2015年12月17日木曜日

過去を直視しうる文化はいままであっただろうか。少なくとも1つは実在する。

未だまばらであるが、利己に走る個を見るにつけ
道徳的悲壮感は醸成されてきつつあろう。

どうにもならないシステムであった。
しかしそれを排出する組織や仕組みももはや
恥ずかしいと思うべき時なのであろう。

いずれもやはりその過去を直視しうる
システムはなかった。
一つだけあるとすれば、やはりその根流を
見なければならない流れになっていることは
必然であろう。

実在の具現化として、対話のスタンダードと
いう低層の確立から始まり、層理論という
本質の力学的体系化に及ぶまで道のりは
遥かに長いが、一歩ずつ進んでいこう。

0 件のコメント:

コメントを投稿

草莽崛起

どこかにも書いた通り、本ブログは公開情報という事実を元に、不明な点については変に解釈することなく書いているため逆説的に良くも悪くも必然的に書いた通りになっているためか、知る人ぞ知る指標のような感じになっているのである。 お陰様で見てくれる人がいるのかも知れないが、不思議なことに海...