2016年4月23日土曜日

UX理念

故人に伝えたかったこととしてUX理念がある。

つまり道具は使う側の手に馴染むものが名品であるということ。

正にコンシュマー向けに発信しているので対象はコンシュマーであること。
UXを求めながらもルールや強制、はたまた幻想に導いていや
しないかということ。

ユニバーサル性、わかり易さを追求し確かにシェアはあるが
命題の解には到底なっていない。

流れがあるため危ないのであるが、別に現在の秩序を崩壊させ
ようとかとも無論考えていないのであるが、デファクトスタンダード
を目指そうとするのであれば、最低限ここに記す命題を
知っておいて欲しいということ。

順序が逆になったがUX理念をここに記す。
UXや利便性やまだ定義は固まってないが仮に「使いやすさ」と
置換してくれれば現代ではわかり易かろう。

世の工具は使いやすいだろうか。ものによっては数千年の
結晶として現代でもそのまま使用され続けてるものもあろう。
現代になってハードだけでは達成し得ないものが多くなって
きた。つまりソフトの存在が出てくるのであるが
途中は端折るが
ソフトを含めてのUXと言う問題。および命題。

クライアントサイド・サーバサイドとも群雄割拠の現在で
あるが圧倒的使用率からWebによってUXの波は醸成される
のであろう。
メディアのデファクトを目論みた企業も哀しいくらいに
あっけなく飲まれるくらいの波なのである。
言わんとすることはこの波はハードまで及ぶということ。
UXのデファクトを目指すことは危険であると、
言っておくこととしよう。

数年後か数十年後か百か千かは知らないが
「UX確立」と言われるのであろう。スパンによるが
歴史的には情報黎明期の一部として。


取り敢えずUXの根拠をここに確立することが
できただけでよかったのである。

2016年4月16日土曜日

相互主観流動機構

たとえば歩行。

交差点や駅構内。
それぞれはそれぞれの目的する方向へ進む。
ある程度の流れはあるがあらゆる方向から人が
やってくる。
向こうはこう動くだろうとほぼ無意識的に推測して
自分の進路を選んでいる。
または私はこう行こうとしてるのであなたはこう行って
欲しいですと歩行という行為だけで表現し相互通信して
いる。
それが一点。

雑踏に不慣れで意識をし過ぎると流れに乗れず
衝突ばかり繰り返してしまう。
逆説はどんなに我の強い頑固でも雑踏では「慣れ」とか
「適応」と言う形で支配されている。
ごくまれに自己主張の強さを見せびらかすために
敢えて避けない、何が何でも進路を変えない輩がいるが
それはよほど孤立し人肌が恋しいのか、または、
例えば空気と戦うような、何かを履き違えて勝手に
想像した敵と戦っているのかであろう。よほど
センチメンタル・メルヘンティックである。
そういう輩でも自由に雑踏に混ざっても許容する
キャパシティの大きさがやはりこの社会なのであろう。
これ以上は脱線するのでこれくらいで。

つまり無意識、意識という切り口で言えば
無意識で雑踏を歩けるようになることが、例えば
都会に慣れたとでもなるのであろう。
意識が強すぎると「相互主観流動機構」に適応できない。
機構(システム)で考えると、意識(自己主張)というパラメーターは
高くてはいけない。
低くてもいけない。低すぎるとノロノロと安全が絶対だみたいな
流れになって最初はやきもきするが、いつの間にかそれに
「順応」して「これが標準、これが最適」と乗っ取られてしまう。
これが二点目。

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最近は自動なんちゃらとかが出てきているがそれは
ボトムアップ的な手法であろう。
それは相互主観流動機構を単純化したノード間で
ルールも決められた、つまり制限下のもとに単純化した範囲内での
事象を追求することであろう。
トップダウン的な思想も必要と思われるので
ここに相互主観流動機構を発表しておく。
相互主観流動機構と現在の自動なんちゃらが合わさるところが
一つの到達点であろう。

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相互主観流動機構はいくらでもパラメーターがある。
人を出処にしているが、では他の動物であった場合はどうか。
惑星ではどうか。水ではどうか。(無論無機質は意識パラメーターは
ほぼゼロであるし、動物の集団は種類によって固有値が求められる
かも知れない。(惑星のパラメーターがゼロというのも失礼かもしれない。))

自動なんちゃらをやっているかたは相互主観流動機構を
研究したほうがよほど近道だと思うのだが。
ここに相互主観流動機構を解明しておくことにしよう。


2016年4月9日土曜日

おそらく防波堤

おそらく防波堤として、最後の最悪の場合に
備えて作ったのであろう。

しかしいざフタを開けると手もつけられない
どうしようもないでくを十数億作ったに
過ぎない。

それらとしては業績というか名誉というか
後世に残る名を残さねばならなかったのにも
関わらず、いざできたものは確かに簡単に
動くけどもはや制御のきかない手もつけられない
目も当てられないどうしようもないでくが
十数億できただけとあっては、流石に
名を残すどころの話ではなくなって
きたのであろう。
確かに史上最大の汚名であろう。

因果は既述のとおりなのでこれ以上
事実を明確にさらしはしないが、確かに
それを残したものとして名を残すぐらいなら
気づかれないように少しずつ少しずつ
隠れることを選択したくらいの分別を
持ち合わせていてくれたことを
せめてものなぐさめとして、歴史に
名残を落とそうと言う意思を尊重して
あげようではないか。

2016年4月8日金曜日

頭の善し悪し

頭の善いのもとで成り立っているかというと
そうではないということ。

ただ腹の探り合いに優れ如何にいい笑顔をふりまいて
相手を信頼させるかということがうまいだけのこと。
つまり現状のシステムで淘汰され生き残った個体で
あるだけである。

それがさも自身の業績のように取れるものを取り、
また表で吊るしあげられないように裏へ裏へと
賢しそうに潜伏しているだけである。

そしていつの間にか張り巡らされた見えない
網に引っかかって動けば動くほどまんまと、
ただの腹の探り合いに優れたものへ自己犠牲の結果で
ある利益を献上しているのである。
という示唆。
別にそれらが作り上げた簡単に全員を流れさせる
先導システムを活用してこれを触れ込んでも良いが
(自業自得として)、敢えて相手の土俵には乗るまい。
乗った瞬間にこれまで培って来られたレッテルだかラベルだかを
貼る才能をいかんなく発揮されて「無き声」の一部にされよう。
これまで通り特定を突く必要はない。
層が違うのでみすみす降りていく必要はないということ。
というか層という力学を起してしまったので既存は
どれだけ杭を地中深くまで植え付けようと層からすれば
手のひらの皮一枚にも届かないくらいであるということ。
(イメージが好きな方もいるのでこんな例えをしてみた。)

特定を突く必要はない。例えばナショナル側はまんまと
騙されたといえる。繁栄という手球に乗って、今になって
それらの笑顔にやられたことを嘆いているがそれらは
とうの昔に逃避済みであろう。
宗教もしかり。ただそれらは一神教しか吟味しなかったことが
誤算であったろう。別にその見落としが突破口になったとは
言わないが、そこまで見渡せていたらもうちょっと取り分は
上がっていただろうと言うだけのこと。それらとしては
大失点なのであろう。

「それら」という具体が居るかもしれないし居ないかもしれない。
ホログラムのように分散されているかもしれない。
しかしここで私がつたない文章で書くまでもなく
いくらでもその具体及び抽象は知的活動なりその具体化的
発信として表れてはいる。

パワー層はパワー層によって終わる。まさに必然であろう。
層理論への橋渡しとして最後くらいは綺麗に終わってみては
どうだろうか。最近の一連の流れで数年後かもれないし、
はたまた往生際悪く生き延びて週十年後かも知れないが。





2016年4月7日木曜日

遅延伝播の利用

既述でも触れたが、また有名な話として電信を用いた
投資により成功を修めた例がありそれが今日の所謂
デイトレーダーの元になったとかいう話はもはや経済を
かじっていれば知らない人はいないくらいである。

それは今となっては至極単純な仕組みなのであるが、
(よってそれをやり始めた方はボロ儲けである。)
結局その延長線上なのではないかという命題。

要は個人・組織・国家の及ぶ範囲は現時点では限定されて
いるため相互作用には遅延が発生するということ。
それをうまく利用し吸い上げていると。

伝播の遅延が発生すれば、ノードが多ければ多いほど、
また遅延の格差が大きければ大きいほど混乱、つまり
カオス状態が発生する。
制限されたノード(個人・組織・国家など)は自分の
最善をつくすのだが・または足を引っ張られたりするのだが
当然有機体として最善解を求める方向に走る。
しかし最善を尽くして良かれと思ってやってきたことが
例えば自分の一番正反対のものの加担になってたので
あればいたたまれまい。

カオスというのは本当にランダムかというとそうではなく
一定の条件下でランダムになるのである。(主に情報系・
熱力学系の人であれば御存知の通り。)
つまり一見ランダムに見える現象もその根本を知っているものは
知っているのである。完全な根本を知っているものはいないが
少なくとも現状の元を知っているものは居るのである。
つまり知らず知らずのうちに一定の方向にまんまと進まされている
のである。
しかしそれもパワー層だけでの話。(前述の話)
それらが操っていたと思っていたことは結局たかだかパワー層ででの
話でしか無いのである。お隣は何度も言うように哀しくも
まんまと手中に収まった。(なぜ何千年も逃げたのか。といくら
言っても無駄なので今後(次世代)に期待しようと言うのがこれまでの話。)
しかしいくら経過してもめげないところがあると。
経済で例えていいのか、また例えが正しいかは分からないが
極めて単純に言うと、かたやまんまと個人資産までも投資ブームに
載せられてまんまと吸い上げれれて現在は全員が真っ青だと。
かたやいくら経済のおいしい話を垂れ流しても、ちょっとおかしいと
ハッキリ気付くものもあれば、感覚として、先天的な、伝統的な
感覚に守られてついに陥落しなかったのがここであろう。

パワー層で現在最大級の知の結晶が牛耳ろうとしていたのであるが
それは見ての通りとてもちっぽけであった。
これをわきまえるからこその層理論である。

しかし未だ油断するのは早い。ゲームのラスボスもそうであるが
根源まで辿り着くとやぶれかぶれのそれこそカオスを生み出そうと
いう反流が起きるのである。(手のひらで)
手のひらで可哀想にと言いながら油断して次の数千年をまた
同じことの繰り返しをされては困るので油断してはならない。

(ps)
書くまでもないが、ここからは結論から導かれる結果でしか無い。
つまりパワー層での歴史をどう残すかということ。
一端を切り開いた英雄として名は残るのであるから永世
褒め称えましょうと言うだけのこと。確かに端緒であり
結論であったのであるから。それこそが望んだことであったので
あるから残ってよかった、で良いのではないだろうか。
これ以上わっしょいして欲しいなら、もっと書いても良い。

2016年3月29日火曜日

確かなり

確かに世の中にはより刺激的なより現実味のあるストーリーが有り
そのほうがよっぽど面白いが、ではベクトルはというと個々人である。

良い方向もあるが知らず知らず加担してるものもある。
起してはならないものを起こした以上は自ずと起きる方になるであろう。

もはや「哀しい」では収集できなくなるしかないように彼らは選択してきた。
しかし学んだもの・ことは数千年で何もない以上は、それらはやはり
痛みを避けてきたのであろう。
避けて避け続けているさまはよはや誰の目にも明らかであるが、
これらをより具体的に痛みを学ばせねばならい、ということが
非常に哀しいのであるがこれがこれからの現実である。
層理論をある程度理解してくれた方であれば言わんとしていることは
分かるであろうが、上記の傷みは例えば軍事的なものであるかもしれないし
それは手段でしか無いことは分かっていただけよう。
例えば軍事的に勝って痛みを分からせてもすぐに受けた痛みを避け、
責を逃れ痛みを受けずにワシントン条約をのうのうと、ましてや
優美に亡き者にしてしまったことを見れば、それはただ最近見られた
具体的現象でしか無いが、その神経から具体的に解決していくしか無いのである。

それを資本もせせら笑っている場合ではない。
構図の根本まで、原点にまで回帰するからこそ「恐ろしい」のである。
「哀しい」のである。それらパワー理論の限界、白旗を見た。
神経を引き抜くという比喩が少しは具体的にイメージ出来ただろうか。
それ故の起床である。
現在あらゆるところで「起きている。」
最後のダダこねはせいぜいそれらを止める努力をしたほうが良かろう。

これは見向きもされないことのようなのでより具体的、より分かりやすく
層理論を確立していく。
これまでの歴史を学んではいないのだろうか。こうやって浸透していく
のである、と書こうと思ったがさすがに当局の目に留まると思ったので
やめておこう。

隣国はほぼ決定しているので心配はしていないが、その後の資本である。
しかし彼らも学んできていると信じたい。ただのパワー層でではなく。
もしも層理論の本質を見抜いているのであれば和回帰が起きていても良いが
そうにも見えないので未だなのであろう。



2016年3月27日日曜日

おこしてはいけないこと

起きたのは隣国ゆえかも知れぬが、では隣国はというと
元はといえばまんまと利用されているからである。
それまでの土壌を見れば明白であるがこれであれば
右を示せば右へ、左を示せば左へ容易く誘導することが
できると思われてきたことである。この意味において
哀しまれるものであるがそれ故の土壌。一つの見方として
因果なのであろう。

しかしその間接を通して微々たる歪曲を察知できた。
層理論では憐れむ存在なのである。

どこまであけすけなのだか、それ故の手のひらなのであるが
ここでは全てオープンなのである。
せっせと暗号を解読してきた従順なるものへはすいませんとしか
言えないが競技比べである。
層理論でそれらは利用させていただくのであった。
最大限極端に言うとこういうことであろう。

概念的にわかりやすく言えばパラー層で競い合ってきたことは
その根流の層理論という手のひらでの事象でしか無いので
無論脱出は不可能なのである。
(否定形を使うと疲れる。)

いつも希望を持って「ここまで言えば分かるだろうが」と
いって文字が読めるものへの期待をするのであるが、
我を起してはならないのである。
それが起きた時はどういう時であったか。
またも調停を、しかも「もうどうしようもありません」といった
泣き言で起こすとはなんたるダダこね根性であることか。
本気で起こることの再現でしか無い。哀れ。
少しでも文字が読めればと何度言わせるのだろうか。

繰り返しでしか無いが「何故世界はここに最終調停を
何度も何度も懲りなく委ねてくるのか」という答えである。
現状の、さらに感情も汲めば、「ただのあまったれ」という
解であろう。

層理論は力学である。賢しきものは次の手を考えるであろうが
延命でしか無い。最大限汲めばよかろう。
もはや力学は走っているのである。

二重スリット実験及び天体の光の干渉縞について

電子や光子で二重スリット実験が行われ、「確率の波」や「パラレルワールド」などで説明がなされている通りであり、その「事実」の細かい点は省略。 今回の話は、その現象は現実世界でも常に起きているということ。 我々が自分の目で見ている現実世界の範囲では、多数の光(光子)が光源から発せられ...