬが幸いであろう。

隠ぺいする、せざるを得ない組織体が根源であるが
(過去執筆の「組織論」を参照。)、本位がそぐわないのに
属す、結果として加担してしまっているものを
見るにつけて哀しいものだ。

私が言うまでもないが、幼いまま何千年も居座っている
亡国はおいておいて、それよりも現状としてはるかに
大きな問題としての、宗教的解決を図るための方法が、
解法があるのだが、知ってるものはそれぞれそれを
発表、表明するタイミングが掴めず苦慮しているのである。

これこそが建設であろう。

2015年6月21日日曜日

編集後記

世にはより大切な課題があるにも関わらず
何故こんなことに足を引っ張られ時間を費やし
次の課題に入れないのかと憂うこともあるが、
それが現状ということであろう。
あるときはそれら阻害因子の陰謀と思ってしまうが
それらは彼らの範囲の精一杯をしているのであって
上位層は気にもかけまいしかけるきっかけさえない
と知り、やはり開拓はそれぞれ足の下に有るのである。
諦めることも分かるし、諦めずに足下に足跡を
残したことも分かろう。

2015年6月20日土曜日

淘汰距離

世を見るにつけ阻害因子はスパンが短い。
ほとんどは利己に帰し、せいぜい長くても来世であるが
その根幹はやはり利己である。
残念ながらこれに気づかず能弁者もそれらに加担してしまっているが
操られ具合に早く気づき自分の目・自分の根流として能力をいかんなく
発揮してほしいものである。

さまざまな混沌を孕んでいるように見える現在だが前世の達観者からすれば
とうに明明白白な路線をただ惰性していると見られかねまい。

とうに解き明かされたことであるので、それをここに書いても
仕方あるまいが幾多の無念をしのびて、この手を借りよう。

お題目は以下のとおり。
・これからの展望
・スタンダードへの帰着
・それからの次次元への淘汰

ーーーー
これからの展望
「枠組み」を牛耳ったものの利己は通らない。
どれだけ時代遅れの発想を持っているのかと落胆してしまうが
ルールがないとこれほど荒唐無稽な、でいて自分たちはさも
世の覇権者風を恥ずかしくもなく生じてしまうものが現れ、
さらには徒労を組んでしまうのである。
残念ながらそれら認知範囲の狭いものは残念ながらルールで
行動範囲を規制するという、これまでやれやれと培ってきた
やれやれ規制で、つまり彼らがためにできた木しか見えない
ものへの温厚な対処法としてのルールをやむを得ず敷くのである。
時の流れ、換言すればエッセンス・本質を見ずに、これまで培って
きたものをさも自分の業績のように詐り、生を受けたことを
いいことに利己に走るがごとしが、時の流れが淘汰することは
必然である。
何時の世においてもそれら有意義な存在がいてくれることに
感謝である。(これがいつも言っていることの意味。皮肉では
なく、本質的に感謝するべきであることがこれで分かろう。)

ちょっと具体化していこう。
小さい子供が、と言うと小さい子供に失礼だが、わがままを言うのは
よしよしいい子だね、となるのだが、世に「公人」となったものが
言うのはまかりとおらない。これだけで十分理解できるが、彼らは
巧妙に(俯瞰者からすれば滑稽に)メッキされた海中を死に物狂いで
泳ぎ切り、最終的に息ができる海面に浮上するのである。
彼らが拵えた彼らで言う故人が培ってきた難解な海中迷路を。
それしか彼らには道はない。他の人達はどれだけ見捨てられてきたか。
言いたくはないが、あそこでは個人の実績さえも搾取される。
どんなに最先端の発明をしても個人ではなく、はかない組織のものと
なってしまう。現世が喜ぶ「もの」があたえられるだけ。
それを阿呆らしくうやうやしく有難がるか、牢屋に入るかである。
これもまた何億という数字の大きさが大切なのではないが、それら
幾多、幾億への侮辱の開放も至上命題であろう。
(前回の事変はああなったが、たったこれだけの気付きで変わる
ものである。時と気づきがリンクし波長がぴったり合う時が
訪れよう。)

たった一組織を見ていても時間の無駄なので次へ進もう。
(しかも以上は書くことさえ及びない低レベルの分かりきった
過去の古典的典型であるので。)

現在の価値基準である経済によってさまざまなルールが形成された。
なってみれば当たり前の基準だが、経済の正直な発展によって
「無謀」は抑制されつつある。
(逆に現物でやっと倫理をわきまえたということのほうが哀しいが。
もうひとつ言うと抜け穴を通ろうとしてる急先鋒がやはりあそこだと
思うと腑に落ちる。もういいか。)
分かってしまうと本当に書くことさえ忍ばれるのだが

.. to be continued..

二重スリット実験及び天体の光の干渉縞について

電子や光子で二重スリット実験が行われ、「確率の波」や「パラレルワールド」などで説明がなされている通りであり、その「事実」の細かい点は省略。 今回の話は、その現象は現実世界でも常に起きているということ。 我々が自分の目で見ている現実世界の範囲では、多数の光(光子)が光源から発せられ...