運転してる人であれば、もしかすると誰しもが少なくとも一回は
嫌な運転手や、変な運転手に遭遇しているのでは無いだろうか。
最近になって問題がようやく表面に出てきて規制されるように
なってきたわけである。
問題はとうに議論されているだろうし、規制という抑止力が作用する
ようになったので収まるであろうから、とやかくは言わないが、
なぜ加害側の運転手はそういった状態になるのかを精神面から簡単に書いておく。
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運転というのはある種特殊な環境であって、事故をしないように
集中しつつもいろいろ頭の中で考えを巡らせることができる
環境である。
ここにSNSなどのネット空間の問題点を絡めて考える。
ネット普及当初から、匿名性の問題やネットいじめなど問題化しているが、
「話せばわかる」と昔から言われてた通り、問題の当事者が話もせずに
相互不信・疑心暗鬼が積み重なって暴発するというのが問題のひとつの
本質であろう。
ネットなどなかったリアル世界でさえそうなのであるから、ネット空間は
なおさらであり、そうであるからこそ次々と具体的な問題として表面化して
きたことはご覧の通りである。
また、これも現実世界の照らし合わせなのであるが、意見のある者は
意見の対象者に直接とか、自分の属する社会とかに意見をして、そこで
取り越し苦労や一人相撲は本人が自覚して、また周りもその人がそんな
ことまで心配していたのだなと理解して、つまり相互理解が進んで
(私はこれを広く有機体の自浄作用と呼んでいるが)、その人の属する
社会が円満化されていくわけである。
しかしネットでは偏った事柄について偏った意見に陥りやすく、また、
現実世界ではいろんな人が「そうではないだろう」と言ってくれるのだが、
ネットでは悪い方向に助長する声だけを拾い上げてしまいがちである。
(まぁこれは現実でも一緒だが。)
(話は逸れるが、世の中には具体的に「日本を馬鹿国家にしたい」輩が
それこそ徒党を組んで工作しているわけで、彼らの活動の場として
ネットは大いに役立つのであろう。軽い気持ちで世間を批判したりすると
まんまと魔手に絡めとられるので、一般人だとしても十分に気をつけねば
なるまい。たぶんうまいことマニュアル化されてるのだろうが、一旦陥ると
あれよあれよと引っ込みがつかない状態にされてしまうのである。(恐ろしや))
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無論ここでは話を分かりやすくして書いているのだが、どうもこの
ネット空間の恩恵または弊害の結果として「話を聞いてくれているつもり」
「意見を理解してくれているつもり」という自己満足のベース・土壌が
あったうえで、運転中など考えを巡らせる時間があったりすると、
相手を抜きにした自分中心の「正しい」世界を作ってしまうのでは
ないだろうか。
(せっかく規制ができたので、あおり運転者からその辺の心理状態を
詳しく聞いておいてくれると良いのだが。おそらく大半が「自分は悪く無い」
というのだろう。)
(もちろん加害に打って出るという一線を超えてる方々なので上記の
穏やかな論だけではないだろうが。つまり無論確信犯も一定数いるだろう。
それはむしろこれまでの暴行罪の対象。)
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芥川龍之介に「羅生門」があるが、心理状態としてはまさにこれに似ている。
にわかの正義の権化になっていないだろうか。
正しいと思い込むのは簡単である。
また前にも書いたが、常に怒って怒鳴り散らして生きることの方が実はよっぽど
簡単な生き方なのである。
よくよく注意していかねばなるまい。
(自己主張してどなりちらして見るに堪えない輩がいるが、それはまぁ痛ましい
のだけれど、そこまで行かずとも、周りの声を無視して自己主張して戦っていくのが
かっこいいというような風潮が一時期あった(まだある?)気がする。
それが戦後なのかむしろそれに便乗したいわゆる「日本を馬鹿国家にする」輩の
工作なのか知らないが、いまだにその空気に漂っておられる方はまさかいないだろうか?
おそらくそうやって自分勝手に生きてきた先人達や、その人の周りの人たちの
大変さを見聞きした子供達が大きくなってきて、あれはやはり反面教師だったの
だなと、声には出さないが心の中で理解する人たちが増えてきたのだろうな。)
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