2020年5月22日金曜日

直しようのない性格

どうしようもない性格の人を知っているだろうか?
身近にいれば分かるかもしれないが、そういった人は
どうやっても性格が直らないのである。
「馬鹿は死んでも直らない」とはよく言ったものだ。

最近ではあまり居なくなったが(「残存」している者については
後述するのだが)、海外を見ると本当に昔の
性格がひん曲がった人みたいな人がまだまだいたりする。

例えば人を妬むな、やっかむなと、いくら言い聞かせても、
本人も納得したように見えるのだが、最後はやっぱり
妬み、やっかみを持ってしまう人など。
これは、もう「そうゆうふうにできあがってしまっている」
とかしか言えなくて、根本にあるのは親から同じような仕打ちを
受けた、つまり絶対的な愛を知らない、とか、
「不信」とかに行き着くのであろう。

こういう人を直すには、本当にゆっくりと時間をかけて
分かって行ってもらうしかないのである。

ーーー
「最近ではあまり居なくなった」と書いたが理由があると
思っており、それは明示的な宿命を背負わされたものが
減ったからだろう。

現代は自分の希望・理想を追い求めることができるように
なってきているので、そこで性格がひん曲がるかどうかは
自分次第だろう。

昔の時代は、自分の希望・理想があっても宿命的に叶えられず
「歪み」となって性格にも歪みとして反映された。

事はそう単純ではないのは承知だが、片や大局的に
考えることもまた必要であろう。

また逆に、こういうどうしようもない人と、なぜか一緒に
なってしまう人もいる。
宿命論とか性格論とか色々あって、そういう話を聞くのが
好きな人もいるだろうが、これも大局的に見れば、人には
自浄作用があるので、本人の表層意識からは、つまり自分の
認識としては持ってないが、どこか人としての自浄作用とか
(深層心理とか言われてたりするのかな?)が作用して
引っ張られているのである。

ーーー
ひるがえって、現世の途方もないリソースの浪費について
目を転ずると、結局は人のこういったどうしようもない
心に辿り着くのである。

人をよく知っている人であれば説明さえ不要と思うが、
世界をダメにしている人を一目見れば、「あぁこれはダメだな」
と自然と、というか人の叡智としての感覚で瞬時に分かる
ものである。

最初の例で書いたように、身の回りに「困ったちゃん」が一人いれば
周りみんなで気を使いながら、長い時間をかけて温かく
快方を願っていけば良い。
「三つ子の魂百まで」もよく言い当てたもので、悪い方に
当てはめると、困ったちゃんと伴走しなければならなくなった人は
それこそ一生をその人の快方だけに費やす、ということもありえ、
実際に数多そういった事例があったのだろう。

たった子供の三年とか、物心つく十年とか、成人する二十年とかの
接し方で、その人の一生を方向付けてしまうのだから、もし親が
意図的に不信を植え付けたり、他人の仕打ちを繰り返したり、
そもそも子供を放置したりする罪は恐ろしく大きい。
最悪はその子供だけの人生だけで済めば良いが、上記のとおり
周りのはるか何倍、何十倍、何千倍ものリソースがその人の
快方だけに振り回されるのである。

不幸にも上記のような人ができてしまったとしても、それは母数からすれば
例外的少数であったので、社会で温かく支えればよく、
実際そういった包容力のある社外ができてきた。
今巷で行っている「少数派」の本当の意味はこういった人である。
(間違えないで欲しいものだ。)
こういった少数派を温かく支えていかなければならないのは
人として当然であって、誰かが言ったからとか、制度がそうなってる
とかとは関係なく、人の自浄作用の本能的に支えるものである。

ここから本当の罪が始まる。
つまり、どうやら構造理解によって、上記でいうところの
本当の少数派を煽り立てたり、同情を装って、または本当に同情する人も
さらに煽り立てたりして、本来は快方させるべきものを、
逆に傷を深くえぐっている輩がいることが判明した。

政治とか人を良い方向に持っていくべき人が、悪い方に扇動したら
道を見失っている人がみんなほいほいついて行ってしまうではないか。
上記の例で親の罪は大きいと言ったが、悪の扇動という点では
罪をさらに煽っているので、そのはるか何千、何億倍も重いだろう。
(既述の「そんな重い罪を背負えるのか?」参照)

「どうしようもない人」の例に戻るが、そういった人が変わるかどうかは
最後はその人次第である。「いい人になりたい」という気持ちがちょっと
でもあれば、最初はそれまでの習慣という慣性が働いてなかなかうまく
いかないだろうが、積み重ねや何かのきっかけで快方の糸口が見つかって
いくはずである。
「どうしようもない人」を元に戻すのは本当に途方もないことである。
何かの映画でゾンビに知能を持たせようとするシーンがあったが、
これは「正常な人だったら持ってる感覚」がすでに腐ってなくなってしまった、
しかしどこかに眠ってるはずなので呼び起こせるはずだ、という意味では
(決していいとは言えないが)いい例である。
ここでいうゾンビとは「親の愛情なり、人を信頼することなり、何かをロスした人」
ということで、もっと適当な例があれば良いのだが。
映画ではゾンビに何かをやらせてうまく行ってる間はよかったのだが、
ちょっとミスしたら一気に感情=本能側に戻ってしまって終わりだったが、
実際の「何かロスした人」との関係も似ていよう。ちょっとずつ、ちょっとずつ
信頼関係を築いて行って、そういった人は人から何か言われることを嫌うので
それこそ温かく態度や行動で接していくしかない。うまくいかないと慣性と
いうか発作みたいなもので、また昔の、というか当人にはある意味安住の
地に帰ってしまう。その途方もない繰り返し。
それでも何とか積み重ねていって快方の糸口を見つけていく
「行」のようなものである。

しかし、悪の扇動は当初から「いい人にならなくてもいいですよ」と
耳元で囁いているようなものである。
せっかく「いい人になりたい」という気持ちがあったとしても、そんな輩に
からめとられては、快方への糸口もぶった切られる。

最初に「残存している人」と書いたが、「残存させられている人」と
言ったほうが正しい。宿命もなくなり希望を持って生きられたはずなのに
本当に残念・無念としか言いようがない。

最初は「人はそんなにずっと恨みを持ち続けられるのだろうか?」と
不思議に思っていたのだが、構造理解によって「恨」をフランケンシュタインの
ように無理やり永続していることが分かってきて腑に落ちた。

構造理解によって、真の罪は、可哀想なものを利己のために扇動して
いるものである。
(ここでいう罪も根本をつまびらかにすれば悪の扇動であることまで
判明したので、現世法がそのうち追いつくのも時間の問題だろう。)

ーーー
「いたちごっこ」ともよく言うが、悪の変遷も面白い経路を辿るものである。
その特徴にいかに潜むか、隠れるか、秘匿するか、という面があり、
最近「集団ストーカー」なるものを知って、なるほどと思ったものである。

人を追い込むのに陰湿なやり方をすることは知っていたが、よくそんな
暇なことができるなと感心していたが、現在ではそれさえも分業している
ということだった。
例えば「この家の前を通る時にこういったことしてくれたら、いくらいくら
あげますよ」と。その家の人はみんなから見られていると思ってしまう。
そんなことを気にしない人もいるが、気にしてしまう人もいるわけで、
そういった心理をうまく攻撃しているのだろう。
こんな芸当は素人にはできないわけで、陰湿さもここまで来てるのだと
妙に感心してしまった。

問題は軽い気持ちで、というか悪いこととも知らずに加担してしまった
人である。これは前回書いた通り、本当に何をやってるのか認識できない
人はかわいそうなのであるが、そこまで認識が遅れてる人が大半でもない
はずなので、認識した以上は加担しないことであろう。
つまり「加担即悪」の基準で気をつけていかなければなるまい。

リーマンショックでもないが、質の良くない債権をリスク分散とか
いいこと言って細分化してみんな知らずに買っていたが、いざ破裂すると
被害を被るのは自分である。
集団ストーカーも人を「傷つけること」を細分化して、みんなに
売り歩いているのだが、それを寄せ集めると「傷つけること」であるので
甘い言葉に乗って買わないことである。
「破裂」とは例えば「地獄行き」とかが分かりやすいだろうか。
まあ「積悪」すれば刑務所行きとか表面上でも現れたりするが。

ーーー
集団ストーカーも真の悪は、それを取りまとめてる人なり組織なり
なのであるが、組織となるとリーダーとかがいるわけで、そういう
ものが悪を扇動している罪は大きかろう。
ただ、こんなことをするのは末端組織であって、またその元締めが
いて、と、今度は組織の分散論になってくるのである。
つまり末端組織では「なんか悪いこと」くらいは知ってようが
これもまたリスク分散のように「罪の分散」がされているのである。

政治とかで前線に立っているもの(前回でいう「ハリボテのコマ」)
も実は何も悪いことはしてないと思っているのではないだろうか?
それこを真性の、良質のコマさんである。
(そりゃあいいように使われるわ。)

ーーー
今回、政治3.0によって、いわゆる左巻きの処理は一旦は完了して
政治も正常化し、一見穏やかな生活が戻ると思えるかもしれないが、
また悪は一旦潜伏して、次の隠れ蓑を見つけるに違いない。

常々言う通り気にしている点はむしろそういったことである。

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左の総括

一応ようやく結果が出たようなので総括しておく。 (いつも通り具体を避けて抽象的に述べるので読みづらくてすいません。。) とは言ってもこれまで散々述べてきた通り、あちらの根本は「利己」であるということの繰り返しであるが。 まぁそれが象徴的に民意として「流石に目に余る」という結果にな...