では、それでどうなるのかという問いかけに耐えうるかどうか。
既述の通りせっかく数千年を通して醸した層がある一方、
如何に低位層に引きずり足を引っ張るかを醸してきた層がある。
着想はここに述べるまでもなく幾世も前にとっくに確立されている
のであるが、哀しくも足の引っ張るほうがこれまでは強かったので
あろうか。
層で見れば統制をはるかに凌駕する層を持っていたのであるが
哀しいかなその先達の言わんとする処が直に伝える術が限られて
おり、現状を見れば世界幾大宗教とも言われる幾宗教も含めて
ありとあらゆる「意志」は下手をすれば腹のドロドロでまんまと
塗り替えられてしまっていて、それをまんまと知らずに、
いや恐れ多いと崇め奉っているのである。
如何に正なる階段をわきまえて原初の所望と対面したものが
あることか。かたや(ある意味賢しく(発端を呼び覚まして
くれたのであればそれくらいの意味だけはあったのであろう))
個に執着させ、かたや自由すぎて右往左往するやからが
徘徊する有様である。
層理論はそういったことから普遍的なものであり、世代を変えても
一般となるのであるが、では現世(今現在の現状という意味。
一般の現世ではない。)で見るとどうなのであろう?
現世は回顧・回帰であろう。上記の命題2つに真正面から答えられて
いるだろうか?(物語のノイズを捨て、民族(的、地理的、局所的
要因を捨て、温感を捨て、省略するが五感を捨て、没入する自己を捨て
切り開く自己を捨て、ではなぜ救済に至ったかの琴線に触れたもの。
(層の離脱というが、層を移ったこと。)
観念ではなく地に足をつき脈を打っているもの(たぶん所謂「学者」は
ここで退く。))
賢人は(一般でもただ盲目させられてしまっていたので致し方無い)、
つまり一般はただ原初を見るのみ。逆説するとこれを如何に
阻止するかであろう。
哀しいかな数千年はただそれだけに資源を投入し血を流してきたのである。
如何に資源の投入と下手をすれば今後行末の幾世の投入を淡々と述べたのが
既述ブログのとおりである。
数多の積年の声。
ただ一般は原初を見るという回帰をしているのみ。
そこで(唯一はどうだ、こうだという論議は省略するが)、
現状で敢えて表現すれば大大大乗神仏教的「和」が
その土台となるのは、ここまで層理論を俯瞰視さえすれば
もはや必然であることは一目瞭然であろう。
(全て既述であるがここまで言挙げさせられる立場も必然。
総まとめとなるのも必然。
これまでの一般は史に書が強要されてきたが、
和は物語のノイズを捨て、民族を捨て、五感を捨て、私利を捨て
他利を捨て、自己を捨てたところを根幹とし、実にそれが
層として根を張ってることだけが異なる。)
ただし神経というか脊髄というか血というかまで浸透した
ことを一気に引きぬくことではない。(それでは無論
滅してしまうし、その直前に最大限の抵抗が発生しよう。)
端的に言ってしまうと(先達はとうの昔に知っていること
だから歪曲する必要もない)、結局経済を発端として
主義的にCは根幹が揺らぎ、優先主義的にE圏の根幹が
揺らぐのであって、それは原点回帰に諸ずるしかない
のである。
「層」をあわせさえすれば「存在するもの」も議論しうる。
(例えば存在)
現状は如何に「層」がめちゃくちゃな中で議論しているかが
分かるであろう。結論に至りようがない。
それが分かれば如何にもったいないかといったこれまでの
既述の内容も分かろう。
幾世分を周回遅れすばよいかという意味も分かろう。
だからこそ、こんな甘きぬるま湯に浸った、せいぜい数世代の
享楽を望む阿呆はよしよしと飼いならして、ようやっと
次の話をできるものだけでできればよいのではないかという
展開なのであった。
層・相の転換というのは激的である。
前段として土壌がある。
経済、唯物、…
これ以上言うまでもないが「個々」に疑問が鬱積し
いざ一人が発露することで全ての鬱積が解放されるのであるから
その凄まじさは食い止めようもあるまい。
統制側は賢しいであろうから、あらゆる穴・切り口・発想から
全パターンを網羅して抑えこむのである。
哀しいかな人の意思は最終的にコントロール出来ないという
ことに敢えて芽をつむっているのか自惚れているのかは
知らないが、鬱積はいつか崩壊する。
(それさえ見越して、見越してこそ、自己数世代だけの
享楽を謳歌しているということか。であれば納得。とほほ。)
いつも言うが、文字ぐらい読めるものであれば
これを読んで憤りを感じなければ始まるまい。
2016年1月17日日曜日
2016年1月8日金曜日
層理論レンズ解釈
本題
厚い層(大陸など)がレンズ的効果となり焦点ができた。
以上であるが、これまでの地政学、歴史学、人類学、
などなどはもう一度原点回帰されようか。
これもやはり層理論から導き出される副産物である。
(こんなたやすく言っていいかさえ疑問が
湧いてくる。)
これはもはやシミュレートすれば分かってしまう。
国家機密や民衆には出ないレベルでは当に分かりきって
いることだろうから、いまさら言っても問題はない。
敢えてアホ面をしてレンズの大役を担ってくれているのか
理性という名の後世でいう本性のまま突っ走るのかは知らないが、
演じきってるのであれば立派だし、
本当に私利であればただの自然レンズである。
(何度も言ってるがここまで言われてなお憤りを感じなければ
それこそ見捨てられよう。)
これまで全ても層理論の自然が生じているに過ぎない。
現状も層理論の自然の一発揚にすぎないのであるが
層理論でフィルターされ煎じ詰めたものを蓄積できた、
層理論で一次処理しエッセンスとまで行かずとも
ジブリを排除して他層へ受け渡したという
(現状は地勢と密着しているが)効果が自然に
発揚している。
(これはどこにでも言える一般である。
例えば現世で言えば大陸、島国、
大国、小国、大勢力を得た何らか(宗教など)、
小勢力など)
ただ、やはり現世ではこれは層を取り違えて
短絡的に「小さいほうがいい」や逆説的に
「大がよい」と取り違えられてしまうであろうから
やはり未だ世に出ぬようが良いと思われる。
現状は便利になったので、いずれこれも
発掘されればそれでよかろう。
厚い層(大陸など)がレンズ的効果となり焦点ができた。
以上であるが、これまでの地政学、歴史学、人類学、
などなどはもう一度原点回帰されようか。
これもやはり層理論から導き出される副産物である。
(こんなたやすく言っていいかさえ疑問が
湧いてくる。)
これはもはやシミュレートすれば分かってしまう。
国家機密や民衆には出ないレベルでは当に分かりきって
いることだろうから、いまさら言っても問題はない。
敢えてアホ面をしてレンズの大役を担ってくれているのか
理性という名の後世でいう本性のまま突っ走るのかは知らないが、
演じきってるのであれば立派だし、
本当に私利であればただの自然レンズである。
(何度も言ってるがここまで言われてなお憤りを感じなければ
それこそ見捨てられよう。)
これまで全ても層理論の自然が生じているに過ぎない。
現状も層理論の自然の一発揚にすぎないのであるが
層理論でフィルターされ煎じ詰めたものを蓄積できた、
層理論で一次処理しエッセンスとまで行かずとも
ジブリを排除して他層へ受け渡したという
(現状は地勢と密着しているが)効果が自然に
発揚している。
(これはどこにでも言える一般である。
例えば現世で言えば大陸、島国、
大国、小国、大勢力を得た何らか(宗教など)、
小勢力など)
ただ、やはり現世ではこれは層を取り違えて
短絡的に「小さいほうがいい」や逆説的に
「大がよい」と取り違えられてしまうであろうから
やはり未だ世に出ぬようが良いと思われる。
現状は便利になったので、いずれこれも
発掘されればそれでよかろう。
2015年12月31日木曜日
伝達
例えばため息-sigh-は何らかの緊張状態が開放されることで
でるものである(心配が好転したのであれば安堵のため息、
心配が継続、悪転したのであれば失望のため息、など)が、
現在の人体の構成から生じる現象である。
いろいろな話が複合されてしまうが、内部反応(感情など)が
生理的に発露する機構があり、コミュニケーションの形成に
おいて他者理解が必要不可欠であるので、それら生理的発露を
読み解く(ほぼ無意識にだが)機構があるのである。
先ずは内部反応(感情)と外部発露(生理的な反応、発露)の
関係を解き明かす学問の門戸を開いておこう。
これは人体に限定しない。他の動物でも生じるか、その場合
どのように発現されるか、それらを煎じ詰めて内部ー外部の
関係性を解き明かすことが先ずは目標となる。
これができれば最適な内部発露機構ができるのであって、
よって例えば将来的なロボットの自然コミュニケーションの
土台足りえるのである。
次に、表現性の発展について。
表現性は発達とともに豊かになってきたであろうし、今後も
いろいろな表現方法が発展するだろう。
伝達の視点から見ると、それはより繊細な内部を表現し
その繊細を受領しうるように発展しているか?という
命題を突きつけることができる。
表情やしぐさを読み取る機構はもはや本能的にできる
くらいまで発達しているが、では、ため息の強弱によって
その人が本当に頭髪が白髪化してしまうぐらいの絶望
なのか、そうではなく少しもの希望を持った絶望なのか
を読み解くことは可能になってくるのだろうか?
文・芸・音楽・メディアもしかり。
「これこれこうでこうだった!」という「感動」を伝える
のが一つの目的だと思っているが、「こうだった!」の
「こう」そのもの、本人が味わった感動をありありと
まざまざと表現しえているだろうか?またしうるだろうか?
現代で現代に発信しているものは当然受ける側も同一基準の
受領レベルなので前提条件を端折れるのである。
では、現代で例えばローマのコロッセウムに行った12才の
少年が体験した時の、彼の前提条件、彼のまざまざと目にした
時の感情を寸分違わずに体得できるだろうか?
(これが以前に書いたことに結びつくのだが、「感情を
そっくりそのまま伝える機構」というアイデアになる。)
(すこし脱線するが、和は原初を探求している。
能、歌舞伎、茶、武士、…。一瞬の刹那を煎じ詰める。)
「感情をそっくりそのまま伝える機構」を直接伝達、
生理現象、文、芸、音楽、メディアでの伝え方を間接伝達と
すれば、それらはトップダウン・ボトムアップの関係で
統一されよう。
究極はその美しい伝達方法がいずれ確立されようから
よいのであるが、やはりその伝達手段を用いて何を伝えるか
が(現代の)本質である。
ここからが層理論の話になるのだが、別に上記の伝達方法が
最終決着を迎えずとも、層理論は層理論でその時々の最善の
伝達方法で伝播するので別の話ではあるのだが。
今回は、層理論の土台となる、コミュニケーションの
土台という観点から書いてみた。
(生体内部反応生理現象学については門戸を開くと書いたが
今回書いたその他の新しい学問についても門戸は開いている。
せちがないので敢えて追記しておこう。アイデアは全てここに
帰着しますのでご注意ください。)
でるものである(心配が好転したのであれば安堵のため息、
心配が継続、悪転したのであれば失望のため息、など)が、
現在の人体の構成から生じる現象である。
いろいろな話が複合されてしまうが、内部反応(感情など)が
生理的に発露する機構があり、コミュニケーションの形成に
おいて他者理解が必要不可欠であるので、それら生理的発露を
読み解く(ほぼ無意識にだが)機構があるのである。
先ずは内部反応(感情)と外部発露(生理的な反応、発露)の
関係を解き明かす学問の門戸を開いておこう。
これは人体に限定しない。他の動物でも生じるか、その場合
どのように発現されるか、それらを煎じ詰めて内部ー外部の
関係性を解き明かすことが先ずは目標となる。
これができれば最適な内部発露機構ができるのであって、
よって例えば将来的なロボットの自然コミュニケーションの
土台足りえるのである。
次に、表現性の発展について。
表現性は発達とともに豊かになってきたであろうし、今後も
いろいろな表現方法が発展するだろう。
伝達の視点から見ると、それはより繊細な内部を表現し
その繊細を受領しうるように発展しているか?という
命題を突きつけることができる。
表情やしぐさを読み取る機構はもはや本能的にできる
くらいまで発達しているが、では、ため息の強弱によって
その人が本当に頭髪が白髪化してしまうぐらいの絶望
なのか、そうではなく少しもの希望を持った絶望なのか
を読み解くことは可能になってくるのだろうか?
文・芸・音楽・メディアもしかり。
「これこれこうでこうだった!」という「感動」を伝える
のが一つの目的だと思っているが、「こうだった!」の
「こう」そのもの、本人が味わった感動をありありと
まざまざと表現しえているだろうか?またしうるだろうか?
現代で現代に発信しているものは当然受ける側も同一基準の
受領レベルなので前提条件を端折れるのである。
では、現代で例えばローマのコロッセウムに行った12才の
少年が体験した時の、彼の前提条件、彼のまざまざと目にした
時の感情を寸分違わずに体得できるだろうか?
(これが以前に書いたことに結びつくのだが、「感情を
そっくりそのまま伝える機構」というアイデアになる。)
(すこし脱線するが、和は原初を探求している。
能、歌舞伎、茶、武士、…。一瞬の刹那を煎じ詰める。)
「感情をそっくりそのまま伝える機構」を直接伝達、
生理現象、文、芸、音楽、メディアでの伝え方を間接伝達と
すれば、それらはトップダウン・ボトムアップの関係で
統一されよう。
究極はその美しい伝達方法がいずれ確立されようから
よいのであるが、やはりその伝達手段を用いて何を伝えるか
が(現代の)本質である。
ここからが層理論の話になるのだが、別に上記の伝達方法が
最終決着を迎えずとも、層理論は層理論でその時々の最善の
伝達方法で伝播するので別の話ではあるのだが。
今回は、層理論の土台となる、コミュニケーションの
土台という観点から書いてみた。
(生体内部反応生理現象学については門戸を開くと書いたが
今回書いたその他の新しい学問についても門戸は開いている。
せちがないので敢えて追記しておこう。アイデアは全てここに
帰着しますのでご注意ください。)
2015年12月27日日曜日
民意はメディアにあらず2
もはやというか前からだが民意はメディアには
ないということについて追記。
今はメディア側は有利フィルターを掛けているが、
それもすぐに通用しなくなるということ。
以前述べた「失言検知システム」を使えば
原稿時点で「公」のミスはなくなる。
(逆に言えばいかに現在の「上げ足取り」が
恥辱として認識されよう。安心して欲しいのは
あくまで後世的にであるから、現世を侮辱した
わけではないことである。)
カッコ内で書いたような注意書きも全て
注釈として発信されるので、もはや会見の
前提集もできるだろう。
つまり伝えたい側の意思が伝える側に
ようやっと伝わるシステムである。
(如何に哀しいことかをこれまでの
メディアは目や耳やあらゆる五感は
染まるのではなかろうか。)
(では何故上げ足取りに走っていたかは
足は地についていたかどうかとなる。所属精神、
ものによっては組織に属していなかったか。
地と思っていたのはそれら仮土壌ではなかったか
ということ。(その知覚を最も恐れているのは
何かは別ブログ参照。(もしよければだが。
温床のままかどうか。))
敢えて厳しく言えば公私がごっちゃになっている
のである。
公−公
公−私
私−公
私−私
ごっちゃといったが4パターンしかない。
ごっちゃが生じるのは層理論が理解できてないからである。
層理論がないとお互い訳がわからないまま
一方がまんまと引き出して自陣営の有利フィルターが
掛かったものを引き出してしめしめとなり
正においしい揚げを獲得できるチャンスが
あるのである。(からビジネスが生じる。)
もしも賢明であるなら(大半がそうである)、
それはうつつと認識し、浮足出すは正に
氷面の石であると、遅れずに思って欲しい。
(別に救済とは言わないが)
ないということについて追記。
今はメディア側は有利フィルターを掛けているが、
それもすぐに通用しなくなるということ。
以前述べた「失言検知システム」を使えば
原稿時点で「公」のミスはなくなる。
(逆に言えばいかに現在の「上げ足取り」が
恥辱として認識されよう。安心して欲しいのは
あくまで後世的にであるから、現世を侮辱した
わけではないことである。)
カッコ内で書いたような注意書きも全て
注釈として発信されるので、もはや会見の
前提集もできるだろう。
つまり伝えたい側の意思が伝える側に
ようやっと伝わるシステムである。
(如何に哀しいことかをこれまでの
メディアは目や耳やあらゆる五感は
染まるのではなかろうか。)
(では何故上げ足取りに走っていたかは
足は地についていたかどうかとなる。所属精神、
ものによっては組織に属していなかったか。
地と思っていたのはそれら仮土壌ではなかったか
ということ。(その知覚を最も恐れているのは
何かは別ブログ参照。(もしよければだが。
温床のままかどうか。))
敢えて厳しく言えば公私がごっちゃになっている
のである。
公−公
公−私
私−公
私−私
ごっちゃといったが4パターンしかない。
ごっちゃが生じるのは層理論が理解できてないからである。
層理論がないとお互い訳がわからないまま
一方がまんまと引き出して自陣営の有利フィルターが
掛かったものを引き出してしめしめとなり
正においしい揚げを獲得できるチャンスが
あるのである。(からビジネスが生じる。)
もしも賢明であるなら(大半がそうである)、
それはうつつと認識し、浮足出すは正に
氷面の石であると、遅れずに思って欲しい。
(別に救済とは言わないが)
地 - ground
敢えて厳しく言えば、なぜ足が地についてない
輩を野放しにするかに尽きる。
結論から言うが、なぜこれが安全かというと
しょっぴかれる足は同じなのであるからである。
つまり内部で一部でも分かれば、全体に波及する
からである。
今はうまく定義できないからモヤモヤしているだろう。
それは例えば「本当は奴は足が地にも付いてないのに
ワッショイで握らされて踊らされている」という
輩をそれでもその実際の足を上げることはできない
などであろうか。
その切り口では当然切れまい。
層理論の破壊力は、最初に述べた足が地についているか
踊り人形かをまずは切り分けられることができることであろう。
(ここまで具体化しないといけないことが情けないが。)
取り敢えず政治については以上。
後はこの意味するところを汲みしていただける方が
現れようからそれを待とう。
(もし意味が異なれば必然として再来しよう。)
輩を野放しにするかに尽きる。
結論から言うが、なぜこれが安全かというと
しょっぴかれる足は同じなのであるからである。
つまり内部で一部でも分かれば、全体に波及する
からである。
今はうまく定義できないからモヤモヤしているだろう。
それは例えば「本当は奴は足が地にも付いてないのに
ワッショイで握らされて踊らされている」という
輩をそれでもその実際の足を上げることはできない
などであろうか。
その切り口では当然切れまい。
層理論の破壊力は、最初に述べた足が地についているか
踊り人形かをまずは切り分けられることができることであろう。
(ここまで具体化しないといけないことが情けないが。)
取り敢えず政治については以上。
後はこの意味するところを汲みしていただける方が
現れようからそれを待とう。
(もし意味が異なれば必然として再来しよう。)
2015年12月17日木曜日
過去を直視しうる文化はいままであっただろうか。少なくとも1つは実在する。
未だまばらであるが、利己に走る個を見るにつけ
道徳的悲壮感は醸成されてきつつあろう。
どうにもならないシステムであった。
しかしそれを排出する組織や仕組みももはや
恥ずかしいと思うべき時なのであろう。
いずれもやはりその過去を直視しうる
システムはなかった。
一つだけあるとすれば、やはりその根流を
見なければならない流れになっていることは
必然であろう。
実在の具現化として、対話のスタンダードと
いう低層の確立から始まり、層理論という
本質の力学的体系化に及ぶまで道のりは
遥かに長いが、一歩ずつ進んでいこう。
道徳的悲壮感は醸成されてきつつあろう。
どうにもならないシステムであった。
しかしそれを排出する組織や仕組みももはや
恥ずかしいと思うべき時なのであろう。
いずれもやはりその過去を直視しうる
システムはなかった。
一つだけあるとすれば、やはりその根流を
見なければならない流れになっていることは
必然であろう。
実在の具現化として、対話のスタンダードと
いう低層の確立から始まり、層理論という
本質の力学的体系化に及ぶまで道のりは
遥かに長いが、一歩ずつ進んでいこう。
2015年12月10日木曜日
層と相
層理論の活用によって層のボトムアップおよび
次の層への転換がなされるのであるが、
おそらくこれは副産物であろうか。
「なぜあの人は修羅の相をいく」とか
「あの人の人相は温かい」とかいう意味の
相とは、先達が幾世も伝承して見通してきた
ものであるが、層理論は少しくもそれについての
力学的根拠になるのではないだろうか。
層理論の層によって一部であるが三世は繋がるのである。
空想ではなく、式として力学として明示できるのであり、
いつでも歯車として機能できるのである。
「クローン技術」や「無神論」など「神の領域」が
叫ばれるが、むしろこれこそが精神的土台の大転換と
しても、法律や規則の新しい「治世システム」の端緒しても、
「機能」として回転する仕組みを「発見」してしまった
以上は致し方あるまい。(科学は発見である)
(先人は何世代も通さないと分からない相を分かってしまう
知恵があったことがすばらしい。
今この刹那に「百年後はどうなるだろう、千年後はどうなるだろう」
と思うのと全く同じ状態で、数百年前、数千年前に
「百年後はどうなるだろう、千年後はどうなるだろう」
次の層への転換がなされるのであるが、
おそらくこれは副産物であろうか。
「なぜあの人は修羅の相をいく」とか
「あの人の人相は温かい」とかいう意味の
相とは、先達が幾世も伝承して見通してきた
ものであるが、層理論は少しくもそれについての
力学的根拠になるのではないだろうか。
層理論の層によって一部であるが三世は繋がるのである。
空想ではなく、式として力学として明示できるのであり、
いつでも歯車として機能できるのである。
「クローン技術」や「無神論」など「神の領域」が
叫ばれるが、むしろこれこそが精神的土台の大転換と
しても、法律や規則の新しい「治世システム」の端緒しても、
「機能」として回転する仕組みを「発見」してしまった
以上は致し方あるまい。(科学は発見である)
(先人は何世代も通さないと分からない相を分かってしまう
知恵があったことがすばらしい。
今この刹那に「百年後はどうなるだろう、千年後はどうなるだろう」
と思うのと全く同じ状態で、数百年前、数千年前に
「百年後はどうなるだろう、千年後はどうなるだろう」
と思っていた人がいた。
また、先ほど刹那に思ったわけだから実際に
百年後、千年後に「思われた」瞬間が到来する。
神秘的な話をするわけではない。ただの事実として。
明確な記録もなく(と断言するのも失礼だが)、伝承で
人の相を判ずる知恵を培ってきた。
そこにあるのは層理論で言うところの層である。
どこまで見通しているか、どれほど短絡的であるか。
たった数千年前の基準で線引がされるので、今、現に
あたかも元首のような立場でフォーラムで嬉しがって
いるようなものは大いに考え入るべきであろう。
問題は層理論が確立した後の世界であることが
いやが上にも明確になったであろう。
問題は「感覚・意識の伝搬」である。
(既述「如何に感性そのものをありのままの
感動のまま伝えるか」参照)
)
)
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二重スリット実験及び天体の光の干渉縞について
電子や光子で二重スリット実験が行われ、「確率の波」や「パラレルワールド」などで説明がなされている通りであり、その「事実」の細かい点は省略。 今回の話は、その現象は現実世界でも常に起きているということ。 我々が自分の目で見ている現実世界の範囲では、多数の光(光子)が光源から発せられ...
-
それにしても大陸とその付属の先導者は 内情の悲惨さに嘆きを持たないのだろうか。 「道」や「徳」を以って治めると素晴らしいことを 何千年も前に言っておきながら、未だに 遠く及ばないことに嘆き、「やはり思想の持ち方を 改善していかなければならない」と、一瞬でも 思わなかっ...
-
経過として、左的弾丸を肉に埋めて発展しうるものとして 使用されたということがいよいよわかった。 いうが言わまいがそうなのだ。だろう。 何故言挙げをわが国だけするのか、との問いかけの 裏返しは自明。 あえて言わないが、しゃべる口さえ、歴史的にということだが 持ち得な...
-
2011/06/11 23:51 批判は簡単。 又浸かり易し。 後は「温床の易さおよび抜け難しさ(負旋回型)」参照。