2018年3月27日火曜日

ジャーナリズムの側面

ジャーナリズムは人々が知らない情報を正しく
伝えるという崇高な理想がある一方で、
人々の低俗な欲望を満たして対価を得るという
側面がある。

ものによって組織によって人によって
当初の理想と混同している。

また、表面上は聖人君子であっても、裏では
対価なりを払って欲望を満たしたりしている。
知ってか知らずか助けている。

公私の問題は議論されてるが、
意図してのことは無論だが、意図せずして
入手した別人の「私」を許可なく世に出して
良いのかということ。
「私」、特に感情・五感を発露している時。
(発露してない時も当然範疇に含むが。)
つまり意図せず発露した喜怒哀楽または
五感を駆使している瞬間がなぜか世に
出ること。なぜかは出ないのであり
でる誰かや何かの意図がある。
一昔前までは地域の笑いぐさになって
泣き寝入りするくらいしかなかった。
(具合によってはちゃんと吟味されたが
世に残せなかったり、うち捨てられたり
された例があるだろう。)
そこのところをちゃんと現状で培ってきた
倫理、法律、論理などを駆使して煮詰めていかなければ
ならないのに、世の中はよほど平和か暇である。
(という皮肉を聞いて激さねばならない。)

ーーー
さてジャーナリズムの話に戻るが、低俗の
欲を満たすだけで良いが、なんというべきか
「枯れた欲」が凝り固まるとタチが悪い。
暴走老人が巷で話題になっているが、そこに
通ずるかは分からないが、人生経験を積んできた
ご老体であっても、おいくつかわからないような
論理しか展開できないお方である。
これはまだ個人であり、哀しんであげれば済むのだが、
これが集団や組織など徒労を組んだら、ということ。

それがテロなどであればわかりやすくて良いのだが、
いくら対処・処置をしても、表に出ない「枯れた欲」は
潜伏し続ける。
どれほどの厭世をし、表に出ては取り締まれるから世には出ず
裏で組織していったか。
あるかないかわからないので、虚数的に仮定すると
それらがどうやって裏を構築していくかがわかる。

ーーー
そして、それらとの相対の仕方であるが、表面的には
これまでも法的にや、不買など諸士の奮闘もあるが、
本当の正攻法は上記の通り、根を攻めることである。
(これだけ言っておきながら、極当たり前の結論なの
だが。)

表面上の攻めは、これまで言ってきた通り、あちらは
世に出ぬプロであるので、表面に立っているのは
「なんでもない」お方たちである。どんなに攻めたところで
あちらは何も痛くも痒くもないのである。
(よくぞそんな方法論を確立したものだ。また、さぞ
頭良さそうに操られている(本方は頭の良い)人たちが
可哀想だ。)

法といえども現在では届くところが限られる。
不買と言っても、上記の通り広く薄く広がった
低俗な欲の需要という土壌はなくなるまい。

よって正攻法は、「そんな頭でいたら存在自体が
恥ずかしいと自覚させること」という、心だか
思考の「根」の脳幹をぶちたぎることであろう。
「恥」というか、あちらは最大の武器として
「恥」という感覚を持ち合わせぬので、ちと違った。
ようは「もうくだらないからやめた」と「自然と」
やめさせることである。

このことはこれまで書いてきた通りであり、
特に目新しいことはないので、再掲ということで。

ーーー
なお、もしあちらの幹をぶちたぎり、
あちらとしてはよくなったとしても、今度は
それが種となり次の枯れが生じることは
明白なので、いかにそこまで汲み取って
救済とするか、ということ。

明々白々なので、あちらとしても白昼に晒されても
なんら問題ないのである。


2018年3月25日日曜日

天日にさらすこと

解明すればやすきことなれど、
それらは詭道を地でいく方々なので
何でもかんでも天日に晒せばいいくらいにしか
結論しないのである。

幸いこれまで頭隠して尻隠さずのごとく
詭道の仕方を教えてくれたので、お望みの通りに
同じ土俵に立ってあげれば良いのである。

裏の本心は出さず、外部からは辿れないようにして
「証拠」は残さず詭道を行うのであるが、
ただそれに専念できる暇人は幸いである。

林檎にたかる青虫さ加減いかばかりであるが、
くだらなさを通り過ぎるので追求はしない。
(以前書いた通りあちらにも「頭のいい」方々は
見た限りいるはずだが「乗せ」られてしまった
方々が哀しい。)

よく見えたこととして、まぁこれも以前書いた通りだが
いかにバカを前面の防波堤として出すか、ということを
よく実践している。
(前面に出る本人にその意図を気づかれずに。)
これは一番時間が稼げるからである。
これは誰が言うでもなく、ちと簡単すぎた。
ゲーム感覚でモンスター召喚ぐらいに思っているのだろうか。
↑直接的嘘から見れば比喩にもならない「無」の戯言。

結論すると、なんだかちょっと前に大きくなりすぎて
収拾がつかなくなった嘘を謝罪したが、あの、あちら陣営としての
不調和音を見ると、現世の良心が漏れてしまったという、
あちらとしての大事件だったのだろうか。

あちらの回顧録があるのかないのか、世に出た試しがあるのか
ないのか知らないが、「握らされて」いれば回顧録は残るまい。
(おそらくそれが鉄則一丁目一番地なのだろう。)
残さないという鉄則を守りきって例えば地下1,000メートルに埋める
ことで残した方がいただろうか。(自己解決として、地下1,000メートル
イコール「地獄まで持っていく」と自己解釈して。)
残るが残るまいが、それらが天日に晒してくれた、垣間見させてくれた
身をもってすでにレントゲンは取れたので、どうぞ隠し通したと
安心して滅してくれれば良いと思う。少なくとも幸いに
これを読まずに済んだ方々は。もし読んだら陣営として危機感を
持ってくれれば良いと思う。

アドバイスとして身の捨て方が徹底してないのではないだろうか。
それらの理念から創出された理想としての「日本を陥れる」という
大命題を社員全員に徹底できているのか。
最近ちらほらと内部から告発本が出てきているのは徹底が甘すぎる
のではないだろうか。

裏を裏でいくやり方を切磋琢磨して築きあげてきたのに自らが
日に当たるとは何事か。
(西洋では日に当たると焼ける悪魔がいる。日とは抽象であるが
本質は「公」である。西洋に限らず全世界でこの考察が無かったのなら
これを原初とす。(「せちがない世」参照。))

中期的展望としてそれらは寝ぐらを変えざるをえまい。
裏は裏で必要である。今回はあちらの馬鹿さ加減ゆえに
まんまと最新の切磋琢磨された詭道方法を明らかに入手して
しまったが、このアドバイス(?)を含め蓄積し出すだろう。
我々が考えなければならいのは、いつまでこの
単純な2元論から脱却できるのであろうかということ。
(哀しいかな、世の「教」の諸元となんら発展していない。)

当初書いた通り別に私は諦めないのだが、世の聡明なる
志士はより地面に足をつけ、世の肥え太った英者は
より三世を直視していただきたいのである。

卵が先か鶏が先かであるが、世の累積して何兆か何京か
何垓か、…(なんか前に書いた記憶がある)…何無量大数か
知らないが数多声なき声を前にして、というだけなのだが。

肥えたければ肥えれば良い。
世を嘆きたければ嘆けば良い。
恨みたければ恨めば良い。
忠誠を尽くしたければ忠誠を尽くせば良い。
反旗を翻したければ反旗を翻せば良い。
盲目でありたければ盲目であれば良い。
楽をしたければ楽をすれば良い。
正直者の困る姿を見て発散したければ、正直者を困らせれば良い。
ぬるま湯に浸かっていたければぬるま湯に浸かっていれば良い。
下座行するものの頭を踏みたければ踏めば良い。
人を陥れたくれば陥れれば良い。
無表情でいたければ無表情でいれば良い。
無感知でいたければ無感知でいれば良い。
五感を捨てたくれば五感を捨てれば良い。
無ければ無ければ良い。
有れば有れば良い。
受ければ受ければ良い。
感ずれば感ずれば良い。
有機体なれば有機体なれば良い。
感謝したければ感謝すれば良い。
宿命あれば宿命あれば良い。
宿命無ければ宿命無ければ良い。
形成あれば形成あれば良い。
形成なければ形成無ければ良い。
ありもなしも受けるも発するも有個体。
受ける発するを起点にするからゆえの有個体。
ありなしからすれば飛んだ大きなお世話であり
有個体は単なる発生者。
例えるならばキノコのようなもの。
前の人は「超」発生したり、「葦」に例えてみたり。
現世的に言うなればマクロ的にそして瞬時にミクロ的に
自己を捉えているか、ということ。
マクロ的には宇宙の片隅の一瞬の炎として。
ミクロ的には誰も侵すことのできない「今この感覚を
自覚できるのは自分だけだ」という脳なのかハートなのか
視界なのか聴覚なのか、…いわゆる五感なのか、では
五感が全ておろそかになったら存在とはどうなるのか、
…ということ。

ドライに言えば、否ドライな方が良いのだが、
極端にはドライにしか言えないのだが、
「加護」の期間は決まってるのであろう。
よって極論すればいつまでも「公」に臆面もなく
駄々をこねる「恥」を日の本に「公」言し得る
あさましさを暖かく見守るのである。

(おそらく手に負えなくなった元締めもやれやれだろう。
そうして野に放ち、誰も手に負えなくなったものを
あるものは「やれやれと」あるものは「必然と」よいしょ
よいしょと汗を流すのみ。)
(考えるのは簡単。考えてまんまが食えれば最高。
 そうではない。単純明快な答えなのだが。。。
 涅が寝込むのも納得せざるをえない。(当のが諦めかけたように))
 否諦めていないということ。ありがたいことである。
 無宗教なんだか自由人だか知らないが、その当世で
 なそうとすることが超えられるならば良い。それは偉業。
 本当の無から生じて経歴をたどらず極まで達すれば、それは偉業。
 それはどうぞあなたの本当の名誉になる、だけ。
 )

とりあえず天日にさらされた反故として
ごく簡単に、彼ら億兆万の正義か不正義かは知らねども
直接的嘘に対する反故としての
ごく「無」の言葉なのであるが。
あらゆる方が羨ましく思った通り、それらの
手法として世にことを恥もなく発するということ。
極論するとそれもありがたいこととして
閉める。




空恐ろしい

空恐ろしい推測として。

いわゆる左の極の新聞が何故、
朝と日を使っているかということだが、
(無論戦前からあって戦前はむしろ
追従していたことはわかった上だが。)、
つまらない憶測として。
(これに比べてあちらは根拠もない推測というか
憶測というか、「あえて勘違い」というか、
「あえて勘違い」すれば時差戦術が使えるから
「お得」くらいに考えているのだろうから、
それに比べればよっぽど大人しい文論で
しかないのだが。)

つまり彼らの根本目的が「貶める」ことなのであるからして、
つまり彼らは貶める対象の根本を掴み取りたいわけである。
そうすると彼らインテリが考える根本となると
超有能な脳を持って根本と定めたお上であったりするのだが
つかみきれず単なる空論、自ら作り出した空論に
自ら迷いこんでる有様であるのだが、
例えばそれらスーパー有能がつかんだと思ったものとして
古事記、日本書紀があったのだろう。
そして漢文で読めないものを世に広めた
本居宣長があったのだろう。
その歌にある、例の敷島の歌にかこつけて
「ちょうにち」を冠したのだろう。

戦前からの冠をいいことに、かこつけて
堂々とちょうにちで通している面の厚さ加減といったところ。
(もはや知るすべもないが、正しいとしたら
だからこそ「選ばれた」のかも。。。)

以上、前提は書いた通り彼らの直接的嘘と比べれば
「無」にも等しい戯言として。
ここに無名があえて書くでもなく先人の先生方の
ご健闘がありますので何にもなりませんが。

2018年3月21日水曜日

思考の組み立て

政治経済を見るに思考がどうしても
古典数学的にしかなり得ないことが気になる。

つまり善悪論に明け暮れて、など。
(崇高なる理想を基にして始めたる事例もあろうが、
その道筋も、。。。かきかけのまま)


結論としては別にこれまでがダメとかいうのではなく、
例えば数学が連立方程式、微分・積分、複素関数と
発展してきたように、思考の組み立てとして
適用されるのではないだろうか?それとも自然に適用
されているのだろうか?という、単純な問い。

嫌が応にもAIの命題として出てくるのであらかじめ書いておく。
純粋科学としてそのうち真っ新から複素関数まで
どうやって導くかや、ひも理論までどういう過程を
踏むかを「見る」時代が来るだろうから。
そこから導かれるのは思考の最善。
そしてその最善を持って、未解明の足がかりにすると。
(最善脳を持った集団であれば3分の1の時間で現世と同じ
 状態になっていた。など。切り口を揃えればであるが。)

ちなみにこれはAIが出る以前からあったわけで、
つまり「最善を尽くせば自から発展する」ということ。
これをこれまでは個人、集団で蓄積してきたことが、
今度は「無機体な永続的なるもの」も蓄積していくということ。
数十年か数百年かけて叡智をトランスファーしていくのだろう。

そして、一時代的にはその叡智を集めた集団は発展するのだが
叡智の元素からしてそれはいづれ「叡智」に帰る、ということ。
(なお、これはオープンソースの理念の話だが、和的に言えば
それこそ「和」を持って、ということに通ずるのだが、)

道筋として、今後数代はAIを駆使して栄える企業が数代は続くが
いずれオープンソース化されて相転換が起こるということ。
それはよほど阿呆でも無ければわかること。「経」に縛られる
ものならば、よりその詳細を知りたいというだけのこと。
いずれその道の専門家ができるのでそれを待つべしと。

周辺問題で時間になったので、今日はこれまで。




2018年2月17日土曜日

言語の再定義

おそらく本質に行き着いた時に言語の再定義を
要しよう。

その時、例えば一千年後の読者は、よくぞ
こんな薄氷の上に辛うじて楼閣を築き上げて
きたものだなと驚くかもしれぬ。

否、言語は過去に伝播して、常に生者を
媒介にして粘磨され得るものにて、再定義は
その時々に応じ有機体のごとく伝播されよう。

せっかくAIがあるのだが、それは未だ
現世の言語を土台にしかしておらぬ、という
命題。

よってここに言語の再定義をする
機構を立ち上げる。
(その多くはAIを持って成し遂げられよう。)

これによって解決されるのは以下。
・果たして現在の言語で最善・最上の議論を
し得ているか。
(左寄りのごとくは正に箱の隅を一所懸命に
突くが如しの改善。一千年の無駄への物理的な
解決とでもなろう。)
・抽象の改善・足がかりの向上。
 聡明なるものであれば、自ずから感じてきたこと
であろうが、築くに当たってどうしても言語の
制約によって阻まれるということが現実として
存在してきたであろう。それを解決する。
プログラミングで例えるなら、言語文法の規制が大きく
本題の業務処理を組むために多大の労を要すが如し。
といったところ。

仔細をあげればきりはないが、
AIの最前提案と現状の需要可能な範囲を
協議するような会議ができる。

AIのトップダウンと人間のボトムアップ。
いずれ均衡し、それは人間がその時の最前の
言語で、咀嚼の無駄な乖離なく築くことが
可能な世になろう。
(つまりおそらく一千年後の方々が呆れるような
言葉遊びを足がかりにした左はよほどの
お笑いネタになるのだろう。軟弱な言葉で何億人を
饑餓させるとは、などなど)

いつも言うように考えるべきはその後である。
例えば頭に血が昇るのは分かる。しかし上の
話を持ってすればいかに浅ましい、無駄な
エネルギーを「哀しい」だけの存在のために
浪費しているか分かろう。

このブログは2本立てである。
つまり現世からの離脱
及びその後の本来の議論と。

おそらく破壊力が凄まじいので、
(以前書いた通り、ある意味神経を引き抜く
ようなことなので。)
ずっと後に読まれれば良いくらいで書いておく。

ーーーーー
今は「抽象レベル」くらいしか言いようがないかもしれないが
人間が築き上げた「抽象レベル」の最前・最善をAIはすぐに
見つけよう。
(なお、論理や例えば具体した武力など計算力を土台にするものは
当然それには及ばないので果てしなく負ける。頑張れば、つまりAIにインプット
してなかった解を用いれば勝てる。いい小説の材料となる
わけである。(とここまで隅まで照らしてはおまんまの食い上げか。)
小説程度の議論の及ばぬところは、この「抽象レベル」まで
凌駕されるか?ということに帰着する。よく吟味すべし、と。)


数千年後の研究し尽くされた後にいうのも残念だが
AIとは抽象の総論、ようやく「ツール」を手にしたに
すぎない。

そこからの問題である。

現世は未だスタートラインに登る前の幸いな時代なのであった。
絶望ではなく、いとおかしな時代であると。
言葉もわからず左右を行き来するもの、あまた
無念を直近に忍び得る現世は誠にありがたきこと。
一千年後の人は直には知り得ぬこと。
(なお、これを解決するために「感情直伝播機構」を
記述の通り発表済み。)

ちょっとずつであるが、幸い薄氷を剝がすが如しく
いかに左に構ってたら無駄な浪費を積むかということが
知られてきたので、追随者が出てきてくれたことを
幸せに思う。

例えば一気呵成にこれが広がれば解決するなど。

小言であるが、陣営に対する処置しかたを少し。
コマに何を言っても無駄。ブレーンに働くしかないが
ブレーンとは?
ブレーンに文字を読ませる。おそらく現状は悲しく
ここでしかない。
文字にするとなんとも虚しい。あちら陣営はよくぞ
何ら虚しさも覚えずに奮闘努力できるものだ。

以上のようにいくらでも他陣営への小言は言える、
しかしそれはせいぜい一生の言。
いざあまた声なき声、生きたきも生き得ぬ生を
面前に持ってすれば、せいぜいご恩として
数千年の言を考えねばなるまい。

ただそれだけのこと。

ーーーー
本論はのちに。

2018年2月10日土曜日

表に出ない常套手段

手法として「如何に時代遅れ感を感じさせるか」が
表に出ない常套手段。

そこに加味してトレンドは「自己排出」のようだというか
どこまでコントロールしているか
現状はそうなのだから
つまり「気づいた人」発端システムである。
(そこまでどこまでしくむか)

つまり前既述の大陸の操られ様は、
おそらくそのとうの昔に決まったことで
当の大陸はあたかも独活の大木よろしく
お行儀よく操りを演じていることを
例えばここに気づいて、ようやく
発動することなのであろう。
(その醸成として民間レベルでは
 周到にうどさ加減を世界レベルで
 温水のごとくゆっくり浸透させて
 きたのであろうことは、ここまで
 くると一目瞭然とあいなる、
 ということか。)

これでようやく次の話が始まる、
ということか。如何にも周到である。

2018年2月9日金曜日

脈に帰す

多様な言葉、分析、切り口、角度、
刃を換え、角度を変えやってるが
いざ本質をつかもうとするならば
つかむにあたうる、耐えうるもの
とは、なんぞやと。

千年単位のキーワードとして、
如何に「脈」を打ったか。
是に帰す。

例えばきりはないのだが
大陸のお偉さんはいく千年の
脈をおのずから放棄した。

(その回復には全人口が寝ず食わずで
3倍で回復したとしても最低限として3倍は
かかるということは記述の通り)

おそらく、インテとか国家レベルの
最高がまだその程度に甘んじているか
そこまでしか達してないということ。
(もはやそうであってほしいが、例えば
 それさえ気づき得ぬ裸の王様であるという
 こと。それに越したことはない。)

大きな胎動として脈があろう。
(そして必死に管理・コントロールという名の
 威をかる統制が始まろう)
逆を言えば、おそらく脈を打っている陣営が
羨ましくて仕方なかったろう。

量子力学でもないがあちら陣営は
全てが中央のためになるから、
記述の通りスポーツも英術も
よくもむなしくやってられるなと
書いたとおりであるが、
そんな中でももしも崇高なる
人徳の持ち主が現れたとしても
そんな中の監視やら障子の「目」やら
にさらされては、つまり観測されては
崇高なる犯されまじ「幅」を持った
いうなれば「心量子」も無残に観測を持って
確定させらしめて、むなしく
確定の道を歩まざるべきを得ず
といったところなのではないだろうか。

見るからに後発であるから無残に
操られていることは、致し方ない。

これ以上書くと国家間のインテの
層に突入するので書かないが
時代はとうに「脈」を知る
時代になっている。

(そしてそれを放置する度量くらいは
 国家として兼ね備えているということを
 野放ししうることを持って証明している。)





二重スリット実験及び天体の光の干渉縞について

電子や光子で二重スリット実験が行われ、「確率の波」や「パラレルワールド」などで説明がなされている通りであり、その「事実」の細かい点は省略。 今回の話は、その現象は現実世界でも常に起きているということ。 我々が自分の目で見ている現実世界の範囲では、多数の光(光子)が光源から発せられ...