2020年3月28日土曜日

経済的な面

ちなみに、そもそものあちらの主義的な箇所であるが、
自分たちではイノベーションはせずに、相手の
イノベーションを真似して、その後に計画経済で
繁栄するという時点で、経済的に豊かになれるはずがない、
ということはもはや誰でもわかっていることだろう。

では、なぜなお性懲りも無く残っているかというと、
慣性がついてて惰性として残っているだけである。

ーーー
そうすると、むしろ抜け出したいのはあちら側
本人だと思う。
そしていよいよ動きが具体化してきた。

あちらは詭道なので、いつもながら先ずトップが
敵前逃亡する。
裏切りの嵐が吹き荒れるだろうから、これまで
熱心に「労働」して功績をあげてこられた方は
裏切られないように注意したほうが良い。
(というか完全トップダウン組織なので、重要な
情報も上から順に掌握してるので、綺麗に上から
抜けていくのだろうが。)

政治3.0。冷静になって考えよう。人類はそこまで馬鹿ではない。ただ分かる人と分からない人がいる。

冷静になって考えよう。
人類はそこまで馬鹿ではない。
ただ分かる人と分からない人がいるということ。

ーーー
このような非常事態にも関わらず与党の批判や
揚足取り、足の引っ張りしかしない野党を見て、
果たして国の最高意思決定機関がこれでいいのかと
多くの方々が思っているはずである。(ずっと前からだが。)

良いわけがない。

現状のまま、つまりボトムアップのままでは何も
変わるまい。左巻きが見透かして権利やらを主張して
変わらせまい。

よって、世の賢明な・聡明な方々で科学的・理論的に
あり方を見直すべきである。
政治のバージョンアップ、政治3.0の時である。
(政治1.0 : 初期の「正常な」時代
 政治2.0 : 左巻き思想が入って、かき乱された時代)

ーーー
そもそも「健全な」「理想の」議論とは、解決すべき
議題・目的があり、その実現方法としてA, B, C, D...と
複数の案があった時に、それぞれの立場で意見を主張して
お互いの主張を認め合い、認めるからこそ譲歩すべきとこは
譲歩して解決の糸口を見つけていくのである。
(ディペード。ディペードでは相手を批判しないことが
 トップくらいのルールだと思ってるが。)

現状の国の最高意思決定機関を見てみると、前回書いた
小学生の議論の例をとると、相手の意見を罵って、
自分の主張だけを感情的に述べ、最後は権利を盾にして
絶対に譲歩しない生徒のようなものである。
本来の議論の目的ももはや忘れ去られて、周りのみんなは
「あぁ困ったな」という状況。このような困ったちゃんに
小学校時代に遭遇した方もおられるだろう。

この「あぁ困ったな」という感情は正常なのであって、
人の感覚は英知の結集なので、科学的に解明すると、
科学的根拠がある、という例がいくらでもある。

つまりこの辺に解決の糸口がある。


議論においての、相手に対する反対意見は大きく
2つある。

1種類目は相手の意見を考慮した上での反対意見。
相互理解=コミュニケーションとしての反対意見である。

2種類目は自己主張としての反対意見。
自分の立場はこうですとよ。

(根本を辿ると全て2種類目になるのかもしれないが、お互いに
2種類目を主張し合っても何も解決しないので、「議論」して
角をとっていきましょうね、という最初の話に戻る。)

2種類目を固持すると意見が感情的になったり、果ては
問題を細分化して、「理論化」して(世はこれを
屁理屈というのだが。)、「ここの最後の末端の
条件が疎かにできないので、巡り巡って賛成でき
ません。そうですよね「論理的」に。」などと
言い出してしまう。

その議論をしている集団が弱くて、こういった2に
負けてしまうと、本来の目的とはかけ離れた、
「何をしたいんじゃ、これは?」という法案が
通ってしまったりする。(過去にもそんな例が
ないだろうか?というかそんな例ばっかり?)

2種類目を固持し続ける人は、そもそも「議論」というものが
1種類目になって議論することであるはずなのだが、
かけ離れれしまってて、そもそも「話にならない」
「議論にならない」ので、まずはそこを身につけて
きてから出直してきてくださいということ。
(既述「対話のスタンダード」の理念)

※科学的解明が必要な箇所:
論理の一本でも糸が通ってれば、末端から、
というか末端にこそ「肥やして」、下から
上へ築き上げようという魂胆が、嫌という程
明らかだが、
論理としては、下に嚙み砕くほど、その程度に
応じて係数をかけていくことが「本来」であって、
これまでの「自然」を見ても、その秩序を保って
こそこれまで成り立ってきたのではないか?
「本来」と「自然」を科学的に論拠立てていただきたい。

(もしも末端の異物が勝るなら、全人類ががんで
滅亡している。「私は悪人です」とは誰も言うまい。)

(「科学的に解明」というのは、すでに学問領域が
かなり侵食はされてるものの、それが仇となるのだが、
学問機関は崇高しているのであって、一応(と言っては
大変失礼なのだが)人類の英知として誰も侵すことの
できない領域として、左巻きでさえも従ってる領域で
あるため、「科学」「学問」的に証明できれば、
いくらもがいても、自らが制圧してきた(と勝手に
信じてきた)学府から、科学的に論理崩壊を
指摘されるに至るのである。)

ーーー
次に、上記「2種類目」を固持し続けられるようになるには、
簡単に言うと「阿呆」になることである。何があっても意見を
曲げない、何を言われても平然としている、如何に恥ずかしい
ことでも「目的」のために厚顔を貫くモノである。

街の真ん中で大声で自分の主張をして、「度胸をつける」
「箔をつける」などという催しがあるようだが、裏としては
2の人材育成だろう。

こういった「コマ」に前衛に立たれると議論がストップして
あちらの目的が達成されるのであった。(めでたしめでたし)

ーーー
次に「2種類目」が狙うのはどこか?無論「弱い」ところが攻めやすい。
政治1.0時代は綻びだらけであった。ただし皆が同じ目的を
共有していたため、上げ足取りや重箱の隅を突いてくる
輩はないかった。

そこから政治2.0になった最初の頃は、「攻撃」し放題であった
ことだろう。攻撃にあった集団は、それまでの伝統・良心を
持って対応するしかなかったので、何とも心細かったと思うが、
何とか現状に落ち着いている。
(そもそも2種類目は集団論からすると異物なので、受け入れ側の
集団・組織は「何とか融和できないものか」といった過程の結果と見るべきか。)

ただ、教育関係やメディアはことごとくやられた。
(こちらは「弱いから」という理由ではなく、確信的に
攻めたのであろうが。)

相手の弱点を見つけて攻撃すれば「褒めて」もらえるから
簡単なものである。それでおまんまが食べられるのだから、
「もうやめられない」境地だろう。
政治1.0などは性善説的に成り立ってきたものであるから、
攻撃できる箇所はいくらでもある状態だった。
弱点の攻撃を個人でやったら単なる嫌な人だが、徒党を組んだり、
国を挙げてとなってくると「哀しく」なってくる。
(相手の弱みを常に見張っている人の、あのやっかみ持ちの
ような、蛇のような目はいつ見てもぞっとする。
そんな人たちが徒党を組んで内部では一体どんな腹の
探り合いが繰り広げられているのだろうか?
そんな組織があちらの「理想」らしいから、どうぞ、
さぞや幸福に人生をお過ごしなのだろう。)

ーーー
何だかあちらの教科書みたいになってきたが、相手を知った上での
話なので当然の流れである。
(またあちらも教科書は公になってるので、それをそのまま
なぞっても問題はない。)

根本にあるのは利己のための破壊・暴力である。
ただそれを言っては「私は悪人です」と言ってるのと
一緒になってしまうので、その部分は深く隠している。
根本からして正体は表に出さないのが特徴。

既成事実・既得権益を破壊して、自らが利己のために
新しい既成事実・既得権益となる。根本が利己のために
将来はどうなっても良い。(いつも言っている
「せいぜい数世代」しか考えてない、ということ。)

人の「感覚」までも破壊してるので、あちらさんの
具象をみると身の毛がよだつのも尤もなこと。

そういえば自ら地球人ではないことを、本当の本気で、
つまり正気であれば恥ずかしくて子供でも言えそうも
ないことを、情けないことに国のトップが言っていた。
秘匿が本務であるはずなのに、こんなに正々堂々と
「左とは「正常な」人としての感覚は持ち合わせていない
集団ですよ。」とトップが言ってしまって大丈夫だろうか?
と逆に心配になったものである。
(しかしこのお陰で誰でもこのことを公で発言できるように
なったため、みんなから喝采を受けた。そしてその後も
その人は特にあちらの「お上」からお咎めもないようなので、
あちらの「超頭脳」もこの論理崩壊に気付けなかった?
いやそんなに「超頭脳」が愚かではないはずなのだが、
あまりにも事が大きすぎるので、お得意の開き直りか?
と、これもまた多くの人から憶測されることになった。)

ーーー
社会は議論の結果としてルールを作ってきた。
最後の最後まで折り合いがつかずに「哀しいけど」ルール化しなければ
いけなかったものもあろう。

政治3.0への持っていき方であるが、「2種類目」はやはり「議論」の
崇高なる理想をはなっから理解できてない、理解しようとも
していないので、「哀しいけど」何かしらルール化するしか
あるまい、ということ。
これは決して排斥ではないことは、これまでの既述を「理解」
できれば理解できる。

つまりあちらさんの決して譲れない「権利」も内包する。

「本当の」2の人は社会的弱者なのであって、優しくして
あげなければならない。(集団の英知で昔から優しくしてたが、
左が群がり出して、あたかも優しくしてないことに
させられてしまったが。)

日本はそうやって、相容れないものも優しく包み込んで
「よしよし」と生きる道を一緒に見つけてあげてきた。

英知であり、解決法である。

ーーー
これらは無論私ごときが言うまでもないこと。
世には遥かに賢明・聡明な方々がいる。

結論としては「対話のスタンダード」が議論する上での
基本的要件となることである。

ーーー
後記としては、上記の通り直接的には大陸のコロナに始まり
コロナのために、世界のみんなが「力」も恐れずに開けっぴろげに
民間からも声が出初めて、あちらの「陰湿な」やり方よりも
「公」が勝ったということに他ならないことに、
改めて激動を感じている、と言ったところか。
(無論まだまだ気をつけなければならない。)
(声なき声が、メディアの「頑張り」も虚しく
主導した通りにはなりようがないこと。「世」は愚かではない。
むしろその「頑張り」に「慈悲」を感じて
援助までする暖かいお年寄りまでいる始末。
よほど救済されてる。ふぅ。
これで編集後記を締めます。)

2020年3月25日水曜日

この過渡期の大切さ

「相転換」とはやはりこれほど劇的なのだなと。
千年単位くらいで見ると大樹の節のようなもの。

どういうわけか集積して発散する。

既述の通りなので詳細は繰り返さないが、
こんなに具体的に既述しないと理解できない、
できなかった方々がいたことが哀しいということ。
(今まで熱心に読んできてくれてた方々には
「何回繰り返すのか」と言われてしまう。)

ーーーー
最近のご時世は楽になって、そこまで
「潜らなくて」も一生を安泰に過ごせてしまう。

千年単位で見た時の節とは何か、
ーーーー

「ちゃんと考える」ことを標榜としているメディアである
ならば、なぜ知識の真相に潜らないのか?
民衆は阿呆ではないので知っている。
おそらくメディアも阿呆でない民衆を知っている。
それでもメディアは「知った上で」続けている。
それを民衆も知っている。

結論としては「何かしらの操作ができそうだ」と思って
実施している輩にやらせて、結果が彼らの求めた通りの
「せいぜい数世代」の利益として彼らに還元されれば、
それで彼らも大満足なのではないのだろうか。

ーーー
これが下らな過ぎて、故に誰も書こうとしてこなかった
所以である。根本と突き詰めると、先代、先先代の
苦労が勿体無いすぎるので誰も書けなかったのである。

おそらく、今日はこれくらいで終わるが、「ちゃんと
積んできたもの」は、無論「無音」なのだが
というか私のような輩がその端々を出してしまって
いいのか思いやられるが、西洋音楽で言うところの
「重低音」は長く広く響くことだろう。

2020年3月22日日曜日

口蹄疫について再掲

既述の通りだが、口蹄疫が日本で広まった時に
「メディアは広まった後だけをワーワーと
不安を煽るように報道しているが、では、
出処はどこだったのか?という、小学生でも
持つ疑問となると、途端に口を閉ざす。
メディアに関わってる人は一気に熱を失って
根本を追おうとはしない。」と書いた。

あまり周期的なルールは知らなかったが、確かに
10年くらいの周期である。(結果を追う考察なので。)

結果を追う考察は置いといて、当時の論としては
「果たして誰か病気に罹患した、例えば鼻を
ゴム手で触って、外して、バッグに入れて、
一般市民で、空港も何も疑われずに通って、
国内に来てそれをはめて国内の牛の鼻に触ったら
感染するだろうな、ということ。
サスペンス風にこうやって書くと、あたかも
黒い服を着た誰かがいたと思うかもしれないが、
誰もわからないということ。
(無論阿呆でもないから、足が着かないようにしている。
そこではなくて、「悪意」を持った輩がいたとすれば
未だにそれを防ぐ法も、手段も整備されていないということ。
あの時にあれだけ、具体的に損失を出して、肌感覚で
「痛み」「苦しみ」「飢え(これが一番きつい)」を
味わったのだから、「法も、手段も」整備されたこと
であろう。)

ーーー
それを踏まえてなのだが、今回のコロナは逆に
分かりやすすぎて、サスペンス好きには冷笑されて終わる。
(国を上げてやっているのだから、もう少し、せめて
小学生レベル以上にしてくれと思ってるだろう。)
突き詰めると、出処は「金」なので、仕事は雑である。
「やって」「金をもらったら」「あとは知らん」)

ーーー
突き詰めると敗因は、「現代」と思って、探偵小説や
現代法よろしく、アリバイさえ作っておけば
何をしでかしても良い、と「国」として意思決定して
しまったことであろう。
(世の「頭脳」はこれくらいのことは、とうに「理解」
している)

数千年を費やしての「骨董」思想国家と思われる
所以である。

こういった「骨董」的考え方は、無論、末端の細部を
個々にみると全て正しいのだが、では全体を俯瞰してみると
「正しく」ないのである。
ここが哀しいかな現生法の限界なのであった。

ただ、現代の限界・欠点を把握した、ということが
大きいのであって、把握し、定義できれば、克服できる
のである。

例えば、どこでも対処に苦慮していると思うが、ものは
使いようというように、彼らの粘り強さを買って、
対外的な世論戦術の矢面に立つように誘導してあげれば
良いのである。彼らも生きる道を見つけて、嬉々として
対応してくれるだろう。
(いつもの通り、ちゃんと皮肉を皮肉と受け止めるように。)



解明のしあい

前号までの通り、ここまで開けっぴろげに
一般庶民まで浸透してきたのであるから、
まさに右も左も「解明のしあい」の様相を
呈してきた。

つまり権利だ少数だとか便宜のいいことばかり
利用して便乗してきたあちら側。
それこそメディアを牛耳って、大衆はもちろん
そういった少数派も含めての、あたかも世論の
代弁者面をしているわけだが、そのようなことは
前述の通り「誰でも」知っているだけである。

発信に特化してるため、発信しないものは
何の意志もないと短絡している時点で、
いや上層はそこまで阿呆ではないはずで、
その危険性を知っている・知っていたはずだが、
やはり組織構造上、イエスマンしか上層に行けいない
ため、まんまと情勢判断を謝る体制に自ずから
した時点で負けであったのだろう。
(ほったらかしにしたというか。)

「世論」の構成員とはそこまで愚かではないのであった。
という結論。それに数年だか数十年だか数百千、数千年を
浪費してきたということ。

これ自体が一般庶民の言葉なのであって、メディアが
懸命に流している情報も知ってるし、懸命に秘匿くしている
情報も一般庶民は知っているのである。(大陸をみよ。というのが
一番わかりやすい喩え。)

こんなに金をかけて情報操作しながらも、いざ「世論」調査を
してみると与党が遥かに勝っていたり、いざお上の話になると、
おそらく統計を取ったこと自体を亡きものにしているのであろう。
(彼らの構造上、トップが全能なので、この「失態」をした時の
怒りようは凄まじいのだろうな。そしてその部下たちは可哀想だな。
「正義」と思い込んでまんまと利用されてきた人はなおさら
いたたまれない。)

そもそもメディア自体がこのように、報道の精神さえ曲解して、
あることないことを垂れ流しているのだから、その反動として、
一般庶民、彼らの言う「世論の構成員」は、これまでメディアに
焚き上げられることを恐れて関係ない人のふりをしていた声たちも、
SNSなどの新しいメディアの力を借りて、正々堂々と「声」を
上げていくのだろう。

(この理論自体はSNS黎明期に記した論と何も変わってないが、
いよいよ具体化してきたので再掲した。)
(いよいよ国家レベルになってきたということ。大切なのは
「その後」であって、「構成員」は愚かではないが、ミスリードを
してはいけないということ。)
(所謂「左側」に加担してきた方々は、どうぞ潔く相転換後は
隠居でもして、それでも地球の資源を消費しながら、ありがたく
生きながらえることにでも満足して、おとなしくしていてもらいたいの
だが、おそらく彼らの面の皮の暑さでは、何の恥じらいもなく
素っ裸で外を歩けるのであろう。)
(それらも、ちゃんと「よしよし」と抱擁していかなければならない、
ということも含めての「その後」である。
考慮することが多すぎて、大忙しだが着々と対処して
行かねばなるまい。当事者はどうぞ手抜かりなく。)



2020年3月20日金曜日

情勢についての余談

先ほどのブログに付け加えて述べておくが、
現在の激変は過去になかったと感じている方が多数。

つまり一般市民感覚だと、戦後?(昔過ぎ?)から
経済成長して、これまで、インフルエンザで休校になったり
自然災害で出勤できなかったりするぐらいで、
例えば都市とか国家規模で発令がなされることはなかったのである。

ニュースでどこかの国が戦争して、不謹慎であるが恐らく多勢が、
学生であれば「学校行けなくなっていいな」とか、会社員であれば
「会社行けなくていいな」とか言うくらいの庶民感覚であった。

ある意味、平和ボケしていたという「一般市民感覚」と
言えるかもしれない状態だった。

それが今回、政府の一声で全国が一斉に動いた。
これは何も特筆するべき何事でもなく、「当然」のことなのだが、
これでようやく「有事」の際の「現実味」が少しは湧いたのでは
ないだろうか?
(無論そのことは記事として特集を組めばかなり面白いのだが、
その面白さを知っているメディアは、決してそんな特集は組まない、
否、組めないのであった。それをちゃんと認識してあげましょう。
暇だったらやり玉に挙げるとか。日常やられてる分として。)

常に寝ぼけたことしか言ってない、左側もようやく寝耳に水を
食らったのではないだろうか。
(無論、左側の頭脳は全能なので寝耳に水ではないだろう。
末端のコマについて。)

ーーー
このような非常事態にも関わらず、政府の重箱の隅を突いている
輩は、いざ有事になっても、どうぞその姿勢を変えないで頂ければと思う。
(そしたら今度は人権だとか言い出すのだろう。)
つまり平時、有事関わらず政府を言及しているというのであれば、
いざ有事になっても、平常通り淡々と桜の話でもすれば良い。
(そしたら今度は人権だとか言い出すのだろう。)
すばらしいかな、個人の安全とかも投げ打って見事に
桜の話をされればよろしい。(誹謗とかいいだす。)

ーーー
「あちらは感情がないので良いが」、というのはまんまと
罠にかかっているので言わないようにしましょう。

確かに、世には出ないが、あちらに対する「対処」は
数多存在するのでそういったことはどんどん明るみに
出しましょう。というか、いよいよ、そもそも「勢力」が
亡きものになる現状であれば、いくらでも、それこそ喜んで
「売って」くれる人が続出するだろう。

ーーー
単なる独り言。

改めての再認識でしかない

私が言うまでもないのだが、今回も形を変えての
改めての再認識である。

つまり世の中は表層であるということ。

表層とはコロコロと変わるものなのである。
ーーー
恐らくというか既定路線化しつつあるが
天変地異もあって天にも見放されつつあるのか
わからないが、(少なくとも特にそういう
まやかしや風水を未だに主軸においてる
お隣の方たちの後押しにはなってるかもしれないが、)
いよいよ大陸が崩れると「みんなが確信」
したのであれば、それまでの「既得権益」は
それは見事に恩も知らずに寝返っていくであろう。
(繰り返すが、私が言うまでもない。小学生くらいまで
知ってる。)

それが詭道の末。それまで詭道で儲かっていたのだから
どうぞ償いの人生を歩んでください、ということ。
誰も償いの人生など歩きたくないから、嗅覚鋭く
去っていく。(人とは可愛いものだ。)

これまで敢えて抽象的に言ってきたが、これからは
目の前の人達が現世の具体として行動していくのである。

表面として顕著なのはメディア。まさにいつの世も翻弄されている。
(これも私が言うまでもない。)
我国の詭道トップバッターも真っ先に寝返って「むしろ」戻ってくるのではないか?
語順も並べ替えたり、そもそも由来も不確かな文字も削って
あたかも我国を代表するような名前にまんまと、ちゃっかりと
居座るのであろう。

メディアを信奉していた方々には、卒倒してしまうくらいの
「怒り」が沸き起こってくるのであろうが、そもそも「メディア」とは
そういったものだと思ってきた人には、「そういうもんだよね」と
今更感しかない。出処さえ不明(自己主張を除く)なのだからあまり
信奉しすぎないほうが良い。(インターネット・SNSの広がりで
「自然と」情報親和性が使われているので、大半は問題がない。
先生方の言う統計学的に若干流されてしまう方々がいるということ。)

ーーー
そうはいっても「大衆」の「慣性」は常に気をつけねばならない。
マスク騒動、紙騒動しかり。
例えばメディアが、というか各国の中枢が「いよいよきたか」と
顔を見合って「では」と厳かに準備をし始めたことを、まんまと
嗅ぎつけて超特大スクープなのだが、ことがことだけにまずは
自らの保身を確保しなければならない。つまり発表による影響を
シミュレーションして、当然自分が崩れないような道筋を考えてからで
ないと報道するわけにはいかない。
つまり「大衆」が知る時にはすでに報道側の、最近お得意の「権利」やら
「自由」やらは120%くらいは確保されて出ているのである。
会社という組織、団体が、例えるなら「山」が、すでにその方向で
動いているのであるから、その報道を知った個人がそこから動いては
遅きに徹しているのは致し方ないのである。

殊にこういった国が久しぶりに動く今この時には尚更である。
(ミスリードになってないかな?そもそも誰も読むブログでは
ないので問題はない。)

恐らく「なぜ誰もわからなかったのだ。」「いや、私は知ってて
どこそこに書いていた」とかなってくるのだろう。

ーーー
改めて話が戻るが、いざそうなって、大切なことは「その後」である。
「そう」であることが既定路線であるならば、恐らくすでに
「その後」もあらかた決まっていると読むのが筋。

「その後」も今と同じマインドセットの人民では同じ結果になる、
ということは既述のブログを参考。
「その後」を考えることが大切なのである。

ーーー
「その後」を考えるにあたって、希望的観測なのか、憶測なのか
誰もわからない。
表に出てこない「超頭脳」でさえわからない。
しかし「人」とは施政者以上に「わかる」ものであることは
歴史を知っていればわかる。
つまりまんまと「その後」を「設計」しようとしている場合は、
例えば「白紙の状態から」「設計」できるとは考えないほうが良い。
その時点で時代は逆戻りする。(もう少しはっきり述べると
あちら勢力のやっていたことと何も変わらないということ。)

ーーー
いざ解放されたその刹那なり、境界的な隙間なり、「人」は
見事なまでにありのままを捉える。

つまり現在の情勢。何が本当で何が嘘だったのか。
(言うまでもないが)この説明で充分であるが、具体化しないと
分からないものがいることが哀しい。
(世の哀れみとはそういったこと、そういった層で
あったと思う。)
こちらは「正に」「いた」「あった」ことを
そのまま堂々としていれば良い。
(いつまで「誠」が勝つみたいな、誰もが
わかる倫理を国家規模で演劇を演じなければ
ならないのか。その浪費を悲しめと言うことも
既述のブログを参照。「一生は限られてる」時点で
「リソースは限られている」のに、何でそんなに
リソースを無駄遣いできるのか?それこそが
せいぜい数世代しか考えられない脳しか持ち合わせて
いない証左であろう、ということも既述なので
よければ参照。)

つまり「まんまと」「暴かれる」のである。
このエネルギーはそうれはもう強かろう。
(あな恐ろしや。)
(付け加えると「まんまと暴かれる」時点で
「頭脳」の負けである。かなりの大半の人は
「知ってた」と言い張るだろう。
つまりよくもこんな西暦二千何年にもなって
骨董の思想が世の中に国レベルで残ってていたのだな、
という、例えば千年後に恥ずかしさで
いっぱいになると思うのだが。誰もそんなこと
までは気にしないのだろうか。(平和だな。)
(これは皮肉なのであって、ちゃんと
皮肉と認識して、正常な感覚を持っているのであれば
ちゃんと怒りを覚えて正常化していきましょう。)

2020年3月18日水曜日

欧州制限について

いよいよ欧州からの制限も追加された。

政府として制限を決定した時点で当然の
流れだが、それではこれまで散々喚き散らしてきた
左側陣営の出方を見てみよう。。。


なるほど。答えを見るまでもなかったか、
ということ。


では現実世界をどうぞ。SNSなりなんなりで
お楽しみください。

2020年3月17日火曜日

コロナに関して、あの機関の操られっぷりについて

コロナに関して、あの機関のトップの操られっぷりは凄まじいが、
ここまでくると、買収されていることを
アピールしてるのではないかと見紛うほどだ。

しかしこれはある意味、これまでは内部の人は内情を知っているが、
言えば職を失うから言えなかった状態だったが、よもや
トップが自ら白昼のもとにさらしてくれて助かったと
思っている人が多数なのだろう。

そうなると、トップもへこへこと馬鹿なふりをしながら、
良心に立ち返って、組織の腐敗ぶりを内外に示すことが
できる好機ととらえて、買収アピールに打って出たのかもしれない。

(違うと思うけど、違わないかもしれない。)

結論というか結果論としては、こういった「国際」なんちゃらや
「世界人権」なんちゃら機関というのは左側勢力の格好の
餌食になるということが白昼の下にさらされたということ。

もしも本当の真実が晒されるとブーメランで金の出処に
戻って行ってしまうので、それは今回の機関のトップにも
当然「制裁」が降ってしまい、可哀想であるが、おそらく
それを覚悟しての上の告発なのだろう。

なお、左側にやられた例として、ちょっと前のヒステリック演説も然り。
(子供を使って不安を煽る戦略。不安を煽って金儲けができるとは
なんて楽なんだろうか。)



2020年3月7日土曜日

訪日について、その2

訪日が延長された。
これまで最大限の努力・配慮をしてきたのだが、
これは明らかに、つまり誰がどの国がどう見ても
あっち側の都合で延長したということ。
つまりあちらがこちらへの貸しを作ったということ。

ーーー
こちら陣営もようやく、国際政治は「貸し借り」で
成り立っているということが分かって、実践できる
ようになってきたということ。

言葉には出ないが、表層上は誰でもどの国でも
そうとしか受け止めようがない貸し借りを演じていくもの、
という暗黙の了解で、現状の国際ルールは
成り立っているのである。(ある意味、そこに
落ち着いた。)
(哀しいかな、そうでないと実際の民衆がついてこれない
現状があるということ。)
(この辺がまさに現状の混沌の原因ということ。原因まで
もはや突き止めたので、もはや解決されるというか、
こうやって地道に解決して行っている。
つまり上も下も右も左も見境なく混沌と混ざり合っているのが現状。
こちらも先進を謳っていながら、よろしく権利やら少数やらを
振りかざして「加担」だけしている輩がいるということ。
防波堤がないことをいいことに、わんさかと押し寄せてきている。
これを言われて、正しく反論できないのが現在の言論状況、
言論レベルということ。政治・倫理・言論界隈のレベルアップが
問われているのである。)


ーーー
ルールと裏の理論が分かって、ルールと流儀に
律儀である以上は、詭道には負けようがない。
と言ってしまえば儚すぎるので誰も知ってて
言わないのだが、まぁそういうことであろう。

これがこのように一般レベルで現実に出てきている
ということは、裏はすでに完全崩壊くらいしてる
レベルということ。

世の一般はそれを後追いで見て拍手喝采している
のである。(いい悪いは抜きにして。)

2020年3月6日金曜日

根源の一つ。論理の飛躍。少数派取り込みの力学。

論理の飛躍がまかり通っている。

つまり少数派が、即権利を持つこと。
それでは野党即与党となる。(これが目論見)

本当の少数は徒党は組まないのである。
(少数と本当になった身のこともわきまえないで、
ずけとずけと押しかけること、甚だしい。)
少数派の「集合」は徒党ではない。

ここの基準が曖昧なので、付け入る隙になっている。

力学を記しておくと、
少数派に左寄りが加わって、徒党化を促進しているということ。
(いくらでも事例がある。)

これくらい力学が示されれば、足がかりとなり
詭道の瓦解も促進されるのではないか?



2020年3月4日水曜日

感動の強さの力学

世のプロダクトの手法は感動。


なぜか?
それは感動は継続するからである。
重力と一緒で、持続される力は加速度となる。以上。

説明を続けると、加速度が付くと何もしなくても
勝手にあっち側からやってくるのである。以上。

過去から散々言われていること。
継続は力なり。
経済で言えば複利。

実はその裏の力学は単純なのである。

(もはや教科書に載る基本法則だと思うが
 基本法則を記す。)

マスク不足、基準を誰も言わない

マスクや紙がパニック的に買い占められて不足している。

これまでは
マスクはそもそも必要だったら買う程度。
紙は無くなったり、無くなりそうになったら買う程度。
だったのだが、個人の「合理性」によって
個人レベルの備蓄が始まったわけである。

「個人レベル」というのが大きくて、個人×量なので
あっという間に無くなったわけである。

そしてそれら「個人」の前提意識としては、
「今買っとかないと無くなる」ということ。

こういう精神状態になると、金魚と一緒で
「あるだけ買っておけば間違いがない」となるわけである。

これは決して批判でもなんでもなく、むしろ
聡明であればあるほど、行動も早く、というのも
抱えるものも大きいであろうから、上に立つものの
「判断」、「英断」として、そうなってくるのである。

本題に戻るが、上記までの思考過程で抜けている情報がある。
つまり「ではどれだけ備蓄していればこのような状況でも
安心できる量なのだろうか?」ということ。

右も左も、強者も弱者もワーワー喚いているが、肝心の
基準が「なぜか」誰も言及しない。(意図的?)

よってここにまずは基準を記す。
一人1日一枚として、通勤・通学の基準的な一ヶ月の日数の
20日とすれば、一ヶ月持ちこたえるのであれば
一人20枚/月
である。
母数が少ないので、バッファを加えるとしてもプラス5枚程度。
安全を見ればプラス10枚程度。(1.5倍。そうすると30枚になるので、
休みも含めて毎日新しいマスクが使える。もはや標準偏差や
標準分布とか難しいことを考える必要さえない。逆になぜこんな
簡単な理屈がまず真っ先に出ないのか?「報道しない自由」を
盾にしている?この基準をすっ飛ばして、全国の「マスク争奪戦」を
嬉々として報道している。「どこを向いて放送しているのか?」とは
昔から言われているが、まさにその通りである。キャスターも良心が
あるのだろうが、諸先輩方々も含めて、あくまで私情を捨て去って
原稿を読むことに徹するように、それこそ「道」ができているのであろう。
(誰がどう見てもプロバガンダ時代の風潮が色濃く残っている。)
(これこそが、左側の思惑の「知らないうちに加担させる」こと
なのである。真面目に頑張って就職や教授コースなどに入ったのに
まさか加担者になってるとは誰も思わないのである。また、もしも
気付いたとしても、「いよいよこれからだ」という船出の青年が
そうやすやすと辞められるものでもないのである。
まぁ、これがこうやって一般レベルでさえ認識できるレベルになってきた
ということは遠からず是正されるのであろう。そして、左側もむしろ
それを、というかこの記事などを見ていて次の素晴らしい対策を練るので
あろう。))


個人が最大でそれだけを毎月買ったとしても、供給側としては
需要を軽く上回る、これだけ生産してますから余裕ですよと。
そういう話。(買う側への安心感の提供。政府も言及したが、
こういった構造を理解して聞けば分かるが、一般的には単に
「まだまだあるから安心して」と供給側だけのことにしか
聞こえないので、あまり安心できてない結果になっている。)

これでこの基準が間違ってるなら、どうぞ批判すればよくて、
それでこそようやく基準を考える足場ができるのである。


中には超心配性がいて常に最低1年間の備蓄がないと安心できない
人もいる。そういった人ももちろん備蓄して良い。
それらを含めてのバッファ。
(こういうことこそが本来の少数派救済なのだが、左の人はすぐに
「じゃああれも、これも」と、お得意の「粗探し」で母数確保だけを
目指される。それは何でも膨れ上がってしまう訳である。)

今回の事態は「みんな」が、「超心配性」になった事例。
そりゃ供給が不足する。

ーーーーーーーー
「賢明」であるならば、上記「基準」を元にして備蓄するべき。
それ以上は「パニック的買い占め」と自分を律するべき。
簡単だが、なかなか、こんなに発展した「現代」にあっても、
「実践」することの難しさということ。
(以下は既述の、「如何に地に足がついているか」を参照。)

ーーーーーーーーー
もしも「聡明」でない輩だらけが徘徊する世の中に
なったのならば、哀しいかな「規制」を設けるしか
無くなってくるのである。ふぅ。
各トップや各個人の聡明さが問われている訳である。

左の総括

一応ようやく結果が出たようなので総括しておく。 (いつも通り具体を避けて抽象的に述べるので読みづらくてすいません。。) とは言ってもこれまで散々述べてきた通り、あちらの根本は「利己」であるということの繰り返しであるが。 まぁそれが象徴的に民意として「流石に目に余る」という結果にな...