中傷が問題になっているが、まさに対話のスタンダードをわきまえてない好例だろう。
両者の全てを知ってもそれができるのかと、たったそれだけの想像さえも出来ないことを誇示してなにがそんなに楽しいのだろうか?
「自分は何も知らずに情けないな」と自分一人で楽しめばよかろうに、または「私は何も知らない、語弊を恐れずに言うならば、いわゆるバカです。」と紙に書いて額に貼るなりして楽しめばよかろうに。
結局、こういった事が繰り返されるのは「自ら学ぶ」事のできない者は居なくなくならず、周りでそういう人を叱ってあげて更正させるという、救済の仕組みなのだろう。
そういう意味において、声高に他を中傷できるものは最高の幸福者なのである。
また、これまで培ってきた先人たちの純粋にて崇高な次元での思想があるのだが、そこからかけ離れた本能的、動物的短絡思想をいとも恥ずかしげなく披露し、そういった原初レベルをまざまざと現代に再現し、決して忘れ去られてはならないと警告を与え続けるものとしていつの世も出現させる、社会のシステムは人知を凌駕し感服させられる。そして、そのシステムの中で何も知らず永遠なる再現者になってくれるそれらの方々に感謝しなければならない。そういう意味でそういった方々は最大の幸福者なのであった、と過去完了形で記す。
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