2021年2月25日木曜日

曲全体をピッチベンドしていつの間にか移調する曲

曲全体をピッチベンド(音高を連続的に変えていく)して、
いつの間にか移調する曲のアイデア。

ピッチベンドを短時間で行えばリスナーはもちろん気づくのだが、
これをものすごくなだらかにすれば、かつ全ての音に対して
行えばリスナーは音高(音程)が変わった事に気づかないのではないか?
というアイデア。
(絶対音感の人だったら気づく?または「あれ?初めの音高と
いつの間にか変わってる?」と絶対音感の人さえも騙せる?)

そして、音高が変化した事に気づかない最小の時間が割り出せれば
「気付かれない移調」をふんだんに駆使した楽曲が作れるのである。
または敢えて上がっていく音高と下がっていく音高を交じらわせた
楽曲や、ピッチベンドの速度をずらした楽曲なども。
(聞いてる方は疲れるかもしれないが。)
(それぞれのピッチベンドのやり方に意味を持たせるというか、
音楽同様に科学的に意味解釈されていくかもしれないが、
意味を持ったとするとピッチベンド同士の組み合わせにも
意味が出てくる。
せっかく考えたので、楽曲の中で複数のピッチベンドが使われてる
として、その一つ一つのピッチベンドの方針というか一つ一つの
やり方を、「グラビティー」(gravity)とでも呼んでおこう。)

アイデアとしては面白いのでとりあえず発表しておく。

ーーー
なぜ「グラビティー」(gravity)かというと、これまでの楽曲は
言うなれば音高は常に地球上重力の1倍でしか作られてこなかった
わけであるが、この「気付かない移調」は自分の足で立ってる
地面の重力がじわじわと変化するようなものだからである。

まさに新しい次元に突入したと言えよう。

2021年2月24日水曜日

緊急事態宣言と夜の街の相関関係について

記述の通り、コロナ感染者数は酔った人と関係があるのでは?
という、誰でも思うというか直感で分かる相関があると思う。

誰でも思ってるのに何でちゃんと相関を取らないのだろう?
誰かちゃんと相関を取ってくれないかな?なにやら小難しい
細かいところばかりやらないで、まずは大局から見て、ここから
調査すれば良いだろう。と思っていた。

しかし、これは誰の特にもならないのだなと気付いた。

そもそも詮索好きのメディアがなぜ真っ先にこれを発表しないのか?
というところで引っかかったのだが、なるほど今回は利害関係が
同じ側という事なのだろう。

メディアがそれを言ったのでは夜の関係者から袋叩きにあうだろうし、
学者であっても、誰であってもそうなのである。
なのでこれは何の利害関係もない、こういった記事として誰にも見られずに
残るか、または利害関係者が「見て」しまったとしても、見なかった事として
やり過ごすかしかないのであろう。

一方で暗黙の了解でお互いに物知り風で過ごして、実はその本当の大切さを
お互いに知らなかったというのでは残念すぎる。
今回で言うと酔っぱらってコロナに罹るということ。
よって恐れずに「認識」していかなければならないという面も一つ。
誰もどこにもかけないようだから書いておくと、酔って判断基準を失うと
3蜜を避けるとか、飛沫防止、飛沫からのガード、手洗いうがい、
帰ってからもそのまま着の身着のまま寝るのではなく、手洗いうがいして
きれいな服に着替えてねる、というのが大切である。
子供に言ってるみたいになってしまったが、(だからこそ大人に改めて
言うことでもない、と「表明不要」と判断されるのだろう。)
たとえ酔っても泥酔しても気をつけなければならい。
誰も積極的に調べてくれないので、「酔ってコロナに罹った」割合
(または酒が絡んだ割合)が分からないが、もしも大きな比重を
占めるなら、そして本気でコロナを食い止めたいのならば、
やはり勇気を持って言っていかなければなるまい。
(それとも、これも含めてコントロール範囲内なので、
目をつむって許容するとするかどうかは政治判断なのだろう。
ただしそれを明確な判断として政治側としても夜の関係者側としても
表沙汰にはしたくない、というところだろう。)

ーーー
大切なのはこの相関があるかどうかではない。
(ある種暗黙の了解というか、相関があると思う人は自分の中で思っていれば
いいだけ。)

考えなければならないのはメディアといえども利害関係者ということ。
というか、むしろ率先してどれだけ利害に絡んでいるんだ、という事。
崇高なメディア精神などあったものではないのではないか?という事。
利害が絡んでいる事が明白な時点で、そもそもメディアとの接し方の基本は
メディアが発する情報はどういった利害が絡んでいるのかを疑って聞く、
というスタンスが基本になるという事。

ーーー
また逆にこれだけ裏でなにをしでかして暗躍してるのだろうと世間から
見られているのだが、基本構造を理解すると結局は利害だったのかということ。
力学的には非常に単純で、単純なだけにそれで世界が振り回されている現状に
呆れてしまう。

人は易きに流れやすいもので、目の前に利益があると自分が得したいと思って
しまうものである。(生存本能として)
個人個人が善悪の区別ができるように、そういう判断ができる人が増えるように
頑張っていかなければならい。(ありきたりな結論だが真であろう。)
現状は残念ながら世界レベルで「利己」という動物理論から抜け出せない
悲しい世代である。(数百年後かに「あの時代の人は動物だったね」と言われなければ
よいが)
この浪費を強く感じてきた人・感じている人が多数いるはずである。

無論、明日から急にいわゆる左側が無くなったとしてもそれはそれで無秩序(カオス)
を引き起こすので、舵取りは慎重にしていかなければならないが、
今その舵をとってる人が方向を間違わないようにサポートするのが表立った位置での
スタンスであろうが、少なくとも世界はこの方向に進んでいるようである。



2021年2月18日木曜日

極座標ディスプレイ

VRが活気づいているが、主にヘッドマウントディスプレイ用に
3次元極座標ディスプレイのアイデアを提起しておく。(または単に3次元ディスプレイ、3Dディスプレイ)
(polar coordinates display)

現在のVR用ディスプレイはPC用ディスプレイをそのまま使ってる。
PC用ディスプレイは直行座標(XY座標)方式である。
(rectangular coordinate system)

直行方式だと例えば4Kであれば3,840x2,160のピクセルを常に演算する
必要がある。

細かく見ると、映像なり3Dモデルなりを最終的な2次元画像に
する演算(グラフィックボード)と、それを忠実に再現する
ディスプレイの性能になってくるのだが、要は暗黙的に共有されているのは
直行座標の2次元画像ということである。

ここに潜んでいる問題点としては
・常に2次元エンコードというオーバーヘッドが働いている
・どんなに頑張っても長方形の「枠」内でしか考えられない
といったところだろう。

そこでこのデメリットを克服するものとして3次元極座標ディスプレイを
発表するのである。

概念的には視覚上の必要な個所に必要なものを描画する、ということ。
SF映画で宇宙船の操縦士が空間に描画された架空キーボードやウィンドウ
みたいなものを操作しているイメージ。

これはユーザを中心に極座標で描画すれば体の周り360度を描画領域として
拡張できる。
(これを実際にどうやって描画するかというディスプレイ/プロジェクター側の
問題はまた別の話)

まずはPCディスプレイの四角い枠を打ち破るアイデアとして。

ーーー
実際の問題点を上げておく。
・極座標の中心から離れるほど、(面で考えた場合)高い解像度が必要になる。→よってやはりプロット方式は面の概念から離れなくてはならない。
・極座標の中心から離れるほど、角度は高い精度が必要になる。→プロット装置の「描画限界距離」とかでスペック表に書かれる。
・実際の使用を想定すると直交座標の中心(人)の「動き」を前提で考慮しておく必要があるが、上記の特性のとおり中心から離れれば離れるほど動きノイズに敏感になる。

また、直交座標ディスプレイとのハイブリッドで、極座標側で四角い(考えを広げれば四角ではなくてもよいのだが)枠だけを定義してそこに二次元ディスプレイ(直交座標ディスプレイ)を当てはめるというアイデア。
(そのためにあらかじめ視界全体をディスプレイで囲っておこうとなると、当初の現在のVRディスプレイに戻る。プロット演算(座標変換)だけの話。)
(プロット演算「だけ」と言ったらしかられそうだが、そもそも話になるが
VRディスプレイは「現在使えるもの=直交座標ディスプレイを使って視界にマッチした
映像体験を実現する」という命題から始まっている。
座標変換でもちろんできるわけではあるが、そこに無駄とかオーバーヘッドとか
限界があるでしょうという問題提起である。
ブレークスルーの余地が多分にあるのでアイデアを発表しておきます、という話。
この辺は理想と現実の話であって、VRの歴史の話とかになってくるのでそちらに
譲るが、一番最初の有名なものとしては任天堂のVRであろう。将来を先取りしすぎて当時の技術=現実側が追いつかずに理想までは残念ながら届かなかった。
VRの歴史の話で今回の波が第何世代かは知らないが(第二世代?)、直交座標ディスプレイの解像度が上がったりグラフィック処理の性能が上がったりして、それをそのまま視界を取り囲むだけで、それなりの没入感は得られる段階になった。(このまま「視界を覆う」方式で突き進んでいけば良いだろうという方向もあるだろう。(人の視覚特性や認識特性とのマッチングの話))
そういう意味で言うとここで発表するのは第三世代の話である。)

ーーー
脱線するが「人の視覚特性や認識特性とのマッチングの話」について、
現在は人用だけだが、人以外用でもよいわけで、これは極端な例で
倫理的な問題をまずは克服しなければならないが、例えば家畜用に
限られた飼育スペースでも空間的ストレスを解消する救済装置として
応用可能である。
(家畜版マトリックス!)
(歩こうとした方向に合わせて地面も動く装置がセット。これはむしろ
現在の人用に早く実現してほしい。(歩いたり走ったりはある程度対応可能だが
難しいのはジャンプにどうやって対応するかが課題))
(これが実現すると家畜はそれぞれ所定の位置に配置されてVRゴーグルを
つけられている光景になる。現在の倫理では絶対に受け入れられないだろう。
(それとも以外とそうでもない?))
(倫理もなにもないかの国だったらすでに実物を使って研究してる
かもしれないが。)

2021年2月15日月曜日

発言は文脈の一部(オリンピック問題に添えて)

発言は文脈の一部である。

オリンピック問題に関してだが、氏の発言を文脈で
読んでみると、単なる引用ではないか。
しかも決して批判的な意味で使っているわけではない。

「メディア」という文字とか文章とかを取り扱う組織にしては
国語力というか読解力がなさすぎるのではないだろうか。
まさか誰一人「行間を読む」ということを教わってこなかったのだろうか?

百歩譲って読解力がなくて残念だったとしても、批判を
独り歩きさせて先導することがメディアの役目なのだろうか。
氏の発言全文はさして長くもないので、全文をメディアで
ちゃんと流して、それをどう受け止めるかは聞く方に委ねるのが
メディアの役割ではなかったのか?

ーーー
今回の一件で(というか毎度のことかもしれないが)、メディアに
非協力的な人が増えるだろう。
せっかく取材に来てくれた人たちがかわいそうだから、サービス精神で
誠意をもって情報発信したのにも関わらず、後になってから、
それこそ後出しじゃんけんまっしぐらで揚げ足取りをされるのならば、
何が嬉しくて積極的に発言しようと思うだろうか、ということ。

思えば取材に来る人は、親だろうが知り合いだろうが赤の他人だろうが芸能人だろうが
プロの有名な取材する人だろうが変わりなくて、あくまでも信頼関係が
成り立っているからこそ情報共有するわけである。
また、友人とかと話してたり独り言だったり、さして意識せずに発した
言葉がメディアに渡ると途端に殺人事件の証拠に祭り上げられてしまうのである。

メディアが取材に来たというだけで、なぜか発言することが義務化して
いないだろうか。立場的に「公」の方が比重が多い人だとしても、
「私」はあるわけで、(この辺はメディアが誕生してからさんざん
議論されてきたことではあるだろうが)私的な発言はメディア側が
煮るなり焼くなり好きにさせていただきますというならば、それこを
言論統制だろう。
この辺の公私混同についてはむしろメディアの方がプロであるのだから、
メディア側でちゃんと義理を通して私的発言は表に出さないのは当然で、
ちゃんとデータ的にもどこにも記録に残らないようにするべきである。
(ジャイアンでもないのだからか、「俺のもの(発言)は俺のもの。
おまえのもの(発言)も俺のもの」はいい加減成り立たない。
神にでもなるつもりなのだろうか?)

ーーー
今回は面白い続きがあって、オリンピックの会長をさんざん攻撃してたと
思ったら、実は自分たちの首を絞めていたのではないだろうか、ということ。

100%純粋なスポーツマンシップで、すべてボランティアとか経費を
すべて自分たちで捻出して開催とかならよいのだろうが、
開催地誘致とかでも一般市民に知れ渡ってきたことであるが、やはり
きれいごとだけでは済まなくて、オリンピックは利権が絡んでいる
ということ。

私はむしろ、このコロナ禍で人が来ない=売り上げが伸びないのに
なかなか中止の方向にならないので、実はかなりキレイな組織なのかな?
とか勘ぐったりもしていた。
(おそらく一回中止すると今後への影響が大きく、(ほら見ろ、利益優先では
ないかと言われイメージダウン引いてはスポンサー離れ、それも国家レベルの、とか、オリンピックと言う汚い金にまみれた組織のもとで競い合うのは信条に反すると言う有志が自分たちの大会を開いてしまうとか。)おそらく収支はトントンか赤覚悟でもやっておくべきと
判断したのだろう。)

しかし、首相まで務められていた、いわばものすごい「公」な人を
引きずり下ろしてしまったわけで、その後釜を担う人はそれ以上に
「公」でなければ、メディアにいったいどんなボロを探し出されて
火あぶりにされてしまうだろう、ということで誰もやりたがらない
ことは当然である。

オリンピック中止となれば当然メディアの取り分も(おそらくかなりの
かせぎどころだったのでは?)無くなるわけで、気づいたら自分の首を
しめていたという、なんとも情けない喜劇である。
(今後の展開はメディアが頑張ってオリンピック開催できるように
委員会をわっしょいするのだろうか?)

この、メディア+利権については(無論明るみには出ないが。だからこそ
人々が面白がっていろいろ憶測したり陰謀論が出てきたりするのだが)、
世間でいろいろ言われている通りなので深くは触れないが、
今回の件についてはいくら何でも野放しにしすぎたのだろう。
もう少し手綱を引き締めたほうがよかったのではないだろうかということである。
(世間に、統制が取れてないと思われてしまう。)

総括としてはいつもの通り「やれやれ」なことである。

ーーー
なお、あちらの感情攻撃に屈して要求を飲むと何もいいことはない。むしろあちらを助長するだけである。
今回もこれだけ氏の発言を「マイナスのイメージ」と流布しておきながら、もう自分たちは関係ない姿勢という有様である。
オリンピック開催まで間もないこんな時にトップが代わり、(失礼だが、またそうはならないと思うが、)もしも失敗でもしたら、メディアはお祭り騒ぎで非難でもするのであろう。
(こういうのを見て思うのは、メディアは泣き女なのかと感じる人も多数いるのではないだろうか。いい・悪いは関係なく、メディアは将来的には祭りを盛り上げるためだけの役割を持ったものになっていくのではないだろうか。落とし所というやつである。いつも何でも喜び勇んで大声を出してくれるのだから、適材適所ここにありである。)
(メディアで色とは関係なしに使命感を持って一生懸命働いている人としては、もしもこのようなレッテルを貼られてはいたたまれまい。だからこそ信頼回復に努めてほしいものである。(そもそもここまで色がついてしまうと信頼は回復しようがないであろうから、(明確に悪を根こそぎ焼き払いましたとかでもない限り)組織として上記の通り落としどころに落とすとか、それこそ解体するとかしかないのであろう。)

2021年2月7日日曜日

今生の別れの再来

数億年先のことであるが、今生の別れが再来する。

宇宙のロードマップとして、まずは今後数千年での
ビッグイベントは火星移住であろう。
これは良し悪しに関わらず、おそらくそうなっていくのであろう。
無論それに耐えうるように倫理もレベルアップしていかなければ
ならない。
(資源がなくなったから他国の資源を分捕っていけばよいというような
かの傍若無人国家の理屈であっては、火星の資源も一瞬で無駄に使い果たして
しまうであろうから、時間を無駄にせずに倫理を高めていかなければ
ならないのに、現代の人々はいったいどれだけリソースの浪費が
好きなのであろうか。もう少し脳を使用したほうが良い。)

悲しくも倫理のレベルアップが図れずに火星進出したら、
ナウル共和国のように資源を使い果たして、人々は責め合いながら
残った資源で細々と生き延びで行くことになるのであろう。
(まぁこんなレベルだったら当然滅びる末路しかないだろう。)

ーーー
そもそも現代の傍若無人は一体何がしたいのだろうか?
元を辿ると全世界の全員がご存知の通り、何とか理論(というか
屁理屈程度だと思うのだが)に行き着いて、それは結局は
自分より「いい」人とか物への子供のように単純な「怒り」と「責め」だろう。
では、いざそれがうまくいったとして、世界の覇者となったとして
そこから何をしようとしているのだろうか?
わが国でもあちら側が政権を取るという悲劇(今となっては喜劇だが)
が発生したが、いざトップになって責めるものを失うと、
それは一体どういう方向で何をしたいのかが全く分からないという
迷走を演じて、白昼のもとにさらしてしまった。
彼らの理屈にのっとると、最終目的は享楽なのだろう。
(地球外生命体を自称するお方が友愛とか言っていたが、
 おそらく享楽の言い間違いなのであろう。)
(そんな彼らの享楽のために税金をつぎ込んで、なんという
 すばらしい犠牲的精神であろうか。)

こんな駄々こね坊やの享楽に、人々は一体どこまで付き合っている
のだろうか?
人によっては、こともあろうに喜び勇んであちら側に加担する
始末である。

ーーー
話を元に戻すと、倫理レベルアップが「正常に」図れたとすれば、
火星移住によって資源問題はおおむね落ち着くであろう。
資源的不安のない「資源平和」な期間が数万年単位は続くのであろうか?

これ以上は大雑把になるが、その上の数億年先になってくると、
太陽が巨大化して地球の水が蒸発して地球が住めなくなり、
代わりに火星がちょうどいい温度になるとかになってくるであろうが、
火星もいずれは高温になる。
つまり人類はハビダブルゾーンを探して太陽系を外側へ外側へと
移住していくのだろうか?
しかしいずれは太陽系も住めなくなるので、人類はあらかじめ
太陽系外の居住可能な星へ旅立つのだろう。
無論、失敗して全滅とうわけにはいかないので、人類の一部が
行くことになるのであろう。

太陽系残留組と太陽系離脱組。
その時の倫理レベルでは残留組と離脱組は平和的に決められるのであろう。
(倫理レベルが達してなくて、現代の左寄りがそのまま残ってたら
 悲惨だろうな。。と、これくらい具体的に言えば現代版左寄りも
 自分たちの悲惨さを認識できるであろうか?)

この時の別れは、本当に本当の「今生の別れ」になるのだろうな、
というが言いたかったこと。
幸い私たちは、ついこの間、情報通信化する前の時代に「今生の別れ」が
あったことを知っているので、大切に後世に残しておきましょう、
ということ。

情報通信化して地球上であれば瞬時に連絡が取り合えるようになった現代から、
今後数千年、数億年で情報通信化前のことが忘れ去られていくであろう。
記録やデータとして残ってても見向きもされない期間が今後数千年、数億年は
続くであろう。
しかし、この太陽系離脱版「今生の別れ」の時は、人々は我ら情報通信化前の
時代の記録や各国に残ってる日記とか、日本の和歌とかが読まれて、
将来の皆さんはさめざめと泣くのであろうなと想像すると、数億年を先取りして
泣けてくるのである。
(やった、数億年先を先取りして泣いた初めての人になった^^)

ーーー
ちなみに太陽系離脱組は生涯を船の上で過ごす人がたくさんいるのだろう。
無論船と言っても外で遊んだり学校があったりと社会が構成されたコロニー
みたいなものであろう。
また船は一隻だけではなく定期的にでるのであろう。(最近の風潮だと
むしろ分散化の方が可能性が高い?)
また、前後の船とも行き来する手段は構築するであろうし、必要があれば
地球へ戻る道もあるのかも知れない。(しかし進んだ分と同じ分かそれ以上に
時間がかかるので、それはそれで大きな決断が必要だろう。)
(社会レベルでの移動となると、やはり資源問題があり、あらかじめ見積もって
積んだとしてもリスクアセスメントとしては弱い。
やはりどこかで補給する構想にしておかねばならないだろう。
100%循環できて100%保証できるとかなら別かも知れないが。)

船出からどんどん地球を直接知ってる人も減っていき、「地球昔話」として
お子さんとかお孫さんに話して聞かせてあげるのだろう。
※勿論地球とは常時通信を取り合うのだろうが、離れれば離れるほど遅延が
増していって、いずれは「〇〇年前の地球の様子」とか、「〇〇年前の地球から
メールが届きました」とかになってくるのであろう。
旅立ってしばらくは「地球への忘れ物」ニュースがバズるんだろう。

通信帯域としては船内の人全員が同時にビデオ通話できるくらいの帯域は
確保するのだろうか?
どのみちリアルタイム通信はできなくなるので、最初は地球と「近距離用通信」
「中距離用」「遠距離用」でリアルタイム通信するが、離れるにつれて
「近距離用通信」は使えなくなって、次に「中距離用通信」が使えなくなっていく、
とかだろうか。

※量子通信もあるが現状では、まず量子もつれにしたものを地球で生成して
片方を地球に、片方を船に乗せる必要があること。つまり通信できるのは
1粒につき一度きりなので、量子もつれにした粒子をかなり大量に持っていく
必要があり、使用に関しては本当に必要な時にしか使えないとても貴重なものに
なるであろうということ。
それと量子通信で意味ある情報を送るには(私が現時点で知ってる知識では。今はもっと理論が進んでる?)やはり古典通信も必要ということで、
現状のままだとやはり離れれば離れるほど情報的にも遠い存在になっていく
のであろうな、ということ。
今後数億年でそれが解決されるのか、はたまたテレパシーとかの研究が進むのか
とか、またはそれらの融合か、とかになってくる。
そもそも人だけがテレパシーが使えるのはなぜか?とかから始まるわけだが、
この太陽系残留組と離脱組では「地球上の人類」という太い「関係」があるわけだが、
それが果たして「空間問題」を克服できるかどうかの長い歴史と見ることも
できるわけである。(「時空」と言いたいところだが、それだと話が大きく
なりすぎる。)
「空間問題」が克服できればそれは大きなブレークスルーとなるであろう。
(そうなったとしたら、そもそも太陽系離脱とは別手段で解決できそうな気がしてくる。)

2021年2月1日月曜日

アナログ経済(ネオ・アナログ経済) 再掲

以前にアナログ経済のアイデアを書いたが再掲。

※アナログ経済だと貨幣化前の原初アナログ経済と区別がつかない場合があるのでネオ・アナログ経済とも言うことにする。そのうちネオ・アナログ経済のほうが定着したら、貨幣化前のほうが原初アナログ経済と呼ばれるようになるだろう。

人類は貨幣によって物の価値を抽象化し、それらの
円滑な流通手段を手に入れた。
あえて失ったものを言うならば、それはアナログ性である。

物の価値の抽象化として、当初は貨幣という物理的なものを
用いてきたわけであるが、実際は物の価値は見えない抽象的な
ものである。
これを本来の抽象的なものにするというのがアナログ経済である。

物理的な貨幣から、現代はちょっとずつネットの普及によって
ネット上でのデジタル情報のやり取りで流通が可能となりつつある。

しかしベースは物理貨幣の延長であって、労働したら1日とか1週間とか
1か月とかのトータルをある日に労働者へ払う、買い物もキャッシュか
銀行から払うか(1世代)かクレジットか(2世代)といったのが現状。

その先にあるのが、価値が生じた時点で貨幣というか、それこそ
「価値」そのものを表す抽象的な「何か」にリアルタイムでリンクする
システムである。
(決算とか締め処理とか(それに限らずあらゆるもの)は
 根本から変わるであろう。
 そこらへんはトップダウンとボトムアップの中庸で
 紆余曲折を経て定常状態に落ち着いていくのだろう。)
(こういう意味だと「リアルタイム経済」とも言える。
 しかし、第一世代の物理貨幣を発明した時点を「デジタル化」と
 とらえると、このアイデアは貨幣から本来の「価値」への回帰である
 という意味で「アナログ化」なのである。
 (貨幣と価値の相互変換がデジアナ変換というとらえ方)
 狭義のデジタル経済は所謂「第三世代」と言われるICTを駆使した
 ものであったりチェーン技術(ブロックチェーン技術)であったりする。
 経済に限らずあらゆる分野を見ても、デジタル化の最終目的は
 実はアナログ化だったりするのである。つまりデジタルによる
 アナログの完全な再現。)

まぁ数年前のアイデアではあるが、この破壊力はすごい。

(念の為追記しておくと、ここから着想を得て具体化しても良いですが、アイデアの出所はここですと明記してくださいね^^
(最近どうも人のアイデアを自分のものと言って発表して知らぬ顔をしている厚顔が増えてきたようなので、念の為。。))

左の総括

一応ようやく結果が出たようなので総括しておく。 (いつも通り具体を避けて抽象的に述べるので読みづらくてすいません。。) とは言ってもこれまで散々述べてきた通り、あちらの根本は「利己」であるということの繰り返しであるが。 まぁそれが象徴的に民意として「流石に目に余る」という結果にな...