2015年12月27日日曜日

民意はメディアにあらず2

もはやというか前からだが民意はメディアには
ないということについて追記。

今はメディア側は有利フィルターを掛けているが、
それもすぐに通用しなくなるということ。

以前述べた「失言検知システム」を使えば
原稿時点で「公」のミスはなくなる。
(逆に言えばいかに現在の「上げ足取り」が
恥辱として認識されよう。安心して欲しいのは
あくまで後世的にであるから、現世を侮辱した
わけではないことである。)
カッコ内で書いたような注意書きも全て
注釈として発信されるので、もはや会見の
前提集もできるだろう。
つまり伝えたい側の意思が伝える側に
ようやっと伝わるシステムである。
(如何に哀しいことかをこれまでの
メディアは目や耳やあらゆる五感は
染まるのではなかろうか。)

(では何故上げ足取りに走っていたかは
足は地についていたかどうかとなる。所属精神、
ものによっては組織に属していなかったか。
地と思っていたのはそれら仮土壌ではなかったか
ということ。(その知覚を最も恐れているのは
何かは別ブログ参照。(もしよければだが。
温床のままかどうか。))

敢えて厳しく言えば公私がごっちゃになっている
のである。
公−公
公−私
私−公
私−私
ごっちゃといったが4パターンしかない。
ごっちゃが生じるのは層理論が理解できてないからである。
層理論がないとお互い訳がわからないまま
一方がまんまと引き出して自陣営の有利フィルターが
掛かったものを引き出してしめしめとなり
正においしい揚げを獲得できるチャンスが
あるのである。(からビジネスが生じる。)

もしも賢明であるなら(大半がそうである)、
それはうつつと認識し、浮足出すは正に
氷面の石であると、遅れずに思って欲しい。
(別に救済とは言わないが)

0 件のコメント:

コメントを投稿

左の総括

一応ようやく結果が出たようなので総括しておく。 (いつも通り具体を避けて抽象的に述べるので読みづらくてすいません。。) とは言ってもこれまで散々述べてきた通り、あちらの根本は「利己」であるということの繰り返しであるが。 まぁそれが象徴的に民意として「流石に目に余る」という結果にな...