2021年4月30日金曜日

技術革新に対する反発

技術革新に対する反発はいつの時代もあるものである。

脱原発の動きがあるが、どれくらいの高所から考えているのか
はなはだ不思議である。

原発を止めて、エネルギーが不足して、そうすれば科学者が
必死になってクリーンエネルギーを開発してくれるらしい。
ではそれを生み出すまでは細々としたエネルギーで研究開発
していくことになるのだが。例えば停電が日常茶飯事の時代に
遡って研究開発していかなければならなくなるので、
研究開発の進捗もままならなくなるだろう。
(それくらいまでは当然考えて、それも含めて承知して言ってる
のだろうけど。(さすがに))

どうなるかも分からないのに丸腰で途方もない真っ暗闇の中を
航海に行くようなものであるが、本気でそう思っているのかどうか。

もしくは、以下のような考え。
つまり人間のバイタリティを捨てて、エネルギーの安定供給を
捨てて、将来は少しのエネルギーで全員が細々と生きていくという事を
科学者含めて人類全体がコミットした、ということであれば、
それこそ仕方ないのであろう。
が、はたしてそこまで人類は諦めが良いのだろうか。
(このシナリオを本気で考えて推進しているのであれば、頭がよほど
平和で、世の中を知らなすぎだろう。)

(一応もう一つは、本気で滅亡させようとしている輩の動き。地球という
船ごと道連れにして沈めようとすること。統計論や社会論・集団論として
そういう輩が「発生」することは不思議では無いのだが、まさかそれらに
「加担」する輩は存在していないだろうか?)

ーーー
よってこういった事象は、いわゆる「機械打ち壊し運動」なのであろう。
今考えれば、機械を打ち壊してアナログ時代の労働や仕組みとかに
しがみつこうとすることが、いかに無謀であることか、誰でも分かるであろう。
(そして教科書に載ってる挿絵の、機械を打ち壊してる人を見て愚かだと
思ったことであろう。将来的に喜んでその列に並ぼうとしているのか?)
(当事者になると本当に周りが見えなくなるのか?ということ。歴史を見れば
誰でも分かることなのに、つまり「歴史を見る」という高所から見れば分かるのだが、
それが起こっている世の中にいて、自分の立ち位置を確認もしないでいると
ずるずる世の中の流れに流されるだけ、ということ。
今回の点についても構図はこんなにも単純であるにも関わらず、いざ当事者となると
時代の流れと逆行しようとする人たちが出てくるということ。
潜在的に高所でものを考えれない人たちもいるわけで、そういう人たちを正しい方向に
導くのが、高所を見れる人の役割であるのにも関わらず、盲目の人をして、
自己の利益のために道具として使用する輩がいるということ。
よくよく注意していかなくてはならない。)

ーーー
ではなぜそうかというと、無理・無駄・非効率な仕組みであっても、
それしか世の中に存在しないのであれば、人々はいやおうなく金を支払わなければ
ならないからである。

いかにも「せいぜい数世代しか考えない」輩が群がりそうな話では無いか。
※「せいぜい数世代しか考えない」輩については既述の通り。

ーーー
技術史・エネルギー史的に見て、先ほどの機械打ち壊し運動時代の機械化によって
効率は一気に躍進し、現代の核開発によってもやはり効率は一気にぐんと
躍進しているのである。

これがもしもまんまと反対派の思惑通りになって「人類は機械化・核開発によって
順調に発展してましたが、なぜか核開発をやめ、よってその後の核融合も実現できず
衰退して滅びました」となっては愚かすぎるであろう。
(先ほどの繰り返しになるが、それとも反対派は核をすっ飛ばして核融合技術が
空から降ってくるとでも思っているのだろうか?または核融合をも超越した
新しいクリーンエネルギー。)
(中核であるが、こういうレベルで見て、彼らは結果的に「利己的」であるかということを
ちゃんと自覚しなくてはなるまい。下手をすると知らず知らずのうちに滅亡を企んでいる
輩に手を貸すことになる。良かれと思ってやったことが悪の手助けであっては
いたたまれまい。そこで政治家は民を正しい方へ先導するべきであるのだが、まんまと
利用される政治家が多くて困る。)
(まじめに良くなると思ってやってる方もいるかもしれないが、それをやると
衰退・滅亡とかになってくるわけで、そうすると三段論法的にその人や団体は
人類滅亡を企てる輩になってくるのだが、承知ですか?と問いたいところである。
「そうです」としらを切られては「はぁそうですか」と言うしか無いが。)
(もしもそういう方々が率先してエネルギーに依存しない生活および文化的に
退化した生活をしているのであれば少しは話を聞く気になるかもしれないが、
彼らこそ既得権益にしがみついてじゃぶじゃぶのカネにまみれて生活している
から呆れ果てるわけである。)
(反対してても自分が生きてる間では生活は急激に変化せず、エネルギー不足で
困るのは将来の人だし、今の所どっちに転んでも安穏と生きていけるから、
お金がもらえる反対運動に加わろう、というのは悪魔に魂を売り渡すのと一緒である。)

ーーー
人類の叡智で、机上理論だったものを現実世界で実現して、エネルギーの効率化を
躍進させ、まさにこれから安定化させようと人類をあげて科学と技術をあげて
千年続く技術にしようとしているのに、世の中には水を差したく輩がいつの時代にも
いるものである、ということが再確認できただけということ。
(まさに技術確立の過渡期であって、そんな時代に立ち会えることが光栄なのに、
物事が分からな過ぎると普通のありがたささえも自覚できないということか。
マイノリティを助けると言いつつも、その弱みに付け込んで彼らのマイナス感情を
助長する構図もこの辺から読み解ける。(メディアも喜び勇んで加担する始末))

政治家はみんなのベクトルを合わせて将来の発展に導くのが仕事であるはずなのに
まったく逆のことをしているからどうしたものか。(低地しか見れないのであれば
政治家では無いだろう。または詳しく無い分野に下手に首をつっこむな、ということか。)

ロケットが失敗したら、「危ないからもうやめろ」とでもいうのだろうか?
どうぞ反対派は日本に対して言うときの威勢をそのままに、イーロン・マスク氏に
面と向かって言っていただきたいものである。(というと途端に誰もいなくなる
から面白い。)

ーーー
これと同じ危機が、(世の科学者も気にしておられるだろうが)、地球温暖化論に
あるような気がする。
これは一言で言えば、山が地球のプレートから動いているのに、山の動きを止めようと
地表の地面に杭を立てたりコンクリートを流し込んで頑張ってるが、果たして意味があるのか?
的な問題であろう。

少なくとも一般人には情報が少なすぎる。
科学の世界ではすでに「決定」できる情報があるのだろうか?では開示して
いただきたいのだが、情報化がこれだけ進んだ現代でも、まともな情報が
ないようなので「?」なのである。
そして科学者はみんな、脱炭素に承知しているのだろうか?
(ぱっと見で決してそんなことは無いと思うのだが。でも話だけどんどん
進んでいるような気がしてならない。)
科学者も現代では弱くなったもので、専門分野以外には発言できない雰囲気というか
状況になっている。これも一言で言えばカネに色が付いているということだろう。
(簡単な話で、崇高な科学に色をつけてはなるまい、ということ。
これも現代の課題で、政治3.0で解決する。)

前回も書いたが、「証拠を積み重ねれば事実になる」ルールにまんまと
やられてないだろうか?
これは世俗のルールであって科学ではあるまい。
でも誰も、科学者であっても現代ではこのルールに反論できてないのではないだろうか?

統計を取り始めた時点からのデータだけを持ってきて、つまりそれ以前の
千年、万年単位のことをすっとばして、ああだ、こうだというのは勝手なのだが、
でもそれで「決定」にするのは論理飛躍しすぎであろう。
(科学ってこんなに脆弱・貧弱だったっけ?だったら楽でいいな。だれでも有名になれる。)

ーーー
そして、ではなぜかというと、先のプレートと山の話であれば、
人々が山の移動が危険だと信じ込めば、みんなは手放しで杭とかコンクリートとかに
無限にお金をつぎこむからであろう。
これほど良くできた「自動お金生み出し機」はあるまい。

話を単純化しているので、無論世の中の聡明な方々が集まって脱炭素とかになってるので
あろうから、別に反対するとかの話では無いのだが、あまりにも話が急すぎて
その割には情報が少なすぎて「?」なのである。
(そりゃ誰でも疑心暗鬼になるだろう。)

無論本当にそうなのであればよいのだが、では千年、万年単位でどうなのかを
はっきりと示していただきたいのである。(それだけ)
上記の例で言えば温暖化とはプレートと山くらい意味の無いことなのか?
またはプレートと山の中間くらいの層と、山くらいの関係なのか?
それとも山の地表の土壌あたりの危機的な問題なのか?(あちらの主張を鵜呑みに
するとこのレベル)
ということ。
(政治家もこの辺を分かりやすくするのが仕事だろう。ただし、原発でもそうだが、
専門性が高いと、ただの道化と化す恐れがあるので、政治家側としても専門性は
必要。ただ、お抱えみたいな人ではその色に染まるのは当然であり、意味が無いので
無色透明で専門性も高いという人が望ましい。(現代でそれを望むのは無理?))
(是非プレートと山の例を持って分かりやすく説明していただきたいものだ。)
(専門性と言っても、それこそ学校で地球史として氷河期があったり暖かくなったりを
周期的に繰り返している、ということはやっているわけで、ではそこが話の起点に
なるのではないだろうか?なぜいきなり現代の人から始まるのか?話の持って行き方として
傲慢すぎるだろう。神にでもなるつもりだろうか?)

そして何百・何千・何万年後かに地球が氷河時代になったら「炭素が必要だ」
とか言って炭素社会を復活するのだろうか?(確かにそんなに人類が愚かだったら
滅びるな。)

ーーー
当然科学に身を置いている方なら、これくらいは考えてるはずである。
ただそういう疑いの声もないまま社会が無言で脱酸素に追従する姿が空恐ろしい。
(と感じている方も多数いるはずであろう。)

もうすでに企業・自治体やそれこそ各国政府が動き始めてしまっているが、
本当に全人類はそれにコミットして、全て承知なのか?

ーーー
経営者とか厳しい競争の中で大切なお金を運営されているわけだが、ことこの問題になると
何の疑いもなく追従しているのも空恐ろしい。またそれを見て不思議というか
恐ろしさを感じてる人もいるだろう。
そこでは大きなお金が動くわけだが、それまで培ってきた経営上の鋭い目は、いったい
一瞬でどこへ消え去ってしまうのだろうか?
メディアについても然り。いつも性懲りもなく重箱の隅ばかりつついているのに
ことこのことになると途端におとなしくなる。いつもの威勢はどこへいってしまうのか?
まさかと思うのだが、これを推進すると相応の取り分が確保されるから騒ぎ立てない
ことにでもなっているのだろうか?(まぁ、散々どうしようも無いメディアであれば
それも十分あり得るだが。)
しかし国とか世界の発展のために真摯に取り組んでる企業までもが、まんまとそのように
簡単に悪魔に魂を売り渡すようなことはしないと思うのである。
よって不思議で仕方ないのである。

構造を簡単にすれば「科学者しかわからないことに口を出すな」という一言で
みんながひれ伏している構図だが、日々真剣勝負で挑んでいる経営者が全ておとなしく
ひれ伏すということが不思議でならない。
またはいつの間に全員一致でコミットするほどの議論をしたのであろうか?
医療治験も何年もかかるし、政治で何か決めるのも(それこそ左の足のひっぱりで)
決まるのも決まらない状況であるにも関わらず、一体どこをどう通って左も右も
仲良く迅速に決定したのであろうか?(左と右が意見が一致するだけでも奇跡なのに
それもこの迅速さとは。)
(まさか皆が環境保護だか何だかの活動家の言葉に心を打たれたとか?)
(ちなみにあの人によって活動家という職業があることが世間一般に知れることとなった。
活動するだけで儲けれるのだからなんて楽なのだろう。ただし楽をしてはなるまい。
易きに流れるとろくなことは無い。)
(さらに言うとあの人はせっかく若いのだから、いまからでももう少し自分の頭で
考えるようにした方が良いだろう。まぁ取り巻きから見てもこんな声はもはや
届かないのだろうが。あの人はあの人でかわいそうで仕方が無いものだ。)
(もう少し遡ると「不都合な真実」とかがあったと思うが、小学生でも思いつくような
上記のプレートと山の例についてはどう答えるのか?何を持って科学的「決定」にまで
至ったか。実際に人の影響は数%分しか無い的な反論もあるはずだが、科学は反論に
ちゃんと答えれなければ「決定」しないルールではなかっただろうか?
これに反論するだけでも途方もないデータが必要になるはずで、それくらいはそれこそ
小学生でもわかるはずで、それなのにもうすでに決定事項としてどんどん話が進んでいる
のはなぜか?ということ。(何回繰り返してるんだろう。)
まさかとは思うが「不都合な真実に対する不都合な真実」はもみ消してるのだろうか?
環境保護とか平和的な運動かと思っていたが、やり方としては過激すぎるだろう。)
(それとも「もともと科学として活動してませんよね?」と開き直るという最終手段を
温存しているのだろうか?そうなればものすごい賠償になるだけだけど。)

時折「官民一体となって」と耳にするが、それに続く言葉が耳に残らない。
続く言葉が「(官民一体となって)騙されます」でなければ良いのだが。
現時点でもすでに太陽パネルの期限切れによる大量廃棄問題が浮上しているが、その廃棄処理の炭素だけに注目しても、大量の炭素発生問題があるだが(無論高尚理論なので当然そこまで組み込んでいるだろうが)、そこで官民一体で進めたはずの太陽光パネル交換が進まなかったとしたら(これは、所謂あちらの賃金とか工賃高沸騰に依ってくる。高尚なのになぜ問題が局在化するのか?そもそも廃棄まで含めて製造者責任までちゃんと政府かんで合意しているのか?廃棄時に太陽光パネルで削減した以上の炭素を生み出すのであれば元も子もない。あちらは言ってしまえばトップが変われば全てが変わる訳で、どうやって「約束」したのか?前提設定とかそう言った言葉を知ってるかどうかとか、かなり原点の話に自ずから遡ると思うのだが。せっかく高い学費を払っていい学校に入ったのにそう言った実地の考えができないのであれば、何のための学問であろうか?)、彼らは臆面もなく「官民一体となって騙されました!」とでも言うのだろうか?その裏に隠れた言葉は、「なので私たちは悪くありません」と言うこと。古今東西そうであるが、悪事をなす時は人は知らず知らず、罪を減刑するための言い訳を準備するものである。頭がいいので「こうなった時は、こう言えば大丈夫だ。こちらに非は及ばない」とか考えるのである。それは針に糸を通すような意味で、確かに主張者への直接の非は及ばなかろうが、ではそれを囲っている社会としてはどうなのか?すでにこの時点で観点・ベクトルがあらぬ方向を向いていることが知れよう。
(さらにその裏にあるのは「自分の世代では直接的影響はないだろうから、まぁいいか」と言う「放棄」)

ここでただ言えることは、上記がこの通りにならないように願うのみである。

ーーー
科学とはこんなに簡単だったのであろうか?
政治とはこんなに簡単だったのであろうか?
経営者の意思決定・経営判断とはこんなに簡単だったのであろうか?

裏を返せば、これこそがプラットフォームの力学としての強みであり恐ろしさである。
どんなに競争とか経営判断とか厳しい環境で生きていても、そのプレーヤーが
乗っかっている「環境」から動かすと誰しもがそれに従わなければならない、
ということである。
(だからこそプラットフォーマー市場が活況なのだろう。)

さらに言えばこの仕組みさえ分かればプラットフォーマーになるのは簡単なのである。
誰にも気づかれないようにこっそり初めて、「実績」を積み上げて、時期が来たら
一大キャンペーンをぶち上げて、反論の余地を作らずに一気呵成に世論を味方に
つけるだけである。
後から反論が出てきても、へたに「実績」があるので簡単には潰されない。
潰されるには相応の時間がかかるという算段である。
もしも本当にカネにしか目が無い輩であれば、プラットフォームを造るためなら
どのような嘘でもござれ、であろう。
(まぁ実際は何のコネも無いものがプラットフォームを作ろうとすると潰される
のだろうが。または良いように言い含められてポジションだけ分け与えられて
特出しないように骨抜きにされるとか。)

当ブログでも度々メッキの話をするが、嘘がばれないうちにメッキで作った柱の上に
さらにメッキで塔を建てて、嘘がばれない間に稼ぐだけ稼ぐという商法であろう。
(不正表示もいいところだが。)

危機とはまさにそのことである。
「誰も嘘と言えないこと」をいいことに科学と政治が結託していなければ良いのだが。
よくよく注意していかねばなるまい。

(無論科学の良心を信じたいのだが、もしも万が一に確信犯であったとしたら
外から嘘を見破ることができなくなってしまうので、やはり哀しくも「監視」という
人類が編み出した手法を取らざるをえまい。)

(一応もう一度言っておくが、これがただの杞憂であればそれだけのこと。)

まぁ、話としては単純で、嘘か本当かもわからないものに自分の大切なお金を
払いますか?というだけのこと。

2021年4月27日火曜日

あおり運転について

運転してる人であれば、もしかすると誰しもが少なくとも一回は
嫌な運転手や、変な運転手に遭遇しているのでは無いだろうか。

最近になって問題がようやく表面に出てきて規制されるように
なってきたわけである。

問題はとうに議論されているだろうし、規制という抑止力が作用する
ようになったので収まるであろうから、とやかくは言わないが、
なぜ加害側の運転手はそういった状態になるのかを精神面から簡単に書いておく。

ーーー
運転というのはある種特殊な環境であって、事故をしないように
集中しつつもいろいろ頭の中で考えを巡らせることができる
環境である。

ここにSNSなどのネット空間の問題点を絡めて考える。
ネット普及当初から、匿名性の問題やネットいじめなど問題化しているが、
「話せばわかる」と昔から言われてた通り、問題の当事者が話もせずに
相互不信・疑心暗鬼が積み重なって暴発するというのが問題のひとつの
本質であろう。

ネットなどなかったリアル世界でさえそうなのであるから、ネット空間は
なおさらであり、そうであるからこそ次々と具体的な問題として表面化して
きたことはご覧の通りである。

また、これも現実世界の照らし合わせなのであるが、意見のある者は
意見の対象者に直接とか、自分の属する社会とかに意見をして、そこで
取り越し苦労や一人相撲は本人が自覚して、また周りもその人がそんな
ことまで心配していたのだなと理解して、つまり相互理解が進んで
(私はこれを広く有機体の自浄作用と呼んでいるが)、その人の属する
社会が円満化されていくわけである。

しかしネットでは偏った事柄について偏った意見に陥りやすく、また、
現実世界ではいろんな人が「そうではないだろう」と言ってくれるのだが、
ネットでは悪い方向に助長する声だけを拾い上げてしまいがちである。
(まぁこれは現実でも一緒だが。)
(話は逸れるが、世の中には具体的に「日本を馬鹿国家にしたい」輩が
それこそ徒党を組んで工作しているわけで、彼らの活動の場として
ネットは大いに役立つのであろう。軽い気持ちで世間を批判したりすると
まんまと魔手に絡めとられるので、一般人だとしても十分に気をつけねば
なるまい。たぶんうまいことマニュアル化されてるのだろうが、一旦陥ると
あれよあれよと引っ込みがつかない状態にされてしまうのである。(恐ろしや))

ーーー
無論ここでは話を分かりやすくして書いているのだが、どうもこの
ネット空間の恩恵または弊害の結果として「話を聞いてくれているつもり」
「意見を理解してくれているつもり」という自己満足のベース・土壌が
あったうえで、運転中など考えを巡らせる時間があったりすると、
相手を抜きにした自分中心の「正しい」世界を作ってしまうのでは
ないだろうか。
(せっかく規制ができたので、あおり運転者からその辺の心理状態を
詳しく聞いておいてくれると良いのだが。おそらく大半が「自分は悪く無い」
というのだろう。)
(もちろん加害に打って出るという一線を超えてる方々なので上記の
穏やかな論だけではないだろうが。つまり無論確信犯も一定数いるだろう。
それはむしろこれまでの暴行罪の対象。)

ーーー
芥川龍之介に「羅生門」があるが、心理状態としてはまさにこれに似ている。
にわかの正義の権化になっていないだろうか。
正しいと思い込むのは簡単である。
また前にも書いたが、常に怒って怒鳴り散らして生きることの方が実はよっぽど
簡単な生き方なのである。
よくよく注意していかねばなるまい。

(自己主張してどなりちらして見るに堪えない輩がいるが、それはまぁ痛ましい
のだけれど、そこまで行かずとも、周りの声を無視して自己主張して戦っていくのが
かっこいいというような風潮が一時期あった(まだある?)気がする。
それが戦後なのかむしろそれに便乗したいわゆる「日本を馬鹿国家にする」輩の
工作なのか知らないが、いまだにその空気に漂っておられる方はまさかいないだろうか?
おそらくそうやって自分勝手に生きてきた先人達や、その人の周りの人たちの
大変さを見聞きした子供達が大きくなってきて、あれはやはり反面教師だったの
だなと、声には出さないが心の中で理解する人たちが増えてきたのだろうな。)


2021年4月24日土曜日

老練が寄り集まって(一言総括)

一言で言って仕舞えば、思えば世界をリードする老練(老獪)な方々が集まって、
ビジネスだけに目を奪われて、利権のため、保身のため、利己のために
あの大陸にこのまま世界がリードされるには、さすがに「それはない」
目が覚めた、といったところなのだろう。

これでは流石に世界をリードする老練(老獪)な方々は将来に
汚名しか残せないと、ようやく分かったのであろう。

(まぁ、あとは単純に「さすがに情けなさすぎる」といったところ。
「21世紀はそれまでと一転して猿人しか存在しなかった」とでも
将来で総括されたら、という意味。)

2021年4月23日金曜日

キーボードにクリックボタンがあると便利

キーボードにクリックボタンがあると便利。
ショートカットでも良い。

キーボード志向(キーボードオリエンテッド)だとマウスに
手を移動することさえ鬱陶しくなってくるので、常々思ってて
機会があるごとに言及して、ブログでも投稿してきたのだが
改めてアイデアを発表しておく。
(よって特許を取ろうとした方は残念。)

具体的にはカーソル位置をクリック(に相当する操作を)する機能。
ダブルクリックすれば単語選択ができる。

発端としてはキーボードショートカットでCtrl + A や Cmd + A で全選択機能は
あるのに、なぜ単語選択ショートカットが無いのか?ということ。
(もちろんShiftを押しながらCtrl + ←/→とかでできるが複数回キーを押すのが
煩わしい。)
つまり使用頻度が高いのにもかかわらず、それに見合ったショートカットが
割り付けられてないということ。
エディタによっては単語選択ショートカットがあるかもしれないが、OS標準や
デファクトスタンダードまで普及してない。

モールス信号がアルファベットの発生頻度順で割り付けられたように、
使用頻度の多い操作に対してショートカットの割り付けを総合的に
見直すプロジェクトと言える。
よって「慣例も踏まえて使用頻度を考慮したショートカットの割り付け
見直しプロジェクト」も併せて発表しておく。


2021年4月16日金曜日

アナログアーカイブプロジェクト

古代の人がミイラで見つかったりして人体のサンプルが採取でき、
DNA解析できたとかニュースになったりするが、現代の解析技術では
解析できないことも将来は解析できたりする。

現代技術の基準ではゴミにしか見えないものでも、将来はそこから
多くのことが解析になる可能性がある。

よってアナログアーカイブプロジェクトをここに発表しておく。

最近の流行りでデジタルアーカイブがあるが、それはそれで無論
とても有意義でどんどん推し進めていただきたいのだが、
ややもすると貴重なサンプルもデジタル化しつくしたから用済みだろう
ということで、みすみすそのままゴミ箱に捨ててはいやしまいか?
という問題提起でもある。

人体であれば、やはり何かしらの方法で毎年一定数のサンプルを
保存するとかが考えられる。
それが何百年、何千年と残ると様々な角度から発展の歴史の解析が
可能になり、それによってサンプル化以前の起源まで辿る手がかりが
できるのである。
言うなれば将来人のために正に未来を託してサンプルを引き継いでいく
プロジェクトである。
(倫理も追いつかなければならないが。人権を言う側への反論としては、
では過去のサンプルは不慮の事故で保存されてたりするわけだが、
不慮は良くてサンプリングがだめな線引きの根拠は一体どこにある?
ということだろうか。そもそも現代の法でも本人の意思表示が「諾」であることを
確認する方式であるわけであるから、サンプリングに応じてくれれば
現代法であっても許可されるのでは無いだろうか。また、オプトアウト方式も
あってこの辺はまさに臓器提供とかで身分証明書に意思表示する流れが
すでにある。)

無論人体に限らないのであり、様々な視点からサンプリングすべきものは
精査していく必要があるだろう。

2021年4月14日水曜日

あちら側の子供

一つ不思議に思うのは、あちら側の自分の子供は
どうやって育てているのだろう、ということ。
自分の子供がかわいそうでは無いのだろうか。

あちらの原理はみなさん知っての通りであるが、
利己のためなら他人を徹底的に踏みにじるとか、
伝統とか人としての「意思」さえも否定することとか
なのであるが、それをまさか自分の子供に教えて
いるのであろうか?

利己のために社会を停滞させる、バカ国家にする
ために、まさか自分の子供を優秀なコマに仕立て
あげているのであろうか?
(自分の子供を献上するとはなんと献上精神旺盛なの
だろう。まぁ自分の意思すら軽々と放棄する輩なので
あちらにすれば、なんてこと無いことなのかもしれないが。
そのへんも素晴らしい勧誘マニュアルができているのだろう。)

そうであるならば恐ろしいことである。

そもそも学校の道徳とかの理念と端から合わないのだか
そのへんはどうやって折り合いをつけているのだろうか?
適当に聞き流させているのか?
「あぁいわれたら、こう言い返す」ための訓練として捉えさせているのか?
つまり学校道徳を完全スルーするか、真っ向から否定・対抗して
義務教育9年間を乗り越えさせるかの2択しかあるまい。

人権とかなんとか言ってる人たちはどうぞ本領発揮して
問題化すれば良いだろう。
なぜ重箱の隅をつつくようなことしかしないのか。
これまでも何度も「いじめ問題」が社会問題で出てきたはずで、
そこで真っ先に気付く大きな構造上の問題であるだろう。
しかし当事者ばかりにしか視線を向けず、大きな人たちが寄り
集まって何をしてるのだろうか?
もしも本当にこの「大きな構造上の問題」を認識できてないのであれば
頭が足りてなくて残念なのであるが、さすがにそこまで無能の集まり
だとも思えない。
そうするとやはりあちらの暴力がやはり怖いということなのだろう。

学校現場を見ても先生方は大半は家庭問題と気づいているはずで、
しかし実際家庭に踏み込んで問題解決していく気力と胆力を備えた
先生は稀であろう。
(冷静な最近の世代はそれをすることによる「社会的意義」が見出せない
のだろう。)
こういった子供の家庭はある意味プロであり、なぜか家庭にとどまらずに
どうやって寄せ集めてくるのか知らないが、こういった時は数の理論で
押し返そうとしてくるのである。
いくら先生一人が頑張っても太刀打ちできるものでは無い、という実情
もあることだろう。

虐待などから子供を救い出すための人権であるはずなのに、つまり
やたらと「子供の人権」とか言ってゆとり教育だか個人主観的教育だか
やっている割には、いざ家庭が出てくると人権のことなどきれいに忘れ
去って、「家庭には家庭の事情があるので立ち入れません」というのは
都合が良すぎるのでは無いだろうか。

権利的に見れば欺瞞であろう。
もしも崇高なる法律や人権を謳っている方々はこの欺瞞を正視して
本当の「子供の権利」を守っていただきたいものである。
この論理は色の付いたメディアに、それと知らずに勤務している人の
人権にもつながるものである。

※幸い左であっても学問的欺瞞には敏感なのが救いであり突破口であろう。
さすがに証拠は白から黒にはできない。
しかしこれを逆手にとって「証拠」さえ積み上げれば事実になると盲信して
工作している輩がいるのが現状。
高所から見るとただ自分の主張を発狂して叫んでるどこかの異常者とか
だだこね少年だけなのであるが、残念ながら今のレベルではこれが
追い払えてない、という構図。
これも政治3.0で解決するだろう。
嘘も積み重なると恐ろしいもので、それを信じる人が出てきて、社会レベルに
までなると公金も使い始めて、規制とかもできて慣性を持って動き出して
しまうものである。
言うまでも無いが崇高なる学問を手段化して、大衆を嘘へと扇動したものは
いわゆる地獄に行くのだろうな。(自分で選んだのであるから致し方あるまい。)
学問を修しているものであれば学問の崇高さを知っているはずで、
決して利己のためやそれを手助けするために用いないよう、勇気と
大義を持ってあちら側に屈しないでもらいたいものである。
証拠捏造は「科学への冒涜」と言われる通り、科学者生命を無条件剥奪する
だけでなく、後世にまで悪名だけを残すだけである。
(それを国家ぐるみでやっている大陸は、精神史的にどうなってしまうの
だろう?それを身をもって社会実験の実験体になってくれているのであるから
感謝しなければなるまい。)

2021年4月5日月曜日

「そういうことになっている」のだろう

新聞社とかメディアを見ていて、性懲りも無く偏った
ことを言い続けるのは、「そういうことになっている」
からであろう。

新聞社やメディアに限らず、所謂あちら側の表面に
出てくる人たちは「そういうことになっている」事を
その通りに言ってるだけに過ぎないのだろう。
(なのでいくら言っても噛み合わない。)

昔であればあちらの主張を本気で信じて行動した
「情熱的」左側がいたであろうが、むしろそのほうが
話は分かった。自分の頭で考えているからである。
自分の頭で考えているから間違いだとわかれば
一転して間違いを正してくれたからである。

そして最近の「冷めた」左側は、「コマ」と呼んでいる通り
自分の意志はなくて(あったとしても押し殺して)、ただ
あちらの主張通りにロボットのように動いているだけに
過ぎないのだろう。
(そうなった経緯はいろいろあるのだろうが、たとえば
弱みを握られた(ハニートラップなど)とか、金を積まれて
受け取った(ユダ系)とか。最近では悪意さえ分散するのが
トレンドらしい(集団ストーカーなど)。
あとは本気で頭が届いてない人を安い金で使うとか^^
これこそ人権問題だと思うが。)

お隣の属国を見て分かるが、軽い気持ちでたった数枚の
銀貨を受け取ってしまっただけで、それをネタに地獄の果て
まで付きまとわれるのである。(ヤクザよりもタチが悪い。)

そんなトラップに捕まってしまった人は、自分を押し殺して、
否むしろ開き直って「あちらが正しい」とか自分に言い聞かせて
(そうでないと精神衛生的に、普通の人であれば持たないから)
(日本人であれば律儀で、上からの命令に適当にサボるとか
すっぽかすとかもしないで)
「ものすごく役に立つコマ」として頭角を現したりしているのだろう。

そこには「信」などもとよりなくて、あるのはせいぜい金、つまり
利己くらいである。

また、(トラップにかかった人は折り合いをどのようにつけてるのか
知らないが。おそらくその辺までも、そういう迷う人をうまく誘導することに
あちらのあるだけの脳を使って考えられているのだろうが。)
自分の頭で考えるという事を放棄してしまっていることが重大であろう。
歴史は自由獲得とか意志は放棄しないことの積み重ねであるにも関わらず、
あちらに属している人を見るにつけ、自ら喜び進んで自分の意志を放棄して
いるのであるから呆れるものである。
(それを選んだ方はどうぞ勝手してください、なのだが、どういうわけか
そうゆう人ほど周りとか後世に迷惑をかけて禍根を残していくのである。
まぁそこまで含めて仕込まれてるのだろうが。そいう意味ではリソースを
無駄なく使い切る、くらいの頭は持ち合わせているのだろう。)

左右の討論とかあって、噛み合わずに平行線で終わるが、討論の前に
「左右偏りなく資料を読んでからきてください」と言えば良いのに、
(それが理解されるくらいなら無論苦労はないのだろうが)
あちらはおそらく読んでないか、頭の(かなり)良い「上」の誰かが読んで
「ああ言えばこう言」えばよいということをみっちり叩き込まれてから
来るのであろう。(思うにそうやって他の資料とか情報に触れるような
時間を与えてない=時間も剥奪しているのではないかと思う。
うーむ巧みである。まぁあれだけ人が集まってそんなことばかり考えている
のであろうから、「普通」くらいの結果だろうけど。あちらの根本は
突き詰めると享楽とかなので、「普通」とは言い過ぎで「普通より下」の成果
くらいにしておこう。)

意志を持たずに突き進むコマほど強いものはないと思っているのであろう。

しかし歴史が物語っているように人の最後の意志は誰も奪い取ることは
できないのである。
(情報が内部浸透すれば、それこそ内部崩壊する。そうさせまいと頑張って
情報統制しているという構図。)

2021年4月3日土曜日

何か成すのは職として

基本的なことだが、何か成すのは職として成すのであって
個人で成しているわけでは無い。

突き詰めるとどこまでも、どの分野でも言えるのであって、
つまりたとえ政治家や作家や芸術家やアーティストやプロ選手や、
一見個人で仕事をしているよな分野でも、そこにはその人を培った
環境や歴史があったわけで、いわばその人をして仕事を
成さしめたと言える。

これがもしも個人だけであれば、ある程度売れたらそこで終わって
しまって、決してそこまで大成しないはずである。

自由を謳う方がこういった「公」の意識が育つのに対し、
完全統制で「みんなが社会のために」と謳う方が、むしろ
個人ばかり、利己ばかりに走るのであるから面白い。
(もう十分に社会実験して散々浪費したのであるから、
そろそろ気付きましょう。(人の人生というリソースを
浪費したのであるから恐ろしい。というか人権派はこのことを
ちゃんと正視した方が良いだろう。))

ーーー
事を成すのは個人としてではなくて職としてだが、
これを勘違いして「自分がやった」こととして利権を確保しようと
すると話がおかしくなってくる訳である。

事を成した人が利権を言い出しては周りの人は何も言えなくなる訳で、
そうすると少なくともその人が亡くなるまでは続くわけである。
そうするとたいていの人は馬鹿では無いようなので、後釜を
ちゃんと準備してから亡くなるので、利権も引き継がれて、、、
となりどこまでも引きずるわけである。
(中には自分で事も成してないのに他人の利益をぶん取ろうとする
ジャイアンのような困ったちゃんもいるのだが。しかも国レベルで
やってる始末で、「理想」とか「主義」とかいろいろ御託を並べて
正当化しようと頑張ってるようだが、この構図・論理矛盾にいつに
なったら気付くのだろうか?それとも気付く頭を持ち合わせていない
のであれば「痛ましい人」である。このへんは既述の通り。)
(無論この辺りは「分かって」いるはずで、ではなぜ止めないのか
というと、「嘘もつき通せば本当になる」と信じているからであろう。
このまま例えば世界のトップになればそれまで積み重ねてきた嘘も
すべて棒引きになるとでも考えているのであろう。
あちら側の論理限界なのであるが、いざトップになったとして、では
そこから何がしたいのか?が真っ白なのである。(正に頭真っ白)
こんなことで突き進めるくらい単純で、彼らはつくづく幸せ者だと
思うのである。)

利権が発生すると、せっかく政府のスリム化や技術革新による
コストダウンとかをしても、その浮いた分が社会ではなくて
利権者に流れてしまうのである。
なんだか現在の状況を見てみると、利権だらけで全然コストダウン
できてないように見えてくるのである。

こう書けばこの構図も明確に分かるはずなのであるが、いざ
当事者となると、人とは恐ろしいもので「欲」に手が伸びるものである。
(これは上下左右とも気をつけなければならないこと。無論左が
一番気を付けなければならないが、あちらは恥も無いので馬に耳に念仏ではあるが。)

現在の世界のトレンドであるが、「正当そう・真っ当そうな事を言って
利権を取る」という構図が賢い人のやり方みたいになってるので
注意が必要である。
(稼ぎ方が「賢く」なっていると言えばそれまでだが。ベールがどこまでも
厚くなっていく。せっかくだから法則として書いておくと、
「経済のベールはどんどん厚くなる」といったところだろうか。)

2021年4月2日金曜日

100%の無い組織

「99%解決する」とかニュースで見たが、あの国は
やはり100%は無い国なのだと思った。

誰が言ったか、もはや肩書きがあろうがなかろうが、
つまりあの国では肩書きさえ100%ではないので、
言い換えればハリボテであってあまり意味が無いであろうから
肩書きを意識する気さえ無いので、誰が言っても
もはや戯言にしか聞こえない。
(今の肩書きでは誰も聞いてくれなくなったので、
より強力な肩書き、たとえばゴールデン大統領とかを
作っていくしか無いのだろう。)

思い起こせば属国根性から抜け出せない、つまり最後の意思決定権は
別のところにある時点で、責任を取れる組織になるわけが無いのだが。

ーーー
さらに思い起こすと、実は世界はこれまでも責任を取らない時代であって
その代表選手見ないになったのが上記の国とそれを牛耳ってるあの国なの
だろうということ。

しかし、ようやく責任を取る時代になってきたのだろう。
これまで何からも逃げずに真正面から責任を取ってきたところが参考になる、
ということで我が国に世界の注目が集まるのは自然である。
(おそらくこの路線でも独走しないように、この論点で我が国だけ頭一つ
飛び抜けないようにいろいろ伏線している状況なのだろう。
そう考えると世界規模で見ると、「出る杭は打つ」という結構な村社会根性が
根本にあることがわかる。まぁバランスというのだが。)

左の総括

一応ようやく結果が出たようなので総括しておく。 (いつも通り具体を避けて抽象的に述べるので読みづらくてすいません。。) とは言ってもこれまで散々述べてきた通り、あちらの根本は「利己」であるということの繰り返しであるが。 まぁそれが象徴的に民意として「流石に目に余る」という結果にな...