2020年3月20日金曜日

改めての再認識でしかない

私が言うまでもないのだが、今回も形を変えての
改めての再認識である。

つまり世の中は表層であるということ。

表層とはコロコロと変わるものなのである。
ーーー
恐らくというか既定路線化しつつあるが
天変地異もあって天にも見放されつつあるのか
わからないが、(少なくとも特にそういう
まやかしや風水を未だに主軸においてる
お隣の方たちの後押しにはなってるかもしれないが、)
いよいよ大陸が崩れると「みんなが確信」
したのであれば、それまでの「既得権益」は
それは見事に恩も知らずに寝返っていくであろう。
(繰り返すが、私が言うまでもない。小学生くらいまで
知ってる。)

それが詭道の末。それまで詭道で儲かっていたのだから
どうぞ償いの人生を歩んでください、ということ。
誰も償いの人生など歩きたくないから、嗅覚鋭く
去っていく。(人とは可愛いものだ。)

これまで敢えて抽象的に言ってきたが、これからは
目の前の人達が現世の具体として行動していくのである。

表面として顕著なのはメディア。まさにいつの世も翻弄されている。
(これも私が言うまでもない。)
我国の詭道トップバッターも真っ先に寝返って「むしろ」戻ってくるのではないか?
語順も並べ替えたり、そもそも由来も不確かな文字も削って
あたかも我国を代表するような名前にまんまと、ちゃっかりと
居座るのであろう。

メディアを信奉していた方々には、卒倒してしまうくらいの
「怒り」が沸き起こってくるのであろうが、そもそも「メディア」とは
そういったものだと思ってきた人には、「そういうもんだよね」と
今更感しかない。出処さえ不明(自己主張を除く)なのだからあまり
信奉しすぎないほうが良い。(インターネット・SNSの広がりで
「自然と」情報親和性が使われているので、大半は問題がない。
先生方の言う統計学的に若干流されてしまう方々がいるということ。)

ーーー
そうはいっても「大衆」の「慣性」は常に気をつけねばならない。
マスク騒動、紙騒動しかり。
例えばメディアが、というか各国の中枢が「いよいよきたか」と
顔を見合って「では」と厳かに準備をし始めたことを、まんまと
嗅ぎつけて超特大スクープなのだが、ことがことだけにまずは
自らの保身を確保しなければならない。つまり発表による影響を
シミュレーションして、当然自分が崩れないような道筋を考えてからで
ないと報道するわけにはいかない。
つまり「大衆」が知る時にはすでに報道側の、最近お得意の「権利」やら
「自由」やらは120%くらいは確保されて出ているのである。
会社という組織、団体が、例えるなら「山」が、すでにその方向で
動いているのであるから、その報道を知った個人がそこから動いては
遅きに徹しているのは致し方ないのである。

殊にこういった国が久しぶりに動く今この時には尚更である。
(ミスリードになってないかな?そもそも誰も読むブログでは
ないので問題はない。)

恐らく「なぜ誰もわからなかったのだ。」「いや、私は知ってて
どこそこに書いていた」とかなってくるのだろう。

ーーー
改めて話が戻るが、いざそうなって、大切なことは「その後」である。
「そう」であることが既定路線であるならば、恐らくすでに
「その後」もあらかた決まっていると読むのが筋。

「その後」も今と同じマインドセットの人民では同じ結果になる、
ということは既述のブログを参考。
「その後」を考えることが大切なのである。

ーーー
「その後」を考えるにあたって、希望的観測なのか、憶測なのか
誰もわからない。
表に出てこない「超頭脳」でさえわからない。
しかし「人」とは施政者以上に「わかる」ものであることは
歴史を知っていればわかる。
つまりまんまと「その後」を「設計」しようとしている場合は、
例えば「白紙の状態から」「設計」できるとは考えないほうが良い。
その時点で時代は逆戻りする。(もう少しはっきり述べると
あちら勢力のやっていたことと何も変わらないということ。)

ーーー
いざ解放されたその刹那なり、境界的な隙間なり、「人」は
見事なまでにありのままを捉える。

つまり現在の情勢。何が本当で何が嘘だったのか。
(言うまでもないが)この説明で充分であるが、具体化しないと
分からないものがいることが哀しい。
(世の哀れみとはそういったこと、そういった層で
あったと思う。)
こちらは「正に」「いた」「あった」ことを
そのまま堂々としていれば良い。
(いつまで「誠」が勝つみたいな、誰もが
わかる倫理を国家規模で演劇を演じなければ
ならないのか。その浪費を悲しめと言うことも
既述のブログを参照。「一生は限られてる」時点で
「リソースは限られている」のに、何でそんなに
リソースを無駄遣いできるのか?それこそが
せいぜい数世代しか考えられない脳しか持ち合わせて
いない証左であろう、ということも既述なので
よければ参照。)

つまり「まんまと」「暴かれる」のである。
このエネルギーはそうれはもう強かろう。
(あな恐ろしや。)
(付け加えると「まんまと暴かれる」時点で
「頭脳」の負けである。かなりの大半の人は
「知ってた」と言い張るだろう。
つまりよくもこんな西暦二千何年にもなって
骨董の思想が世の中に国レベルで残ってていたのだな、
という、例えば千年後に恥ずかしさで
いっぱいになると思うのだが。誰もそんなこと
までは気にしないのだろうか。(平和だな。)
(これは皮肉なのであって、ちゃんと
皮肉と認識して、正常な感覚を持っているのであれば
ちゃんと怒りを覚えて正常化していきましょう。)

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左の総括

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