2014年3月21日金曜日

新しいことを知覚する

5感を持って知覚する。

赤ん坊が言葉を覚える例で言うと、
音から意味を構築する過程である。

赤ん坊は5感をフルに使って世界を
認識しているのである。
認識したものを整理するのに睡眠を取り、
起きて整理したものを検証し、学習したことを
強化する。
(このサイクルも正に絶妙である。)

最初は音でしか無いが、シチュエーションによって
頻繁に用いられる音を手がかりに、どうゆう状況かを
まず推測し、その状況ではこの音が用いられると
推測する。
また、その音が別の状況で用いられることもあり、
推測を重ねる。
学習を強化するに連れ、状況と音がリンクされる。
そしてその意味を持った音が「語」になり、
語をつなぎあわせて文を認識していく。

また、同時にエラー処理も行っている。
この音は誰が発してもこの音だと強化されれば
言い間違いや微妙は発音は自己訂正する。
「これ」を「kore」と発音するのと「kole」と
発音するのも区別しないと赤ん坊が学習すれば
 r と l の違いは区別しないまま強化される。

P.S. 2015.12.26
粗逆と発展について。
乳児、幼児はありとあらゆる感覚を統合しているのであって
その情報処理の激しさは大人から比べようがない。
統合を大人あるはスマートというかも知れないが、
原初の混沌ともいうべき情報の錯綜に回帰することが
根源への、つまり回帰なのだが、現在のレベルから
あえて言うならば挑戦なのである。

これではしごが掛かれば良い。

学(哲学、数学、…「科学」でくくれるかは
あまり詳しくないが王がいるならそれをトップにした
学の体系全体。トップといったが未来でよりトップが
見いだされるのであればそれ。(つまりここに書いた
「これ」になる。))、有(実際に生じたもの、こと。
それらものことに生じたいわいる「情報」も含む。
ものことが発見・解明した法則・理論でものことが
発展し、学となりものことに応用されそこでまた
学が発展し…その(おそらく)永劫の過程を含む)、
無(生じないものこと。未来永劫なにものことの
端緒にも浮かばないものこと。学により有が情報や
実際のものことを生ずれば無ではない。ここにこれほど簡単に
表記することがまず懸念される。実際の現世も
ここに正に記している無を単なる0(ゼロ)か
何かとごちゃまぜにして勘違いして気付かない
ふり(か、本当に気づいてないか)をしている
節がある。ごちゃまぜが生じるのはやはり層の
取り違えが生じているのである。まずは層理論が
行き渡らないと、ここでいう本当の無の話をしては
かえって危険、ごちゃまぜにされて、現世で言えば
反省力(あえてご返還しておく)や左(か逆か、
途方も無い方角か)に寄った、うまい餌を見つけた
ありのようによってくる可能性が100%にきわめて
近いので下手に世に出す必要はない。
よくよく「文字を読んで」くれたら如何に周回遅れの
議論をしているか(もはや議論を言うことが恥ずかしいことに
ようやっと気付くのだが。あえて言うなら、おしゃべりを
していること)に気付けよう。これがいつも言ってる
やれやれである。)

学が大人になりすぎて優越してないか。
有が大人になりすぎて優越してないか。
無が大人になりすぎて優越してないか。

それでは到底、真には辿りつけない。


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