2020年10月30日金曜日

達観さえ許されない

変な話、達観さえ許されない現代で、
そんな中で生きる子供たちは可哀想である。
これは、既述の「誘導すべきものが、かえって悪にいざなってる」の通りであるが、そういう誘導すべきものが頼れないならば、そこからは、哀しいかな、子供であっても自分の見識で道を見つけて行かなくてはならない。ということ。
本当に大変な時代である。

メモ
この続きは、「見識を持ち得るにも関わらず、迷える子羊たちを悪に誘ったものの罪は大きい」とかに続くのだが、これまた現代とか都合のいいように、自分の都合のいいように騙し騙しコロコロ転がす、転がっていく、それこそ可愛い存在である。
というか、そこまでの認識ができるのにぬるま湯に逃げたということは認識力からして認識できたにも関わらず、認識した上で自覚した上でぬるま湯に入ったのであるから、おそらく古の教えはそこを戒めているのであろう、くらいのことを汲まなければ始まらないのだが、この現代の浅さは何だろうか、位は、例えば世の大半くらいは認識しているのだが、ではどうやって具体化するかということ。
むしろ、このように具体化する機運を育んでくれたという点では、あちらの存在意義もあったのかも知れない。

2020年10月16日金曜日

増税と軽減税率

消費税10%引き上げと、救済策としての軽減税率について。

政治の世界では話がコロコロ変わるのに、ことお金については変わらない。
「長期計画ではこうなので、ここで絶対に上げる」という「既定路線化」
戦法である。

既定路線化戦法が成り立つのであれば、他の政策でもバンバン成り立っている
はずだが、そうではなくて、やはり財務だけである。
これが本当の「カネの力」なのだろうか。

そして、救済策としての軽減税率。
いかにも(?)「そこまで言うなら、しょうがないからこれくらい
施してやるよ」的に見えるのだが。
これによって、むしろ財務システムが複雑化してしまって、
各企業のシステム改変が必要になり、長期で見た時にも
事務負担分が累積されていく。
(実際、システム対応する余裕がない企業が淘汰されたと聞く。)

軽減税率によって消費者は負担が軽くなるが、その軽くなった分と、
財務システム対応による企業側負担および上記累積分をちゃんと
秤にかけたのだろうか?施す側は。
(それとも施すだけで、測るのは他人任せだった?)

それに加えて、食料品の線引きがあいまいである、
というかあいまいにしかできない。
コンビニなどでイートインで食べる場合は10%で、
持ち帰り(テイクアウト)であれば8%という箇所である。

例えば子供連れのお客さんが、公園で食べるつもりでお弁当を買った。
軽減税率8%が適用される。
しかし購入後に子供がすぐ食べたいとぐずりだしたので、やむをえず
イートインで食べることにした。
超厳格に言えば、このお客さんは軽減税率適用外の10%で買い直すべきである。
しかし、そんなことをする人がいったいどれだけいるのだろうか?
(制度を自分たちで作った人たちは当然やってるのだろうけど。
 自分で作った法を自分が守らないはずはない。)

こちらから「イートインで食べます」と言わなければ、店員も聞いてこないし、
悪気もなく軽減税率8%で購入してイートインで食べてる人が大半なのでは
ないのだろうか?
若干意識のある人であれば、軽減税率8%で買ってしまったけど、やはり
イートインで食べたい場合は、一旦店の外に出て、すぐ店に戻ってイートインで
食べるとかだろう。日本人は律儀なので、これをやってる人が意外と
多いのではないだろうか。
しかし、それこそ形式上やってるだけの「法の形骸化」である。

グレーゾーンは普通は数%とかマイナー側であるはずなのであるが、
これではグレーゾーンの方が大きいというか、へたすると9割方が
グレーゾーンになってしまう。

また、これを実際の法律まで落とし込む作業をした官僚・役人もかわいそうである。
ご存知の通り官僚とは優秀なもので、役所の作る制度は本当に
抜け目なくできている。
しかし、はなから上記グレーゾーンが横行することが分かった上で
制度を作らなければならないので、官僚たちは「こんな抜け穴の
方が大きい制度を作らざるをえないとは、官僚の恥だ」と思いながら
作ったのではなかろうか。
いかにグレーゾーンを作らないかが腕の見せ所であるのに、
今回はいかに法律で「イートイン脱法」を防ぐか、
そんなことはたして取り締まれるのか、どれだけ監視を強化しなければ
ならないのか、そんな予算まであるのか、もしも超厳格に取り締まるなら
それこそ軽減税率2%分をくいつくすのではないか、とか考えたのであろう。
(優秀ですからね。)

また、こういったグレーが世間に蔓延すると、大げさに言えば、
人心は荒廃する。これがいいのだから、これをしてもいいだろうと。
(こういったことは、役人の新人さんに「役人の心得」みたいな授業?
で最初に叩き込まれてるのだろう、と勝手に想像しているが、
どうなのだろう?)
(日本をバカ国家に陥れたい輩としては、目的達成できて大喜び
なのかもしれないが。)

というわけで元を辿ると、お情け的に上(というか財務)から
いただいた軽減税率2%分が原因なのだろうという話。
ホントどんだけ財務は力を持ってるんだろう。
(巷で言われている通り。ある種の闇ですね。)

2020年10月14日水曜日

渡部昇一先生「学者が家のことをやりだしたら汚職」

渡部昇一先生の「学者が家のことをやりだしたら汚職」的な
名言があったと思い、実際に在宅勤務をしていると、
その意味が身にしみて分かる。

「学者が」だったか、「文学者が」か「文系が」か「在宅勤務者が」か、
はっきり思い出せないが、要は家を仕事場としている人ということだろう。

また「家のこと」だったか「家事」か「家の雑事」か、
「家族の依頼」か…、もはっきり思い出せないが、
これも要は家にいると、何かと家のことで助けを
求められたりする、ということだろう。

これは「公私混同しない」ことをユーモアを込めて
戒めた名言なのであるが、現在のコロナ禍でこの名言に
接する人が激増したのではないだろうか。

このことはむしろ、会社員が在宅で勤務し始めた場合に
当てはめたほうが分かりやすい。
つまり会社に所属すると労働契約を結ぶわけで、労働契約は、労働を提供する
代わりに対価の賃金を得るものであり、労働中は会社側に拘束されているわけである。

会社にいれば場所も拘束できるので、ほぼイコール時間も拘束できる
わけである。(管理のしやすさ的観点)

しかし在宅勤務だと、例えば奥さんから「ちょっと5分だけ手を貸して」とか
言われて、家事の手伝いができてしまったりする。
これをやり始めると際限がなくなって、本業がないがしろになってしまい、
「私事」に手を染めたという「汚職」ということであろう。

学者の本業は学問であるので、いくら在宅していようが本業が邪魔されては
いけないというプロ意識でもある。(このへんはあいだみつをさんの話とかが
有名でしょうかね?)


2020年10月13日火曜日

色のついた企業

前回、偏向の功績を書いたが、A社のように色がついた企業が
存在するということが、あの会社自身の行動によって、白昼の
日の下に姿を表し、みんなが知ることとなった。

ここまで色が付いていると酷いものだが、それ以外にも言われて
いる通り、メディア全般がやられているとも言われる。
(あちらの「核心的利益」であるから頑張ったのであろう。
 あと教育関係ですかね。)

企業の大半は無色なのだろうが、中には色が付いた企業が存在する
ということ。そしてそれは時に巧妙に隠されている。
(構造理解の通り、秘匿こそがあちらの得意技。)

哀しいかな、立派な志と希望を持って入社したが、実際は色付きであった
という人たちも多数いるだろう。だんだんと感化させられていってしまう
人もいるのか、または背に腹は変えられずにいる人もいるのか。
(これも知れたことだが、それこそあちらは「いかに取り込むか」に
四六時中心血を注いでいるようなものなので、入ってきた純粋な若造を
取り込むのは長けているのであろう。
 というか、おそらく、上層部にならない限りは、そういった色は
感じさせないような巧みな仕掛けがあり、働いている人はまさか自分が
色付きの手助けをしているとは気付けないようになっている。
既述の「加担即悪」を参照。(集団ストーカーの話))

しかし、ここまで「色付き企業」という言葉が広まって、みんなの認識に
なってきたということは、入社した側からすれば「知らなかった。聞かされて
ない。」という話になってくる。
これまでは色付き側の、ねちっこい力のほうが強かったため、声として
上げられなかったのかもしれないが、この流れを見ていると、むしろ
色付き側の内部から変化が起きてくるのではないだろうか、と思われるのである。

この「知らなかった。聞かされてない。」というのは、働く側の「権利」が
絡んでくるのであって、これまたあちらの好きな権利によって自分の腹が
刺されることになろうとは皮肉である。

政治3.0では、「色付き情報の開示」みたいな法律もできてくるのだろうな。

2020年10月12日月曜日

左のおかげで右のレベルが上がったという皮肉

政治3.0によって、仕組みとして所謂左側がのさぼらないように
なっていくわけであるが、こうなったものまた左側がいたからこそ
そうなったという皮肉。

あちらが、不徳で利己であればあるほど、むしろ右や保守は
いかにその馬鹿げた屁理屈やら、言葉だけの薄っぺらい権利やらに
対処するべきかを学ぶことができたのである。

あちらの構造理解の通り、末端でギャーギャー騒いでいるものたちは
単なるコマなので、こういった理解までは及んでいまいが、
所謂あちらの「頭脳」はこれくらいは分かるくらいの脳は
持ち合わせているはずである。

そうすると、実はあちらの頭脳こそが、こうなるために、
つまり右や保守を強くするために敢えてそうしていたとも
考えられるのであって、実はあちらの頭脳こそが
二重スパイ的な、あちらの中心・根っこから自己崩壊するために
ここまでやってきたのでは、とも考えられるのである。

というのは最大の皮肉であり冗談なのだが。

2020年10月9日金曜日

あちらの根底にあるのは既得権益や外部からの搾取ということ

構造理解により、あちらの根底にあるのは既得権益や外部からの
搾取ということは嫌という程理解できたであろう。

いくら巧言令色を並べてメッキで覆い尽くそうと、その格・根っこは
変えられない。(「巧言令色鮮なきかな仁」という名文があるのに
なぜそこから学ばないのか。論語読みの論語知らずであることを
国家レベルで醜態をさらして何が楽しいのであろうか?)

あちらの根っこが既得権益や外部からの搾取であることは、
よほど頭が追いつかない者でもなければ瞬時に分かるはずであって、
それこそ、あちらの「論理」(屁理屈ともいう)が出た時点で
わかっていたにも関わらず、ここまでのさばらせたのは、
それはそれで「扱いやすかった」からということは既述の通り。

しかし、さすがに猿に核のボタンを持たせるのはやり過ぎだと、
いよいよ大きな山が動いたというのが正しい世界情勢の読み方。
(これも既述の通り。)


ーーー
ここまでわかっても、せっせとあちらへ加担している方々は
ぜひとも衰えることなく、方向性を変えることなく邁進して
いただければと思う。
あちらのこれまでを見ると、敵前逃亡や味方を盾にしてトップが
逃げるなど恥も何もないようなことをしているが、決して
そうではないことを身をもって示してもらいたいものである。
というのは、これも分かりきってることなのだが、いざ「ダメだ」
と気付いた瞬間にトップから蜘蛛の子を散らすように綺麗に
消えていくことが簡単に想像できるからである。
いくらこう言っても、実際になるとまんまと逃げて、素知らぬ
顔をして社会復帰するのだろうな、という何とも言えない
焦燥感を先に述べておく。
(また、それを受け入れる度量があるわけであって、せめて
その時くらいは、世の有り難みを感じてくれればと願う。)

2020年10月6日火曜日

詭道を拠り所とする機関

 総括的になるが、国の方向性を決める機関が詭道を拠り所と
していたのでは、うまくいかないということ。

詭道は戦局の一部で使うものであって、それを常態とした
ところが敗因であろう。(この辺も孫氏に書いてなかったのか?)

おそらく戦局が芳しくなくなったら、嘘の上塗り、世代が
下れば新しい手法が通用するようになるから、新しい嘘へと
つなげていけば良いくらいに思っていたのだろう。
その辺が浅はかだったという結論。

蓋を開けてみれば、そこにはただ不徳だけが残った。
(詭道の中で私利私欲のままに謳歌できて幸いであったろう。)

世界のニュースで、もはやこういった「倫理」レベルで
大体的に言われるようなったということは、世界の見えない
動きとしてすでに方向性ができたと見える。
一般市民の肌感覚レベルまで認識が降りてきた、降ろして
よいということになった、ということ。

ーーー
肌感覚、倫理感では上記の通りだが、実際の政策レベルで見ても、
やはり以下の点も敗因であろう。
それは、「どんなに頑張っても全て持ってかれる」ということ。
あちらの教科書通りなので説明不要だが、あちらでは誰が何を
やるかは全てトップが決めて、取り分もトップが決める。
途中でうまくいかなくなって、自由経済を取り入れたが、基本は同じ。
個人的に自由経済だろうが、やはり取り分は全てトップが吸い上げ
られる仕組み。

全国民がロボットならうまくいくのだろうが、そうではなかった
「だけ」ということ。それに気づくために百年と何億という人を
棒に振ったのだから、その浪費は甚大である。(あぁ勿体ない。)

経済については上記の通りであるし、例えば芸術分野であっても
どんなに努力して有名になっても、その「人」が有名になるわけでは
なくて「国」やら「党」やらがその取り分をぶんどって行ってしまう
のでは、個人としてやるせないだろうし、そもそも努力しなくなる。

学術も同様。ノーベル賞が出ないのも頷けるのではないだろうか。
せっかくとっても、それは「国」やら「党」やらの取り分なのである。

この結果は「上に政策あれば下に対策あり」と言われることからも
明白だが、上も下も相互不信である。詭道を持っていてすれば、
さもありなんと。
だれもこのような不信の世の中に住みたくないだろうし、住んでいる人は
やる気を失うだろう。

ーーー
以前書いたとおりであるが、計画経済はあくまで短期戦術用である。
つまりその時点の最新技術をコピーして、それを計画的に量産すれば
勝てる(そりゃそうですね)、という単純極まりないもののはずだが、
なにやらもっともらしく言って、それを「成立」させるには「搾取」が
正当だと、本末転倒理論になっているだけであろう。
(自分が成り立つには食べ物が必要だ的な。)

基本すぎることを書いたが、またこれはこれで当の本人も気づいてて、
というか、実際うまくいかなくて、ああでもない、こうでもないと
ひねくり回して延命しているようだが、どうやっても「本」に立ち返ると
この単純極まりない「不徳」「倫理欠如」によって崩れるようにしか
見えない。
(おそらくこういった「考察」はそれこそ、あちらが出現した当初に
すでに出切っていることだろう。これはその再掲でしかないのだが。)
(現代の経済学からすれば、こんなことは幼稚園レベルであるはずだが
学者は何をやってるのか?と思われるかもしれないが、学者は学者で
こういう点では弱いのである。つまり学者の糧はどこから来てるか、
ということ。もはや明白だが学会が変に牛耳られてるので、変なことを
いうと飯の食い上げとなっては困ってしまうからである。)

ーーー
前回と同様になるが、将来の歴史の教科書には
「詭道を持って覇権を握ろうとしましたが、不徳によって滅びました」
の一文で片付けられるだろう。

2020年10月3日土曜日

平均顔プロジェクト

毎年の平均的な顔を残していくプロジェクト。

毎年残すことで、百年、千年単位になって、
人類の変化をたどることができて、翻って
過去の研究にも応用できる。

平均の取り方は、簡単に考えて
全世界規模
国別
など。
平均の取り方でも、完全は全ての人からの抽出だが
無理があるので、統計学が出てきて、たとえば
無作為抽出でとる方法。
しかしそこには隠れたパラメータがあるので、
何かしらの「ふるい」に掛けた平均もとっていく。
(「除去」の意味ではなくて、あくまで単なる
「ある角度から見たフィルター」)
いろいろな考え方のフィルターがあって良いので、
たくさんの「平均」を残したほうが良いし、残って良い。

ーーー
念のため、もう少し学術的にしておくと、
これまで、所謂身体的特徴(身長、体重、…)は
とられてきたわけで、ここで言うのは、より
自由度の大きい、パラメータの大きい統計を
とっていこうということである。
つまり、顔にとどまらず、人のあらゆる箇所に
このアイデアは及ぶ。
また、人に及ばず、あらゆる生物、あらゆる
無生物、あらゆる事象に及ぶ。
アイデアの発端として足がかりにしていただければ
それでよい。)

左の総括

一応ようやく結果が出たようなので総括しておく。 (いつも通り具体を避けて抽象的に述べるので読みづらくてすいません。。) とは言ってもこれまで散々述べてきた通り、あちらの根本は「利己」であるということの繰り返しであるが。 まぁそれが象徴的に民意として「流石に目に余る」という結果にな...