2017年12月28日木曜日

足掛け9割

最近びっくりしたのは、いよいよNの全決で入の9割に上ることになるのだが、いざこれまでの擁護側ももはや何も言わないことであろう。
ちゃんと計算して9割くらいと出すか、他で出してるならチラ見して自社で出すか、などなどこれまで茶番の如き大きな大人にも関わらずの議論はどうぞお好きに、なので勝手にちゃんばらでもすればよろしい。(おそらくそういう世代だったのだろう、くらいに総括されるので安心して滅すればよろしい。)

2017年11月3日金曜日

何とか主義とは何ともうまいこと命名したこと。ということ

ついでに書いておくが、初期に書いた
「現代制度ではS主義は早すぎた」
ということ。

つまり現代はM主義とS主義みたいになっているが
そもそもこちらではとうに両立していた。

で、何だか気づいたら世界的にM主義と
S主義の対立になってたと、いうだけ。

今はあまり踏み込まないが、M主義の象徴としての貨幣。
その優位性あまたと。
その状況ではS主義は、というかその中の人々は
かの地の貨幣文化を見て本能的に羨ましがってしまうだろうと。
(何ともはかないことと。当時私は十代だが十分に想像できたことだが。。ふぅ)

突っ走ってしまったのだから仕方がない。
どうぞ落とし前をつけていただければと。

以上は単なる総括。
そうではなくて、むしろSだかMだか知らないが
とうの昔にそれら土壌があって、(ある意味
上記のある種馬鹿げた論理さえも、もちろんのことだが
吸収して)、今現在も存在している
土壌があるということ。

確かに世界メディアに惑わされていると
あたかも人類はよほどの阿呆の寄せ集めでしか
なかったのであろうなと感嘆してしまうのであるが、
それは寧ろ世界メディアを欲しに欲したものが
手に入れたもの。リスク分散とか都合良くは
何とでも言えるが「所有」は突き止められるが
「牛耳り・胴元」は突き止められないと。あなさかしと。
(それらは第三、第四のメディアが出るにつけ
囲い込みに必死であろう。)

S主義とM主義は理論がちと幼すぎた、というのが
今から、及び今後の総括。必然として。
(こちらとしても総括するが、当事者として
双方とも厳粛に総括していただければと。)

「知って語らぬは阿呆」というのがよく聞く現世だが
「知って見て嘆いて忍んで醸す」が流行りそうである。

何度も書いた通り、民間でもであるから、国家間であれば
それ以上に、「とうに」進んだことであろうが
S・M問題は自明であるのでいよいよ次の話となってくる。


2017年11月2日木曜日

遡るが

遡るが、かの地は天命という架空に
踊らされて幾千年を、現代でいう
土台さえ醸成できずに浪費してきたと
自覚さえできなくなってきた、
と捉えるのが先決。

現在の云々カンヌンはこの派生。
この世はこの世からできているので
全世が途端に納得できるとは
こういうことであろう。

(つまり、やれやれなのだが。
さすがにそこまで愚かではないと
思いたい。)

つまり残るのか残らないのか。
残りようがないのに今まで残ったのはなぜか。
総合するにやはり次をどうするかになる。


総合は簡単だが、そうではない。
例えば力による征服と、事大のお隣と
結局巻かれる大陸と、最後に残った
本国と。とほほ。

コントロール以上の力を手に入れればそうなろう。
が先ず。
巻かれてテンプテートされた。
が次。
誇張に聞こえると癪なので何も言わぬ。
がその次と。

フィードバックで学び直しているのが
せいぜい現在と。

これは完全に先手なので、ここで主導権を。
と考えるのは稚出。
既に負けの後まで本性的に動いてるし、
それにとりまく「取り巻き根性」も際立っている。
それらはるかに得意なものたちに任せておけば良い。

こちらは何も正道を。
層理論でいう、次の層を堂々と実行すれば良い。
言い過ぎるとまた、分かりもせぬのにたかり始めるので
困ったちゃんだが、層がわからぬそれらたかりは
分からぬからこそたかるのである。
ドシンドシンと巨人が歩けば、わけのわからぬ
それらはそれにたかってゆく。

もしも利用するならばそうやって誘導すれば
良いということ。
それらからすればただの力の原理だから、
何ら文句もあるまい。
優位を背景に何世代も優越を満喫できたのだから
何ら文句もあるまい。
次に手のひらに乗るということだけ。
幸いかの罪を憎み云々はとうの昔に明文化する
必要さえなく肌身で理解しているので、
別にリベンジ的なことは誰も欲してはいない。
つまりあるがままに次なる手のひらに乗るだけ、
つまりそれが本来あるべき姿であるだけ、
ということだけの話であった。

低層は勘違いしやすいが、誰彼の話ではない。
ちょっと切り口が良くなかった。
また何れ。


2017年10月27日金曜日

次なること

歴史として切り取ってしまえば
経済として発展した彼方と文化で栄えた彼方くらい。


前述の通り、自然現象として文化論として指数関数的に
頭が出てくることになる。

いくら面白くなかったとして歯どめしようとしたとしても
初速を和らげることでしかなかったということ。
むしろそれは彼らの方がよほど知っていたはず。
経済の裏も含めて。

ということは、経済の裏も含めてこれからは必然となる。
だけ。
ということ。
無論賢しい彼らはとうに先手を打っているということ。
※ちなみに開眼バブルは埋まってるので、
先手とはその次の現象のこと。

あえて止揚

根と葉の止揚。
経済と精神の止揚。

洋の東西において土壌が確固と培われてきた面がある。
所謂西洋文化、一方、どこまで集約すれば良いかは
分からないが例えば和の文化。

お互い(無論これ以外にも培われてきた文化は
あるので、それぞれめいめいにだが)、前を
引き継ぎ土台として培ってきた。

片やそれに反するもの、側面がある。
個人であれば良いが徒労となり組織となり、
時として都合の良いものとして誘導もされ
きたのであろう。

人形となって未だに土壌も持ちえずに
踊らされているでくの姿を見るに
悲しいが、逆に誘導としては
これほど扱えるとはおそらく120%くらいの
いやそれ以上の期待を上回る結果となって
いるのであろう。

これは今となっては誰でも知り得ること。

次はそれら「知らされなかったもの」の開眼なのである。
まんまと左よろしく何億だか知らないが
めいめいの小脳に従わされていただけだが、
境界を越えれば相転換するということは
無論アホでもわかるが、それら聡明なる
機関は知りえてなんと未来まで予想して、
そうなることを予見して、大陸の何億だか
知らない良民の開眼を待ち受けている。

そこで生ずるのは、言うなれば「開眼バブル」とでも
いうのであろうか。数年か数十年後かに流行る
大賞でも取れそうである。

しかもそれも既に既得権の手は伸びていて、
これを知るものは既にそのおこぼれ程度ということ。

彼らはいかに主導権を取るかに長けているので、
こちらの極としてむしろ後塵でもなんでもないのだが
(たどり着けばむしろ先陣だが)、いつの間にか
レンズの焦点としての此方の方が彼方より
そうとして相として層として重厚であり
最終的な手のひらに乗るを自ずから知るという
状況が醸成され、「され」というと
おこがましいのでおのずとなる、くらいの
表現にしか現世の言語レベルでは表現しようが
悲しいかなない。
(余談だが、これを突き詰めるて発展させようと
するならば、記述のいかに知覚を直接伝播させるか
という過去ブログを参照。)



直接的に書いたつもりだが抽象的かもしれない。
まあそういうものだ。

あえて具体を言えば、この対象の根源をどこまで
辿れば良いかは知らないが、例えばもったいなさが
わかる我らからすれば、例えば積み上げた家が
崩れる現象を見て空虚を覚えるのである。
多文化に例えてなんというかは知らないが
汗水流して稼いだ金を親や親しい人その人が
目の前でドブに捨てるような感覚であろうか。
「あぁ残念」ではなく、尾てい骨から響いてくる
類の狂気である。
(数多世界を見渡せば優雅に「恨」の文化を
堂々と掲げる領もあるらしい。よほど
狂気も知らぬ恵まれた類の寄せ集めなのであろう。
というとそれらの寄せ集めの見せかけの
狂気を繰り出して、やれやれという
見せくれが繰り広げられるのであろうが。)

当初の通り隣人であり、よろしくお付き合いをする。
(最近見事に隣人であれども突き放す風潮が、
Nは置いといて、ではKやCはと一言で迫られると
一言では言えないが、というのがさすがなのであるが。)

分かってきたのは、彼らはかららの特色を見ればわかる通り
また大陸がやり込められたことを見ればわかる通り
である。(行間はどうぞ。)

つまりそれに対しては
である。
言うまでもない。

敵、味方ではない。
土壌である。

というのはおそらくはるかかなた前に
賢しく悟っておられよう。

いかにこちらのそれを廃せようとしてきたことか。
数多の話。

恐らくこちらの指数関数的を恐れている。
というか恐れている時点で答えの先延ばし。
原子に帰れば根絶やししかない。哀れ。
ということ。

よほどエリートの、ということ。
こういうことは簡単には書かせてもらえまい。
これがごく一般から出るということ。

これまではせいぜい長くて100年だったが、
だだこねが千年とか言い始めないでほしい。
とこう書くとやりだすからキリがない。

これまでもそうだが、本質を知らないで
変に権利を持ってる輩がやるので、
これもうまく、そうさせないための
システムをあらかじめ作ろう。
(記述の「人は如何にして「恥」を
知るか」を参照。)

諦めるのは簡単だが、そうではなかたったという
現実も無論だが、数多声なき声よという
一点において。




2017年9月22日金曜日

もう一点

もう一点言っておくと、ではこういった発言を
野放しにして何も反論できないということは
左巻きとしては無能であるということ。
どうした左よということ。
お得意分野ではなかったのかと。
これがあちらの日を灯すような
弱さだが。だんまりするしかなくなるらしい。

私はあちらは当初からあまりにも
レベルが小さすぎるので
あちらの言うとおり文字起こしすることさえ
億劫なので何も言わないが、
無能の証左を何かの役に立てば挙げておく。
※左右上下は気にしていない。

すり替えであるなら大陸を叩いていても無意味。
いつも言うとおりその後、つまりその背後を
自然に大々的に考える、個人として、が大切である。

もしもあちらがすり替えをすればこちらも
のほほんとすり替えをボトムから、自然にすることが
表面的効果。

ある種あちらへの餌となるので効果的。
何どもは言わないがこれが出ているということは
全ての側も、とうに把握していることなので、
何度も言うが如何にパフォーマンスと実行をするか、
と。
逆手は無論あちらは出せないので、公で決めること。
よく読むということ。

一応補足

一応補足しておくが、主観を抜いてか主観を持ってかは
知らないが亜においてか世界においてか知らないが
自ら誇れる外部のものとして挙げられているにも関わらず
その特定近接隣国からは所謂半日でバシバシやられて
いるとうこと。

どうぞよほど左巻きでも認識の欠如でも良いが
それを目の当たりにして歪みや思惑作用を
感ずればということ。
イメージ操作とはそういうもの。
自然に見えるが、操作者はいかに自然に見えるかを
保たせて思惑をいれるかというプロであるから
自分の竿をいかに深くさせるかということ。

この層で明言された文書はないが、結局、戦後教育と
いうのは、如何に竿を深く掘らせないかということ。
ギクという音が聞こえるが。
簡単になびく浮動者を如何に作るかということ。
左巻きはそればかりに巧みになったのでよしよしと
活用しよう。

言うまでもないが出るものとでないものとあって、
ここに出るということは大したことがないのである。

つまりこれがまずは前提知識。左巻きはお得意の
お囲いがあるのでコマはこれを読むことはない。
(読める状況を作らないというのが正解。)

まずは左右が読むところにこれを自然な随筆として
出したら面白かろう。


二重スリット実験及び天体の光の干渉縞について

電子や光子で二重スリット実験が行われ、「確率の波」や「パラレルワールド」などで説明がなされている通りであり、その「事実」の細かい点は省略。 今回の話は、その現象は現実世界でも常に起きているということ。 我々が自分の目で見ている現実世界の範囲では、多数の光(光子)が光源から発せられ...