歯を噛む。
噛んだものを開く。
舌で触る。
等がある。それぞれ歯や口内の部位によって情報を変えることが可能。
(例えば右奥歯を噛むとシャッターなど。)
音楽の再生、停止。
以前書いたことの捕捉
リージョンを間違えて展開してるもの。
理論の応用ならあるが、それは実証を持った上の話。
自己理想に会わせて都合よく組み合わせたものが多々ある。
メッキにメッキを幾重にも塗るがごとし。
根本を突き止めれば、それこそ根本的に崩れるのだが、それまでにメッキに信奉してしまったもの、メッキの中に埋もれてしまったもののことを思うと忍びない。(よって本当の目的の意図とずれて体系化してしまったものは、それらを背負うことができるのか?と、前回指摘したのである。)
それら階層をわきまえ、それぞれの階層内での力学をわきまえることが「対話のスタンダード」のいち側面である。
偏狭な理想のために崇高なる理論を利用するもの、(それさえも気づかずに加担するもの)は、もはやその世界から抜けずに朽ちてくれた方がよっぽどよい。
小さな世界しか見れず、あわれだと回りから見られていることさえも気づかずに去るがよろしい。偏狭なる理想の中で留まり、外の崇高なる世界を汚さずに朽ちてくれた方が、外部の世界にはよっぽど有益なのであった。
と、こう言うと、「私は関係ない。」と言うのが面白い。現世の品格を下げ、来世に迷惑をかけ、どれほど救済されたがるのか。通常の品格まで戻るのに何世代分の借金を重ねようというのか。ただあわれであり、後生を祈るのみ。
「留学経験があるからメディアの重要性を理解している」とかいってしまうと、「それほど想像力に乏しいとでも思っているのか」とかえってごせやけて、こじくれてしまうのに。
救済の立場からは、こういうことは基本中の基本なのに、他社をあげつらったりするものは結局同程度のものに自然と引き寄せられ、張り合ってしまうものだということ。
それらが意味もなく直接対峙することがないようを温かく、またその配慮を悟られず継続しなければならないし、し続けている。
「 増税と軽減税率 」に書いたとおり、悪法は人心を荒廃させる。 政治家に欠けてる視点はこれであり、当面の見直しポイントであろう。 上の例の通り政治家も財務省の操り人形と化しているため、無論官僚にも欠けてる視点である。 当面は、または問題の切り口・とっかかりとして、この点で見直しが...