2021年5月9日日曜日

昔から変な人はいて歴史に残ってないだけ

思うに現代では変な連中が幅を利かせて困ったものだというのが
一般的な感覚だが、実はこれまでもそういった輩は世の中にいたのだが、
歴史に残ってないだけなのだろう。

これまでの構造理解の通り、あちら(所謂左)の本質は利己ということが
分かったのであるが、所謂左が主義化(というか屁理屈程度だと思うが)
する以前も、そういった輩は存在していたであろう。

ようは大義もなく、世の中の流れも理解できず、ただただ主流にちょっかいを
だして重箱の隅をつつき、ひたすら足を引っ張るだけの方々である。

これまではそういった連中は放っておけば勝手に諦めたり、そもそも
それだけの能力しか無いものが上に物申す構造になってなかったのである。
そういったものに対しては、社会の中で居場所が与えられて、集団の包容力で
見守っていてあげられたのであろう。(社会的自浄作用)
(既述の通り昔からマイノリティにはよほど温かかった。)

それが革命だか世の中の乱れに乗じて「人は利己で良い」ということを核に
してマイノリティに入れ知恵をしたが故に、またそれをのさばらせたが故に
こんな数百年にも渡って多くの人や資源というリソースを浪費することに
なったわけである。

さすがにもう彼らの主張を鵜呑みにするような輩はいなくなった(はず)で
あろうが、当時は所謂エリート・インテリも簡単に騙されていたようである。
(ものの本を読むとであるが。今ではただの嘘としか思えないが。)


2021年4月30日金曜日

技術革新に対する反発

技術革新に対する反発はいつの時代もあるものである。

脱原発の動きがあるが、どれくらいの高所から考えているのか
はなはだ不思議である。

原発を止めて、エネルギーが不足して、そうすれば科学者が
必死になってクリーンエネルギーを開発してくれるらしい。
ではそれを生み出すまでは細々としたエネルギーで研究開発
していくことになるのだが。例えば停電が日常茶飯事の時代に
遡って研究開発していかなければならなくなるので、
研究開発の進捗もままならなくなるだろう。
(それくらいまでは当然考えて、それも含めて承知して言ってる
のだろうけど。(さすがに))

どうなるかも分からないのに丸腰で途方もない真っ暗闇の中を
航海に行くようなものであるが、本気でそう思っているのかどうか。

もしくは、以下のような考え。
つまり人間のバイタリティを捨てて、エネルギーの安定供給を
捨てて、将来は少しのエネルギーで全員が細々と生きていくという事を
科学者含めて人類全体がコミットした、ということであれば、
それこそ仕方ないのであろう。
が、はたしてそこまで人類は諦めが良いのだろうか。
(このシナリオを本気で考えて推進しているのであれば、頭がよほど
平和で、世の中を知らなすぎだろう。)

(一応もう一つは、本気で滅亡させようとしている輩の動き。地球という
船ごと道連れにして沈めようとすること。統計論や社会論・集団論として
そういう輩が「発生」することは不思議では無いのだが、まさかそれらに
「加担」する輩は存在していないだろうか?)

ーーー
よってこういった事象は、いわゆる「機械打ち壊し運動」なのであろう。
今考えれば、機械を打ち壊してアナログ時代の労働や仕組みとかに
しがみつこうとすることが、いかに無謀であることか、誰でも分かるであろう。
(そして教科書に載ってる挿絵の、機械を打ち壊してる人を見て愚かだと
思ったことであろう。将来的に喜んでその列に並ぼうとしているのか?)
(当事者になると本当に周りが見えなくなるのか?ということ。歴史を見れば
誰でも分かることなのに、つまり「歴史を見る」という高所から見れば分かるのだが、
それが起こっている世の中にいて、自分の立ち位置を確認もしないでいると
ずるずる世の中の流れに流されるだけ、ということ。
今回の点についても構図はこんなにも単純であるにも関わらず、いざ当事者となると
時代の流れと逆行しようとする人たちが出てくるということ。
潜在的に高所でものを考えれない人たちもいるわけで、そういう人たちを正しい方向に
導くのが、高所を見れる人の役割であるのにも関わらず、盲目の人をして、
自己の利益のために道具として使用する輩がいるということ。
よくよく注意していかなくてはならない。)

ーーー
ではなぜそうかというと、無理・無駄・非効率な仕組みであっても、
それしか世の中に存在しないのであれば、人々はいやおうなく金を支払わなければ
ならないからである。

いかにも「せいぜい数世代しか考えない」輩が群がりそうな話では無いか。
※「せいぜい数世代しか考えない」輩については既述の通り。

ーーー
技術史・エネルギー史的に見て、先ほどの機械打ち壊し運動時代の機械化によって
効率は一気に躍進し、現代の核開発によってもやはり効率は一気にぐんと
躍進しているのである。

これがもしもまんまと反対派の思惑通りになって「人類は機械化・核開発によって
順調に発展してましたが、なぜか核開発をやめ、よってその後の核融合も実現できず
衰退して滅びました」となっては愚かすぎるであろう。
(先ほどの繰り返しになるが、それとも反対派は核をすっ飛ばして核融合技術が
空から降ってくるとでも思っているのだろうか?または核融合をも超越した
新しいクリーンエネルギー。)
(中核であるが、こういうレベルで見て、彼らは結果的に「利己的」であるかということを
ちゃんと自覚しなくてはなるまい。下手をすると知らず知らずのうちに滅亡を企んでいる
輩に手を貸すことになる。良かれと思ってやったことが悪の手助けであっては
いたたまれまい。そこで政治家は民を正しい方へ先導するべきであるのだが、まんまと
利用される政治家が多くて困る。)
(まじめに良くなると思ってやってる方もいるかもしれないが、それをやると
衰退・滅亡とかになってくるわけで、そうすると三段論法的にその人や団体は
人類滅亡を企てる輩になってくるのだが、承知ですか?と問いたいところである。
「そうです」としらを切られては「はぁそうですか」と言うしか無いが。)
(もしもそういう方々が率先してエネルギーに依存しない生活および文化的に
退化した生活をしているのであれば少しは話を聞く気になるかもしれないが、
彼らこそ既得権益にしがみついてじゃぶじゃぶのカネにまみれて生活している
から呆れ果てるわけである。)
(反対してても自分が生きてる間では生活は急激に変化せず、エネルギー不足で
困るのは将来の人だし、今の所どっちに転んでも安穏と生きていけるから、
お金がもらえる反対運動に加わろう、というのは悪魔に魂を売り渡すのと一緒である。)

ーーー
人類の叡智で、机上理論だったものを現実世界で実現して、エネルギーの効率化を
躍進させ、まさにこれから安定化させようと人類をあげて科学と技術をあげて
千年続く技術にしようとしているのに、世の中には水を差したく輩がいつの時代にも
いるものである、ということが再確認できただけということ。
(まさに技術確立の過渡期であって、そんな時代に立ち会えることが光栄なのに、
物事が分からな過ぎると普通のありがたささえも自覚できないということか。
マイノリティを助けると言いつつも、その弱みに付け込んで彼らのマイナス感情を
助長する構図もこの辺から読み解ける。(メディアも喜び勇んで加担する始末))

政治家はみんなのベクトルを合わせて将来の発展に導くのが仕事であるはずなのに
まったく逆のことをしているからどうしたものか。(低地しか見れないのであれば
政治家では無いだろう。または詳しく無い分野に下手に首をつっこむな、ということか。)

ロケットが失敗したら、「危ないからもうやめろ」とでもいうのだろうか?
どうぞ反対派は日本に対して言うときの威勢をそのままに、イーロン・マスク氏に
面と向かって言っていただきたいものである。(というと途端に誰もいなくなる
から面白い。)

ーーー
これと同じ危機が、(世の科学者も気にしておられるだろうが)、地球温暖化論に
あるような気がする。
これは一言で言えば、山が地球のプレートから動いているのに、山の動きを止めようと
地表の地面に杭を立てたりコンクリートを流し込んで頑張ってるが、果たして意味があるのか?
的な問題であろう。

少なくとも一般人には情報が少なすぎる。
科学の世界ではすでに「決定」できる情報があるのだろうか?では開示して
いただきたいのだが、情報化がこれだけ進んだ現代でも、まともな情報が
ないようなので「?」なのである。
そして科学者はみんな、脱炭素に承知しているのだろうか?
(ぱっと見で決してそんなことは無いと思うのだが。でも話だけどんどん
進んでいるような気がしてならない。)
科学者も現代では弱くなったもので、専門分野以外には発言できない雰囲気というか
状況になっている。これも一言で言えばカネに色が付いているということだろう。
(簡単な話で、崇高な科学に色をつけてはなるまい、ということ。
これも現代の課題で、政治3.0で解決する。)

前回も書いたが、「証拠を積み重ねれば事実になる」ルールにまんまと
やられてないだろうか?
これは世俗のルールであって科学ではあるまい。
でも誰も、科学者であっても現代ではこのルールに反論できてないのではないだろうか?

統計を取り始めた時点からのデータだけを持ってきて、つまりそれ以前の
千年、万年単位のことをすっとばして、ああだ、こうだというのは勝手なのだが、
でもそれで「決定」にするのは論理飛躍しすぎであろう。
(科学ってこんなに脆弱・貧弱だったっけ?だったら楽でいいな。だれでも有名になれる。)

ーーー
そして、ではなぜかというと、先のプレートと山の話であれば、
人々が山の移動が危険だと信じ込めば、みんなは手放しで杭とかコンクリートとかに
無限にお金をつぎこむからであろう。
これほど良くできた「自動お金生み出し機」はあるまい。

話を単純化しているので、無論世の中の聡明な方々が集まって脱炭素とかになってるので
あろうから、別に反対するとかの話では無いのだが、あまりにも話が急すぎて
その割には情報が少なすぎて「?」なのである。
(そりゃ誰でも疑心暗鬼になるだろう。)

無論本当にそうなのであればよいのだが、では千年、万年単位でどうなのかを
はっきりと示していただきたいのである。(それだけ)
上記の例で言えば温暖化とはプレートと山くらい意味の無いことなのか?
またはプレートと山の中間くらいの層と、山くらいの関係なのか?
それとも山の地表の土壌あたりの危機的な問題なのか?(あちらの主張を鵜呑みに
するとこのレベル)
ということ。
(政治家もこの辺を分かりやすくするのが仕事だろう。ただし、原発でもそうだが、
専門性が高いと、ただの道化と化す恐れがあるので、政治家側としても専門性は
必要。ただ、お抱えみたいな人ではその色に染まるのは当然であり、意味が無いので
無色透明で専門性も高いという人が望ましい。(現代でそれを望むのは無理?))
(是非プレートと山の例を持って分かりやすく説明していただきたいものだ。)
(専門性と言っても、それこそ学校で地球史として氷河期があったり暖かくなったりを
周期的に繰り返している、ということはやっているわけで、ではそこが話の起点に
なるのではないだろうか?なぜいきなり現代の人から始まるのか?話の持って行き方として
傲慢すぎるだろう。神にでもなるつもりだろうか?)

そして何百・何千・何万年後かに地球が氷河時代になったら「炭素が必要だ」
とか言って炭素社会を復活するのだろうか?(確かにそんなに人類が愚かだったら
滅びるな。)

ーーー
当然科学に身を置いている方なら、これくらいは考えてるはずである。
ただそういう疑いの声もないまま社会が無言で脱酸素に追従する姿が空恐ろしい。
(と感じている方も多数いるはずであろう。)

もうすでに企業・自治体やそれこそ各国政府が動き始めてしまっているが、
本当に全人類はそれにコミットして、全て承知なのか?

ーーー
経営者とか厳しい競争の中で大切なお金を運営されているわけだが、ことこの問題になると
何の疑いもなく追従しているのも空恐ろしい。またそれを見て不思議というか
恐ろしさを感じてる人もいるだろう。
そこでは大きなお金が動くわけだが、それまで培ってきた経営上の鋭い目は、いったい
一瞬でどこへ消え去ってしまうのだろうか?
メディアについても然り。いつも性懲りもなく重箱の隅ばかりつついているのに
ことこのことになると途端におとなしくなる。いつもの威勢はどこへいってしまうのか?
まさかと思うのだが、これを推進すると相応の取り分が確保されるから騒ぎ立てない
ことにでもなっているのだろうか?(まぁ、散々どうしようも無いメディアであれば
それも十分あり得るだが。)
しかし国とか世界の発展のために真摯に取り組んでる企業までもが、まんまとそのように
簡単に悪魔に魂を売り渡すようなことはしないと思うのである。
よって不思議で仕方ないのである。

構造を簡単にすれば「科学者しかわからないことに口を出すな」という一言で
みんながひれ伏している構図だが、日々真剣勝負で挑んでいる経営者が全ておとなしく
ひれ伏すということが不思議でならない。
またはいつの間に全員一致でコミットするほどの議論をしたのであろうか?
医療治験も何年もかかるし、政治で何か決めるのも(それこそ左の足のひっぱりで)
決まるのも決まらない状況であるにも関わらず、一体どこをどう通って左も右も
仲良く迅速に決定したのであろうか?(左と右が意見が一致するだけでも奇跡なのに
それもこの迅速さとは。)
(まさか皆が環境保護だか何だかの活動家の言葉に心を打たれたとか?)
(ちなみにあの人によって活動家という職業があることが世間一般に知れることとなった。
活動するだけで儲けれるのだからなんて楽なのだろう。ただし楽をしてはなるまい。
易きに流れるとろくなことは無い。)
(さらに言うとあの人はせっかく若いのだから、いまからでももう少し自分の頭で
考えるようにした方が良いだろう。まぁ取り巻きから見てもこんな声はもはや
届かないのだろうが。あの人はあの人でかわいそうで仕方が無いものだ。)
(もう少し遡ると「不都合な真実」とかがあったと思うが、小学生でも思いつくような
上記のプレートと山の例についてはどう答えるのか?何を持って科学的「決定」にまで
至ったか。実際に人の影響は数%分しか無い的な反論もあるはずだが、科学は反論に
ちゃんと答えれなければ「決定」しないルールではなかっただろうか?
これに反論するだけでも途方もないデータが必要になるはずで、それくらいはそれこそ
小学生でもわかるはずで、それなのにもうすでに決定事項としてどんどん話が進んでいる
のはなぜか?ということ。(何回繰り返してるんだろう。)
まさかとは思うが「不都合な真実に対する不都合な真実」はもみ消してるのだろうか?
環境保護とか平和的な運動かと思っていたが、やり方としては過激すぎるだろう。)
(それとも「もともと科学として活動してませんよね?」と開き直るという最終手段を
温存しているのだろうか?そうなればものすごい賠償になるだけだけど。)

時折「官民一体となって」と耳にするが、それに続く言葉が耳に残らない。
続く言葉が「(官民一体となって)騙されます」でなければ良いのだが。
現時点でもすでに太陽パネルの期限切れによる大量廃棄問題が浮上しているが、その廃棄処理の炭素だけに注目しても、大量の炭素発生問題があるだが(無論高尚理論なので当然そこまで組み込んでいるだろうが)、そこで官民一体で進めたはずの太陽光パネル交換が進まなかったとしたら(これは、所謂あちらの賃金とか工賃高沸騰に依ってくる。高尚なのになぜ問題が局在化するのか?そもそも廃棄まで含めて製造者責任までちゃんと政府かんで合意しているのか?廃棄時に太陽光パネルで削減した以上の炭素を生み出すのであれば元も子もない。あちらは言ってしまえばトップが変われば全てが変わる訳で、どうやって「約束」したのか?前提設定とかそう言った言葉を知ってるかどうかとか、かなり原点の話に自ずから遡ると思うのだが。せっかく高い学費を払っていい学校に入ったのにそう言った実地の考えができないのであれば、何のための学問であろうか?)、彼らは臆面もなく「官民一体となって騙されました!」とでも言うのだろうか?その裏に隠れた言葉は、「なので私たちは悪くありません」と言うこと。古今東西そうであるが、悪事をなす時は人は知らず知らず、罪を減刑するための言い訳を準備するものである。頭がいいので「こうなった時は、こう言えば大丈夫だ。こちらに非は及ばない」とか考えるのである。それは針に糸を通すような意味で、確かに主張者への直接の非は及ばなかろうが、ではそれを囲っている社会としてはどうなのか?すでにこの時点で観点・ベクトルがあらぬ方向を向いていることが知れよう。
(さらにその裏にあるのは「自分の世代では直接的影響はないだろうから、まぁいいか」と言う「放棄」)

ここでただ言えることは、上記がこの通りにならないように願うのみである。

ーーー
科学とはこんなに簡単だったのであろうか?
政治とはこんなに簡単だったのであろうか?
経営者の意思決定・経営判断とはこんなに簡単だったのであろうか?

裏を返せば、これこそがプラットフォームの力学としての強みであり恐ろしさである。
どんなに競争とか経営判断とか厳しい環境で生きていても、そのプレーヤーが
乗っかっている「環境」から動かすと誰しもがそれに従わなければならない、
ということである。
(だからこそプラットフォーマー市場が活況なのだろう。)

さらに言えばこの仕組みさえ分かればプラットフォーマーになるのは簡単なのである。
誰にも気づかれないようにこっそり初めて、「実績」を積み上げて、時期が来たら
一大キャンペーンをぶち上げて、反論の余地を作らずに一気呵成に世論を味方に
つけるだけである。
後から反論が出てきても、へたに「実績」があるので簡単には潰されない。
潰されるには相応の時間がかかるという算段である。
もしも本当にカネにしか目が無い輩であれば、プラットフォームを造るためなら
どのような嘘でもござれ、であろう。
(まぁ実際は何のコネも無いものがプラットフォームを作ろうとすると潰される
のだろうが。または良いように言い含められてポジションだけ分け与えられて
特出しないように骨抜きにされるとか。)

当ブログでも度々メッキの話をするが、嘘がばれないうちにメッキで作った柱の上に
さらにメッキで塔を建てて、嘘がばれない間に稼ぐだけ稼ぐという商法であろう。
(不正表示もいいところだが。)

危機とはまさにそのことである。
「誰も嘘と言えないこと」をいいことに科学と政治が結託していなければ良いのだが。
よくよく注意していかねばなるまい。

(無論科学の良心を信じたいのだが、もしも万が一に確信犯であったとしたら
外から嘘を見破ることができなくなってしまうので、やはり哀しくも「監視」という
人類が編み出した手法を取らざるをえまい。)

(一応もう一度言っておくが、これがただの杞憂であればそれだけのこと。)

まぁ、話としては単純で、嘘か本当かもわからないものに自分の大切なお金を
払いますか?というだけのこと。

2021年4月27日火曜日

あおり運転について

運転してる人であれば、もしかすると誰しもが少なくとも一回は
嫌な運転手や、変な運転手に遭遇しているのでは無いだろうか。

最近になって問題がようやく表面に出てきて規制されるように
なってきたわけである。

問題はとうに議論されているだろうし、規制という抑止力が作用する
ようになったので収まるであろうから、とやかくは言わないが、
なぜ加害側の運転手はそういった状態になるのかを精神面から簡単に書いておく。

ーーー
運転というのはある種特殊な環境であって、事故をしないように
集中しつつもいろいろ頭の中で考えを巡らせることができる
環境である。

ここにSNSなどのネット空間の問題点を絡めて考える。
ネット普及当初から、匿名性の問題やネットいじめなど問題化しているが、
「話せばわかる」と昔から言われてた通り、問題の当事者が話もせずに
相互不信・疑心暗鬼が積み重なって暴発するというのが問題のひとつの
本質であろう。

ネットなどなかったリアル世界でさえそうなのであるから、ネット空間は
なおさらであり、そうであるからこそ次々と具体的な問題として表面化して
きたことはご覧の通りである。

また、これも現実世界の照らし合わせなのであるが、意見のある者は
意見の対象者に直接とか、自分の属する社会とかに意見をして、そこで
取り越し苦労や一人相撲は本人が自覚して、また周りもその人がそんな
ことまで心配していたのだなと理解して、つまり相互理解が進んで
(私はこれを広く有機体の自浄作用と呼んでいるが)、その人の属する
社会が円満化されていくわけである。

しかしネットでは偏った事柄について偏った意見に陥りやすく、また、
現実世界ではいろんな人が「そうではないだろう」と言ってくれるのだが、
ネットでは悪い方向に助長する声だけを拾い上げてしまいがちである。
(まぁこれは現実でも一緒だが。)
(話は逸れるが、世の中には具体的に「日本を馬鹿国家にしたい」輩が
それこそ徒党を組んで工作しているわけで、彼らの活動の場として
ネットは大いに役立つのであろう。軽い気持ちで世間を批判したりすると
まんまと魔手に絡めとられるので、一般人だとしても十分に気をつけねば
なるまい。たぶんうまいことマニュアル化されてるのだろうが、一旦陥ると
あれよあれよと引っ込みがつかない状態にされてしまうのである。(恐ろしや))

ーーー
無論ここでは話を分かりやすくして書いているのだが、どうもこの
ネット空間の恩恵または弊害の結果として「話を聞いてくれているつもり」
「意見を理解してくれているつもり」という自己満足のベース・土壌が
あったうえで、運転中など考えを巡らせる時間があったりすると、
相手を抜きにした自分中心の「正しい」世界を作ってしまうのでは
ないだろうか。
(せっかく規制ができたので、あおり運転者からその辺の心理状態を
詳しく聞いておいてくれると良いのだが。おそらく大半が「自分は悪く無い」
というのだろう。)
(もちろん加害に打って出るという一線を超えてる方々なので上記の
穏やかな論だけではないだろうが。つまり無論確信犯も一定数いるだろう。
それはむしろこれまでの暴行罪の対象。)

ーーー
芥川龍之介に「羅生門」があるが、心理状態としてはまさにこれに似ている。
にわかの正義の権化になっていないだろうか。
正しいと思い込むのは簡単である。
また前にも書いたが、常に怒って怒鳴り散らして生きることの方が実はよっぽど
簡単な生き方なのである。
よくよく注意していかねばなるまい。

(自己主張してどなりちらして見るに堪えない輩がいるが、それはまぁ痛ましい
のだけれど、そこまで行かずとも、周りの声を無視して自己主張して戦っていくのが
かっこいいというような風潮が一時期あった(まだある?)気がする。
それが戦後なのかむしろそれに便乗したいわゆる「日本を馬鹿国家にする」輩の
工作なのか知らないが、いまだにその空気に漂っておられる方はまさかいないだろうか?
おそらくそうやって自分勝手に生きてきた先人達や、その人の周りの人たちの
大変さを見聞きした子供達が大きくなってきて、あれはやはり反面教師だったの
だなと、声には出さないが心の中で理解する人たちが増えてきたのだろうな。)


2021年4月24日土曜日

老練が寄り集まって(一言総括)

一言で言って仕舞えば、思えば世界をリードする老練(老獪)な方々が集まって、
ビジネスだけに目を奪われて、利権のため、保身のため、利己のために
あの大陸にこのまま世界がリードされるには、さすがに「それはない」
目が覚めた、といったところなのだろう。

これでは流石に世界をリードする老練(老獪)な方々は将来に
汚名しか残せないと、ようやく分かったのであろう。

(まぁ、あとは単純に「さすがに情けなさすぎる」といったところ。
「21世紀はそれまでと一転して猿人しか存在しなかった」とでも
将来で総括されたら、という意味。)

2021年4月23日金曜日

キーボードにクリックボタンがあると便利

キーボードにクリックボタンがあると便利。
ショートカットでも良い。

キーボード志向(キーボードオリエンテッド)だとマウスに
手を移動することさえ鬱陶しくなってくるので、常々思ってて
機会があるごとに言及して、ブログでも投稿してきたのだが
改めてアイデアを発表しておく。
(よって特許を取ろうとした方は残念。)

具体的にはカーソル位置をクリック(に相当する操作を)する機能。
ダブルクリックすれば単語選択ができる。

発端としてはキーボードショートカットでCtrl + A や Cmd + A で全選択機能は
あるのに、なぜ単語選択ショートカットが無いのか?ということ。
(もちろんShiftを押しながらCtrl + ←/→とかでできるが複数回キーを押すのが
煩わしい。)
つまり使用頻度が高いのにもかかわらず、それに見合ったショートカットが
割り付けられてないということ。
エディタによっては単語選択ショートカットがあるかもしれないが、OS標準や
デファクトスタンダードまで普及してない。

モールス信号がアルファベットの発生頻度順で割り付けられたように、
使用頻度の多い操作に対してショートカットの割り付けを総合的に
見直すプロジェクトと言える。
よって「慣例も踏まえて使用頻度を考慮したショートカットの割り付け
見直しプロジェクト」も併せて発表しておく。


2021年4月16日金曜日

アナログアーカイブプロジェクト

古代の人がミイラで見つかったりして人体のサンプルが採取でき、
DNA解析できたとかニュースになったりするが、現代の解析技術では
解析できないことも将来は解析できたりする。

現代技術の基準ではゴミにしか見えないものでも、将来はそこから
多くのことが解析になる可能性がある。

よってアナログアーカイブプロジェクトをここに発表しておく。

最近の流行りでデジタルアーカイブがあるが、それはそれで無論
とても有意義でどんどん推し進めていただきたいのだが、
ややもすると貴重なサンプルもデジタル化しつくしたから用済みだろう
ということで、みすみすそのままゴミ箱に捨ててはいやしまいか?
という問題提起でもある。

人体であれば、やはり何かしらの方法で毎年一定数のサンプルを
保存するとかが考えられる。
それが何百年、何千年と残ると様々な角度から発展の歴史の解析が
可能になり、それによってサンプル化以前の起源まで辿る手がかりが
できるのである。
言うなれば将来人のために正に未来を託してサンプルを引き継いでいく
プロジェクトである。
(倫理も追いつかなければならないが。人権を言う側への反論としては、
では過去のサンプルは不慮の事故で保存されてたりするわけだが、
不慮は良くてサンプリングがだめな線引きの根拠は一体どこにある?
ということだろうか。そもそも現代の法でも本人の意思表示が「諾」であることを
確認する方式であるわけであるから、サンプリングに応じてくれれば
現代法であっても許可されるのでは無いだろうか。また、オプトアウト方式も
あってこの辺はまさに臓器提供とかで身分証明書に意思表示する流れが
すでにある。)

無論人体に限らないのであり、様々な視点からサンプリングすべきものは
精査していく必要があるだろう。

2021年4月14日水曜日

あちら側の子供

一つ不思議に思うのは、あちら側の自分の子供は
どうやって育てているのだろう、ということ。
自分の子供がかわいそうでは無いのだろうか。

あちらの原理はみなさん知っての通りであるが、
利己のためなら他人を徹底的に踏みにじるとか、
伝統とか人としての「意思」さえも否定することとか
なのであるが、それをまさか自分の子供に教えて
いるのであろうか?

利己のために社会を停滞させる、バカ国家にする
ために、まさか自分の子供を優秀なコマに仕立て
あげているのであろうか?
(自分の子供を献上するとはなんと献上精神旺盛なの
だろう。まぁ自分の意思すら軽々と放棄する輩なので
あちらにすれば、なんてこと無いことなのかもしれないが。
そのへんも素晴らしい勧誘マニュアルができているのだろう。)

そうであるならば恐ろしいことである。

そもそも学校の道徳とかの理念と端から合わないのだか
そのへんはどうやって折り合いをつけているのだろうか?
適当に聞き流させているのか?
「あぁいわれたら、こう言い返す」ための訓練として捉えさせているのか?
つまり学校道徳を完全スルーするか、真っ向から否定・対抗して
義務教育9年間を乗り越えさせるかの2択しかあるまい。

人権とかなんとか言ってる人たちはどうぞ本領発揮して
問題化すれば良いだろう。
なぜ重箱の隅をつつくようなことしかしないのか。
これまでも何度も「いじめ問題」が社会問題で出てきたはずで、
そこで真っ先に気付く大きな構造上の問題であるだろう。
しかし当事者ばかりにしか視線を向けず、大きな人たちが寄り
集まって何をしてるのだろうか?
もしも本当にこの「大きな構造上の問題」を認識できてないのであれば
頭が足りてなくて残念なのであるが、さすがにそこまで無能の集まり
だとも思えない。
そうするとやはりあちらの暴力がやはり怖いということなのだろう。

学校現場を見ても先生方は大半は家庭問題と気づいているはずで、
しかし実際家庭に踏み込んで問題解決していく気力と胆力を備えた
先生は稀であろう。
(冷静な最近の世代はそれをすることによる「社会的意義」が見出せない
のだろう。)
こういった子供の家庭はある意味プロであり、なぜか家庭にとどまらずに
どうやって寄せ集めてくるのか知らないが、こういった時は数の理論で
押し返そうとしてくるのである。
いくら先生一人が頑張っても太刀打ちできるものでは無い、という実情
もあることだろう。

虐待などから子供を救い出すための人権であるはずなのに、つまり
やたらと「子供の人権」とか言ってゆとり教育だか個人主観的教育だか
やっている割には、いざ家庭が出てくると人権のことなどきれいに忘れ
去って、「家庭には家庭の事情があるので立ち入れません」というのは
都合が良すぎるのでは無いだろうか。

権利的に見れば欺瞞であろう。
もしも崇高なる法律や人権を謳っている方々はこの欺瞞を正視して
本当の「子供の権利」を守っていただきたいものである。
この論理は色の付いたメディアに、それと知らずに勤務している人の
人権にもつながるものである。

※幸い左であっても学問的欺瞞には敏感なのが救いであり突破口であろう。
さすがに証拠は白から黒にはできない。
しかしこれを逆手にとって「証拠」さえ積み上げれば事実になると盲信して
工作している輩がいるのが現状。
高所から見るとただ自分の主張を発狂して叫んでるどこかの異常者とか
だだこね少年だけなのであるが、残念ながら今のレベルではこれが
追い払えてない、という構図。
これも政治3.0で解決するだろう。
嘘も積み重なると恐ろしいもので、それを信じる人が出てきて、社会レベルに
までなると公金も使い始めて、規制とかもできて慣性を持って動き出して
しまうものである。
言うまでも無いが崇高なる学問を手段化して、大衆を嘘へと扇動したものは
いわゆる地獄に行くのだろうな。(自分で選んだのであるから致し方あるまい。)
学問を修しているものであれば学問の崇高さを知っているはずで、
決して利己のためやそれを手助けするために用いないよう、勇気と
大義を持ってあちら側に屈しないでもらいたいものである。
証拠捏造は「科学への冒涜」と言われる通り、科学者生命を無条件剥奪する
だけでなく、後世にまで悪名だけを残すだけである。
(それを国家ぐるみでやっている大陸は、精神史的にどうなってしまうの
だろう?それを身をもって社会実験の実験体になってくれているのであるから
感謝しなければなるまい。)

2021年4月5日月曜日

「そういうことになっている」のだろう

新聞社とかメディアを見ていて、性懲りも無く偏った
ことを言い続けるのは、「そういうことになっている」
からであろう。

新聞社やメディアに限らず、所謂あちら側の表面に
出てくる人たちは「そういうことになっている」事を
その通りに言ってるだけに過ぎないのだろう。
(なのでいくら言っても噛み合わない。)

昔であればあちらの主張を本気で信じて行動した
「情熱的」左側がいたであろうが、むしろそのほうが
話は分かった。自分の頭で考えているからである。
自分の頭で考えているから間違いだとわかれば
一転して間違いを正してくれたからである。

そして最近の「冷めた」左側は、「コマ」と呼んでいる通り
自分の意志はなくて(あったとしても押し殺して)、ただ
あちらの主張通りにロボットのように動いているだけに
過ぎないのだろう。
(そうなった経緯はいろいろあるのだろうが、たとえば
弱みを握られた(ハニートラップなど)とか、金を積まれて
受け取った(ユダ系)とか。最近では悪意さえ分散するのが
トレンドらしい(集団ストーカーなど)。
あとは本気で頭が届いてない人を安い金で使うとか^^
これこそ人権問題だと思うが。)

お隣の属国を見て分かるが、軽い気持ちでたった数枚の
銀貨を受け取ってしまっただけで、それをネタに地獄の果て
まで付きまとわれるのである。(ヤクザよりもタチが悪い。)

そんなトラップに捕まってしまった人は、自分を押し殺して、
否むしろ開き直って「あちらが正しい」とか自分に言い聞かせて
(そうでないと精神衛生的に、普通の人であれば持たないから)
(日本人であれば律儀で、上からの命令に適当にサボるとか
すっぽかすとかもしないで)
「ものすごく役に立つコマ」として頭角を現したりしているのだろう。

そこには「信」などもとよりなくて、あるのはせいぜい金、つまり
利己くらいである。

また、(トラップにかかった人は折り合いをどのようにつけてるのか
知らないが。おそらくその辺までも、そういう迷う人をうまく誘導することに
あちらのあるだけの脳を使って考えられているのだろうが。)
自分の頭で考えるという事を放棄してしまっていることが重大であろう。
歴史は自由獲得とか意志は放棄しないことの積み重ねであるにも関わらず、
あちらに属している人を見るにつけ、自ら喜び進んで自分の意志を放棄して
いるのであるから呆れるものである。
(それを選んだ方はどうぞ勝手してください、なのだが、どういうわけか
そうゆう人ほど周りとか後世に迷惑をかけて禍根を残していくのである。
まぁそこまで含めて仕込まれてるのだろうが。そいう意味ではリソースを
無駄なく使い切る、くらいの頭は持ち合わせているのだろう。)

左右の討論とかあって、噛み合わずに平行線で終わるが、討論の前に
「左右偏りなく資料を読んでからきてください」と言えば良いのに、
(それが理解されるくらいなら無論苦労はないのだろうが)
あちらはおそらく読んでないか、頭の(かなり)良い「上」の誰かが読んで
「ああ言えばこう言」えばよいということをみっちり叩き込まれてから
来るのであろう。(思うにそうやって他の資料とか情報に触れるような
時間を与えてない=時間も剥奪しているのではないかと思う。
うーむ巧みである。まぁあれだけ人が集まってそんなことばかり考えている
のであろうから、「普通」くらいの結果だろうけど。あちらの根本は
突き詰めると享楽とかなので、「普通」とは言い過ぎで「普通より下」の成果
くらいにしておこう。)

意志を持たずに突き進むコマほど強いものはないと思っているのであろう。

しかし歴史が物語っているように人の最後の意志は誰も奪い取ることは
できないのである。
(情報が内部浸透すれば、それこそ内部崩壊する。そうさせまいと頑張って
情報統制しているという構図。)

2021年4月3日土曜日

何か成すのは職として

基本的なことだが、何か成すのは職として成すのであって
個人で成しているわけでは無い。

突き詰めるとどこまでも、どの分野でも言えるのであって、
つまりたとえ政治家や作家や芸術家やアーティストやプロ選手や、
一見個人で仕事をしているよな分野でも、そこにはその人を培った
環境や歴史があったわけで、いわばその人をして仕事を
成さしめたと言える。

これがもしも個人だけであれば、ある程度売れたらそこで終わって
しまって、決してそこまで大成しないはずである。

自由を謳う方がこういった「公」の意識が育つのに対し、
完全統制で「みんなが社会のために」と謳う方が、むしろ
個人ばかり、利己ばかりに走るのであるから面白い。
(もう十分に社会実験して散々浪費したのであるから、
そろそろ気付きましょう。(人の人生というリソースを
浪費したのであるから恐ろしい。というか人権派はこのことを
ちゃんと正視した方が良いだろう。))

ーーー
事を成すのは個人としてではなくて職としてだが、
これを勘違いして「自分がやった」こととして利権を確保しようと
すると話がおかしくなってくる訳である。

事を成した人が利権を言い出しては周りの人は何も言えなくなる訳で、
そうすると少なくともその人が亡くなるまでは続くわけである。
そうするとたいていの人は馬鹿では無いようなので、後釜を
ちゃんと準備してから亡くなるので、利権も引き継がれて、、、
となりどこまでも引きずるわけである。
(中には自分で事も成してないのに他人の利益をぶん取ろうとする
ジャイアンのような困ったちゃんもいるのだが。しかも国レベルで
やってる始末で、「理想」とか「主義」とかいろいろ御託を並べて
正当化しようと頑張ってるようだが、この構図・論理矛盾にいつに
なったら気付くのだろうか?それとも気付く頭を持ち合わせていない
のであれば「痛ましい人」である。このへんは既述の通り。)
(無論この辺りは「分かって」いるはずで、ではなぜ止めないのか
というと、「嘘もつき通せば本当になる」と信じているからであろう。
このまま例えば世界のトップになればそれまで積み重ねてきた嘘も
すべて棒引きになるとでも考えているのであろう。
あちら側の論理限界なのであるが、いざトップになったとして、では
そこから何がしたいのか?が真っ白なのである。(正に頭真っ白)
こんなことで突き進めるくらい単純で、彼らはつくづく幸せ者だと
思うのである。)

利権が発生すると、せっかく政府のスリム化や技術革新による
コストダウンとかをしても、その浮いた分が社会ではなくて
利権者に流れてしまうのである。
なんだか現在の状況を見てみると、利権だらけで全然コストダウン
できてないように見えてくるのである。

こう書けばこの構図も明確に分かるはずなのであるが、いざ
当事者となると、人とは恐ろしいもので「欲」に手が伸びるものである。
(これは上下左右とも気をつけなければならないこと。無論左が
一番気を付けなければならないが、あちらは恥も無いので馬に耳に念仏ではあるが。)

現在の世界のトレンドであるが、「正当そう・真っ当そうな事を言って
利権を取る」という構図が賢い人のやり方みたいになってるので
注意が必要である。
(稼ぎ方が「賢く」なっていると言えばそれまでだが。ベールがどこまでも
厚くなっていく。せっかくだから法則として書いておくと、
「経済のベールはどんどん厚くなる」といったところだろうか。)

2021年4月2日金曜日

100%の無い組織

「99%解決する」とかニュースで見たが、あの国は
やはり100%は無い国なのだと思った。

誰が言ったか、もはや肩書きがあろうがなかろうが、
つまりあの国では肩書きさえ100%ではないので、
言い換えればハリボテであってあまり意味が無いであろうから
肩書きを意識する気さえ無いので、誰が言っても
もはや戯言にしか聞こえない。
(今の肩書きでは誰も聞いてくれなくなったので、
より強力な肩書き、たとえばゴールデン大統領とかを
作っていくしか無いのだろう。)

思い起こせば属国根性から抜け出せない、つまり最後の意思決定権は
別のところにある時点で、責任を取れる組織になるわけが無いのだが。

ーーー
さらに思い起こすと、実は世界はこれまでも責任を取らない時代であって
その代表選手見ないになったのが上記の国とそれを牛耳ってるあの国なの
だろうということ。

しかし、ようやく責任を取る時代になってきたのだろう。
これまで何からも逃げずに真正面から責任を取ってきたところが参考になる、
ということで我が国に世界の注目が集まるのは自然である。
(おそらくこの路線でも独走しないように、この論点で我が国だけ頭一つ
飛び抜けないようにいろいろ伏線している状況なのだろう。
そう考えると世界規模で見ると、「出る杭は打つ」という結構な村社会根性が
根本にあることがわかる。まぁバランスというのだが。)

2021年3月30日火曜日

左が流行ってる

前回の考察でふと「なぜ左がなくならないかというと
左が流行ってるからだ」と書いたが、実はこれが本質なのでは
と思った。

なぜ流行るかというと儲かるからだろう。
ではどうやって流行を止めるかというと、もう儲からなくなるか
ある程度の人が「もう儲からない」と思って離れていくように
することであろう。

ーーー
右とか左とかに直結して最前線でやりあってる人は稀であって、
大半の人は思想よりも経済が優先である。
経済というか食うこと、生きること、より良い安定した生活を
送ることである。

ーーー
牛耳ってるものがあるとするならば、牛耳ってるものとは
つまり流行なのだろう。
これまでもそれとなく書いてきたが、実は左を利用して
あえて殺さずに泳がせている感がある。
(それに直面している我々はものすごい被害を被ってるわけだが。
 無論そんなことは御構い無しであろう。)

そしていよいよこの流行も終わらせようとする前兆がちょっとずつ
見え始めているのかな、という状況であろう。
(流行とは粘着性の高い液体のようなもので、動くのは遅いが一旦動くと
慣性を持つが、この特性を把握して、実にうまくコントロールしているものだ。)

(どっぷりと左に浸かった輩はどうぞ慣性に乗って生きた化石となって
もらいたいものだが、おそらくそうはならずにまんまと救済されるのだろうし、
救済しなければならない。どれだけ救済されたがっているのであろうか。
度を越して可愛い、または痛ましいものである。
臨界点を迎えると蜘蛛の子を散らすように、しかもトップが先頭を突っ走って、
一目散に散り散りに逃げさるであろう。見えも恥もあったものでない。
これこそがあちら左の特性であるが。とほほ。)

いつも言っている通り、大切なのはその先である。

感覚工学

現代であれば似顔絵を見て「似てる」と思う感覚があるわけで、
江戸時代とかの人物画も、人々が見て「似てる」と思う感覚が
あったはずである。

この辺の感覚を数値化することで、絵から実物へと補正することが
可能となる。
ということで感覚工学をここに発表しておく。

これは絵に限らず、感覚を伴う分野すべてに応用が可能である。

ーーー
工学とは書いたが、当時の時代背景とか当時の常識とか、
人々の感覚は属する環境に多大な影響を受けるため、
これはいわば総合科学である。

大変だとは思うがちょっとずつやっていければと思う。


2021年3月25日木曜日

思想家がよりあつまったら左

本来思想家は孤独なものだが、徒党を組みだしたら
左なんだろうな、という格言。

なぜ徒党を組むかというとやはり利己なんだろう。

崇高な理想があるなら孤軍奮闘すれば良かろうが、
または議論を深めるために同一路線の論や
反対路線の論と戦わせることはあっても、
それは論を深めるための一時的なことのはず。

近い論の人とくっついたり、わっしょいされたりして
居場所を感じて居座わったり、はてはお抱え学者になったり。
とかく左は徒党を組みたがる。
(群れたがるのは自信がないからとは言い得たものだ。)

こうことが不思議だとこれまでは言ってきたが、
もうすでにその根本はやはり利己なのだと分かってきた。


2021年3月14日日曜日

既得権益の延命と引っ越しの100年について

既得権益の延命と引っ越しの100年について前回軽く
触れたが、米大統領選挙を見るに「まぁそうだろうな」
となる。

一言で言えば彼らの「管理圏内かどうか」なのであろう。
英語で言えば「マネージド」かどうか。
プログラミングを知ってる人だとイメージがつきやすいが、
最近の先端言語だとメモリ(とか「オブジェクト」)の
管理はプラットフォーム側に委ねる構成になっていて、
変なコードがメモリ破壊をしないようになっている。

プログラムの世界でも異端者は排除、管理できるものは
徹底的に管理するのである。
(マトリックスのアノマリーのような構図。言わんとしてたのは
人としての意思まで管理させて良いのか的なことだろう。)

これもIT分野から出てきた言葉だが「プラットフォーマー」
と言われるものがあって、つまりプラットフォームを提供する側と
いうことで、すばらしいプラットフォームを作れば人が集まり
あとは勝手に収益を上げてくれるといったものである。
行き着くところが金のビジネスの世界では、誰もがこのプラットフォーマー
たらんとして日々もがいているわけである。

今でこそ、このプラットフォーマーの概念が一般まで知れ渡るように
なったが、最初に書いた所謂既得権益は遥か過去から、世界規模の
プラットフォーマーだったということで、おそらく今後の将来まで
(馬鹿ではないから、むろんといえば無論だが)ちゃんとレールは
敷いてあるのだろう、ということ。

そしてプラットフォーマーの利点は表に出なくて良いことである。
何に対しても直接関わるということはない。
なので何か世界問題が発生しても責任を追及されることもないし、
そもそも誰も結びつきさえ辿れまい。

このプラットフォーマーが「正しい」方向であってくれれば良いのだが、
世界を見るとたまに、結局利己のために動いてないか?とも思うので
心配なのである。(組織である以上仕方ない?)

特に「管理さえできていれば良い」ということで、現金な考え方をして、
名を捨てて実を取って、所謂左の大国と結託しようとしていないだろうか
というのが心配である。(よって表面で起きていることはただの
リップサービス。保守を安心させるためとか。)

組織である以上、今のレベルでは実を取りに行きたくなってしまうのは
仕方ないことであるが、もしもそこまで頭が良い集まりなのであるならば、
組織という「具体」であることに執着するのではなく、「象徴」という
概念までレベルを昇華していただきたいものである。
(かといってその手法が「乗っ取り」であっては呆れるが。)

2021年3月13日土曜日

褒賞期間の100年

極めて簡単に総括すると、戦後は戦勝国にとっての
褒賞期間の100年だったということであろう。

大きい意味での既得権益側から見れば、延命の100年で
あり、引っ越し期間としての100年であったということ。

いよいよ引っ越しも済んで、次の食い扶持が確保できたので
体制も替える、変わっても良いことになったのであろう。

日本にしてみれば改憲実現・日本をようやく取り戻すことに
なるであろう。

いうなれば所謂左をしていい感じに制御していたということか。

そして使命を終えた所謂左はそれこそ無残に用無しとして
捨て去られるのだろう。
(当事者が喜び勇んで利己まっしぐらに突き進んだのであるから
致し方あるまい。)

ということで、大切なのはいつもいう通りその後なのである。

2021年3月6日土曜日

憲法改正のシナリオ

明文化はされてないが、日本の底流にある憲法改正の今後の想定。

現状では所謂左が「流行って」いるので、その狂気というか
熱気というか白昼夢が終わるまではまぁ無理だろうなということ。

しかし最近の世界情勢のちょっとした兆しとして、いよいよ山が
動くのか?という見方も出てきたので、そうなれば所謂左の
白昼夢も終わり、憲法改正の反対派も蜘蛛の子を散らすように
胡散霧消するのだろうな、ということ。

かといって、現状でも常に所謂左との対峙は必要であって、
気は抜いてはならないのだが。(その積み重ねが上記の波の
力の一部になっている。)

そう考えると日本に限らず世界の底流といえそうである。

ーーー
常々言っているが、そうなったときの過去のあちら側の人たちは
居所がなくなるだろう。(と言いつつ、既述の通りかれらは
基本的に恥がなさそうなので、まんまと寝返ってのほほんと
生きながらえるだろうと考察しているが。)
そうなった場合は、あちらは生きた化石として存在価値があるので
内心は暖かく見守ってあげたいが、そんなことをするとお隣の
やることで知ってる通り、すぐに得意がって浮ついてくるだろうから
表面上は同情しないに越したことはない。

ーーー
本題としては、実は世界に先駆けて克服できるのは日本ではないかということ。
というのは世界の他の国を見てみると大抵はパワーゲームで克服しようと
してしまうが、日本は所謂左の無理難題を日本人的律儀さで全て真正面から
受け止めてきたということ。(どれほどの辛酸を舐めされられ続けてきたことか。)
(ここからは憶測が過ぎるが、そうすると連合国というかおそらくアメリカの
個人の狙いだと思うが、日本をして所謂左に対処しうるシステムを構築させ
ようとしたのではないか?ということ。こんな人体実験・社会実験もないだろう
から決して明るみには出ないだろうが。)

日本が真正面から所謂左の無理難題を全て受け止めて対処してきたので、
それがそのままあちらに対するシステムになっているのである。
あえて言えば「和」システムである。
いよいよ和システムの精度が現実に耐えうるものになってきたとアメリカは
見極めたためいよいよ山が動かせるとなったのか。

ーーー
本来は自分たちで一生懸命築いてきた和システムなので、世界に先駆けることが
できるのだが、そのことに気付いている日本人は残念がながらいないし、
今後もいないだろう。
というのは気概がないからである。
めぐりめぐるとやはり戦後史観だろうな。シナリオとしては和システムを
アメリカが取り込んで「まともな」「正常な」世界の状態に戻ることが
できるといったところだろうか。
無論もはや覇権だどうのだという時代でもないので、別に日本がトップに
ならなくても一向に構わないのだが、日本人がまた健全な気概を取り戻すのは
上記「まともな」「正常な」世界に戻って、日本が自分たちの憲法を取り戻して
からになってしまうだろう。
そしてそれは実はアメリカも同じであって、二人三脚のように
進んでいくのであろう。

2021年2月25日木曜日

曲全体をピッチベンドしていつの間にか移調する曲

曲全体をピッチベンド(音高を連続的に変えていく)して、
いつの間にか移調する曲のアイデア。

ピッチベンドを短時間で行えばリスナーはもちろん気づくのだが、
これをものすごくなだらかにすれば、かつ全ての音に対して
行えばリスナーは音高(音程)が変わった事に気づかないのではないか?
というアイデア。
(絶対音感の人だったら気づく?または「あれ?初めの音高と
いつの間にか変わってる?」と絶対音感の人さえも騙せる?)

そして、音高が変化した事に気づかない最小の時間が割り出せれば
「気付かれない移調」をふんだんに駆使した楽曲が作れるのである。
または敢えて上がっていく音高と下がっていく音高を交じらわせた
楽曲や、ピッチベンドの速度をずらした楽曲なども。
(聞いてる方は疲れるかもしれないが。)
(それぞれのピッチベンドのやり方に意味を持たせるというか、
音楽同様に科学的に意味解釈されていくかもしれないが、
意味を持ったとするとピッチベンド同士の組み合わせにも
意味が出てくる。
せっかく考えたので、楽曲の中で複数のピッチベンドが使われてる
として、その一つ一つのピッチベンドの方針というか一つ一つの
やり方を、「グラビティー」(gravity)とでも呼んでおこう。)

アイデアとしては面白いのでとりあえず発表しておく。

ーーー
なぜ「グラビティー」(gravity)かというと、これまでの楽曲は
言うなれば音高は常に地球上重力の1倍でしか作られてこなかった
わけであるが、この「気付かない移調」は自分の足で立ってる
地面の重力がじわじわと変化するようなものだからである。

まさに新しい次元に突入したと言えよう。

2021年2月24日水曜日

緊急事態宣言と夜の街の相関関係について

記述の通り、コロナ感染者数は酔った人と関係があるのでは?
という、誰でも思うというか直感で分かる相関があると思う。

誰でも思ってるのに何でちゃんと相関を取らないのだろう?
誰かちゃんと相関を取ってくれないかな?なにやら小難しい
細かいところばかりやらないで、まずは大局から見て、ここから
調査すれば良いだろう。と思っていた。

しかし、これは誰の特にもならないのだなと気付いた。

そもそも詮索好きのメディアがなぜ真っ先にこれを発表しないのか?
というところで引っかかったのだが、なるほど今回は利害関係が
同じ側という事なのだろう。

メディアがそれを言ったのでは夜の関係者から袋叩きにあうだろうし、
学者であっても、誰であってもそうなのである。
なのでこれは何の利害関係もない、こういった記事として誰にも見られずに
残るか、または利害関係者が「見て」しまったとしても、見なかった事として
やり過ごすかしかないのであろう。

一方で暗黙の了解でお互いに物知り風で過ごして、実はその本当の大切さを
お互いに知らなかったというのでは残念すぎる。
今回で言うと酔っぱらってコロナに罹るということ。
よって恐れずに「認識」していかなければならないという面も一つ。
誰もどこにもかけないようだから書いておくと、酔って判断基準を失うと
3蜜を避けるとか、飛沫防止、飛沫からのガード、手洗いうがい、
帰ってからもそのまま着の身着のまま寝るのではなく、手洗いうがいして
きれいな服に着替えてねる、というのが大切である。
子供に言ってるみたいになってしまったが、(だからこそ大人に改めて
言うことでもない、と「表明不要」と判断されるのだろう。)
たとえ酔っても泥酔しても気をつけなければならい。
誰も積極的に調べてくれないので、「酔ってコロナに罹った」割合
(または酒が絡んだ割合)が分からないが、もしも大きな比重を
占めるなら、そして本気でコロナを食い止めたいのならば、
やはり勇気を持って言っていかなければなるまい。
(それとも、これも含めてコントロール範囲内なので、
目をつむって許容するとするかどうかは政治判断なのだろう。
ただしそれを明確な判断として政治側としても夜の関係者側としても
表沙汰にはしたくない、というところだろう。)

ーーー
大切なのはこの相関があるかどうかではない。
(ある種暗黙の了解というか、相関があると思う人は自分の中で思っていれば
いいだけ。)

考えなければならないのはメディアといえども利害関係者ということ。
というか、むしろ率先してどれだけ利害に絡んでいるんだ、という事。
崇高なメディア精神などあったものではないのではないか?という事。
利害が絡んでいる事が明白な時点で、そもそもメディアとの接し方の基本は
メディアが発する情報はどういった利害が絡んでいるのかを疑って聞く、
というスタンスが基本になるという事。

ーーー
また逆にこれだけ裏でなにをしでかして暗躍してるのだろうと世間から
見られているのだが、基本構造を理解すると結局は利害だったのかということ。
力学的には非常に単純で、単純なだけにそれで世界が振り回されている現状に
呆れてしまう。

人は易きに流れやすいもので、目の前に利益があると自分が得したいと思って
しまうものである。(生存本能として)
個人個人が善悪の区別ができるように、そういう判断ができる人が増えるように
頑張っていかなければならい。(ありきたりな結論だが真であろう。)
現状は残念ながら世界レベルで「利己」という動物理論から抜け出せない
悲しい世代である。(数百年後かに「あの時代の人は動物だったね」と言われなければ
よいが)
この浪費を強く感じてきた人・感じている人が多数いるはずである。

無論、明日から急にいわゆる左側が無くなったとしてもそれはそれで無秩序(カオス)
を引き起こすので、舵取りは慎重にしていかなければならないが、
今その舵をとってる人が方向を間違わないようにサポートするのが表立った位置での
スタンスであろうが、少なくとも世界はこの方向に進んでいるようである。



2021年2月18日木曜日

極座標ディスプレイ

VRが活気づいているが、主にヘッドマウントディスプレイ用に
3次元極座標ディスプレイのアイデアを提起しておく。(または単に3次元ディスプレイ、3Dディスプレイ)
(polar coordinates display)

現在のVR用ディスプレイはPC用ディスプレイをそのまま使ってる。
PC用ディスプレイは直行座標(XY座標)方式である。
(rectangular coordinate system)

直行方式だと例えば4Kであれば3,840x2,160のピクセルを常に演算する
必要がある。

細かく見ると、映像なり3Dモデルなりを最終的な2次元画像に
する演算(グラフィックボード)と、それを忠実に再現する
ディスプレイの性能になってくるのだが、要は暗黙的に共有されているのは
直行座標の2次元画像ということである。

ここに潜んでいる問題点としては
・常に2次元エンコードというオーバーヘッドが働いている
・どんなに頑張っても長方形の「枠」内でしか考えられない
といったところだろう。

そこでこのデメリットを克服するものとして3次元極座標ディスプレイを
発表するのである。

概念的には視覚上の必要な個所に必要なものを描画する、ということ。
SF映画で宇宙船の操縦士が空間に描画された架空キーボードやウィンドウ
みたいなものを操作しているイメージ。

これはユーザを中心に極座標で描画すれば体の周り360度を描画領域として
拡張できる。
(これを実際にどうやって描画するかというディスプレイ/プロジェクター側の
問題はまた別の話)

まずはPCディスプレイの四角い枠を打ち破るアイデアとして。

ーーー
実際の問題点を上げておく。
・極座標の中心から離れるほど、(面で考えた場合)高い解像度が必要になる。→よってやはりプロット方式は面の概念から離れなくてはならない。
・極座標の中心から離れるほど、角度は高い精度が必要になる。→プロット装置の「描画限界距離」とかでスペック表に書かれる。
・実際の使用を想定すると直交座標の中心(人)の「動き」を前提で考慮しておく必要があるが、上記の特性のとおり中心から離れれば離れるほど動きノイズに敏感になる。

また、直交座標ディスプレイとのハイブリッドで、極座標側で四角い(考えを広げれば四角ではなくてもよいのだが)枠だけを定義してそこに二次元ディスプレイ(直交座標ディスプレイ)を当てはめるというアイデア。
(そのためにあらかじめ視界全体をディスプレイで囲っておこうとなると、当初の現在のVRディスプレイに戻る。プロット演算(座標変換)だけの話。)
(プロット演算「だけ」と言ったらしかられそうだが、そもそも話になるが
VRディスプレイは「現在使えるもの=直交座標ディスプレイを使って視界にマッチした
映像体験を実現する」という命題から始まっている。
座標変換でもちろんできるわけではあるが、そこに無駄とかオーバーヘッドとか
限界があるでしょうという問題提起である。
ブレークスルーの余地が多分にあるのでアイデアを発表しておきます、という話。
この辺は理想と現実の話であって、VRの歴史の話とかになってくるのでそちらに
譲るが、一番最初の有名なものとしては任天堂のVRであろう。将来を先取りしすぎて当時の技術=現実側が追いつかずに理想までは残念ながら届かなかった。
VRの歴史の話で今回の波が第何世代かは知らないが(第二世代?)、直交座標ディスプレイの解像度が上がったりグラフィック処理の性能が上がったりして、それをそのまま視界を取り囲むだけで、それなりの没入感は得られる段階になった。(このまま「視界を覆う」方式で突き進んでいけば良いだろうという方向もあるだろう。(人の視覚特性や認識特性とのマッチングの話))
そういう意味で言うとここで発表するのは第三世代の話である。)

ーーー
脱線するが「人の視覚特性や認識特性とのマッチングの話」について、
現在は人用だけだが、人以外用でもよいわけで、これは極端な例で
倫理的な問題をまずは克服しなければならないが、例えば家畜用に
限られた飼育スペースでも空間的ストレスを解消する救済装置として
応用可能である。
(家畜版マトリックス!)
(歩こうとした方向に合わせて地面も動く装置がセット。これはむしろ
現在の人用に早く実現してほしい。(歩いたり走ったりはある程度対応可能だが
難しいのはジャンプにどうやって対応するかが課題))
(これが実現すると家畜はそれぞれ所定の位置に配置されてVRゴーグルを
つけられている光景になる。現在の倫理では絶対に受け入れられないだろう。
(それとも以外とそうでもない?))
(倫理もなにもないかの国だったらすでに実物を使って研究してる
かもしれないが。)

2021年2月15日月曜日

発言は文脈の一部(オリンピック問題に添えて)

発言は文脈の一部である。

オリンピック問題に関してだが、氏の発言を文脈で
読んでみると、単なる引用ではないか。
しかも決して批判的な意味で使っているわけではない。

「メディア」という文字とか文章とかを取り扱う組織にしては
国語力というか読解力がなさすぎるのではないだろうか。
まさか誰一人「行間を読む」ということを教わってこなかったのだろうか?

百歩譲って読解力がなくて残念だったとしても、批判を
独り歩きさせて先導することがメディアの役目なのだろうか。
氏の発言全文はさして長くもないので、全文をメディアで
ちゃんと流して、それをどう受け止めるかは聞く方に委ねるのが
メディアの役割ではなかったのか?

ーーー
今回の一件で(というか毎度のことかもしれないが)、メディアに
非協力的な人が増えるだろう。
せっかく取材に来てくれた人たちがかわいそうだから、サービス精神で
誠意をもって情報発信したのにも関わらず、後になってから、
それこそ後出しじゃんけんまっしぐらで揚げ足取りをされるのならば、
何が嬉しくて積極的に発言しようと思うだろうか、ということ。

思えば取材に来る人は、親だろうが知り合いだろうが赤の他人だろうが芸能人だろうが
プロの有名な取材する人だろうが変わりなくて、あくまでも信頼関係が
成り立っているからこそ情報共有するわけである。
また、友人とかと話してたり独り言だったり、さして意識せずに発した
言葉がメディアに渡ると途端に殺人事件の証拠に祭り上げられてしまうのである。

メディアが取材に来たというだけで、なぜか発言することが義務化して
いないだろうか。立場的に「公」の方が比重が多い人だとしても、
「私」はあるわけで、(この辺はメディアが誕生してからさんざん
議論されてきたことではあるだろうが)私的な発言はメディア側が
煮るなり焼くなり好きにさせていただきますというならば、それこを
言論統制だろう。
この辺の公私混同についてはむしろメディアの方がプロであるのだから、
メディア側でちゃんと義理を通して私的発言は表に出さないのは当然で、
ちゃんとデータ的にもどこにも記録に残らないようにするべきである。
(ジャイアンでもないのだからか、「俺のもの(発言)は俺のもの。
おまえのもの(発言)も俺のもの」はいい加減成り立たない。
神にでもなるつもりなのだろうか?)

ーーー
今回は面白い続きがあって、オリンピックの会長をさんざん攻撃してたと
思ったら、実は自分たちの首を絞めていたのではないだろうか、ということ。

100%純粋なスポーツマンシップで、すべてボランティアとか経費を
すべて自分たちで捻出して開催とかならよいのだろうが、
開催地誘致とかでも一般市民に知れ渡ってきたことであるが、やはり
きれいごとだけでは済まなくて、オリンピックは利権が絡んでいる
ということ。

私はむしろ、このコロナ禍で人が来ない=売り上げが伸びないのに
なかなか中止の方向にならないので、実はかなりキレイな組織なのかな?
とか勘ぐったりもしていた。
(おそらく一回中止すると今後への影響が大きく、(ほら見ろ、利益優先では
ないかと言われイメージダウン引いてはスポンサー離れ、それも国家レベルの、とか、オリンピックと言う汚い金にまみれた組織のもとで競い合うのは信条に反すると言う有志が自分たちの大会を開いてしまうとか。)おそらく収支はトントンか赤覚悟でもやっておくべきと
判断したのだろう。)

しかし、首相まで務められていた、いわばものすごい「公」な人を
引きずり下ろしてしまったわけで、その後釜を担う人はそれ以上に
「公」でなければ、メディアにいったいどんなボロを探し出されて
火あぶりにされてしまうだろう、ということで誰もやりたがらない
ことは当然である。

オリンピック中止となれば当然メディアの取り分も(おそらくかなりの
かせぎどころだったのでは?)無くなるわけで、気づいたら自分の首を
しめていたという、なんとも情けない喜劇である。
(今後の展開はメディアが頑張ってオリンピック開催できるように
委員会をわっしょいするのだろうか?)

この、メディア+利権については(無論明るみには出ないが。だからこそ
人々が面白がっていろいろ憶測したり陰謀論が出てきたりするのだが)、
世間でいろいろ言われている通りなので深くは触れないが、
今回の件についてはいくら何でも野放しにしすぎたのだろう。
もう少し手綱を引き締めたほうがよかったのではないだろうかということである。
(世間に、統制が取れてないと思われてしまう。)

総括としてはいつもの通り「やれやれ」なことである。

ーーー
なお、あちらの感情攻撃に屈して要求を飲むと何もいいことはない。むしろあちらを助長するだけである。
今回もこれだけ氏の発言を「マイナスのイメージ」と流布しておきながら、もう自分たちは関係ない姿勢という有様である。
オリンピック開催まで間もないこんな時にトップが代わり、(失礼だが、またそうはならないと思うが、)もしも失敗でもしたら、メディアはお祭り騒ぎで非難でもするのであろう。
(こういうのを見て思うのは、メディアは泣き女なのかと感じる人も多数いるのではないだろうか。いい・悪いは関係なく、メディアは将来的には祭りを盛り上げるためだけの役割を持ったものになっていくのではないだろうか。落とし所というやつである。いつも何でも喜び勇んで大声を出してくれるのだから、適材適所ここにありである。)
(メディアで色とは関係なしに使命感を持って一生懸命働いている人としては、もしもこのようなレッテルを貼られてはいたたまれまい。だからこそ信頼回復に努めてほしいものである。(そもそもここまで色がついてしまうと信頼は回復しようがないであろうから、(明確に悪を根こそぎ焼き払いましたとかでもない限り)組織として上記の通り落としどころに落とすとか、それこそ解体するとかしかないのであろう。)

2021年2月7日日曜日

今生の別れの再来

数億年先のことであるが、今生の別れが再来する。

宇宙のロードマップとして、まずは今後数千年での
ビッグイベントは火星移住であろう。
これは良し悪しに関わらず、おそらくそうなっていくのであろう。
無論それに耐えうるように倫理もレベルアップしていかなければ
ならない。
(資源がなくなったから他国の資源を分捕っていけばよいというような
かの傍若無人国家の理屈であっては、火星の資源も一瞬で無駄に使い果たして
しまうであろうから、時間を無駄にせずに倫理を高めていかなければ
ならないのに、現代の人々はいったいどれだけリソースの浪費が
好きなのであろうか。もう少し脳を使用したほうが良い。)

悲しくも倫理のレベルアップが図れずに火星進出したら、
ナウル共和国のように資源を使い果たして、人々は責め合いながら
残った資源で細々と生き延びで行くことになるのであろう。
(まぁこんなレベルだったら当然滅びる末路しかないだろう。)

ーーー
そもそも現代の傍若無人は一体何がしたいのだろうか?
元を辿ると全世界の全員がご存知の通り、何とか理論(というか
屁理屈程度だと思うのだが)に行き着いて、それは結局は
自分より「いい」人とか物への子供のように単純な「怒り」と「責め」だろう。
では、いざそれがうまくいったとして、世界の覇者となったとして
そこから何をしようとしているのだろうか?
わが国でもあちら側が政権を取るという悲劇(今となっては喜劇だが)
が発生したが、いざトップになって責めるものを失うと、
それは一体どういう方向で何をしたいのかが全く分からないという
迷走を演じて、白昼のもとにさらしてしまった。
彼らの理屈にのっとると、最終目的は享楽なのだろう。
(地球外生命体を自称するお方が友愛とか言っていたが、
 おそらく享楽の言い間違いなのであろう。)
(そんな彼らの享楽のために税金をつぎ込んで、なんという
 すばらしい犠牲的精神であろうか。)

こんな駄々こね坊やの享楽に、人々は一体どこまで付き合っている
のだろうか?
人によっては、こともあろうに喜び勇んであちら側に加担する
始末である。

ーーー
話を元に戻すと、倫理レベルアップが「正常に」図れたとすれば、
火星移住によって資源問題はおおむね落ち着くであろう。
資源的不安のない「資源平和」な期間が数万年単位は続くのであろうか?

これ以上は大雑把になるが、その上の数億年先になってくると、
太陽が巨大化して地球の水が蒸発して地球が住めなくなり、
代わりに火星がちょうどいい温度になるとかになってくるであろうが、
火星もいずれは高温になる。
つまり人類はハビダブルゾーンを探して太陽系を外側へ外側へと
移住していくのだろうか?
しかしいずれは太陽系も住めなくなるので、人類はあらかじめ
太陽系外の居住可能な星へ旅立つのだろう。
無論、失敗して全滅とうわけにはいかないので、人類の一部が
行くことになるのであろう。

太陽系残留組と太陽系離脱組。
その時の倫理レベルでは残留組と離脱組は平和的に決められるのであろう。
(倫理レベルが達してなくて、現代の左寄りがそのまま残ってたら
 悲惨だろうな。。と、これくらい具体的に言えば現代版左寄りも
 自分たちの悲惨さを認識できるであろうか?)

この時の別れは、本当に本当の「今生の別れ」になるのだろうな、
というが言いたかったこと。
幸い私たちは、ついこの間、情報通信化する前の時代に「今生の別れ」が
あったことを知っているので、大切に後世に残しておきましょう、
ということ。

情報通信化して地球上であれば瞬時に連絡が取り合えるようになった現代から、
今後数千年、数億年で情報通信化前のことが忘れ去られていくであろう。
記録やデータとして残ってても見向きもされない期間が今後数千年、数億年は
続くであろう。
しかし、この太陽系離脱版「今生の別れ」の時は、人々は我ら情報通信化前の
時代の記録や各国に残ってる日記とか、日本の和歌とかが読まれて、
将来の皆さんはさめざめと泣くのであろうなと想像すると、数億年を先取りして
泣けてくるのである。
(やった、数億年先を先取りして泣いた初めての人になった^^)

ーーー
ちなみに太陽系離脱組は生涯を船の上で過ごす人がたくさんいるのだろう。
無論船と言っても外で遊んだり学校があったりと社会が構成されたコロニー
みたいなものであろう。
また船は一隻だけではなく定期的にでるのであろう。(最近の風潮だと
むしろ分散化の方が可能性が高い?)
また、前後の船とも行き来する手段は構築するであろうし、必要があれば
地球へ戻る道もあるのかも知れない。(しかし進んだ分と同じ分かそれ以上に
時間がかかるので、それはそれで大きな決断が必要だろう。)
(社会レベルでの移動となると、やはり資源問題があり、あらかじめ見積もって
積んだとしてもリスクアセスメントとしては弱い。
やはりどこかで補給する構想にしておかねばならないだろう。
100%循環できて100%保証できるとかなら別かも知れないが。)

船出からどんどん地球を直接知ってる人も減っていき、「地球昔話」として
お子さんとかお孫さんに話して聞かせてあげるのだろう。
※勿論地球とは常時通信を取り合うのだろうが、離れれば離れるほど遅延が
増していって、いずれは「〇〇年前の地球の様子」とか、「〇〇年前の地球から
メールが届きました」とかになってくるのであろう。
旅立ってしばらくは「地球への忘れ物」ニュースがバズるんだろう。

通信帯域としては船内の人全員が同時にビデオ通話できるくらいの帯域は
確保するのだろうか?
どのみちリアルタイム通信はできなくなるので、最初は地球と「近距離用通信」
「中距離用」「遠距離用」でリアルタイム通信するが、離れるにつれて
「近距離用通信」は使えなくなって、次に「中距離用通信」が使えなくなっていく、
とかだろうか。

※量子通信もあるが現状では、まず量子もつれにしたものを地球で生成して
片方を地球に、片方を船に乗せる必要があること。つまり通信できるのは
1粒につき一度きりなので、量子もつれにした粒子をかなり大量に持っていく
必要があり、使用に関しては本当に必要な時にしか使えないとても貴重なものに
なるであろうということ。
それと量子通信で意味ある情報を送るには(私が現時点で知ってる知識では。今はもっと理論が進んでる?)やはり古典通信も必要ということで、
現状のままだとやはり離れれば離れるほど情報的にも遠い存在になっていく
のであろうな、ということ。
今後数億年でそれが解決されるのか、はたまたテレパシーとかの研究が進むのか
とか、またはそれらの融合か、とかになってくる。
そもそも人だけがテレパシーが使えるのはなぜか?とかから始まるわけだが、
この太陽系残留組と離脱組では「地球上の人類」という太い「関係」があるわけだが、
それが果たして「空間問題」を克服できるかどうかの長い歴史と見ることも
できるわけである。(「時空」と言いたいところだが、それだと話が大きく
なりすぎる。)
「空間問題」が克服できればそれは大きなブレークスルーとなるであろう。
(そうなったとしたら、そもそも太陽系離脱とは別手段で解決できそうな気がしてくる。)

2021年2月1日月曜日

アナログ経済(ネオ・アナログ経済) 再掲

以前にアナログ経済のアイデアを書いたが再掲。

※アナログ経済だと貨幣化前の原初アナログ経済と区別がつかない場合があるのでネオ・アナログ経済とも言うことにする。そのうちネオ・アナログ経済のほうが定着したら、貨幣化前のほうが原初アナログ経済と呼ばれるようになるだろう。

人類は貨幣によって物の価値を抽象化し、それらの
円滑な流通手段を手に入れた。
あえて失ったものを言うならば、それはアナログ性である。

物の価値の抽象化として、当初は貨幣という物理的なものを
用いてきたわけであるが、実際は物の価値は見えない抽象的な
ものである。
これを本来の抽象的なものにするというのがアナログ経済である。

物理的な貨幣から、現代はちょっとずつネットの普及によって
ネット上でのデジタル情報のやり取りで流通が可能となりつつある。

しかしベースは物理貨幣の延長であって、労働したら1日とか1週間とか
1か月とかのトータルをある日に労働者へ払う、買い物もキャッシュか
銀行から払うか(1世代)かクレジットか(2世代)といったのが現状。

その先にあるのが、価値が生じた時点で貨幣というか、それこそ
「価値」そのものを表す抽象的な「何か」にリアルタイムでリンクする
システムである。
(決算とか締め処理とか(それに限らずあらゆるもの)は
 根本から変わるであろう。
 そこらへんはトップダウンとボトムアップの中庸で
 紆余曲折を経て定常状態に落ち着いていくのだろう。)
(こういう意味だと「リアルタイム経済」とも言える。
 しかし、第一世代の物理貨幣を発明した時点を「デジタル化」と
 とらえると、このアイデアは貨幣から本来の「価値」への回帰である
 という意味で「アナログ化」なのである。
 (貨幣と価値の相互変換がデジアナ変換というとらえ方)
 狭義のデジタル経済は所謂「第三世代」と言われるICTを駆使した
 ものであったりチェーン技術(ブロックチェーン技術)であったりする。
 経済に限らずあらゆる分野を見ても、デジタル化の最終目的は
 実はアナログ化だったりするのである。つまりデジタルによる
 アナログの完全な再現。)

まぁ数年前のアイデアではあるが、この破壊力はすごい。

(念の為追記しておくと、ここから着想を得て具体化しても良いですが、アイデアの出所はここですと明記してくださいね^^
(最近どうも人のアイデアを自分のものと言って発表して知らぬ顔をしている厚顔が増えてきたようなので、念の為。。))

2021年1月30日土曜日

民主主義を逆手に取る

総括としては、米大統領選は民主主義を
逆手に取ったというのが読み筋。
(むしろあちら側が「民主主義」を主張していて面白い。
 いつもの展開だが。)

まあ、やりそうと言えばやりそう、ありえそうと言えば
ありえそうと言えばそれまでだが。
とにかく何が何でも、何でもよいから「事実」さえ
作ってしまえば、たとえどのような不正があろうとも
その「事実」を元にして勝てる、という手法。

(票の数えなおしもしたようだが、氏が訴えてたのは
そもそも不正があったということであって、それを
うやむやにしたまま再集計しようが結果が変わるわけが
あるまい。単なる機械の精度を人力で検証しただけに
過ぎない。またそれをまじめに報道するほうも報道する
ほうだが、それをありがたく聞くほうも聞くほうである。
何か全体として退化しているが本気でその路線で行くのか?
後悔はないか?)

氏が勝利するとなって方向性をうかがう報道がでて、
対中強硬とかでていたが、これも不正を訴える側および
その声を聞いてなびきそうな保守寄りの層を
なだめるための詭弁とも読める。
(実際すでに就任早々つぎつぎと前政策を覆すような
 ものにサインしている。
 敵対勢力を懐柔させるためのリップサービス。)

米国民は香港問題を遠いところの話として誰もまじめに
気にしてなかったのだろうか?
返還後数年で約束が反故されたというのに。

米国は今後、裏の目的のためには何でもできる国家になってしまった。
(秘匿のプロ国家)

国民はその上で踊る操り人形と、(いくら後悔しようと)
ならざるを得なくなってしまった、ということ。
(既述の「利己にコミットした」を参照

大げさに言えば、香港やチベットやモンゴルのような
陰湿な破壊が起きるが、米国民は本当に大丈夫なのだろうか?

できることといえば上記の線で見張って警戒を劣らないこと
だろう。(逆に言うとこういうことしかできなくなってくる。)
あるいは、国民が覚醒して大転換が起きるか。


2021年1月15日金曜日

怒るのは楽ということ

怒る側にいるのは楽である。

自分の思うほうへすることができるからである。

また、怒ってる人をとりなすのは大変である。
たいていは当事者間では決着がつかず、第三者が
はいってようやく落ち着く。
つまり怒ってる人1人に対して、何倍もの人が
とりなすために動く必要があるということ。

個人であれば、自分の生活圏で、どうしても貫きたい意志が
ある場合や、壁になってる人が押せばなんとかなりそうな場合など
環境を見極めて、どうしようもないときに怒るわけである。
人とは一人では怒れるものではなくて、実は周りがあるからこそ
怒れるわけである。
実際に四六時中怒ってる人がいたりするが、いざ一人でポツンと
なった時も、勢いも変えずに起こり続けることができるのだろうか?

また、人とは悲しいもので「味をしめる」動物でもある。
一回怒ってうまくいくと、味を占めて繰り返す、という側面が
あることも否めまい。無論そればかりでもないが。

そして、個人であれば当の本人は全く気付いてないのだろうが、
集団論・組織論的には周りの多くの人が緩衝材なり治癒剤なり
になって、その組織の中でどういった立ち位置に収まるか、
時間をかけて収めていくわけである。
(正しく有機体のすばらしさ)

ーーーーー
以上は個人の例で説明だが、現代社会の問題もよくよく紐解いていくと
ここら辺の根本原因に行き着くのである。(情けないことであるが。)

全世界の全員がご存知のとおりであるが、元を辿ると所謂「あちら側」
に行き着いて、現代でも色を変えかたちを変え、姿をくらまして
巧言令色しているわけであるが、いくらメッキしようと根っこは変わらない。
そしてその根っこは何かというと利己である。
(続きを執筆中。。。)


左の総括

一応ようやく結果が出たようなので総括しておく。 (いつも通り具体を避けて抽象的に述べるので読みづらくてすいません。。) とは言ってもこれまで散々述べてきた通り、あちらの根本は「利己」であるということの繰り返しであるが。 まぁそれが象徴的に民意として「流石に目に余る」という結果にな...