2020年5月27日水曜日

精神的堕落の構造

精神的堕落がなぜこれほど構造化されてしまったであるが、
すべて我が国のせいにすれば良いといった風潮と、
それをまんまと「賢いやり方・正しいやり方」と思い込んで
邁進してしまった集団があった、というあたりに行き着く。

いつぐらいから考察するべきかは精査していかなければ
ならないが、例えば大戦前後などでまずは考えられる。

無論、大陸側は易姓革命の土壌であり、
その精神的特性上、相容れないものがあるという
認識は大戦前というか開国前から存在していた。
(さらにその属国はすでに話しても無駄、くらいの
認識だった^^。まあ属国精神と言ってる時点で「骨」が
存在しないのだから当然であるが。そういう点では
本当は可哀想な国なのであるが。(と、これを言うと
またつけ込んでくるので表立っては言わない。
ここで得た教訓は「同情」という精神構造を理解できない
人に同情を示しても、それはあちら側にはバカにしか
見えず、まんまと差し出した手を噛まれる、という事だろう。
何かの映画にもあったが、相手を野獣と考えるとわかりやすい。
こういう例えをするとまた「人権がー」とか言い出すので
表立っては例えない。))

大陸側の歴史は「国を獲ったものの勝ち」なので、
いかに相手を出し抜いて優位に立つかという戦術は
練り上げられてきたが、集団全体を通しての精神性という
点では、それこそ論語とかで時間が止まってしまい、
その本質的な部分はむしろ我が国で発展したという
点はよく言われている通りである。

これがまず前提としてあって、開国→戦争→戦後となるのは
歴史の通りであるが、精神史的には最初の命題のとおり、
大陸はすべて我が国のせいにすれば良い事にした時点で
精神的方向付けも決まってしまったのであろう。
なぜ大陸とそのお隣だけそうであって、他のアジアの国々は親日なのかは、
それこそ糸を一本一本解きほぐせば分かるのであるが、
なぜ大陸とそのお隣だけがそうなったのか、または「そうされられたのか」のかは、
まあそのほうが扱いやすかったのだろう。

精神史的には残念ながら堕落が蔓延する事になったわけである。
また、あちらの土壌も手伝って、それはもう何の疑いもなく私腹を
肥やす事に邁進できてしまった。(この辺は何の道徳も持ちえ
なかった点で情けない。)

何事も先ずは知る事、知覚する事である。
「恥」という人の感情は大切なのであって、無論私が説明するまでもないが、
それを以って改善のきっかけ、原動力になる訳である。
先ずはこの構造理解と精神的堕落の認識から始まる。

精神の堕落

構造理解によって、運命的、宿命的欠陥がないにも関わらず、
自らの認識を放棄してまでも、「ロスした人」を装うものたちが
存在する事が判明した。
これは本来の自分の能力を放棄している事から、精神の堕落と
言える。

「地獄に行く」とは大きく言えば抽象であるが、かといって
それを無視して利己に走ったものを見ると、はたしてよい
結末を本当に迎えているかといえば、決してそうでない。
精神的堕落をした人々が、その根本的堕落を見えないように
隠して「自分たちは正しいんだ、少数派なんだ」と言い合って
徒党を組んで、自分を見ないがために目は蛇のように冷徹になり、
他人の同質を見つけては同胞化したり、なびかないものに対しては
嫉妬したりやっかみしたりして「あなた方も同様の性質があるでは
ないか」と批判ばかりする。
これはまさに自分の非を見ない裏返しからくる作用である。

そのような徒党を組んだ蛇の集団の、一分子の行く末、行き着いた末、
つまり滅する瞬間が、幸多い結末になるとは到底思えないのである。
前回詳述した通り、つまりは、というかやはりなのであるが、
最後は自分の心に戻ってきて、自分自身で築き上げた精神的堕落に
よって自分自身が突き落とされるのである。

実は地獄に行くという事も、その人個体の中で自己完結した話なのである。
ただ、上記構造を第三者が見たときに、その人に諭すために、
または子どもにわかりやすく説明するために、
外的要因である例えば閻魔大王によって地獄に突き落とされる
などと抽象化しているのである。
(こんな大昔から言われ続けている話なのに「科学が発展した
現代において私には関係ない」といって、精神的堕落に邁進して
しまった人々は大いに後悔すべきである。)

ではなぜこれほどにも精神的堕落が構造化してしまったのかについては
次回述べる。

2020年5月25日月曜日

直しようのない性格の掘り下げ

構造理解によって、本当の少数派とそれを
利用するものの構造が分かったが、精神性に
ついてもう少し掘り下げる。

本当の少数派、つまり「何かロスした人」は
その宿命性で可哀想であり、周りが温かく
見守っていかなければならないが、どうやら
本当の少数派でもなく、つまり先天的、宿命的に
何の欠損もないのに、少数派に転がり込もうとする
輩もいるという事。

前回の集団ストーカーに関して「加担即悪」について
書いたが、善悪を認識するのは最終的に「その人」なので
あって、世の中はそういった認識を「ロスした人」が
大半であるはずがない。

厳しい言い方、怖い言い方をすると、この辺が滅するときに
地獄に行くか、天国に行くかの分かれ目なのであろう。

善悪の判断ができるのにも関わらず、それは自分がよく分かってる
にも関わらず、それでも自分を偽って、分からないふりをしたり
自己認識を凍結なのか麻痺なのかよくわからないが、なかったものとして
自分を正当化させる事。その方が「本当にロスした人」よりも
重罪であろう。(本当の少数派に対して失礼である。)
(この辺についても過去に書いてあるので参照。そこでは、
周りに影響せず静かに滅していただければ、もしくは頑張って、
本当の狂人になるしかなくなる、くらいの事を書いておいた。)

ーーー
そして前回の「扇動するもの」につながるのだが、確かに
悪への加担が巧妙化しており、不良債権の細分化販売みたいに
買った人=加担した人が気付かないような仕組みができている。

経済が先行してショックとして目に見える形になったおかげで
ひとびとも本論について具体的にイメージできるが、ここまで
具体的に例示しないと「なぜダメなのか」が理解できないあたりが
人類としてまだまだレベルが低いという現状なのだろう。

歴史は常に対処療法であって、なにか不具合が出てきてから、
それを認識して、その上で対応してきた。
これを先手で迎えるにはどうするか、ということである。


2020年5月22日金曜日

コロナ総括

これもそのうち総括されるだろうが、
今回の騒動があってもなくても世界的な
流れは出来上がってたわけで、今回の騒動は
いわゆる最後の賭けだったのだろう。

世界の大衰退を期して。
周辺諸国も操って弱体化してるから
効果覿面と思ってたのかもしれないが、
やはりというか、いつもどおりというか
和の国がそれこそ和をもって撃退して
しまったの図。

おそらくあちらは手玉に取ったマスコミ
とかしかパラメータとして見てなかったのが
失敗の原因と言えるが、いかにも
浅はかで「らしさ」があってよい。

ーーー
これだけだと単なる総括でしかないので、
やはり精神的な側面も見ておきたい。

その辺はどうも、逆に「詭道の国」と
言われて、それを「自覚」としている
という点に行き着くのではないか?

そもそも「詭道をもって…」というのは孫子とか
はるか前の書物なのであって、とうてい現代からすれば
参考にはなるとは言え、すべて鵜呑みにしていては
とうてい太刀打ちできないというか、それこそ
行動原則を相手に真っ裸でさらけ出しているようなもので
「どうぞ手玉に取ってください」と言っているような
ものである。

「詭道をもって…」で全てうまくいくと、浅はかに
考えた事が敗因である。
哀しいのは、それで何億兆の人と、何十百千年を
費やしてしまった事、当然それを疑いもなく扇動して
しまったものの累積された罪、
これらを思うと、過去の宗教者も然りであるが
それは嘆きたくはなるわな、となるのである。

ーーー
(もっと大きく万とか億年単位で見たときに、これは
発展し過ぎて自滅しすぎないようにするための
自然機構であったのだ、と総括されるかどうかは知らないが。)

ーーー
構造理解から始まり、精神的に得るもの、直しようのない
性格ときて、振り返るとやはり人の心に行き着いた。
世界中が、あちらさんを「大きなだだこね坊や」と、直接は
言わないが、みんなが直感的に感じているその感覚は、
いつも言う通り人の叡智として正しい感覚なのである。

もう「大きなだだこね坊や」でいること、または
「いさせる」事は、この辺で、どのみち限界がきた
ということなのであろう。


こうなってきた(したてあげてきた?)のだから両陣営とも
もはやこれまでということで、お互いに表面上は顔を立てて
終わるのであろう。終わり方が熱くなるか穏便にいくかの
違いはあるにしても、大局は、これまで述べた通りで
人の積み重ねた叡智はそれほど愚かではなかったという
結論である。
(そこに辿り着くまでの無駄は大きすぎるが。次回は
もっと真剣に取り組まなければならない。)

ーーー
一応追加しておくと、敗北側は当然その通り敗北して
新しい仕組みになって勝者の傘下に収まるか、とか
なのだが、勝者側としても、これまで手のひらで
扱いやすいように踊ってくれたものを、一旦、
「そちらの行動原理は見抜きましたよ」という事を
相手に知られてしまう、というトレードをせざるを
えない点がある。

相手は当然「しまった、では行動原理を変えないと」
となる。相手というのは、ありきたりな表現だが
悪の根源とかなんだろうか?

これが一旦は潜伏してどこかで再起するのか、
この核を継承したどこかが立ち上がるのか、
今回は精神的には、新しい手法として「罪の分散化」までは
対処できるようになったが、「病原菌」はどういった
潜伏、突然変異を起こすのかは、気を緩めずに
注視しなければならない。

(この筋書きがヒーロー物語の通りになってる時点で
次の悲劇は起きるのだろう。)

直しようのない性格

どうしようもない性格の人を知っているだろうか?
身近にいれば分かるかもしれないが、そういった人は
どうやっても性格が直らないのである。
「馬鹿は死んでも直らない」とはよく言ったものだ。

最近ではあまり居なくなったが(「残存」している者については
後述するのだが)、海外を見ると本当に昔の
性格がひん曲がった人みたいな人がまだまだいたりする。

例えば人を妬むな、やっかむなと、いくら言い聞かせても、
本人も納得したように見えるのだが、最後はやっぱり
妬み、やっかみを持ってしまう人など。
これは、もう「そうゆうふうにできあがってしまっている」
とかしか言えなくて、根本にあるのは親から同じような仕打ちを
受けた、つまり絶対的な愛を知らない、とか、
「不信」とかに行き着くのであろう。

こういう人を直すには、本当にゆっくりと時間をかけて
分かって行ってもらうしかないのである。

ーーー
「最近ではあまり居なくなった」と書いたが理由があると
思っており、それは明示的な宿命を背負わされたものが
減ったからだろう。

現代は自分の希望・理想を追い求めることができるように
なってきているので、そこで性格がひん曲がるかどうかは
自分次第だろう。

昔の時代は、自分の希望・理想があっても宿命的に叶えられず
「歪み」となって性格にも歪みとして反映された。

事はそう単純ではないのは承知だが、片や大局的に
考えることもまた必要であろう。

また逆に、こういうどうしようもない人と、なぜか一緒に
なってしまう人もいる。
宿命論とか性格論とか色々あって、そういう話を聞くのが
好きな人もいるだろうが、これも大局的に見れば、人には
自浄作用があるので、本人の表層意識からは、つまり自分の
認識としては持ってないが、どこか人としての自浄作用とか
(深層心理とか言われてたりするのかな?)が作用して
引っ張られているのである。

ーーー
ひるがえって、現世の途方もないリソースの浪費について
目を転ずると、結局は人のこういったどうしようもない
心に辿り着くのである。

人をよく知っている人であれば説明さえ不要と思うが、
世界をダメにしている人を一目見れば、「あぁこれはダメだな」
と自然と、というか人の叡智としての感覚で瞬時に分かる
ものである。

最初の例で書いたように、身の回りに「困ったちゃん」が一人いれば
周りみんなで気を使いながら、長い時間をかけて温かく
快方を願っていけば良い。
「三つ子の魂百まで」もよく言い当てたもので、悪い方に
当てはめると、困ったちゃんと伴走しなければならなくなった人は
それこそ一生をその人の快方だけに費やす、ということもありえ、
実際に数多そういった事例があったのだろう。

たった子供の三年とか、物心つく十年とか、成人する二十年とかの
接し方で、その人の一生を方向付けてしまうのだから、もし親が
意図的に不信を植え付けたり、他人の仕打ちを繰り返したり、
そもそも子供を放置したりする罪は恐ろしく大きい。
最悪はその子供だけの人生だけで済めば良いが、上記のとおり
周りのはるか何倍、何十倍、何千倍ものリソースがその人の
快方だけに振り回されるのである。

不幸にも上記のような人ができてしまったとしても、それは母数からすれば
例外的少数であったので、社会で温かく支えればよく、
実際そういった包容力のある社外ができてきた。
今巷で行っている「少数派」の本当の意味はこういった人である。
(間違えないで欲しいものだ。)
こういった少数派を温かく支えていかなければならないのは
人として当然であって、誰かが言ったからとか、制度がそうなってる
とかとは関係なく、人の自浄作用の本能的に支えるものである。

ここから本当の罪が始まる。
つまり、どうやら構造理解によって、上記でいうところの
本当の少数派を煽り立てたり、同情を装って、または本当に同情する人も
さらに煽り立てたりして、本来は快方させるべきものを、
逆に傷を深くえぐっている輩がいることが判明した。

政治とか人を良い方向に持っていくべき人が、悪い方に扇動したら
道を見失っている人がみんなほいほいついて行ってしまうではないか。
上記の例で親の罪は大きいと言ったが、悪の扇動という点では
罪をさらに煽っているので、そのはるか何千、何億倍も重いだろう。
(既述の「そんな重い罪を背負えるのか?」参照)

「どうしようもない人」の例に戻るが、そういった人が変わるかどうかは
最後はその人次第である。「いい人になりたい」という気持ちがちょっと
でもあれば、最初はそれまでの習慣という慣性が働いてなかなかうまく
いかないだろうが、積み重ねや何かのきっかけで快方の糸口が見つかって
いくはずである。
「どうしようもない人」を元に戻すのは本当に途方もないことである。
何かの映画でゾンビに知能を持たせようとするシーンがあったが、
これは「正常な人だったら持ってる感覚」がすでに腐ってなくなってしまった、
しかしどこかに眠ってるはずなので呼び起こせるはずだ、という意味では
(決していいとは言えないが)いい例である。
ここでいうゾンビとは「親の愛情なり、人を信頼することなり、何かをロスした人」
ということで、もっと適当な例があれば良いのだが。
映画ではゾンビに何かをやらせてうまく行ってる間はよかったのだが、
ちょっとミスしたら一気に感情=本能側に戻ってしまって終わりだったが、
実際の「何かロスした人」との関係も似ていよう。ちょっとずつ、ちょっとずつ
信頼関係を築いて行って、そういった人は人から何か言われることを嫌うので
それこそ温かく態度や行動で接していくしかない。うまくいかないと慣性と
いうか発作みたいなもので、また昔の、というか当人にはある意味安住の
地に帰ってしまう。その途方もない繰り返し。
それでも何とか積み重ねていって快方の糸口を見つけていく
「行」のようなものである。

しかし、悪の扇動は当初から「いい人にならなくてもいいですよ」と
耳元で囁いているようなものである。
せっかく「いい人になりたい」という気持ちがあったとしても、そんな輩に
からめとられては、快方への糸口もぶった切られる。

最初に「残存している人」と書いたが、「残存させられている人」と
言ったほうが正しい。宿命もなくなり希望を持って生きられたはずなのに
本当に残念・無念としか言いようがない。

最初は「人はそんなにずっと恨みを持ち続けられるのだろうか?」と
不思議に思っていたのだが、構造理解によって「恨」をフランケンシュタインの
ように無理やり永続していることが分かってきて腑に落ちた。

構造理解によって、真の罪は、可哀想なものを利己のために扇動して
いるものである。
(ここでいう罪も根本をつまびらかにすれば悪の扇動であることまで
判明したので、現世法がそのうち追いつくのも時間の問題だろう。)

ーーー
「いたちごっこ」ともよく言うが、悪の変遷も面白い経路を辿るものである。
その特徴にいかに潜むか、隠れるか、秘匿するか、という面があり、
最近「集団ストーカー」なるものを知って、なるほどと思ったものである。

人を追い込むのに陰湿なやり方をすることは知っていたが、よくそんな
暇なことができるなと感心していたが、現在ではそれさえも分業している
ということだった。
例えば「この家の前を通る時にこういったことしてくれたら、いくらいくら
あげますよ」と。その家の人はみんなから見られていると思ってしまう。
そんなことを気にしない人もいるが、気にしてしまう人もいるわけで、
そういった心理をうまく攻撃しているのだろう。
こんな芸当は素人にはできないわけで、陰湿さもここまで来てるのだと
妙に感心してしまった。

問題は軽い気持ちで、というか悪いこととも知らずに加担してしまった
人である。これは前回書いた通り、本当に何をやってるのか認識できない
人はかわいそうなのであるが、そこまで認識が遅れてる人が大半でもない
はずなので、認識した以上は加担しないことであろう。
つまり「加担即悪」の基準で気をつけていかなければなるまい。

リーマンショックでもないが、質の良くない債権をリスク分散とか
いいこと言って細分化してみんな知らずに買っていたが、いざ破裂すると
被害を被るのは自分である。
集団ストーカーも人を「傷つけること」を細分化して、みんなに
売り歩いているのだが、それを寄せ集めると「傷つけること」であるので
甘い言葉に乗って買わないことである。
「破裂」とは例えば「地獄行き」とかが分かりやすいだろうか。
まあ「積悪」すれば刑務所行きとか表面上でも現れたりするが。

ーーー
集団ストーカーも真の悪は、それを取りまとめてる人なり組織なり
なのであるが、組織となるとリーダーとかがいるわけで、そういう
ものが悪を扇動している罪は大きかろう。
ただ、こんなことをするのは末端組織であって、またその元締めが
いて、と、今度は組織の分散論になってくるのである。
つまり末端組織では「なんか悪いこと」くらいは知ってようが
これもまたリスク分散のように「罪の分散」がされているのである。

政治とかで前線に立っているもの(前回でいう「ハリボテのコマ」)
も実は何も悪いことはしてないと思っているのではないだろうか?
それこを真性の、良質のコマさんである。
(そりゃあいいように使われるわ。)

ーーー
今回、政治3.0によって、いわゆる左巻きの処理は一旦は完了して
政治も正常化し、一見穏やかな生活が戻ると思えるかもしれないが、
また悪は一旦潜伏して、次の隠れ蓑を見つけるに違いない。

常々言う通り気にしている点はむしろそういったことである。

2020年5月21日木曜日

C2Cコピーサービスの発展。Cストレージ。

C2Cコピーサービスの考えを発展させると、
そもそもコピーさえいらないのでは?
となる。

つまりユーザサイドではどこにデータ存在しようが
問題ではなくて、データが存在してしようさえできれば良い。

クラウドサービス提供側としても、もはや垣根を取っ払い、
流出するユーザもいれば、その分流入してくるユーザもいて
痛み分け的な関係になるので、それであれば共同出資して
クラウドストレージ専門クラウドサービスにしてしまった方が
お互いにメリットである。

というわけで、これもサービス先行で発表を先に
行っておく。

ーーー
敢えて現状のサービスについて言っておくと、各社独自の
サービスとセットでストレージを提供していて、ユーザは
「何て便利なんだろう!」と食いつくが、そのうちストレージが
足りなくなって、「過去データを自分でバックアップや消すのも
大変だし、追加ストレージを購入するか。」という算段。
このサービスとストレージを抱きかかえた算段は素晴らしいが、
これだけ世の中のストレージ単価が下がってきたというのに、
ITの雄としてはいささかせこくないか?という、
誰ともなくささやかれてきた問題の解法が出始めた、
という結論にまとめられるだろう。(将来のいつかの時点で。)


C2Cデータコピーサービス

クラウドからクラウドへのデータコピーのニーズが高まっている。

例えばiosデバイスで撮った写真や動画を
googleドライブで一元管理したいとか、
逆も然り。
FacebookやAmazonなども然り。

現状だと、たとえばiCloudで写真や動画を
ローカルPCにダウンロードして、google driveに
アップロードするなど、人によっては
頑張ってやっているかもしれない。

このニーズは、例えば既にどこかのサービスの
ストレージを購入してしまった人がいて、
それ以外のサービスは無料枠で抑えたい、
とかである。

手動で頑張って一元管理してる人からすると
クラウドtoクラウドでコピーできたら、手間も省けて
コピー速度も速くていいのにな、と思うだろう。
クラウドサービス提供側は大容量帯域を使用してるはずで、
クラウドサービス間であればデータ転送も速いはずだからである。
(クラウド→個人PC→クラウドの動線がものすごく無駄である。)

そこで、クラウドtoクラウドのデータコピーサービスを
発表しておく。

無論サービス提供側の賛同を得られるかが重要となってくる
のであるが、まずはサービス先行でスタートさせる。

そもそもサービス提供側もこのニーズは認知しているはずであるが、
これを許可してしまうと、「容量がなくなったら追加ストレージを
買ってもらう」戦略が成り立たなくなってしまうので、
自分からこんなサービスを解放するわけがない。

そこで第三者がサービス先行でサービス提供し、
ニーズの勢いを目の当たりにすれば、サービス提供側も
次第に賛同してくれるだろう。

ーーー
本サービスの第一段階としては、
Aクラウド to 本サービス(これもクラウド) to Bクラウド
の形態となる。

ここでは
・Aクラウドのサービス規約をクリアして、データを取得
・Bクラウドのサービス規約をクリアして、データをアップロード
となる。

ユーザは最初に本サービス上で上記2つのクラウドの
初期設定が必要であるが、それ以降は
AクラウドからBクラウドにデータコピーが可能となる。

ーーー
ニーズの勢いにサービス提供側も抗えなくなったら、
第二段階として
Aクラウド to Bクラウド
の形態が達成する。

第一段階でクラウドtoクラウドのAPIが完成しているので、
このデファクトスタンダードとなったAPIを使ってもらうのである。


COVID-19の「まじめに」やってきた側への被害

構造理解の通り、せいぜい数世代くらいまでしか
考えてないあちらからすれば、今回の武漢肺炎は
世界の停滞を招いたので、「しめしめ」と影で
ほくそ笑んでいることであろう。
(構造理解によってあちらの利益=私服は
妨害によって得られる利益 × 妨害によって得られた
時間ということが判明したので、停滞すればするほど
都合がよい。最終目標は世界をバカが埋め尽くすこと。)

しかし、まともにまじめに生活している側からすれば
そんな軽い気持ちでことを起こさないでもらいたい、
ということ。

口蹄疫についてや、今回の武漢肺炎について書いた
とおり、悪意が入り込んだ時点で何でもありになる
のである。

ーーー
もしかすると今回の武漢肺炎の「真犯人」がつきとめ
られたとして、その真犯人が弁明するには「まさか
ここまでことが大きくなると思わなかった。」程度の
ことだろう。
本当に事の重大さを知っているものにトリガーを
引かせる訳がない。

また、「隠し通せる」と確信したのだったら、あちら側の
人たちは自ら進んで白状するはずもない。
道徳も信頼も何の土壌もないのだから、そんなことは
期待しようもない。

前回書いた通り、せいぜい期待できて、その人が
滅する直前くらいに良心の呵責をやっと知覚するか
どうかでしかない。

ーーー
改めて「まじめに」やってきた側への被害は大きい。
しかし嘆いてばかりもおられないので、「新しい日常」で
経済発展するしかない。
大まかな道筋は在宅でできる業種が以外とあることが
判明したので、それの継続。
実際に在宅勤務している人々の実感としても、在宅だと
逆に近所の経済にも貢献できたり、いわゆるコミュニティにも
自然に接したり関わりが持てたりで、何か昭和の古き良きが
取り戻せている、というメリットも認知されてきた。

そうするとそもそも地方勤務も可能になるので、
「地方勤務・地方再生」が促進できる。
既述「一極集中の弊害」で書いた通り、これまでの都市への
一極集中だと、どうしてもリソースのボトルネックが発生して、
ある一定まで達すると思うように発展性、効率性が上がらなく
なってくるのだが、地方再生によって日本全国の拠点がフル稼働可能となる。

※「現代版防人」でも書いたが、一極集中時代の現世は
どうしても親元を離れざるをえない人が多数存在したわけで
暗黙的な宿命とも言えた。
これは私が言うまでもなく、現代の負の側面として各方面で
言われている通りなのだが、暗黙的な核家族促進と言え、
より踏み込めば家族の絆の分断と言えよう。

これも次第に、というかもはや解明されつつあるのだが、
政治2.0時代のいわゆる左巻きが牛耳ってた時と全く
重なるのであって、暗黙的家族分断とどういった関連が
あったのか、ということ。
(むろんあちらは嘘と秘匿が基本なので、何の証拠も
残してはいないだろうが。
文脈上は真犯人を突き止める事はどうでもよくて、
現在アメリカもとっている手法であるが、簡単に言うと
「だれがどう見てもそうとしか言えない」ように
間接証拠を積み上げていく、ということ。)

ーーー
この道筋によって経済発展しだしたら、また左巻きは
今度は地方再生しないようにわめきだすのだろう。

それを待って、呆れ果てて対処するのも一つであるが、
既述の通り政治3.0の時代は来ているので、そうなる
前に対処したいものである。


2020年5月15日金曜日

オリジナル言語と翻訳語を併記する機構

国際化対応アプリケーションは、インストールした
端末の言語に応じて自動で翻訳された言語を表示して
くれる機構がある。

一般的にはそれで良いのだが、ネイティブスピーカーが
翻訳してなかったりすると返って訳がわからなかったり、
または語学学習者はむしろオリジナル言語では何と
書かれているのか知りたいことが多々ある。

そこで、オリジナル言語と翻訳語を併記する機構を発表しておく。

無論、併記するのでスペース的な制約には大きく左右されるのだが、
機構としては存在していて良いと思う。

・オリジナル言語と翻訳語を同一レベルで併記
・オリジナル言語をルビで併記
・翻訳語をタップするとオリジナル言語を吹き出しで表示
などの併記種類がありアプリ作成者またはアプリ利用者が選択可能。
種類も順次追加可能。

ーーー
上記選択肢に
・翻訳語のみ表示
も含められるので、此の機構はi18nの拡張機構と考えられる。
つまりメインストリームに取り込むか、分岐・フォークか
となってくる。

2020年5月11日月曜日

物理的に得られるものに対して、精神的に得られるものについて

さて、いわゆる左巻きは「総量(面積)計算」によって
最大限の利益を得ようとしている構造理解ができたわけである。

つまり根本が利己で、それを秘匿し金メッキを何重にも
塗ったくり、先兵にはハリボテのコマを大量排出して
「何を言われてもビクともしない。恥さえ感じない」という防御と、
蛇のような執着と陰湿さで1ミクロンでも揚がった足さえも見逃さないという
攻撃を持って現世を謳歌しているのである。

ーーー
構造は分かったので、がんばって相手に寄り添って考えてみようとする。
つまりそんなことを続けて確かに、彼らの利益・利己は充足されている
のだろうが(とは言ってもその構造上からも、結局一時的な「うつつ」でしか
ないと思うのだが。)、では、彼らが精神的に得られるものは何だろうか?
ということ。

これまでも書いてきたが、彼らの構成員がそうだからなのか、またはその
構造を動かしていくと勝手にそうなってしまうのかは分からないが、あちらの
根底にあるのは「不信」である。

よくもあのように四六時中人を疑い続けて、自分が属している「仲間」さえも
「いつ騙されるか、いつか騙されるなら先手を打って排除しよう」みたいなことを
考えながら精神を保っていられるな、と思う。
(逆説的には、人は疑い続けてもちょうど人の一生の期間くらいは精神を
 保てる、ということなのだろう。そして滅する間際に絶望的後悔をすると。)

以上が前提で、では彼らが得るものはというと、ひどく濁って自分でも嫌になる
ような「心」であろう。それしか残らない。
彼らが「活動中」は周りに「お仲間」みたいな人がたくさんいて、みんなが
やっているのだから大丈夫と思ってるかもしれない。しかし構造理解の通り
騙し合い組織であって、ちょっとでも分が悪くなればトップを筆頭にして
一目散に誰も居なくなる。幸い「定年」まで裏切りもなくやれたとしても
活動を停止した人には物凄く冷たい組織であろう。
つまり残るのはひどく濁った自分の心だけ、ということ。
おまけに、構造理解の通り行動原理が利己なだけに、その活動とはつきつめると
利己の為の嘘であったり、人を騙すことであったりということが、「定年後」に
ゆっくり考えると嫌でも分かってくるであろう。
(このへんがお隣のトップの末路がなぜこうもそろいもそろって不幸なのかという
 原因だと思ってたりするのだが。つまり良心に気づいてしまったのだろう。)

何も定年に限ったことではない。病気や怪我でも何でも良いのだが、ふと組織の
考えを抜けて、敢えて言えば自分の本性に立ち返って、それまでの行いを振り返って
みると分かるのであろう。

しかも、実はそんだけ一生を費やしても自分の取り分は大したことがない。
構造理解の通り、既得権益のパイのブン取り(かなり力づくのブン取り)でしかないので、
総量は決まっている。そしてあちらの超頭脳はかなり賢いので、一気に取らずに
時間×その時取れる量という総量計算をして精巧に利己を充足しているのである。

その構造上、彼らが「将来のために」「人類のために」「発展のために」何かを
するはずもなく、つまりイノベーションも生まれるはずもなく、せいぜいコピー精度を
高めるくらいなのである。

ーーー
個人の話に戻り、あちらの組織としては、コマに本性に立ち返られてしまっては困るので、
決してそうはさせないのである。(前回書いた「歯車」参照。そういう悪知恵だけは
イノベーションしている。)
巷に溢れている「最初はこれ、それが出来たら次はこれ」みたいな手法や、
それこそ情報は腐るほどあるので、彼らに適した小難しい論文とかを絶えず課題として
読まし続けるとか、そういった手法は「よく」出来上がっているのであろう。
そして逆の立場のこういった記事は決して目に触れさせないようにしている。

前回書いた通り、それはまるで任侠の世界であって、一旦入ったら出られない仕組みに
なっている。軽い気持ちでなのか、知らず識らずなのか、自己判断基準が甘いと
あちらの巧みな手法に絡め取られてしまうである。
(これも後ほど一本書くが「加担即悪」の気持ちでいないといけないのであろう。)

「本当に何も知らないで」やってたら、法的にも無罪になったり、地獄行きも免れたり
するかも知れないが、よほど道理の認識ができないようなものでなければ、やったことの
結果は認識できるはずであって、最後に残るのはやはり自分の心である。
または開き直って、それが正義と自分を偽れば心が落ち着くかも知れないが、これも
認識能力がよほど欠如してなければ正義とは納得できまい。(または本気で人ならずに
なるか。確信犯になるのだが。)

残るものとしてくっついてくるのが、そういった「実績」である。構造理解上、実績とは
どこか巡り巡って人を傷付ける事とか、嘘とかになっていて、その「成果」として
わずかばかりの「おまんま」代として報酬を得ているのである。
この実績が累積されて臨界点を超えると、現実世界上では法の裁きとなろうし、運良く
現世法で裁かれなくても、子供に言い聞かすような言い方をすれば、地獄行きとかに
なったりするのである。

そして、あちら側で「頑張れば」悪名さえ残し得るが、決して偉人としては名は後世に
残せない、そういう切符か宝くじみたいなものを、なんと無料でゲットできるのであった。

ーーー
まとめると、あちらのやり口だと、たかが目の前のおまんまを得るくらいの利益しかもらえず、
しかも本当に残るのはひどく濁った自分の心だけ。
ちやほやされてた時は気づかなかったかも知れないが、まんまとメッキの富豪になったり
安定した老後を迎えたりして、安住の地を求めようとすればするほど、嫌が応にも利己を貪った
自己を振り返さざるをえず、本来は安住の根っこであったはずの自己の本性には決して
帰れぬ身となってしまった事に気付くのである。(悲惨すぎる。)

社会的に待っているのは、海のような歴史と伝統で成り立ってきた「正常な」社会であり、
その社会をさんざん自分で罵ってきたのだから、「復帰」できるかどうかは自分の心次第
であろう。
自分が属してきたあちら陣営は上記の通り、役立たずになった瞬間に捨てられている。
ここでも残るのは自分だけ。絶えきれなくなって、最後までバカを装って、それまでの
実績を無かったものとして「正常な社会」に復帰させてもらうかどうか。

安心して欲しいのは、そのような人でさえも救済されるという事である。
(または、こういう理解が世間に広まって、あちらのコマが減りだしたら焦り出して
あちら側の老後も保障しだすかも知れない。いつもどおりメッキの保障だろうが。
(保障となると構成員が少しずつ保険料みたいに救済金を出し合って痛み分けをする
思想だが、構造理解上、あちらの構成員が自分の利益から一円さえ出すわけがない
のである。))

2020年5月3日日曜日

我国の組織論

我国の組織論について。

微妙な表現しかできないが、我国の組織は本当に
公の通りの組織しかないという事。
(反語としてその他の国は?と続けて欲しい。)

国の重大事項について、公以外で、その組織のベクトルを
あらかじめ決められるのならば強い。(そしてずるい。)
(国に限らずであるが。小さくとっても大きくとっても)

ここで論は二手に分かれて最後に合流する。まず分岐から。
・我国の組織はなぜそうなのか。
・我国以外であらかじめ決めてる組織のジレンマ。

ーーー
まず我国の組織はなぜそうなのかについて。
これは言わずもがな敗戦によって、組織の「箱」が敷き詰められて
しまったからであろう。これだけ時間が経ってボトムアップで
「横のつながり」など言われて動きがあったりなかったり。
(本当に律儀である。)

さらに律儀なのは、おかしな左巻きが入り込んでもなお、
決められた「箱」で頑張っている事である。
外野から見ると滑稽らしいが、(外野で敷いたフィールドであるはずだが。)
例えるならば、「これでもか」と厳しい鉄格子を張り巡らせて、
猛獣を送り込んだが、最初はやられっぱなしだったが、やはり
適応能力で、鉄格子をアメーバのようにくぐり抜けて、猛獣さえも
往なして、次なる次元に到達したようなもの。
自分で例えておきながら注釈を何点か。
猛獣を放ったというか、猛獣が現れたのは鉄格子を敷いた側からは
意外だった事だろう。猛獣側が虎視眈々と狙っていたと言えよう。
「やはり」適応能力で、と書いたが、これをさせて結果を見る
意味があったのだろう。(潰れればそこまでの用済みにすれば
良いだけ。)

ーーー
次に我国以外で、「あらかじめ決めてる組織」のジレンマについて。
確かにこれをやれば迅速で強くていい事だらけのように見えるが、
理論的に矛盾している。という事も実践側も重々承知していた、
という事。
矛盾とはほころびであって、いくら鉄壁を築いても自らの
矛盾によって崩れてしまうものである。

彼らも早晩解決しなければならないと思っていた事であろう。

ーーー
「だから」なのか、「結果として」なのかは知らないが、
「させてみよう」なのか、「結果として」なのかは知らないが、
我国は公の左も右もそのまんま、開けっぴろげのまんまで
例えいくら馬鹿げていても、忍耐強く、浪費を最も嫌うのに
眼の前で繰り広げられる左巻きの浪費を見続け、いよいよ
政治3.0という解決策を練り上げてきた、という事。
結論終わり。

ーーー
当初の話に戻り、我国の組織論として、手っ取り早くは
他国を真似して、外野から阻害されない「何か」を
作ればよい。

しかしそれは小手先である。しかもご覧の通り左側が猛烈に
反対する。

では「公」で通すしかあるまい。
(左はすべて先手を打って懐を温めてきたと思っている事
であろうが、上記「組織」を容認するか否認するか
既に内部の意識崩壊が見て取れるが、おそらく
いいとこ取りの人の生き血を吸う選択を練り上げてくるのであろう。
めでたし、めでたし。)

確定前に述べる事

確定前に一応述べておく。

※本題の前に、一昔前だと遠回しにしても
口にするだけで、どこで何をされるか分かったものでは
なかったのだが、現状はみんながバンバン、それこそ
実名とかで公然と論じてたりするので、絶世の感がある。
これこそ草の根の声なき声の先人の諸先生方の血の滲む
ような奮闘の結果であろう。本当に有り難い事である。

本論は、この時点で確定か、未確定かいろいろ情報が
錯綜している事案について。

まずは一般認識から。
ここでいう一般は声なき声の一般をいう。
それはやはり若造には無理だったかという事。
(一般大衆のこの感覚が大事。)

世襲の弱点だが、カリスマ性はそうやすやすとは
引き継げないという事。それこそ事例は世界の歴史を見渡せば
腐るほどあるのだが、これだけ文明が進んだ現代において
なぜそれを学習できなかったのか?という点が結果として、
お粗末だったと言われる事になるだろう。
(結果として実践できなければ本当に学習したとは
 言えない、という点は基本なので省略。)

最初に公で目にした人々は、おそらく何かの冗談かと
思った人が多数いたと思う。(この人の感覚。)
最大限ポジティブに考えると、「あちらの帝王学は
世界レベルから跳躍して、実践の全くない若造でさえも
トップに君臨できる秘密の学問を確立したのだろうか?」
というのが当時の意識だったろう。

しかし、というかやはりというか、そうではない事が
この数年で明るみに出たという事。
こうなると話は一気に分かりやすくなる。
つまり世襲によって、世襲前後の総合的な「力」が、
善処しても例えば9割で引き継げた、としよう。
(当局は無論10割と公表。)
しかしこの結果からすると、それはやはり6割とか、
よくて7割程度だったのだろう。

そして問題は次である。
この短期間で6〜7割になってしまった力が、お次は
どう見てもそれよりも弱い形で継承される事になりそうである。
そうすると、どう考えても当初から比べると力は
半分未満であり、臨界点を優に超える事になる。

ーーー
ここまでは誰でもわかる事であり、
つまりそれが表に出てきたという事は、
「世界」はすでに「次」のシナリオ、
「これだけ敷いておけばあとは勝手に歯車は回る」
という「次」のレールは出来上がっている、
と読むのが筋である。
(間違いであれば修正すれば良い。)

2020年5月2日土曜日

休業要請に応じない店に見る構造理解

休業要請に応じない店があるようだが、ここに
端的に構造が現れている。

つまり店の表に立っている代表は、いくら要請や指示を
受けても痛くもかゆくもないのである。

本当の実権は他に握られており、店の代表は社会道徳よりも
影の支配者しか見ていない。
要請に応じてこなかった店も順次応じ始めているが、それは
「実権」サイドが良心を発揮したとか、もはや批判を
逃れられなくなったとか、はたまた批判の影響を将来的に
考えて総量計算して損得を天秤にかけた結果として
要請に応じたのだろう。
(「実権」は事業が失敗したらさっさと他に移ってしまうので
損得の天秤で判断する事はないのだが。吸えるところまで
吸い尽くすのが基本。)

店に立ってる代表はただのコマ、ハリボテでしかない。
そのコマが良心に目覚めて営業自粛するという事は
構造上ありえないのである。
店の代表の目的は、客を入れて利益をあげる事が目的であり、
そもそも道徳などは、「実権」サイドの目的履行で「忙しくて」
省みる余地などないのである。
(秘匿の強みは裏の目的が他者にばれなくて済む事だが、
欠点としては他者に憶測を許してしまう事だろう。
つまり大衆がこれだけ「公共に反する」と店を批判してるのに
なぜ要請に応じないのか?と、大衆はその裏の目的を憶測し
始めるわけで、これも一つの大衆の憶測に過ぎない。)

ーーー
此の構造が左巻きの構造と酷似している。

常軌を逸して日夜他人の欠点探しに明け暮れる徒党を組んだ輩。
どうすればそこまで人一人が、例えば総理個人を
批判し続ける事ができるのか?と疑ってしまうのだが、
こういった構造がわかると理解できる。

既述の通りだが、あれは個人ではなくて、むしろ個人は
ハリボテであって、彼らの「崇高なる」理想のために、
口だけ借りて動作しているだけである。
そこにはハリボテ個人の良心を挟む余地はないのである。
(あな恐ろしや。)

国際会議の場で、どこぞの「代表」がものすごい主張をして
一歩も主張を曲げない事があるが、それこそその代表の
目的は「言う事を言う」事なのであって、その場の流れとか
総意に沿ってとか、代表個人の判断で発言を引っ込めたり
妥協するという選択肢はないのである。(もしそんな事を
して帰ったら、それこそ命にかかわる問題なのだろう。)

ーーー
此の構図はなんだか任侠に似ている。
しかし彼らが「仁義」とかを解してるとかは到底思えない。
(彼らには崇高な人智とかは勿体なさすぎる。)

つまり、任侠の構造だけ真似して(お得意の)、
任侠では仁義が中核にあるのだが、それを都合のいいように
別のものに置き換えているのだろう。

そして一旦左巻きに絡めとられると、歯車として
組み入れられて個人意識とは無関係に動作するしか
なくなるのである。(よくできている。)

ーーー
よくできていて、何か事を成すにはこれほど便利なものは
ないが、政治3.0ではもはや通用しない。

左巻きがハリボテのコマの大量生産で来るから、
ではこちらも木偶の坊の大量生産で対抗しよう、
とはならないのである。

左の総括

一応ようやく結果が出たようなので総括しておく。 (いつも通り具体を避けて抽象的に述べるので読みづらくてすいません。。) とは言ってもこれまで散々述べてきた通り、あちらの根本は「利己」であるということの繰り返しであるが。 まぁそれが象徴的に民意として「流石に目に余る」という結果にな...