2016年3月27日日曜日

手の打ちようのない負債

都心だと特にそうだが歩いてても譲り合いを平然としてしないものを
みるようになった。彼らにとっては大きな成果であろう。
おそらくそのまま文字を読む習慣もなくまんまと彼らの手中に収まって
暴走中年・後年になっていく、現に現在のそれらは申し子である。

成果がようやく出始めた。しめしめ。
と思っているのかは知らないが、そもそも数世代だから自分の代で
成果を発揮しさえすれば「約束」されるのである。
いかんなく成果を発揮したことを主張し約束の成果を受け取れば良い。

手の打ちようのない負債は彼ら自身がそれになることである。
「約束」で得た、と幻想していた「真実」は巧みに回収されるで
あろう。そして過去の栄光をたわごととして「何も悪いことをして
いない」という暴走に貶められるのである。

これはまだかわいいほうの負債。

たかが数世代の身内内でのじゃれあいでしか無いので。
(じゃれあいでしか無いのに本当に殺しあうことができるとは
よほどおめでたいのであろう。享楽をそこまで高めることができた
ことをどうぞ自負してくださいといったところか。)

ーーーーー
とりあえずここまで。
層理論でいう負債は後述。

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