2020年12月4日金曜日
問題解決の道筋
2020年12月2日水曜日
守る側がいると破壊する側が生ずる
2020年11月20日金曜日
嘘を隠すためにより大きな噓をつくという理屈
2020年11月4日水曜日
メディアの盲点
2020年10月30日金曜日
達観さえ許されない
2020年10月16日金曜日
増税と軽減税率
2020年10月14日水曜日
渡部昇一先生「学者が家のことをやりだしたら汚職」
2020年10月13日火曜日
色のついた企業
2020年10月12日月曜日
左のおかげで右のレベルが上がったという皮肉
2020年10月9日金曜日
あちらの根底にあるのは既得権益や外部からの搾取ということ
搾取ということは嫌という程理解できたであろう。
2020年10月6日火曜日
詭道を拠り所とする機関
していたのでは、うまくいかないということ。
2020年10月3日土曜日
平均顔プロジェクト
2020年9月29日火曜日
現状の単純明快な説明
2020年9月25日金曜日
コロナ禍による「新しい日常」で逆に気づいたこと
2020年9月24日木曜日
偏向の功績
A新聞などに代表される偏向報道の「功績」を
敢えて考えるならば、それはメディアは無色透明ではなくて
色を持っているということを一般市民に知らしめた、
ということであろう。
表向きは「報道とは事実を伝えることである」という
立派なことを言いいながら、裏では自分たちの利己追求や
他国・悪魔に魂を売るようなことをしていることが、
白日にさらされることになったのであるから、
それはそれで「功績」なのだろう。
表向き、つまり情報を得たい側である大衆に対する
裏切りも甚だしいが、おそらく彼らの論理は
「自分たちで情報が欲しくて自分の意思で買って読んで
いるのだから、買ったほうが悪い」くらいにたかを
くくっていたのであろうが、もはやそれも通用しなく
なるだろう。
商売の精神みたいなことを云々するつもりはないが、
やはり客をバカにしたり、表向きしてなくても、
そのやり口が客・大衆・世間をあざ笑うようなことを
していてはやはり滅するのであろう。
(因果とかいうかもしれないが。)
ーーー
以前書いたとおりであるが、偏向報道慣れした
賢い大衆であれば、お分かりになるとおもうが、
例えばこれで大半の人に愛想をつかされて潰れたと
しても、それでは根本原因は解決されない。
むしろその根本はまんまと藪の中に逃げ込むだろう。
この辺を丁寧に追い詰めると、既述の構造理解の
とおりとなるのである。
2020年9月10日木曜日
A新聞の世論調査の結果で支持するが7割超えの深読み
A新聞の世論調査の結果で、安倍政権支持するが7割超えしたこの深読み。
メディアのシェアがまだ高いうちに、「あのA新聞が政権支持を報じた!
日本のメディアはあてにならない。」という、捨て身の錯乱工作を
始めたのだろうか?
彼らの目的は日本の信用失墜であって、もうシェアと保てないことを
悟って、「それならばみんな道連れだ!」的な利己的発想。
(それにしてもやぶれかぶれだな。まぁいつものことか。)
2020年8月1日土曜日
酒を飲むと注意が散漫になる
2020年7月30日木曜日
姿・形を変え現世の利益を貪ることの後の絶えないこと
2020年6月29日月曜日
全体を考えてるはずの主義がむしろ誰も行かない 明らかに落ちる橋の方に進んでいる状況について。
2020年6月25日木曜日
愚の露呈
2020年6月24日水曜日
構造理解による、表に立ってる人の考察
2020年5月27日水曜日
精神的堕落の構造
精神の堕落
2020年5月25日月曜日
直しようのない性格の掘り下げ
2020年5月22日金曜日
コロナ総括
直しようのない性格
2020年5月21日木曜日
C2Cコピーサービスの発展。Cストレージ。
C2Cデータコピーサービス
COVID-19の「まじめに」やってきた側への被害
2020年5月15日金曜日
オリジナル言語と翻訳語を併記する機構
2020年5月11日月曜日
物理的に得られるものに対して、精神的に得られるものについて
2020年5月3日日曜日
我国の組織論
微妙な表現しかできないが、我国の組織は本当に
公の通りの組織しかないという事。
(反語としてその他の国は?と続けて欲しい。)
国の重大事項について、公以外で、その組織のベクトルを
あらかじめ決められるのならば強い。(そしてずるい。)
(国に限らずであるが。小さくとっても大きくとっても)
ここで論は二手に分かれて最後に合流する。まず分岐から。
・我国の組織はなぜそうなのか。
・我国以外であらかじめ決めてる組織のジレンマ。
ーーー
まず我国の組織はなぜそうなのかについて。
これは言わずもがな敗戦によって、組織の「箱」が敷き詰められて
しまったからであろう。これだけ時間が経ってボトムアップで
「横のつながり」など言われて動きがあったりなかったり。
(本当に律儀である。)
さらに律儀なのは、おかしな左巻きが入り込んでもなお、
決められた「箱」で頑張っている事である。
外野から見ると滑稽らしいが、(外野で敷いたフィールドであるはずだが。)
例えるならば、「これでもか」と厳しい鉄格子を張り巡らせて、
猛獣を送り込んだが、最初はやられっぱなしだったが、やはり
適応能力で、鉄格子をアメーバのようにくぐり抜けて、猛獣さえも
往なして、次なる次元に到達したようなもの。
自分で例えておきながら注釈を何点か。
猛獣を放ったというか、猛獣が現れたのは鉄格子を敷いた側からは
意外だった事だろう。猛獣側が虎視眈々と狙っていたと言えよう。
「やはり」適応能力で、と書いたが、これをさせて結果を見る
意味があったのだろう。(潰れればそこまでの用済みにすれば
良いだけ。)
ーーー
次に我国以外で、「あらかじめ決めてる組織」のジレンマについて。
確かにこれをやれば迅速で強くていい事だらけのように見えるが、
理論的に矛盾している。という事も実践側も重々承知していた、
という事。
矛盾とはほころびであって、いくら鉄壁を築いても自らの
矛盾によって崩れてしまうものである。
彼らも早晩解決しなければならないと思っていた事であろう。
ーーー
「だから」なのか、「結果として」なのかは知らないが、
「させてみよう」なのか、「結果として」なのかは知らないが、
我国は公の左も右もそのまんま、開けっぴろげのまんまで
例えいくら馬鹿げていても、忍耐強く、浪費を最も嫌うのに
眼の前で繰り広げられる左巻きの浪費を見続け、いよいよ
政治3.0という解決策を練り上げてきた、という事。
結論終わり。
ーーー
当初の話に戻り、我国の組織論として、手っ取り早くは
他国を真似して、外野から阻害されない「何か」を
作ればよい。
しかしそれは小手先である。しかもご覧の通り左側が猛烈に
反対する。
では「公」で通すしかあるまい。
(左はすべて先手を打って懐を温めてきたと思っている事
であろうが、上記「組織」を容認するか否認するか
既に内部の意識崩壊が見て取れるが、おそらく
いいとこ取りの人の生き血を吸う選択を練り上げてくるのであろう。
めでたし、めでたし。)
確定前に述べる事
※本題の前に、一昔前だと遠回しにしても
口にするだけで、どこで何をされるか分かったものでは
なかったのだが、現状はみんながバンバン、それこそ
実名とかで公然と論じてたりするので、絶世の感がある。
これこそ草の根の声なき声の先人の諸先生方の血の滲む
ような奮闘の結果であろう。本当に有り難い事である。
本論は、この時点で確定か、未確定かいろいろ情報が
錯綜している事案について。
まずは一般認識から。
ここでいう一般は声なき声の一般をいう。
それはやはり若造には無理だったかという事。
(一般大衆のこの感覚が大事。)
世襲の弱点だが、カリスマ性はそうやすやすとは
引き継げないという事。それこそ事例は世界の歴史を見渡せば
腐るほどあるのだが、これだけ文明が進んだ現代において
なぜそれを学習できなかったのか?という点が結果として、
お粗末だったと言われる事になるだろう。
(結果として実践できなければ本当に学習したとは
言えない、という点は基本なので省略。)
最初に公で目にした人々は、おそらく何かの冗談かと
思った人が多数いたと思う。(この人の感覚。)
最大限ポジティブに考えると、「あちらの帝王学は
世界レベルから跳躍して、実践の全くない若造でさえも
トップに君臨できる秘密の学問を確立したのだろうか?」
というのが当時の意識だったろう。
しかし、というかやはりというか、そうではない事が
この数年で明るみに出たという事。
こうなると話は一気に分かりやすくなる。
つまり世襲によって、世襲前後の総合的な「力」が、
善処しても例えば9割で引き継げた、としよう。
(当局は無論10割と公表。)
しかしこの結果からすると、それはやはり6割とか、
よくて7割程度だったのだろう。
そして問題は次である。
この短期間で6〜7割になってしまった力が、お次は
どう見てもそれよりも弱い形で継承される事になりそうである。
そうすると、どう考えても当初から比べると力は
半分未満であり、臨界点を優に超える事になる。
ーーー
ここまでは誰でもわかる事であり、
つまりそれが表に出てきたという事は、
「世界」はすでに「次」のシナリオ、
「これだけ敷いておけばあとは勝手に歯車は回る」
という「次」のレールは出来上がっている、
と読むのが筋である。
(間違いであれば修正すれば良い。)
2020年5月2日土曜日
休業要請に応じない店に見る構造理解
端的に構造が現れている。
つまり店の表に立っている代表は、いくら要請や指示を
受けても痛くもかゆくもないのである。
本当の実権は他に握られており、店の代表は社会道徳よりも
影の支配者しか見ていない。
要請に応じてこなかった店も順次応じ始めているが、それは
「実権」サイドが良心を発揮したとか、もはや批判を
逃れられなくなったとか、はたまた批判の影響を将来的に
考えて総量計算して損得を天秤にかけた結果として
要請に応じたのだろう。
(「実権」は事業が失敗したらさっさと他に移ってしまうので
損得の天秤で判断する事はないのだが。吸えるところまで
吸い尽くすのが基本。)
店に立ってる代表はただのコマ、ハリボテでしかない。
そのコマが良心に目覚めて営業自粛するという事は
構造上ありえないのである。
店の代表の目的は、客を入れて利益をあげる事が目的であり、
そもそも道徳などは、「実権」サイドの目的履行で「忙しくて」
省みる余地などないのである。
(秘匿の強みは裏の目的が他者にばれなくて済む事だが、
欠点としては他者に憶測を許してしまう事だろう。
つまり大衆がこれだけ「公共に反する」と店を批判してるのに
なぜ要請に応じないのか?と、大衆はその裏の目的を憶測し
始めるわけで、これも一つの大衆の憶測に過ぎない。)
ーーー
此の構造が左巻きの構造と酷似している。
常軌を逸して日夜他人の欠点探しに明け暮れる徒党を組んだ輩。
どうすればそこまで人一人が、例えば総理個人を
批判し続ける事ができるのか?と疑ってしまうのだが、
こういった構造がわかると理解できる。
既述の通りだが、あれは個人ではなくて、むしろ個人は
ハリボテであって、彼らの「崇高なる」理想のために、
口だけ借りて動作しているだけである。
そこにはハリボテ個人の良心を挟む余地はないのである。
(あな恐ろしや。)
国際会議の場で、どこぞの「代表」がものすごい主張をして
一歩も主張を曲げない事があるが、それこそその代表の
目的は「言う事を言う」事なのであって、その場の流れとか
総意に沿ってとか、代表個人の判断で発言を引っ込めたり
妥協するという選択肢はないのである。(もしそんな事を
して帰ったら、それこそ命にかかわる問題なのだろう。)
ーーー
此の構図はなんだか任侠に似ている。
しかし彼らが「仁義」とかを解してるとかは到底思えない。
(彼らには崇高な人智とかは勿体なさすぎる。)
つまり、任侠の構造だけ真似して(お得意の)、
任侠では仁義が中核にあるのだが、それを都合のいいように
別のものに置き換えているのだろう。
そして一旦左巻きに絡めとられると、歯車として
組み入れられて個人意識とは無関係に動作するしか
なくなるのである。(よくできている。)
ーーー
よくできていて、何か事を成すにはこれほど便利なものは
ないが、政治3.0ではもはや通用しない。
左巻きがハリボテのコマの大量生産で来るから、
ではこちらも木偶の坊の大量生産で対抗しよう、
とはならないのである。
2020年4月26日日曜日
世界構図の理解
政治3.0に当たり改めて振り返ってみると、世界の構図は以下の通り。
声なき声として歴史を継承してきて、地に足をつけて歩んできた
ものが大半であり、その叡智によってたとえ異物が混入しても自然と
排除・融和する仕組みが成立されてきた。
それに対して、反対者が出てくる。おそらく根本原理は至極単純。
例えば「こっちの方が声なき声のマイノリティだ」くらいに行き着く。
負の感情に限らないのだが、なんらかの「核」ができると、それを
元に成長することができる。たとえ本質が嘘だとしてもである。
(これはお隣を見ればよく分かる。金メッキに金メッキを上塗りして、
お家芸なのでいったいどこから計測すればさえ元を辿るのは困難なのだが、
少なくとも例えば戦後から令和の現在まで7〜80年くらいは
金メッキでも崩れずに存在できるようである。(もしかすると
金メッキの最高新記録を樹立することが目的なのか?なるほど
勲章は金メッキメダルということか。))
ーーー
地に足がついた者の排除・融和システムは洋の東西で異なる向きの
意見が強いような気がするが、根本は一緒である。
つまり潰せるなら排除、潰せないなら融和である。
着目点は、その正統、異端に関わらずに同じ方向を見ていた、
ということ。だからこそ排除・融和システムは成り立ってきた。
しかし、ここに素っ頓狂な左巻きが入り込んだという訳である。
どこを目指して言っているのか方向が当初は分からなかった。
しかし最近ようやくその根本は破壊の上に利己を追求することと
判明されたので、ようやく世界が立ち上がったという構図。
ーーー
融和が得意な日本を見るとよく分かる。最初は左だろうが
なんだろうが、市井としては静観。「いずれ社会に馴染んで
溶け込んでいくであろう」と。
しかし一向に馴染まない。そもそもまともな話にさえなって
ないのではないか?人権やら権利やら理論なんだか屁理屈なんだか
すっ飛んでて振り回された挙句に、当初の目的からは
かけ離れた場所にいる。
振り回されることを知ってて、常にこちらの足元を見ている。
何がしたいのだろう?何が目的なのだろう?
しかしあちらは秘匿こそが原理なので、分かろうはずもない。
理屈詰めだとここでストップする。
日本人の相手の気持ちを察する能力の高さをご存知だろうか?
おそらくこれこそが左に打ち勝った根本原理と解明される。
相手が例え素っ頓狂な、せいぜい数世代先の利己しか考えない
ような輩であっても、それさえも包み込んでしまうという
融和が出来上がるのである。
これが現在の世界構図といったところだろう。
※一点だけ脱線すると、左がマスコミと学会を掌握すれば
上手く行くと考えた「超頭脳」はいささか稚拙であろう。
確かに現状のマスコミや学会だけ見れば、世界は明日にも
崩壊することになりそうであるが、声なき声、市井、
地に足を着けて見てみると、「何てことはない」という構図。
(賢明な市井はマスコミの煽りを、優しく聞き流して
あげている、という構図。)
人類、大きく言えば宇宙が築き上げてきた叡智はそれほど
愚かではない。
ーーー
「押してもダメなら引いてみろ」というように、今回で
融和が有効だとされれば、しばらくは融和の時代に入るだろう。
(1,000年くらい?最近は周期が短くなってきたのでもっと
短いかも。)
しかしそれもいずれ効かなくなり、また力の時代がくるだろう。
大切なのは如何に早く「言語化」するか。(「力学化」するか、
とも言える。)
陰陽師でもないのだが、正体不明を捉えるにはまず、それに
呼び名、名前を付けることである。抽象が具体になる訳である。
理論を見つけて表すのである。みんなが同じメソッドで正体を
共通的に認識できて、認識を共有できるのである。
ここまでくれば相手はいくら逃げても逃げられず、土俵に
立たせることができるのである。
(大抵は土俵に立つ前に逃げ道を掘って行方を眩ませて
しまうのだが。もう少しひねりの効いた展開はできないのだろうか?
おそらく、この辺が次の課題であろう。)
2020年4月25日土曜日
目的インストール機構
「これをやれば/こうすれば」「目的が」「達成される」仕組み・機構。
ーーー
アイデアの発想は単純。
現在、知りたい情報はインターネットを調べれば大抵が望んだ情報が
手に入るようになった。同時に情報があふれて、使う側も鵜呑みに
しないように、などといった初心者へのガイドライン的なものも
できてきた。(まさに黎明期を辿ってきたものであれば、その変遷から
して変な輩が混ざったりして自然と正常・異常は見分けられてきたが、
「これは便利」と、その過渡期を知らないパソコンおたくでもない一般大衆や、
それこそ本物の子供がいきなりインターネット空間に放り出される状況が
発生してきたので、公共の福祉を保つために後追い・ボトムアップで出てきた
こと。)
知りたい情報が溢れているとはいえ、各々が散らばった状態。
では、何か目的を持った人がその目的を達成させた時にどういったことを
学んでいったか?
目的が達成されたのであれば、それと同じ内容を最低限辿れば同じ
目的が達成できるのではないだろうか?(少なくともそれだけの努力を
したという痕跡を本人に残せられる。)
これを恐れながら少し具体化しようというアイデア。
日常生活での例は、それこそ巷に溢れかえっている。
「◯◯が好きなのに、これも知らないの?」
「◯◯を知りたければ、これとこれを先ずは読んどかないと。」
「◯◯を習得するには、◯◯学習が1,000時間は必要と言われてる。」
「◯◯の道に進みたいのなら、やはり入れるのであれば名門の◯◯に
入るしかない。」
ーーー
最初に言っておくが、これを具体化することの危険性を挙げておく。
イメージで言えば映画「マトリックス」でトリニティがヘリコプターの
操縦を差し迫った状況でも瞬時に「インストール」したようなことである。
この機構がうまく働いて(アイデアとは恐ろしいもので、成功を確信しているから
出す一方で、その計り知れない影響まで考えてしまって戦慄するものである。
おそらく過去のアイデアもそうであったろう。)、誰でも目的を達成
できるようになれば、それまでの名門の存続に直結するからである。
(「名門」にとってはイノベーションの時となるのだが。)
または、個人としても「専門家狂」が多数排出されてしまうのではないか
という懸念。
本当の目的もわからずに、ただ個人的能力が高いのでいくらでも
専門能力を「インストール」してしまって、それを影で見てたヨコシマな
考えを持った連中にまんまと悪利用されてしまう、など。
(これは現状でも同じことが言えるはずであるが。)
(技術・イノベーションによって力関係が崩れるという歴史。)
ーーー
機構としては、「目的」の達成のための前提条件があれば、
「これとこれとこれ」といったような前提条件をスコアリング。
◯◯の資格があれば◯点、どこかのページで◯点だったら◯点。
など。(APIを公開するので準拠してくれて審査に通れば連携する。)
「目的」としては、「ミュージシャンの◯◯をとことん知りたい」や
「◯ヶ月で◯kgダイエットしたい」といった具体的なものから、
「末長く健康でいたい」とか「世の安寧を祈りたい」といった
抽象的なものまで、様々存在するだろう。
これも最近流行のフィードバックを受けて自己改善する機構
(自浄作用という自然の叡智を拝借しているだけだが。)を
使って、次第に目的は拡充・内容も改善されていく。
最初は具体的で普遍的な目的から出発することになるだろう。
つまり完全ランダム抽出でも、例えば◯割は達成できるような
「目的」と「教材・コンテンツ・カリキュラム」など。
いわゆる「誰でもこれだけやればできるようになる」系のもの。
問題は本当にやるかどうかで、実際はやらないからできるようには
なってないだけである。
この機構はやるところまで管理できるのがポイントだろう。
ネガティブな言い方であれば、結果として何もやってないという
後ろめたさの見える化。
ポジティブな言い方であれば、自分のやったことが数値で目に見えて
わかるということ。
この最後の部分の、具体的に何かをするためにはどうするかという
「点と点」を結ぶという作業が、最初に述べた
「知りたいことは大抵インターネットを調べればわかる」という
ことなのであるが、この点には心強いオープンパートナーとして
GoogleやAppleやFacebookやAmazonなどが存在しているのである。
(あくまでデファクトスタンダード的にGAFAを挙げたが、
無論その他にも数多のオープンパートナーは存在する。)
こうして見てみると、如何に情報が「散らばった」状態であるか
わかるだろう。そこでこの機構によって「目的」と「手段」の
橋渡しをして、自己改善によってアニーリングしていくのである。
(こういう点からして、本機構は完全に自己意欲が出発点なのであって
例え本機構が完成しても、本人が「嫌々」やっては、むしろ危険である。
例えばどこかの機関でこれを一斉導入したとしても、個々人に対して
自己意欲が発端となってるかどうかを、形骸化しないような自己宣告か、
それに加えての自動判定機構が必要となってくるだろう。)
ーーー
こうしてくると、(これは言わば「機械化」が始まった頃からの論争であるが)
オートメーションできる箇所と、現状としてはまだ専門家・名門でしか
ティーチングできないところの住み分けが明瞭になってくるという点で
メリットである。(最初に述べた通り、片やイノベーションの時であるが。)
何より大切なポイントとしては、それまで人感覚(これこそ最大の叡智であって
科学が到底及ばない領域であるが。)でしか分からずに、「これはあそこ」
「それはそこ」としか決められなかったことが、スコアリングされて、
そうすることでフィードバック機構で洗練されていって、今まで
見えなかった「無駄」が見えて改善されることである。
ーーー
SNSとの連携であるが、本機構が「自己鍛錬」であるため、いささか
連携性は薄いと思う。ただし時代の潮流的に連携の道はあっても良いと思う。
ただし、「あの人はあんなにやっているのに、私は。。。」といった負の
比較が発生した時点で終了。
自己鍛錬のはずが自己嫌悪になってしまう。
(SNS連携は実験的に進めていくしかない。)
ーーー
いつの世の中もそうであるが、技術と倫理はせめぎあってきた。
本機構も、それこそ倫理の結集と対峙することになるだろう。
しかし、技術サイド、イノベーションサイドとしては、では
何故の技術・イノベーションなのかという原点に立ち返る。
それは純粋な人類発展を望むからである。
それからしたら、後追いで足を引っ張る輩は可愛いものである。
2020年4月12日日曜日
「馬鹿な世の中にする」の掘り下げ
書いたが、これを掘り下げると「なるほど」と
合点がいった。
つまりあちらの「超頭脳」は総量計算をしている
のだろうということ。
もしも政治が「正常に」機能して何事も円満に
滞りなく進むのであれば、そこにかけるリソースも
軽減でき、いわゆる「小さな政府」で済む。
逆に何かを決めるのにも莫大な審議時間と関わる
集団が大きくなればそれだけリソースを消費する。
人員的な幅を広げて、決定までの時間を伸ばせば、
面積の計算と同様で、それだけ懐に入る総量が
増えるのである。(なるほどよく考えた。)
単純化すれば「反対すれば儲かりますよ」と言うだけ
なので、みなさん血眼になって「突けるポイント・弱点」を
自己のおまんまのために必死になって探っているのである。
あちらの明文化してないモットーが「先ずは反対、
最低でも引き伸ばし」という理由がご理解いただけるだろう。
三毒を地で行く
三毒を地で行ってるのだが、それで良いのかというと
良い訳がなく、単純な因果応報でいよいよ
結果・報いが表面に現れてきた、ということ。
前回に証した通り(というか私以前にも誰でも知っていた
ことだが)、彼の国や集団の究極的根本は私利なのだが
それを言う訳にはいかないので、それは秘匿する、
ということ。
まさに先人が嘆いた通りだが、現世でも姿や形を変えて
煩悩が現出するのである。そして「簡単に稼げる!
簡単に食っていける!」ものを目の当たりにすると
人々は易きに流されてしまう、というのも世の常、
ということ。
(その根本は悪かどうか、個人個人で判断基準を
持たないといけない。自分から悪を選択するものは
除くが。子供の例え話で言うところの、閻魔大王に
地獄行きの判定を食らう輩。)
ーーー
以上が基礎知識。
では彼の国や集団の手法はというと、無駄に高度化
されていて秘匿が基本なので表にはなかなか出てこないが、
その手法の特徴として、「相手をいかに怒らせるか、
いかに煽るか」ということが挙げられる。
簡単に言えば感情論の舞台に引き込んでやろうと
言うこと。そうなればもうあちらが勝ったも同然である。
(上手くいかないと本当に実力行使をするから困る。)
そこから見えてくるのは、いかに世の中を馬鹿な世の中に
するかという二次的な目的になってくる。
(それを確信的に誘導しているのか、またはそういった
思想の集団が行動すると結果的にそうなるのかは不明。)
ーーー
具象を見てもわかるが、彼らの中で表の世界の前線に立って
いるのはコマなのであって、彼らは「何を言われても、
たとえ裸の王様でも主張を変えない勇猛なる戦士」なのである。
そのような「対話のスタンダード」を鼻から持ち合わせていない
輩と対峙してリソースを消耗することほど勿体無いことはない。
彼らの言うところの革命とかで、人の価値観とか、感覚さえ
破壊している輩である。鼻から「まともな」議論などしよとさえ
してないのだが、それを言っては生きていけないようなので
そこは秘匿している。
しかし人とはそこまで馬鹿ではなく、相手が腹の中で悪意を持って
言っているのかどうかは、人の叡智としての「感覚」「直感」で
分かるのである。
現在のレベルでは、それが「分かって」も、どうすることもできず
「人権だ」とか言われてしまうと降参するしかなかったのだが、
政治3.0ではそこをこのように具体化して解決していく。
悪行が目に余り、もう野放しは許されないと。
ーーー
世の中は本当に救済である。三毒を地で行く輩もこうやって
救済されていくのである。
人とはどうしようもないが、同時に可愛いものである。
大方の人が「気づき」始めたので、遠からず解決されるだろう。
むしろ私が懸念しているのは、これが解決されても、次は
どう姿、形を変えて出てくるのだろうか?ということ。
おそらくトップはすでに逃亡先、潜伏先を構築済みだろう。
今回はそこまでも先手を打って逃げ得を許さないか、許すか。
これかいかに改心するかどうかが判断基準だろう。
2020年4月11日土曜日
濁悪(じょくあく)
この「令和(2020年)の武漢コロナウィルス疫病」とも言うべきこの時期に、
方丈記を改めて1文字ずつ書き起こしていると、現状の世相にマッチして
タイミング的・時空的偶然に震えたりする。
本書の中にも出てくるが、まさに「濁悪」つまり
「五濁悪世」の世になるか、ならないかの瀬戸際とも
言える状況なので、先ずは身の上の安全を第一に、その上で過去の
これらの肉声・知識に教えを乞い、世を憂い、世界の安寧を祈りたい。
2020年4月6日月曜日
テレワークで地方再生
マイナス面が非常に大きい。
会社も在宅勤務(テレワーク)せざるを得ない状況が
出てきている。
武漢コロナウィルスのマイナス面ばかりではなく、
これを好機ととらえられないか?
職種によっては在宅勤務をしてみて、
「あれ?在宅で十分に仕事ができるのでは?」
という気付きがあり、正常化した後も選択肢として、
そのまま残す企業も出てくるだろう。
出社前提だと、どうしても通勤圏が形成されてしまい、
つまり現在の都市集中はごく自然な現象なのであって、
いくら「地方再生」を叫んでも、自然現象には勝ち目が
ないことくらいは、ちょっとでも賢ければ分かりきった
ことである。
そうであるならば、政府はこれを好機ととらえ、「在宅勤務で
地方再生」キャンペーンを行えばよい。
別の原因で半ば強制的に始まった在宅勤務の動きだが、この
現象は「勢い」「加速度」を伴った動きなので、今後、全体数が
増え、在宅勤務が深化し、時間もまだまだあと数ヶ月から
下手をすると十数ヶ月続くのであり、そうなると正常化したあとも
慣性が働いて、在宅勤務形態を存続させる企業が残っていく
はずである。
政府としてはこんなに願ったり叶ったりな現象は滅多にあるまい。
「地方再生」は右も左も珍しく意見が一致しているので、
いつもの野党の反対も少なく進められるので、なおよい。
(まぁ左はいざ始めると、態度を一転して粗探ししてまた
既得権益にしがみついて反対しだすのだが。)
ーーー
これによって、「本当は親元で一緒に暮らしたいが、食っていく
ためにはどうしても都市に住まねばならない」といった、
現代版の防人的悲運を持った、多くの声なき声が救済される
のである。
日本人らしく声なき声で押し忍んできたが、はと気付いて
日本の形を見てみたら、都市の一極「超」集中状態に
なっており、日本全体で見た時の産業効率はむしろ悪く
なっていることに気付いた状態。(都市側が過密で
ふんずまった状態。いくらリソースを集中させても、
どうしてもどこかにボトルネックが発生するので、
そこで頭打ちになる。
では地方を活性化しようとしてもみんな都市に行って
しまってるので、リソースが足りない。)
声なき声で押し忍んできたのにも関わらず、「効率が
悪い」とか言われてしまっては、いたたまれなさ過ぎる。
2020年4月2日木曜日
個人特定法のアイデア
広告業者のせめぎ合い・いたちごっこが
激しいが、今回は個人を特定するアイデア。
(どちらの利になるかは知らないが、
というか表沙汰にしないでやってるだろうが。)
ーーー
単純だが、自分で書いた記事を会社で検索する
ことを検知する機構。
例えば何かを自宅で書いて、次の日検索の上位に
なってるか気になって、会社でキーワードで
検索してみる行為。
こういう行為は無論、自分のキーワードを知ってるので
論点・「キー」で検索する。
しかも一日のあいだ中、息を抜いたときとかに見ている。
キーワードもあまり変えない。
十分すぎる「特徴」である。
これはほんの一例にすぎないが、こういった「特徴」を
繋げるのは現状では「あり」であろう。
そうすると、実質的に、場所はもちろん
「所属」、果ては「部署」くらいまでは分かる。
これに限らず情報を寄せ集めれば「個人」まで
特定できる。という算段。
※なお、本当に今までに誰もこのことを言及してなければ、
このブログこそが、アイデアの「原点」になる。
以降で出てきたアイデアはこのブログを原点とした
アイデアになるので注意願います。
ーーー
無論、統計・分析に特化した方々が日々研鑽しているのであるから
いくらでも「知らない」つながりは日々構築されているだろう。
そしてそれは外にはでない。もうすでに出来上がってるかもしれないが
表には知られないように運用されているのだろう。
(嗅ぎつかれてしまっては、どんな言いがかりをつけて
責められてしまうか、わかったものではない。)
ーーー
「特定」することは悪なのか?
というところに帰ってくる。
(それが悪だとすると、知らない人に会って、その人を
「見る」だけで法に触れてしまう。
知らなくとも、「コミュニティ」に属して、望むと望まないとに
かかわらずに「会って」しまう人もいる。それさえもダメなのか?
ダメでないなら、逆に何を根拠にダメではないのか?他人のはずである。
哀しいことにこの辺が現在の限界である。
述べ立てるのであれば、それ以前にこれを論拠立ててから公に出たほうが良い。)
2020年3月28日土曜日
経済的な面
自分たちではイノベーションはせずに、相手の
イノベーションを真似して、その後に計画経済で
繁栄するという時点で、経済的に豊かになれるはずがない、
ということはもはや誰でもわかっていることだろう。
では、なぜなお性懲りも無く残っているかというと、
慣性がついてて惰性として残っているだけである。
ーーー
そうすると、むしろ抜け出したいのはあちら側
本人だと思う。
そしていよいよ動きが具体化してきた。
あちらは詭道なので、いつもながら先ずトップが
敵前逃亡する。
裏切りの嵐が吹き荒れるだろうから、これまで
熱心に「労働」して功績をあげてこられた方は
裏切られないように注意したほうが良い。
(というか完全トップダウン組織なので、重要な
情報も上から順に掌握してるので、綺麗に上から
抜けていくのだろうが。)
政治3.0。冷静になって考えよう。人類はそこまで馬鹿ではない。ただ分かる人と分からない人がいる。
人類はそこまで馬鹿ではない。
ただ分かる人と分からない人がいるということ。
ーーー
このような非常事態にも関わらず与党の批判や
揚足取り、足の引っ張りしかしない野党を見て、
果たして国の最高意思決定機関がこれでいいのかと
多くの方々が思っているはずである。(ずっと前からだが。)
良いわけがない。
現状のまま、つまりボトムアップのままでは何も
変わるまい。左巻きが見透かして権利やらを主張して
変わらせまい。
よって、世の賢明な・聡明な方々で科学的・理論的に
あり方を見直すべきである。
政治のバージョンアップ、政治3.0の時である。
(政治1.0 : 初期の「正常な」時代
政治2.0 : 左巻き思想が入って、かき乱された時代)
ーーー
そもそも「健全な」「理想の」議論とは、解決すべき
議題・目的があり、その実現方法としてA, B, C, D...と
複数の案があった時に、それぞれの立場で意見を主張して
お互いの主張を認め合い、認めるからこそ譲歩すべきとこは
譲歩して解決の糸口を見つけていくのである。
(ディペード。ディペードでは相手を批判しないことが
トップくらいのルールだと思ってるが。)
現状の国の最高意思決定機関を見てみると、前回書いた
小学生の議論の例をとると、相手の意見を罵って、
自分の主張だけを感情的に述べ、最後は権利を盾にして
絶対に譲歩しない生徒のようなものである。
本来の議論の目的ももはや忘れ去られて、周りのみんなは
「あぁ困ったな」という状況。このような困ったちゃんに
小学校時代に遭遇した方もおられるだろう。
この「あぁ困ったな」という感情は正常なのであって、
人の感覚は英知の結集なので、科学的に解明すると、
科学的根拠がある、という例がいくらでもある。
つまりこの辺に解決の糸口がある。
議論においての、相手に対する反対意見は大きく
2つある。
1種類目は相手の意見を考慮した上での反対意見。
相互理解=コミュニケーションとしての反対意見である。
2種類目は自己主張としての反対意見。
自分の立場はこうですとよ。
(根本を辿ると全て2種類目になるのかもしれないが、お互いに
2種類目を主張し合っても何も解決しないので、「議論」して
角をとっていきましょうね、という最初の話に戻る。)
2種類目を固持すると意見が感情的になったり、果ては
問題を細分化して、「理論化」して(世はこれを
屁理屈というのだが。)、「ここの最後の末端の
条件が疎かにできないので、巡り巡って賛成でき
ません。そうですよね「論理的」に。」などと
言い出してしまう。
その議論をしている集団が弱くて、こういった2に
負けてしまうと、本来の目的とはかけ離れた、
「何をしたいんじゃ、これは?」という法案が
通ってしまったりする。(過去にもそんな例が
ないだろうか?というかそんな例ばっかり?)
2種類目を固持し続ける人は、そもそも「議論」というものが
1種類目になって議論することであるはずなのだが、
かけ離れれしまってて、そもそも「話にならない」
「議論にならない」ので、まずはそこを身につけて
きてから出直してきてくださいということ。
(既述「対話のスタンダード」の理念)
※科学的解明が必要な箇所:
論理の一本でも糸が通ってれば、末端から、
というか末端にこそ「肥やして」、下から
上へ築き上げようという魂胆が、嫌という程
明らかだが、
論理としては、下に嚙み砕くほど、その程度に
応じて係数をかけていくことが「本来」であって、
これまでの「自然」を見ても、その秩序を保って
こそこれまで成り立ってきたのではないか?
「本来」と「自然」を科学的に論拠立てていただきたい。
(もしも末端の異物が勝るなら、全人類ががんで
滅亡している。「私は悪人です」とは誰も言うまい。)
(「科学的に解明」というのは、すでに学問領域が
かなり侵食はされてるものの、それが仇となるのだが、
学問機関は崇高しているのであって、一応(と言っては
大変失礼なのだが)人類の英知として誰も侵すことの
できない領域として、左巻きでさえも従ってる領域で
あるため、「科学」「学問」的に証明できれば、
いくらもがいても、自らが制圧してきた(と勝手に
信じてきた)学府から、科学的に論理崩壊を
指摘されるに至るのである。)
ーーー
次に、上記「2種類目」を固持し続けられるようになるには、
簡単に言うと「阿呆」になることである。何があっても意見を
曲げない、何を言われても平然としている、如何に恥ずかしい
ことでも「目的」のために厚顔を貫くモノである。
街の真ん中で大声で自分の主張をして、「度胸をつける」
「箔をつける」などという催しがあるようだが、裏としては
2の人材育成だろう。
こういった「コマ」に前衛に立たれると議論がストップして
あちらの目的が達成されるのであった。(めでたしめでたし)
ーーー
次に「2種類目」が狙うのはどこか?無論「弱い」ところが攻めやすい。
政治1.0時代は綻びだらけであった。ただし皆が同じ目的を
共有していたため、上げ足取りや重箱の隅を突いてくる
輩はないかった。
そこから政治2.0になった最初の頃は、「攻撃」し放題であった
ことだろう。攻撃にあった集団は、それまでの伝統・良心を
持って対応するしかなかったので、何とも心細かったと思うが、
何とか現状に落ち着いている。
(そもそも2種類目は集団論からすると異物なので、受け入れ側の
集団・組織は「何とか融和できないものか」といった過程の結果と見るべきか。)
ただ、教育関係やメディアはことごとくやられた。
(こちらは「弱いから」という理由ではなく、確信的に
攻めたのであろうが。)
相手の弱点を見つけて攻撃すれば「褒めて」もらえるから
簡単なものである。それでおまんまが食べられるのだから、
「もうやめられない」境地だろう。
政治1.0などは性善説的に成り立ってきたものであるから、
攻撃できる箇所はいくらでもある状態だった。
弱点の攻撃を個人でやったら単なる嫌な人だが、徒党を組んだり、
国を挙げてとなってくると「哀しく」なってくる。
(相手の弱みを常に見張っている人の、あのやっかみ持ちの
ような、蛇のような目はいつ見てもぞっとする。
そんな人たちが徒党を組んで内部では一体どんな腹の
探り合いが繰り広げられているのだろうか?
そんな組織があちらの「理想」らしいから、どうぞ、
さぞや幸福に人生をお過ごしなのだろう。)
ーーー
何だかあちらの教科書みたいになってきたが、相手を知った上での
話なので当然の流れである。
(またあちらも教科書は公になってるので、それをそのまま
なぞっても問題はない。)
根本にあるのは利己のための破壊・暴力である。
ただそれを言っては「私は悪人です」と言ってるのと
一緒になってしまうので、その部分は深く隠している。
根本からして正体は表に出さないのが特徴。
既成事実・既得権益を破壊して、自らが利己のために
新しい既成事実・既得権益となる。根本が利己のために
将来はどうなっても良い。(いつも言っている
「せいぜい数世代」しか考えてない、ということ。)
人の「感覚」までも破壊してるので、あちらさんの
具象をみると身の毛がよだつのも尤もなこと。
そういえば自ら地球人ではないことを、本当の本気で、
つまり正気であれば恥ずかしくて子供でも言えそうも
ないことを、情けないことに国のトップが言っていた。
秘匿が本務であるはずなのに、こんなに正々堂々と
「左とは「正常な」人としての感覚は持ち合わせていない
集団ですよ。」とトップが言ってしまって大丈夫だろうか?
と逆に心配になったものである。
(しかしこのお陰で誰でもこのことを公で発言できるように
なったため、みんなから喝采を受けた。そしてその後も
その人は特にあちらの「お上」からお咎めもないようなので、
あちらの「超頭脳」もこの論理崩壊に気付けなかった?
いやそんなに「超頭脳」が愚かではないはずなのだが、
あまりにも事が大きすぎるので、お得意の開き直りか?
と、これもまた多くの人から憶測されることになった。)
ーーー
社会は議論の結果としてルールを作ってきた。
最後の最後まで折り合いがつかずに「哀しいけど」ルール化しなければ
いけなかったものもあろう。
政治3.0への持っていき方であるが、「2種類目」はやはり「議論」の
崇高なる理想をはなっから理解できてない、理解しようとも
していないので、「哀しいけど」何かしらルール化するしか
あるまい、ということ。
これは決して排斥ではないことは、これまでの既述を「理解」
できれば理解できる。
つまりあちらさんの決して譲れない「権利」も内包する。
「本当の」2の人は社会的弱者なのであって、優しくして
あげなければならない。(集団の英知で昔から優しくしてたが、
左が群がり出して、あたかも優しくしてないことに
させられてしまったが。)
日本はそうやって、相容れないものも優しく包み込んで
「よしよし」と生きる道を一緒に見つけてあげてきた。
英知であり、解決法である。
ーーー
これらは無論私ごときが言うまでもないこと。
世には遥かに賢明・聡明な方々がいる。
結論としては「対話のスタンダード」が議論する上での
基本的要件となることである。
ーーー
後記としては、上記の通り直接的には大陸のコロナに始まり
コロナのために、世界のみんなが「力」も恐れずに開けっぴろげに
民間からも声が出初めて、あちらの「陰湿な」やり方よりも
「公」が勝ったということに他ならないことに、
改めて激動を感じている、と言ったところか。
(無論まだまだ気をつけなければならない。)
(声なき声が、メディアの「頑張り」も虚しく
主導した通りにはなりようがないこと。「世」は愚かではない。
むしろその「頑張り」に「慈悲」を感じて
援助までする暖かいお年寄りまでいる始末。
よほど救済されてる。ふぅ。
これで編集後記を締めます。)
2020年3月25日水曜日
この過渡期の大切さ
千年単位くらいで見ると大樹の節のようなもの。
どういうわけか集積して発散する。
既述の通りなので詳細は繰り返さないが、
こんなに具体的に既述しないと理解できない、
できなかった方々がいたことが哀しいということ。
(今まで熱心に読んできてくれてた方々には
「何回繰り返すのか」と言われてしまう。)
ーーーー
最近のご時世は楽になって、そこまで
「潜らなくて」も一生を安泰に過ごせてしまう。
千年単位で見た時の節とは何か、
ーーーー
「ちゃんと考える」ことを標榜としているメディアである
ならば、なぜ知識の真相に潜らないのか?
民衆は阿呆ではないので知っている。
おそらくメディアも阿呆でない民衆を知っている。
それでもメディアは「知った上で」続けている。
それを民衆も知っている。
結論としては「何かしらの操作ができそうだ」と思って
実施している輩にやらせて、結果が彼らの求めた通りの
「せいぜい数世代」の利益として彼らに還元されれば、
それで彼らも大満足なのではないのだろうか。
ーーー
これが下らな過ぎて、故に誰も書こうとしてこなかった
所以である。根本と突き詰めると、先代、先先代の
苦労が勿体無いすぎるので誰も書けなかったのである。
おそらく、今日はこれくらいで終わるが、「ちゃんと
積んできたもの」は、無論「無音」なのだが
というか私のような輩がその端々を出してしまって
いいのか思いやられるが、西洋音楽で言うところの
「重低音」は長く広く響くことだろう。
2020年3月22日日曜日
口蹄疫について再掲
「メディアは広まった後だけをワーワーと
不安を煽るように報道しているが、では、
出処はどこだったのか?という、小学生でも
持つ疑問となると、途端に口を閉ざす。
メディアに関わってる人は一気に熱を失って
根本を追おうとはしない。」と書いた。
あまり周期的なルールは知らなかったが、確かに
10年くらいの周期である。(結果を追う考察なので。)
結果を追う考察は置いといて、当時の論としては
「果たして誰か病気に罹患した、例えば鼻を
ゴム手で触って、外して、バッグに入れて、
一般市民で、空港も何も疑われずに通って、
国内に来てそれをはめて国内の牛の鼻に触ったら
感染するだろうな、ということ。
サスペンス風にこうやって書くと、あたかも
黒い服を着た誰かがいたと思うかもしれないが、
誰もわからないということ。
(無論阿呆でもないから、足が着かないようにしている。
そこではなくて、「悪意」を持った輩がいたとすれば
未だにそれを防ぐ法も、手段も整備されていないということ。
あの時にあれだけ、具体的に損失を出して、肌感覚で
「痛み」「苦しみ」「飢え(これが一番きつい)」を
味わったのだから、「法も、手段も」整備されたこと
であろう。)
ーーー
それを踏まえてなのだが、今回のコロナは逆に
分かりやすすぎて、サスペンス好きには冷笑されて終わる。
(国を上げてやっているのだから、もう少し、せめて
小学生レベル以上にしてくれと思ってるだろう。)
突き詰めると、出処は「金」なので、仕事は雑である。
「やって」「金をもらったら」「あとは知らん」)
ーーー
突き詰めると敗因は、「現代」と思って、探偵小説や
現代法よろしく、アリバイさえ作っておけば
何をしでかしても良い、と「国」として意思決定して
しまったことであろう。
(世の「頭脳」はこれくらいのことは、とうに「理解」
している)
数千年を費やしての「骨董」思想国家と思われる
所以である。
こういった「骨董」的考え方は、無論、末端の細部を
個々にみると全て正しいのだが、では全体を俯瞰してみると
「正しく」ないのである。
ここが哀しいかな現生法の限界なのであった。
ただ、現代の限界・欠点を把握した、ということが
大きいのであって、把握し、定義できれば、克服できる
のである。
例えば、どこでも対処に苦慮していると思うが、ものは
使いようというように、彼らの粘り強さを買って、
対外的な世論戦術の矢面に立つように誘導してあげれば
良いのである。彼らも生きる道を見つけて、嬉々として
対応してくれるだろう。
(いつもの通り、ちゃんと皮肉を皮肉と受け止めるように。)
解明のしあい
一般庶民まで浸透してきたのであるから、
まさに右も左も「解明のしあい」の様相を
呈してきた。
つまり権利だ少数だとか便宜のいいことばかり
利用して便乗してきたあちら側。
それこそメディアを牛耳って、大衆はもちろん
そういった少数派も含めての、あたかも世論の
代弁者面をしているわけだが、そのようなことは
前述の通り「誰でも」知っているだけである。
発信に特化してるため、発信しないものは
何の意志もないと短絡している時点で、
いや上層はそこまで阿呆ではないはずで、
その危険性を知っている・知っていたはずだが、
やはり組織構造上、イエスマンしか上層に行けいない
ため、まんまと情勢判断を謝る体制に自ずから
した時点で負けであったのだろう。
(ほったらかしにしたというか。)
「世論」の構成員とはそこまで愚かではないのであった。
という結論。それに数年だか数十年だか数百千、数千年を
浪費してきたということ。
これ自体が一般庶民の言葉なのであって、メディアが
懸命に流している情報も知ってるし、懸命に秘匿くしている
情報も一般庶民は知っているのである。(大陸をみよ。というのが
一番わかりやすい喩え。)
こんなに金をかけて情報操作しながらも、いざ「世論」調査を
してみると与党が遥かに勝っていたり、いざお上の話になると、
おそらく統計を取ったこと自体を亡きものにしているのであろう。
(彼らの構造上、トップが全能なので、この「失態」をした時の
怒りようは凄まじいのだろうな。そしてその部下たちは可哀想だな。
「正義」と思い込んでまんまと利用されてきた人はなおさら
いたたまれない。)
そもそもメディア自体がこのように、報道の精神さえ曲解して、
あることないことを垂れ流しているのだから、その反動として、
一般庶民、彼らの言う「世論の構成員」は、これまでメディアに
焚き上げられることを恐れて関係ない人のふりをしていた声たちも、
SNSなどの新しいメディアの力を借りて、正々堂々と「声」を
上げていくのだろう。
(この理論自体はSNS黎明期に記した論と何も変わってないが、
いよいよ具体化してきたので再掲した。)
(いよいよ国家レベルになってきたということ。大切なのは
「その後」であって、「構成員」は愚かではないが、ミスリードを
してはいけないということ。)
(所謂「左側」に加担してきた方々は、どうぞ潔く相転換後は
隠居でもして、それでも地球の資源を消費しながら、ありがたく
生きながらえることにでも満足して、おとなしくしていてもらいたいの
だが、おそらく彼らの面の皮の暑さでは、何の恥じらいもなく
素っ裸で外を歩けるのであろう。)
(それらも、ちゃんと「よしよし」と抱擁していかなければならない、
ということも含めての「その後」である。
考慮することが多すぎて、大忙しだが着々と対処して
行かねばなるまい。当事者はどうぞ手抜かりなく。)
2020年3月20日金曜日
情勢についての余談
現在の激変は過去になかったと感じている方が多数。
つまり一般市民感覚だと、戦後?(昔過ぎ?)から
経済成長して、これまで、インフルエンザで休校になったり
自然災害で出勤できなかったりするぐらいで、
例えば都市とか国家規模で発令がなされることはなかったのである。
ニュースでどこかの国が戦争して、不謹慎であるが恐らく多勢が、
学生であれば「学校行けなくなっていいな」とか、会社員であれば
「会社行けなくていいな」とか言うくらいの庶民感覚であった。
ある意味、平和ボケしていたという「一般市民感覚」と
言えるかもしれない状態だった。
それが今回、政府の一声で全国が一斉に動いた。
これは何も特筆するべき何事でもなく、「当然」のことなのだが、
これでようやく「有事」の際の「現実味」が少しは湧いたのでは
ないだろうか?
(無論そのことは記事として特集を組めばかなり面白いのだが、
その面白さを知っているメディアは、決してそんな特集は組まない、
否、組めないのであった。それをちゃんと認識してあげましょう。
暇だったらやり玉に挙げるとか。日常やられてる分として。)
常に寝ぼけたことしか言ってない、左側もようやく寝耳に水を
食らったのではないだろうか。
(無論、左側の頭脳は全能なので寝耳に水ではないだろう。
末端のコマについて。)
ーーー
このような非常事態にも関わらず、政府の重箱の隅を突いている
輩は、いざ有事になっても、どうぞその姿勢を変えないで頂ければと思う。
(そしたら今度は人権だとか言い出すのだろう。)
つまり平時、有事関わらず政府を言及しているというのであれば、
いざ有事になっても、平常通り淡々と桜の話でもすれば良い。
(そしたら今度は人権だとか言い出すのだろう。)
「あちらは感情がないので良いが」、というのはまんまと
罠にかかっているので言わないようにしましょう。
確かに、世には出ないが、あちらに対する「対処」は
数多存在するのでそういったことはどんどん明るみに
出しましょう。というか、いよいよ、そもそも「勢力」が
亡きものになる現状であれば、いくらでも、それこそ喜んで
「売って」くれる人が続出するだろう。
ーーー
単なる独り言。
改めての再認識でしかない
改めての再認識である。
つまり世の中は表層であるということ。
表層とはコロコロと変わるものなのである。
ーーー
恐らくというか既定路線化しつつあるが
天変地異もあって天にも見放されつつあるのか
わからないが、(少なくとも特にそういう
まやかしや風水を未だに主軸においてる
お隣の方たちの後押しにはなってるかもしれないが、)
いよいよ大陸が崩れると「みんなが確信」
したのであれば、それまでの「既得権益」は
それは見事に恩も知らずに寝返っていくであろう。
(繰り返すが、私が言うまでもない。小学生くらいまで
知ってる。)
それが詭道の末。それまで詭道で儲かっていたのだから
どうぞ償いの人生を歩んでください、ということ。
誰も償いの人生など歩きたくないから、嗅覚鋭く
去っていく。(人とは可愛いものだ。)
これまで敢えて抽象的に言ってきたが、これからは
目の前の人達が現世の具体として行動していくのである。
表面として顕著なのはメディア。まさにいつの世も翻弄されている。
(これも私が言うまでもない。)
我国の詭道トップバッターも真っ先に寝返って「むしろ」戻ってくるのではないか?
語順も並べ替えたり、そもそも由来も不確かな文字も削って
あたかも我国を代表するような名前にまんまと、ちゃっかりと
居座るのであろう。
メディアを信奉していた方々には、卒倒してしまうくらいの
「怒り」が沸き起こってくるのであろうが、そもそも「メディア」とは
そういったものだと思ってきた人には、「そういうもんだよね」と
今更感しかない。出処さえ不明(自己主張を除く)なのだからあまり
信奉しすぎないほうが良い。(インターネット・SNSの広がりで
「自然と」情報親和性が使われているので、大半は問題がない。
先生方の言う統計学的に若干流されてしまう方々がいるということ。)
ーーー
そうはいっても「大衆」の「慣性」は常に気をつけねばならない。
マスク騒動、紙騒動しかり。
例えばメディアが、というか各国の中枢が「いよいよきたか」と
顔を見合って「では」と厳かに準備をし始めたことを、まんまと
嗅ぎつけて超特大スクープなのだが、ことがことだけにまずは
自らの保身を確保しなければならない。つまり発表による影響を
シミュレーションして、当然自分が崩れないような道筋を考えてからで
ないと報道するわけにはいかない。
つまり「大衆」が知る時にはすでに報道側の、最近お得意の「権利」やら
「自由」やらは120%くらいは確保されて出ているのである。
会社という組織、団体が、例えるなら「山」が、すでにその方向で
動いているのであるから、その報道を知った個人がそこから動いては
遅きに徹しているのは致し方ないのである。
殊にこういった国が久しぶりに動く今この時には尚更である。
(ミスリードになってないかな?そもそも誰も読むブログでは
ないので問題はない。)
恐らく「なぜ誰もわからなかったのだ。」「いや、私は知ってて
どこそこに書いていた」とかなってくるのだろう。
ーーー
改めて話が戻るが、いざそうなって、大切なことは「その後」である。
「そう」であることが既定路線であるならば、恐らくすでに
「その後」もあらかた決まっていると読むのが筋。
「その後」も今と同じマインドセットの人民では同じ結果になる、
ということは既述のブログを参考。
「その後」を考えることが大切なのである。
ーーー
「その後」を考えるにあたって、希望的観測なのか、憶測なのか
誰もわからない。
表に出てこない「超頭脳」でさえわからない。
しかし「人」とは施政者以上に「わかる」ものであることは
歴史を知っていればわかる。
つまりまんまと「その後」を「設計」しようとしている場合は、
例えば「白紙の状態から」「設計」できるとは考えないほうが良い。
その時点で時代は逆戻りする。(もう少しはっきり述べると
あちら勢力のやっていたことと何も変わらないということ。)
ーーー
いざ解放されたその刹那なり、境界的な隙間なり、「人」は
見事なまでにありのままを捉える。
つまり現在の情勢。何が本当で何が嘘だったのか。
(言うまでもないが)この説明で充分であるが、具体化しないと
分からないものがいることが哀しい。
(世の哀れみとはそういったこと、そういった層で
あったと思う。)
こちらは「正に」「いた」「あった」ことを
そのまま堂々としていれば良い。
(いつまで「誠」が勝つみたいな、誰もが
わかる倫理を国家規模で演劇を演じなければ
ならないのか。その浪費を悲しめと言うことも
既述のブログを参照。「一生は限られてる」時点で
「リソースは限られている」のに、何でそんなに
リソースを無駄遣いできるのか?それこそが
せいぜい数世代しか考えられない脳しか持ち合わせて
いない証左であろう、ということも既述なので
よければ参照。)
つまり「まんまと」「暴かれる」のである。
このエネルギーはそうれはもう強かろう。
(あな恐ろしや。)
(付け加えると「まんまと暴かれる」時点で
「頭脳」の負けである。かなりの大半の人は
「知ってた」と言い張るだろう。
つまりよくもこんな西暦二千何年にもなって
骨董の思想が世の中に国レベルで残ってていたのだな、
という、例えば千年後に恥ずかしさで
いっぱいになると思うのだが。誰もそんなこと
までは気にしないのだろうか。(平和だな。)
(これは皮肉なのであって、ちゃんと
皮肉と認識して、正常な感覚を持っているのであれば
ちゃんと怒りを覚えて正常化していきましょう。)
2020年3月18日水曜日
欧州制限について
政府として制限を決定した時点で当然の
流れだが、それではこれまで散々喚き散らしてきた
左側陣営の出方を見てみよう。。。
なるほど。答えを見るまでもなかったか、
ということ。
では現実世界をどうぞ。SNSなりなんなりで
お楽しみください。
2020年3月17日火曜日
コロナに関して、あの機関の操られっぷりについて
ここまでくると、買収されていることを
アピールしてるのではないかと見紛うほどだ。
しかしこれはある意味、これまでは内部の人は内情を知っているが、
言えば職を失うから言えなかった状態だったが、よもや
トップが自ら白昼のもとにさらしてくれて助かったと
思っている人が多数なのだろう。
そうなると、トップもへこへこと馬鹿なふりをしながら、
良心に立ち返って、組織の腐敗ぶりを内外に示すことが
できる好機ととらえて、買収アピールに打って出たのかもしれない。
(違うと思うけど、違わないかもしれない。)
結論というか結果論としては、こういった「国際」なんちゃらや
「世界人権」なんちゃら機関というのは左側勢力の格好の
餌食になるということが白昼の下にさらされたということ。
もしも本当の真実が晒されるとブーメランで金の出処に
戻って行ってしまうので、それは今回の機関のトップにも
当然「制裁」が降ってしまい、可哀想であるが、おそらく
それを覚悟しての上の告発なのだろう。
なお、左側にやられた例として、ちょっと前のヒステリック演説も然り。
(子供を使って不安を煽る戦略。不安を煽って金儲けができるとは
なんて楽なんだろうか。)
2020年3月7日土曜日
訪日について、その2
これまで最大限の努力・配慮をしてきたのだが、
これは明らかに、つまり誰がどの国がどう見ても
あっち側の都合で延長したということ。
つまりあちらがこちらへの貸しを作ったということ。
ーーー
こちら陣営もようやく、国際政治は「貸し借り」で
成り立っているということが分かって、実践できる
ようになってきたということ。
言葉には出ないが、表層上は誰でもどの国でも
そうとしか受け止めようがない貸し借りを演じていくもの、
という暗黙の了解で、現状の国際ルールは
成り立っているのである。(ある意味、そこに
落ち着いた。)
(哀しいかな、そうでないと実際の民衆がついてこれない
現状があるということ。)
(この辺がまさに現状の混沌の原因ということ。原因まで
もはや突き止めたので、もはや解決されるというか、
こうやって地道に解決して行っている。
つまり上も下も右も左も見境なく混沌と混ざり合っているのが現状。
こちらも先進を謳っていながら、よろしく権利やら少数やらを
振りかざして「加担」だけしている輩がいるということ。
防波堤がないことをいいことに、わんさかと押し寄せてきている。
これを言われて、正しく反論できないのが現在の言論状況、
言論レベルということ。政治・倫理・言論界隈のレベルアップが
問われているのである。)
ーーー
ルールと裏の理論が分かって、ルールと流儀に
律儀である以上は、詭道には負けようがない。
と言ってしまえば儚すぎるので誰も知ってて
言わないのだが、まぁそういうことであろう。
これがこのように一般レベルで現実に出てきている
ということは、裏はすでに完全崩壊くらいしてる
レベルということ。
世の一般はそれを後追いで見て拍手喝采している
のである。(いい悪いは抜きにして。)
2020年3月6日金曜日
根源の一つ。論理の飛躍。少数派取り込みの力学。
つまり少数派が、即権利を持つこと。
それでは野党即与党となる。(これが目論見)
本当の少数は徒党は組まないのである。
(少数と本当になった身のこともわきまえないで、
ずけとずけと押しかけること、甚だしい。)
少数派の「集合」は徒党ではない。
ここの基準が曖昧なので、付け入る隙になっている。
力学を記しておくと、
少数派に左寄りが加わって、徒党化を促進しているということ。
(いくらでも事例がある。)
これくらい力学が示されれば、足がかりとなり
詭道の瓦解も促進されるのではないか?
2020年3月4日水曜日
感動の強さの力学
マスク不足、基準を誰も言わない
これまでは
マスクはそもそも必要だったら買う程度。
紙は無くなったり、無くなりそうになったら買う程度。
だったのだが、個人の「合理性」によって
個人レベルの備蓄が始まったわけである。
「個人レベル」というのが大きくて、個人×量なので
あっという間に無くなったわけである。
そしてそれら「個人」の前提意識としては、
「今買っとかないと無くなる」ということ。
こういう精神状態になると、金魚と一緒で
「あるだけ買っておけば間違いがない」となるわけである。
これは決して批判でもなんでもなく、むしろ
聡明であればあるほど、行動も早く、というのも
抱えるものも大きいであろうから、上に立つものの
「判断」、「英断」として、そうなってくるのである。
本題に戻るが、上記までの思考過程で抜けている情報がある。
つまり「ではどれだけ備蓄していればこのような状況でも
安心できる量なのだろうか?」ということ。
右も左も、強者も弱者もワーワー喚いているが、肝心の
基準が「なぜか」誰も言及しない。(意図的?)
よってここにまずは基準を記す。
一人1日一枚として、通勤・通学の基準的な一ヶ月の日数の
20日とすれば、一ヶ月持ちこたえるのであれば
一人20枚/月
である。
母数が少ないので、バッファを加えるとしてもプラス5枚程度。
安全を見ればプラス10枚程度。(1.5倍。そうすると30枚になるので、
休みも含めて毎日新しいマスクが使える。もはや標準偏差や
標準分布とか難しいことを考える必要さえない。逆になぜこんな
簡単な理屈がまず真っ先に出ないのか?「報道しない自由」を
盾にしている?この基準をすっ飛ばして、全国の「マスク争奪戦」を
嬉々として報道している。「どこを向いて放送しているのか?」とは
昔から言われているが、まさにその通りである。キャスターも良心が
あるのだろうが、諸先輩方々も含めて、あくまで私情を捨て去って
原稿を読むことに徹するように、それこそ「道」ができているのであろう。
(誰がどう見てもプロバガンダ時代の風潮が色濃く残っている。)
(これこそが、左側の思惑の「知らないうちに加担させる」こと
なのである。真面目に頑張って就職や教授コースなどに入ったのに
まさか加担者になってるとは誰も思わないのである。また、もしも
気付いたとしても、「いよいよこれからだ」という船出の青年が
そうやすやすと辞められるものでもないのである。
まぁ、これがこうやって一般レベルでさえ認識できるレベルになってきた
ということは遠からず是正されるのであろう。そして、左側もむしろ
それを、というかこの記事などを見ていて次の素晴らしい対策を練るので
あろう。))
個人が最大でそれだけを毎月買ったとしても、供給側としては
需要を軽く上回る、これだけ生産してますから余裕ですよと。
そういう話。(買う側への安心感の提供。政府も言及したが、
こういった構造を理解して聞けば分かるが、一般的には単に
「まだまだあるから安心して」と供給側だけのことにしか
聞こえないので、あまり安心できてない結果になっている。)
これでこの基準が間違ってるなら、どうぞ批判すればよくて、
それでこそようやく基準を考える足場ができるのである。
中には超心配性がいて常に最低1年間の備蓄がないと安心できない
人もいる。そういった人ももちろん備蓄して良い。
それらを含めてのバッファ。
(こういうことこそが本来の少数派救済なのだが、左の人はすぐに
「じゃああれも、これも」と、お得意の「粗探し」で母数確保だけを
目指される。それは何でも膨れ上がってしまう訳である。)
今回の事態は「みんな」が、「超心配性」になった事例。
そりゃ供給が不足する。
ーーーーーーーー
「賢明」であるならば、上記「基準」を元にして備蓄するべき。
それ以上は「パニック的買い占め」と自分を律するべき。
簡単だが、なかなか、こんなに発展した「現代」にあっても、
「実践」することの難しさということ。
(以下は既述の、「如何に地に足がついているか」を参照。)
ーーーーーーーーー
もしも「聡明」でない輩だらけが徘徊する世の中に
なったのならば、哀しいかな「規制」を設けるしか
無くなってくるのである。ふぅ。
各トップや各個人の聡明さが問われている訳である。
2020年2月28日金曜日
歴史深層学習
2020年2月27日木曜日
中国訪日の相違点
令和の訪日だが、相違点を挙げておく。
第一で最も大きいことは主従関係が反転すること。
よくぞここまでストーリーが現実として出来上がったと思う。
これを持って反転する、というか中華の屈服は
もはや取り繕えないレベルに達したのは遥か昔だが、
最後の仕上げとして、象徴としての訪日なのだろう。
ーーーーー
千年単位くらいで見てみると、我らは「和」なのであって、
小手先の「でく」っぷりで対応は見誤らないのである。
象徴的すぎるかもしれないので、例えば大いなる「心」としては
せっかくの現代において継承した節目に
隣人を招かないわけにはいかない、ということ。
しかも一旦言ったこと。
ーーーーー
これであちらが「潰れ」ようと、それはあちら側の問題。
ーーーーー
「ナイーブすぎる」と言われて、キリキリと歯がゆい思いを
しているが、例えばこれで超化石的な思想に屈すれば、
それこそ何千年の浪費になるだろう。
ーーーーー
「誘導」は簡単である。ただし船頭が良い方に行っているのか、
現世だけよく行っているのか、数世代だけよく行っているのか、
未来永劫よく行っているのかを見極めるのは衆生としても
見極めていかなくてはいけない。
ーーーーー
元に戻るが、無論、あちらは詭道国家なので、注意は
怠るべからず。
前例で起死回生の手助けをした感もある、と言われている。
(経済と一緒で上記の周期くらいで見ると一事件程度。
「人×影響」の総和はどうだったか?の論点。(多分敢えて外されてる。)
喚けれれば喚くほど儲かる、という商法が一時的に
流行した時代と総括されよう。(左、「権」、LSGBT、etc。。。)
ーーーーー
敢えて対峙するならば、それが何をもたらすのか?
小学校の議論授業で言えば、主となる論点があるのに
「いやこれだ」「いやあれだ」のとあたかも主論に
準ずる論点のように言い募って、主論を妨害するようなもの。
みんなが主論について真面目に議論しているのに、
それを超越したが如く、主論、元の論を亡きがものの
如くする論法。
小学校の話し合いであれば、そのような輩はただの
妨害者として、ただし小学生的優しさというか、
詰めの甘さが手伝って、妨害者の論法を張らせて
しまうかもしれない。
しかし、その後は小学生的怖さで、その人は
誰も話したがらなくなるだろう。
(それに拍車をかけて「無視」だ、「差別」だと
いう論法にことごとく屈しているのである。)
たかだか小学生の仮定でさえこの程度である。
それを大の大人が、国の中枢機関で、ありがたがって
巻き起こしているのである。という憂鬱。
ここからは既述の「対話のスタンダード」を参照。
小学生にこそ学ぶべきであって、いかにそれら
妨害者を相手に気づかれずに優しさを持って
「よしよし」するかということ。
大の大人が、それさえ分からずに、むしろ
左的な「助長」する側に、つまり短期的利己のみを
追求するものを育成しているのである。
(左側に転じた、一見有能であったろう人でさえ
転じた後はあのありさま。
よほど「理想」が高いのであろう。)
ーーーーーー
今回の「和」の適用は単なる訪日に留まってない
こそのものなのだろう。
全世界の共通認識だが、中国はそういったレベルの話では
単なる猛禽でしかない。
つまりせっかく高度な話を交えようかと思っても、
中国は目先の餌にしか喰らいつかない程度の脳しか
持ち合わせていないという認識。
この共通認識は非常に大きいと思う。
(「主義」によって、そんなところで生を受けた
人民はかわいそうである。)
ーーーーー
つまり換言すると「レベル」、「層」の問題なのであって、
(知識層としては、「あぁ、やっとまともな議論ができる
一般庶民が形成できてきたのであるな。」と思うくらいの
相転換の時点。)
またしても元に戻ってしまうのだが、ようやっと必要に
なるのは先ずは「対話のスタンダード」、それで現代の
困難を克服した後は「層理論」なのである。
ーーーーーー
敢えて現在の国会中継などに戻ると、小学生の議論を
遥かに下回るレベルが展開されていて、「まとも」な
首脳陣さえも「麻痺」してるのか(いや、それが
左の魂胆だろう。)、程度の低い論陣に引っ張られてしまっている。
大の大人の議論が小学生の議論レベルに劣っているという問題を克服する必要がある、といえば流石の左の脳であっても「理解」はできるだろう。
ーーーーー
敢えて考慮するなら、対話のスタンダードは、決して排除ではない。
如何に「いなすか」ということ。
例えば現政権が相当の阿呆であって、めでたく左が握ったとしよう。
そうすると素晴らしい理想・ユートピアが出来上がる。
無権者が有権者になる。少数派が多数派になる。
想像力が豊らしいので、それでもユートピアは保たれる。以上。
(現実は血を地にして「現世だけの悪夢」方や「永遠の繁栄」とか
なってその時点の英知を元にした、何かしらの「信条」の
礎ができるのであろう。つまり、それまで培ってきた「すべて」
(左が言うところの既得?)を放棄して、一から作り直すということ。)
それこそ、なんの基盤もないので、本性の野獣で生きていくしかあるまい。
原始時代に遡るということ。左はそれを知って加担しているからこそ
慈しむべきであるし、優秀な頭を持ってもしても加担してしまった
方も慈しむべきである。どうぞ、その分の享楽を在命中に味わってくださいと。
ーーーーー
まだまだ続きますが、今日はこれくらい。
左の総括
一応ようやく結果が出たようなので総括しておく。 (いつも通り具体を避けて抽象的に述べるので読みづらくてすいません。。) とは言ってもこれまで散々述べてきた通り、あちらの根本は「利己」であるということの繰り返しであるが。 まぁそれが象徴的に民意として「流石に目に余る」という結果にな...
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私が子供の頃は「転生」というのは、ゲームの女神転生くらいでしか聞いたことのない単語であった。(その時分も「女神転生」という固有名詞という認識で、果たして「転生」とはどう言った意味を持つものかということまで深く考えたことはなかったし、同世代を生きてこられた、当時子供だった方々も同じ...
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真しやかに言われているが、都民が愛想を尽かして東京から流出することで首都圏一極集中の解消・地方再生を狙うためにあえてとんでもない人がドヤ顔で出てきているということ。 (つまり本人には気づかれないように道具となってもらうということ。) 冗談なので深くいうまでもないのであるが、冗談を...
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医療費の増加が話題になってるが、聞けば聞くほど当然というか「成る可くして成っただけ」とも言える。 言われている通りなので詳細は割愛するが、これだけ大量に薬を処方されたり、高血圧だ血糖値だ減塩だとか騒がれたり(つまり高齢者の医療費)と言った感じである。 ちょっとしたことでも大量の薬...