例えばため息-sigh-は何らかの緊張状態が開放されることで
でるものである(心配が好転したのであれば安堵のため息、
心配が継続、悪転したのであれば失望のため息、など)が、
現在の人体の構成から生じる現象である。
いろいろな話が複合されてしまうが、内部反応(感情など)が
生理的に発露する機構があり、コミュニケーションの形成に
おいて他者理解が必要不可欠であるので、それら生理的発露を
読み解く(ほぼ無意識にだが)機構があるのである。
先ずは内部反応(感情)と外部発露(生理的な反応、発露)の
関係を解き明かす学問の門戸を開いておこう。
これは人体に限定しない。他の動物でも生じるか、その場合
どのように発現されるか、それらを煎じ詰めて内部ー外部の
関係性を解き明かすことが先ずは目標となる。
これができれば最適な内部発露機構ができるのであって、
よって例えば将来的なロボットの自然コミュニケーションの
土台足りえるのである。
次に、表現性の発展について。
表現性は発達とともに豊かになってきたであろうし、今後も
いろいろな表現方法が発展するだろう。
伝達の視点から見ると、それはより繊細な内部を表現し
その繊細を受領しうるように発展しているか?という
命題を突きつけることができる。
表情やしぐさを読み取る機構はもはや本能的にできる
くらいまで発達しているが、では、ため息の強弱によって
その人が本当に頭髪が白髪化してしまうぐらいの絶望
なのか、そうではなく少しもの希望を持った絶望なのか
を読み解くことは可能になってくるのだろうか?
文・芸・音楽・メディアもしかり。
「これこれこうでこうだった!」という「感動」を伝える
のが一つの目的だと思っているが、「こうだった!」の
「こう」そのもの、本人が味わった感動をありありと
まざまざと表現しえているだろうか?またしうるだろうか?
現代で現代に発信しているものは当然受ける側も同一基準の
受領レベルなので前提条件を端折れるのである。
では、現代で例えばローマのコロッセウムに行った12才の
少年が体験した時の、彼の前提条件、彼のまざまざと目にした
時の感情を寸分違わずに体得できるだろうか?
(これが以前に書いたことに結びつくのだが、「感情を
そっくりそのまま伝える機構」というアイデアになる。)
(すこし脱線するが、和は原初を探求している。
能、歌舞伎、茶、武士、…。一瞬の刹那を煎じ詰める。)
「感情をそっくりそのまま伝える機構」を直接伝達、
生理現象、文、芸、音楽、メディアでの伝え方を間接伝達と
すれば、それらはトップダウン・ボトムアップの関係で
統一されよう。
究極はその美しい伝達方法がいずれ確立されようから
よいのであるが、やはりその伝達手段を用いて何を伝えるか
が(現代の)本質である。
ここからが層理論の話になるのだが、別に上記の伝達方法が
最終決着を迎えずとも、層理論は層理論でその時々の最善の
伝達方法で伝播するので別の話ではあるのだが。
今回は、層理論の土台となる、コミュニケーションの
土台という観点から書いてみた。
(生体内部反応生理現象学については門戸を開くと書いたが
今回書いたその他の新しい学問についても門戸は開いている。
せちがないので敢えて追記しておこう。アイデアは全てここに
帰着しますのでご注意ください。)
2015年12月31日木曜日
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