最大限の利益を得ようとしている構造理解ができたわけである。
つまり根本が利己で、それを秘匿し金メッキを何重にも
塗ったくり、先兵にはハリボテのコマを大量排出して
「何を言われてもビクともしない。恥さえ感じない」という防御と、
蛇のような執着と陰湿さで1ミクロンでも揚がった足さえも見逃さないという
攻撃を持って現世を謳歌しているのである。
ーーー
構造は分かったので、がんばって相手に寄り添って考えてみようとする。
つまりそんなことを続けて確かに、彼らの利益・利己は充足されている
のだろうが(とは言ってもその構造上からも、結局一時的な「うつつ」でしか
ないと思うのだが。)、では、彼らが精神的に得られるものは何だろうか?
ということ。
これまでも書いてきたが、彼らの構成員がそうだからなのか、またはその
構造を動かしていくと勝手にそうなってしまうのかは分からないが、あちらの
根底にあるのは「不信」である。
よくもあのように四六時中人を疑い続けて、自分が属している「仲間」さえも
「いつ騙されるか、いつか騙されるなら先手を打って排除しよう」みたいなことを
考えながら精神を保っていられるな、と思う。
(逆説的には、人は疑い続けてもちょうど人の一生の期間くらいは精神を
保てる、ということなのだろう。そして滅する間際に絶望的後悔をすると。)
以上が前提で、では彼らが得るものはというと、ひどく濁って自分でも嫌になる
ような「心」であろう。それしか残らない。
彼らが「活動中」は周りに「お仲間」みたいな人がたくさんいて、みんなが
やっているのだから大丈夫と思ってるかもしれない。しかし構造理解の通り
騙し合い組織であって、ちょっとでも分が悪くなればトップを筆頭にして
一目散に誰も居なくなる。幸い「定年」まで裏切りもなくやれたとしても
活動を停止した人には物凄く冷たい組織であろう。
つまり残るのはひどく濁った自分の心だけ、ということ。
おまけに、構造理解の通り行動原理が利己なだけに、その活動とはつきつめると
利己の為の嘘であったり、人を騙すことであったりということが、「定年後」に
ゆっくり考えると嫌でも分かってくるであろう。
(このへんがお隣のトップの末路がなぜこうもそろいもそろって不幸なのかという
原因だと思ってたりするのだが。つまり良心に気づいてしまったのだろう。)
何も定年に限ったことではない。病気や怪我でも何でも良いのだが、ふと組織の
考えを抜けて、敢えて言えば自分の本性に立ち返って、それまでの行いを振り返って
みると分かるのであろう。
しかも、実はそんだけ一生を費やしても自分の取り分は大したことがない。
構造理解の通り、既得権益のパイのブン取り(かなり力づくのブン取り)でしかないので、
総量は決まっている。そしてあちらの超頭脳はかなり賢いので、一気に取らずに
時間×その時取れる量という総量計算をして精巧に利己を充足しているのである。
その構造上、彼らが「将来のために」「人類のために」「発展のために」何かを
するはずもなく、つまりイノベーションも生まれるはずもなく、せいぜいコピー精度を
高めるくらいなのである。
ーーー
個人の話に戻り、あちらの組織としては、コマに本性に立ち返られてしまっては困るので、
決してそうはさせないのである。(前回書いた「歯車」参照。そういう悪知恵だけは
イノベーションしている。)
巷に溢れている「最初はこれ、それが出来たら次はこれ」みたいな手法や、
それこそ情報は腐るほどあるので、彼らに適した小難しい論文とかを絶えず課題として
読まし続けるとか、そういった手法は「よく」出来上がっているのであろう。
そして逆の立場のこういった記事は決して目に触れさせないようにしている。
前回書いた通り、それはまるで任侠の世界であって、一旦入ったら出られない仕組みに
なっている。軽い気持ちでなのか、知らず識らずなのか、自己判断基準が甘いと
あちらの巧みな手法に絡め取られてしまうである。
(これも後ほど一本書くが「加担即悪」の気持ちでいないといけないのであろう。)
「本当に何も知らないで」やってたら、法的にも無罪になったり、地獄行きも免れたり
するかも知れないが、よほど道理の認識ができないようなものでなければ、やったことの
結果は認識できるはずであって、最後に残るのはやはり自分の心である。
または開き直って、それが正義と自分を偽れば心が落ち着くかも知れないが、これも
認識能力がよほど欠如してなければ正義とは納得できまい。(または本気で人ならずに
なるか。確信犯になるのだが。)
残るものとしてくっついてくるのが、そういった「実績」である。構造理解上、実績とは
どこか巡り巡って人を傷付ける事とか、嘘とかになっていて、その「成果」として
わずかばかりの「おまんま」代として報酬を得ているのである。
この実績が累積されて臨界点を超えると、現実世界上では法の裁きとなろうし、運良く
現世法で裁かれなくても、子供に言い聞かすような言い方をすれば、地獄行きとかに
なったりするのである。
そして、あちら側で「頑張れば」悪名さえ残し得るが、決して偉人としては名は後世に
残せない、そういう切符か宝くじみたいなものを、なんと無料でゲットできるのであった。
ーーー
まとめると、あちらのやり口だと、たかが目の前のおまんまを得るくらいの利益しかもらえず、
しかも本当に残るのはひどく濁った自分の心だけ。
ちやほやされてた時は気づかなかったかも知れないが、まんまとメッキの富豪になったり
安定した老後を迎えたりして、安住の地を求めようとすればするほど、嫌が応にも利己を貪った
自己を振り返さざるをえず、本来は安住の根っこであったはずの自己の本性には決して
帰れぬ身となってしまった事に気付くのである。(悲惨すぎる。)
社会的に待っているのは、海のような歴史と伝統で成り立ってきた「正常な」社会であり、
その社会をさんざん自分で罵ってきたのだから、「復帰」できるかどうかは自分の心次第
であろう。
自分が属してきたあちら陣営は上記の通り、役立たずになった瞬間に捨てられている。
ここでも残るのは自分だけ。絶えきれなくなって、最後までバカを装って、それまでの
実績を無かったものとして「正常な社会」に復帰させてもらうかどうか。
安心して欲しいのは、そのような人でさえも救済されるという事である。
(または、こういう理解が世間に広まって、あちらのコマが減りだしたら焦り出して
あちら側の老後も保障しだすかも知れない。いつもどおりメッキの保障だろうが。
(保障となると構成員が少しずつ保険料みたいに救済金を出し合って痛み分けをする
思想だが、構造理解上、あちらの構成員が自分の利益から一円さえ出すわけがない
のである。))
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