2020年5月27日水曜日

精神の堕落

構造理解によって、運命的、宿命的欠陥がないにも関わらず、
自らの認識を放棄してまでも、「ロスした人」を装うものたちが
存在する事が判明した。
これは本来の自分の能力を放棄している事から、精神の堕落と
言える。

「地獄に行く」とは大きく言えば抽象であるが、かといって
それを無視して利己に走ったものを見ると、はたしてよい
結末を本当に迎えているかといえば、決してそうでない。
精神的堕落をした人々が、その根本的堕落を見えないように
隠して「自分たちは正しいんだ、少数派なんだ」と言い合って
徒党を組んで、自分を見ないがために目は蛇のように冷徹になり、
他人の同質を見つけては同胞化したり、なびかないものに対しては
嫉妬したりやっかみしたりして「あなた方も同様の性質があるでは
ないか」と批判ばかりする。
これはまさに自分の非を見ない裏返しからくる作用である。

そのような徒党を組んだ蛇の集団の、一分子の行く末、行き着いた末、
つまり滅する瞬間が、幸多い結末になるとは到底思えないのである。
前回詳述した通り、つまりは、というかやはりなのであるが、
最後は自分の心に戻ってきて、自分自身で築き上げた精神的堕落に
よって自分自身が突き落とされるのである。

実は地獄に行くという事も、その人個体の中で自己完結した話なのである。
ただ、上記構造を第三者が見たときに、その人に諭すために、
または子どもにわかりやすく説明するために、
外的要因である例えば閻魔大王によって地獄に突き落とされる
などと抽象化しているのである。
(こんな大昔から言われ続けている話なのに「科学が発展した
現代において私には関係ない」といって、精神的堕落に邁進して
しまった人々は大いに後悔すべきである。)

ではなぜこれほどにも精神的堕落が構造化してしまったのかについては
次回述べる。

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左の総括

一応ようやく結果が出たようなので総括しておく。 (いつも通り具体を避けて抽象的に述べるので読みづらくてすいません。。) とは言ってもこれまで散々述べてきた通り、あちらの根本は「利己」であるということの繰り返しであるが。 まぁそれが象徴的に民意として「流石に目に余る」という結果にな...