2020年12月4日金曜日

問題解決の道筋

問題解決の道筋を簡単に書いておく。

現在の問題としては、どうやら「バカのための理論」が
存在して、それがまんまと蔓延している、というのが
もっとも端的な言い方だろうか。

宇宙というか全事象で知りうるものが無量大数くらいだとして
人類が今まで知ったことが100くらいだとして、
その人の中でもさらに50くらいまでしか
理解できない人のための理論ということ。

頭が追い付かない人とか書いているが、それは先天的・後天的
いろいろな要因があり仕方がないものであって、
それだからこその、世の理を理解できるものは
そういった人たちをちゃんと導くという見えない義務を
負っているのだが、それが分からないのだか、見て見ぬ
ふりをしているのだか、強制的にバカになっているのかは
分からないが、(多分利己のためなのだが)衆生を誤った
方向へ導く輩がいるのである。

頭がいい人が頭の悪い人を導くために考えた「理論」
(というかこの時点で理屈程度のものであるが)
であるので、狙い通りに頭が追い付かない人は付いていく
わけである。

これくらい簡単明瞭に書けば、どれほど恐ろしいことか
なんとなく分かっただろうか?

ーーー
無論、先導者が後から来る人を正しい方向に導く理論はよくて、
それこそが原点であって、そうであったはずであって、
今でももちろんそうあるべきである。

しかし先導者に悪意があると、多くの迷えるものを、
まるで山でも動かすように誤った方向へ動かしてしまうのである。
多くのものが動くと、正しかろうが間違ってようが慣性が
働くのでいったん動き出すと止めるのが一苦労である。

現状は、そうやって動いてしまって、残った勢いで惰性で
動いて、そろそろ止まるかな?という時代を過ごしているのだろう。

ーーー
では、先導者が導くべき方向とは?
「良い」と「悪い」とは何だろうか?という問いに答えが
出せてないことが次なる問題ということだろう。
(おそらく世の大天才であれば無論わかることなので、
これはあえて世に出さないようになってるのだろう。
そのほうが甘い汁を長く吸い続けるからである。)

しかし、すでに世界中の多くの人たちが知りつつある通り、
「正しい」方向とは、現在の傍若無人なあちら側の
やってるような利己的なものでは決してないということであろう。
(ただし、ここまで盛大な社会実験を実行することでしか
気付けなかったことは大いに愚かしい。
前回の指摘通り知識の怠慢であったろう。)

問題というのは知覚から始まり、名前を付けて首根っこを掴み、
本質をつかんだうえで解決していくものである。
知覚した、問題の何たるかを掴んだ時点で、解決への道筋は
始まっている。

問題解決への道筋としては、現在だと世の中の人の頭の中で
分かっているだけであるが、それを具体化していく、という
ことである。
まぁ名前とは強いもので、その本質を捉えて名前を付けるだけで
大きく動いていくのだろう。

2020年12月2日水曜日

守る側がいると破壊する側が生ずる

守る側がいると破壊する側が生ずる。

いい意味での破壊・変革であればよいのだが、
独りよがりな破壊では困る。

簡単なところから行くと、ある者が自分の不遇を嘆いて
世界とか地球をなきものにしようと企てる。
集団論、組織論上、そう思う者が生ずることは
やむを得ない。

集団や組織の意義・機能としてそういった輩の企てを
成り立たせないために自浄作用が働いて、破壊を
食い止めるわけである。

この企てを持った者の言い分にのってしまうような
頭が追い付いていないものは残念なのであるが、
世の理や歴史の意味を理解できるのにも関わらず
自らこの破壊者側に加担するような輩がいるから
困ったものである。
(その時点で明確に悪に回ったことになってるはず
なのだが、のらりくらりを繰り返す。)
(もしくは弱者救済とか人権とかとごっちゃになってる、
それはつまり頭が追い付いてない残念なものを意味するが。)

得てしてこういったものは、元を辿ると利己である。
利己のためにマイノリティーに付け込んで、こともあろうに
徒党を組む始末。

世の理を理解できるという恵まれた頭を持ったにも拘らず
迷えるものを悪い方向に先導するという悪。
自分だけ朽ちればそれでよいのだが、そうではなくて
多くの罪なきものを罪ある方向に動かしてしまったことから
この辺が一番罪としては重いのではないだろうか?

そしてこの辺が現在の社会の限界であって、問題の根本なのであろう。

ーーー
「利己のために、世の理を理解できる恵まれた頭を持ったものが
多くのものを道連れにして世の中を悪い方向に導いている」
という明白な悪行が見えているにもかかわらず、それを
のさばらせたままにしている、抑えられてないという点で、
つまりまだその辺を集団論とか組織論とか倫理論とかの「力学」
として成り立ててないという意味で、厳しい言い方をすると
知識層の怠慢であろう。

現在の問題を見ると、それこそあちら側の党是として誰でも
その根っこは見えて知ってるわけで、いくら時代を変えて
着色を変えてメッキして巧言令色しようが、その根は変わらない。
いつの時代の理屈だと思うのだが、なぜここまで残ってるのかが
不思議である。当時の知識層すべてを集結しても打ち破れないような、
そんなに難しい理屈だったのだろうか?
(実態は実力行使(利己の最たるものだな)に行き着くので、
なぜ残ってるのかも分かって言ってるのだが、あえて厳しめに指摘しておく。
よく言えば祭り、悪く言えば戦争だが、そうなると理性とか言ってられなくなり、
またそれをしめしめと知ったうえでうまいこと乗っけたという構図。)



2020年11月20日金曜日

嘘を隠すためにより大きな噓をつくという理屈

嘘を隠すためにより大きな噓をつくという理屈に
陥っていて、それにやられそうになっているが
大丈夫だろうか?

ご存じの通り、あちらの根本にあるものは利己なのであり
それを成り立たせるためにメッキにメッキを何重にも
塗ったくっているわけである。
あたかも社会の上層階級とかインテリとか頭がいい人が
ありがたがっている構図ができているが、もしもあちらの
思うようになれば、得られるものはちっぽけなものなのだが
それを分かったうえでやってるのだろうか?
(だとしたら自分の意志を簡単に他人に献上するという、
何とも献身的な人が多いことであろう。)
(得られるものがちっぽけというか、利己にコミットするわけで
あるから、様々な破壊が起きるのであって、それが起きた後に
後悔してももう手遅れなのであるが。)

現状を見るといよいよ嘘もここまで大きくなったかと思う。
ただし構造理解の通り、あちらの根本こそちっぽけなので
そこが崩れればメッキも総崩れになるのだが。
そして残るのは、これは何だったのだろう、どれだけの
リソースを浪費したのだろうという虚無感。
または人類はこういう無駄をしないと発展できないのだろうか
というある種の達観。

いつもの通り、その後を考えたほうが意義がある。

2020年11月4日水曜日

メディアの盲点

メディアの盲点は、世論を代弁していると錯覚していることだろう。

これだけ好き勝手偏ったことをやって、実際にふたを開けると
全く逆の結果ということばかりである。

おそらく発信する側は、偏向を発信し続ければ、世の中を自分の都合のいい方へ
誘導できるとか考えているのだろう。
それに対して何か言ってきたものへは、あの手この手で抑え込みさえすれば
勝利できるという、実に簡単なゲーム理論に陥っている。

あちらに対して実際に最前線で相対してくださってる多くの方々が
いるわけで、そういった人たちは嫌でもあちらの仕掛けてくる、
ある種ひねくれた土俵に引きずり込まれて大変なご苦労をされていると
思うが、実はあちらも、そういった人さえ叩くことに血眼になっている
だけで、実際それが世論へどれだけ影響しているかは気にしてないというか、
「わかってない」ようである。(だからこそ性懲りもなく続けている。)

これこそが、あちらの盲点であって、あちらの限界なのだろう。

ーーー
むしろ功績としては、「メディアは鼻から信用できない」ということを
広く大衆に知らしめた、ということであろう。
「メディアがこう報道している。信用できないな。自分で調べよう。」と
いうように、世間で言われる「新しい情報収集の在り方」を促進してくれたと
いう点で大きな功績なのであろう。
(皮肉であるが気付いてくれるだろうか?
 人は簡単にあちら(左)に傾くので、むしろメディア内部であちらに
 傾くように仕向ける役割の二重スパイが潜んで工作しているのでは?と
 逆に疑ってしまう。目的はメディア自身が反面教師化して、
 「新しい情報収集の在り方」を促進すること。)

それとも情報弱者がメインターゲットと認識したうえで偏向を続けているので
あろうか?
情報弱者は情報を得る手段がメディアしかないから簡単になびかせることが
できるとでも考えているのであろうか?そうだとしたらよほど平和な頭である。

実際に地方の方やご老人に接するとむしろこちらより情報に詳しかったりするわけで、
それは多くの人や社会というフィルターを通して、(それこそ偏向はフィルターで
蹴落とされて、)浄化された正しい情報を得ているわけである。
こんな単純な理屈はさすがに研究しているであろうから、ではなぜ性懲りもなく
偏向し続けるのか?をしょうがないから考えると、最初に書いたとおりとなる。

再掲になるが、こういった裏に隠れた目的がある会社で、それを知らずに働いて、
知らず知らずのうちにあちら側に加担させられている人たちは本当に残念であろう。
権利的観点から言うと、会社の「色」を働く側へ伝えていなかったという点で
働く人の権利が侵害されているので、そろそろそういった会社は内部から
切られるのではないだろうか?

ーーー
「メディア」とひとくくりにしているが、無論「色」とは関係なく、使命感を持って頑張っておられる方もおられよう。(そちらが大半。)
しかし、これこそあちらのお得意のレッテル貼りとひとくくり戦法であるが、世間の一般人からは「メディア」のひとくくりで見られてしまう、ということである。
これでは一生懸命働いている人にとっては本望ではあるまい。昔から罪ない人を悪へ先導する罪はとても重いものである。

また信用が地に落ちるとはこういうこと。本当はメディア業界で使命を持って伝説を残された素晴らしい先人がたくさんいらっしゃる事も知ってるが、あちらの偏向などで信用がなくなると世間からはあっという間に後ろ指を指されるということ。
それを望み、そのように先導したのであるから仕方ない。(世間の風当たりと言うが、この辺の現金さは寧ろ世間の方が強い。)

こういうこともあって、メディアは(色をひたすら隠匿するメディアは)内部から刺されると思うのである。

2020年10月30日金曜日

達観さえ許されない

変な話、達観さえ許されない現代で、
そんな中で生きる子供たちは可哀想である。
これは、既述の「誘導すべきものが、かえって悪にいざなってる」の通りであるが、そういう誘導すべきものが頼れないならば、そこからは、哀しいかな、子供であっても自分の見識で道を見つけて行かなくてはならない。ということ。
本当に大変な時代である。

メモ
この続きは、「見識を持ち得るにも関わらず、迷える子羊たちを悪に誘ったものの罪は大きい」とかに続くのだが、これまた現代とか都合のいいように、自分の都合のいいように騙し騙しコロコロ転がす、転がっていく、それこそ可愛い存在である。
というか、そこまでの認識ができるのにぬるま湯に逃げたということは認識力からして認識できたにも関わらず、認識した上で自覚した上でぬるま湯に入ったのであるから、おそらく古の教えはそこを戒めているのであろう、くらいのことを汲まなければ始まらないのだが、この現代の浅さは何だろうか、位は、例えば世の大半くらいは認識しているのだが、ではどうやって具体化するかということ。
むしろ、このように具体化する機運を育んでくれたという点では、あちらの存在意義もあったのかも知れない。

2020年10月16日金曜日

増税と軽減税率

消費税10%引き上げと、救済策としての軽減税率について。

政治の世界では話がコロコロ変わるのに、ことお金については変わらない。
「長期計画ではこうなので、ここで絶対に上げる」という「既定路線化」
戦法である。

既定路線化戦法が成り立つのであれば、他の政策でもバンバン成り立っている
はずだが、そうではなくて、やはり財務だけである。
これが本当の「カネの力」なのだろうか。

そして、救済策としての軽減税率。
いかにも(?)「そこまで言うなら、しょうがないからこれくらい
施してやるよ」的に見えるのだが。
これによって、むしろ財務システムが複雑化してしまって、
各企業のシステム改変が必要になり、長期で見た時にも
事務負担分が累積されていく。
(実際、システム対応する余裕がない企業が淘汰されたと聞く。)

軽減税率によって消費者は負担が軽くなるが、その軽くなった分と、
財務システム対応による企業側負担および上記累積分をちゃんと
秤にかけたのだろうか?施す側は。
(それとも施すだけで、測るのは他人任せだった?)

それに加えて、食料品の線引きがあいまいである、
というかあいまいにしかできない。
コンビニなどでイートインで食べる場合は10%で、
持ち帰り(テイクアウト)であれば8%という箇所である。

例えば子供連れのお客さんが、公園で食べるつもりでお弁当を買った。
軽減税率8%が適用される。
しかし購入後に子供がすぐ食べたいとぐずりだしたので、やむをえず
イートインで食べることにした。
超厳格に言えば、このお客さんは軽減税率適用外の10%で買い直すべきである。
しかし、そんなことをする人がいったいどれだけいるのだろうか?
(制度を自分たちで作った人たちは当然やってるのだろうけど。
 自分で作った法を自分が守らないはずはない。)

こちらから「イートインで食べます」と言わなければ、店員も聞いてこないし、
悪気もなく軽減税率8%で購入してイートインで食べてる人が大半なのでは
ないのだろうか?
若干意識のある人であれば、軽減税率8%で買ってしまったけど、やはり
イートインで食べたい場合は、一旦店の外に出て、すぐ店に戻ってイートインで
食べるとかだろう。日本人は律儀なので、これをやってる人が意外と
多いのではないだろうか。
しかし、それこそ形式上やってるだけの「法の形骸化」である。

グレーゾーンは普通は数%とかマイナー側であるはずなのであるが、
これではグレーゾーンの方が大きいというか、へたすると9割方が
グレーゾーンになってしまう。

また、これを実際の法律まで落とし込む作業をした官僚・役人もかわいそうである。
ご存知の通り官僚とは優秀なもので、役所の作る制度は本当に
抜け目なくできている。
しかし、はなから上記グレーゾーンが横行することが分かった上で
制度を作らなければならないので、官僚たちは「こんな抜け穴の
方が大きい制度を作らざるをえないとは、官僚の恥だ」と思いながら
作ったのではなかろうか。
いかにグレーゾーンを作らないかが腕の見せ所であるのに、
今回はいかに法律で「イートイン脱法」を防ぐか、
そんなことはたして取り締まれるのか、どれだけ監視を強化しなければ
ならないのか、そんな予算まであるのか、もしも超厳格に取り締まるなら
それこそ軽減税率2%分をくいつくすのではないか、とか考えたのであろう。
(優秀ですからね。)

また、こういったグレーが世間に蔓延すると、大げさに言えば、
人心は荒廃する。これがいいのだから、これをしてもいいだろうと。
(こういったことは、役人の新人さんに「役人の心得」みたいな授業?
で最初に叩き込まれてるのだろう、と勝手に想像しているが、
どうなのだろう?)
(日本をバカ国家に陥れたい輩としては、目的達成できて大喜び
なのかもしれないが。)

というわけで元を辿ると、お情け的に上(というか財務)から
いただいた軽減税率2%分が原因なのだろうという話。
ホントどんだけ財務は力を持ってるんだろう。
(巷で言われている通り。ある種の闇ですね。)

2020年10月14日水曜日

渡部昇一先生「学者が家のことをやりだしたら汚職」

渡部昇一先生の「学者が家のことをやりだしたら汚職」的な
名言があったと思い、実際に在宅勤務をしていると、
その意味が身にしみて分かる。

「学者が」だったか、「文学者が」か「文系が」か「在宅勤務者が」か、
はっきり思い出せないが、要は家を仕事場としている人ということだろう。

また「家のこと」だったか「家事」か「家の雑事」か、
「家族の依頼」か…、もはっきり思い出せないが、
これも要は家にいると、何かと家のことで助けを
求められたりする、ということだろう。

これは「公私混同しない」ことをユーモアを込めて
戒めた名言なのであるが、現在のコロナ禍でこの名言に
接する人が激増したのではないだろうか。

このことはむしろ、会社員が在宅で勤務し始めた場合に
当てはめたほうが分かりやすい。
つまり会社に所属すると労働契約を結ぶわけで、労働契約は、労働を提供する
代わりに対価の賃金を得るものであり、労働中は会社側に拘束されているわけである。

会社にいれば場所も拘束できるので、ほぼイコール時間も拘束できる
わけである。(管理のしやすさ的観点)

しかし在宅勤務だと、例えば奥さんから「ちょっと5分だけ手を貸して」とか
言われて、家事の手伝いができてしまったりする。
これをやり始めると際限がなくなって、本業がないがしろになってしまい、
「私事」に手を染めたという「汚職」ということであろう。

学者の本業は学問であるので、いくら在宅していようが本業が邪魔されては
いけないというプロ意識でもある。(このへんはあいだみつをさんの話とかが
有名でしょうかね?)


2020年10月13日火曜日

色のついた企業

前回、偏向の功績を書いたが、A社のように色がついた企業が
存在するということが、あの会社自身の行動によって、白昼の
日の下に姿を表し、みんなが知ることとなった。

ここまで色が付いていると酷いものだが、それ以外にも言われて
いる通り、メディア全般がやられているとも言われる。
(あちらの「核心的利益」であるから頑張ったのであろう。
 あと教育関係ですかね。)

企業の大半は無色なのだろうが、中には色が付いた企業が存在する
ということ。そしてそれは時に巧妙に隠されている。
(構造理解の通り、秘匿こそがあちらの得意技。)

哀しいかな、立派な志と希望を持って入社したが、実際は色付きであった
という人たちも多数いるだろう。だんだんと感化させられていってしまう
人もいるのか、または背に腹は変えられずにいる人もいるのか。
(これも知れたことだが、それこそあちらは「いかに取り込むか」に
四六時中心血を注いでいるようなものなので、入ってきた純粋な若造を
取り込むのは長けているのであろう。
 というか、おそらく、上層部にならない限りは、そういった色は
感じさせないような巧みな仕掛けがあり、働いている人はまさか自分が
色付きの手助けをしているとは気付けないようになっている。
既述の「加担即悪」を参照。(集団ストーカーの話))

しかし、ここまで「色付き企業」という言葉が広まって、みんなの認識に
なってきたということは、入社した側からすれば「知らなかった。聞かされて
ない。」という話になってくる。
これまでは色付き側の、ねちっこい力のほうが強かったため、声として
上げられなかったのかもしれないが、この流れを見ていると、むしろ
色付き側の内部から変化が起きてくるのではないだろうか、と思われるのである。

この「知らなかった。聞かされてない。」というのは、働く側の「権利」が
絡んでくるのであって、これまたあちらの好きな権利によって自分の腹が
刺されることになろうとは皮肉である。

政治3.0では、「色付き情報の開示」みたいな法律もできてくるのだろうな。

2020年10月12日月曜日

左のおかげで右のレベルが上がったという皮肉

政治3.0によって、仕組みとして所謂左側がのさぼらないように
なっていくわけであるが、こうなったものまた左側がいたからこそ
そうなったという皮肉。

あちらが、不徳で利己であればあるほど、むしろ右や保守は
いかにその馬鹿げた屁理屈やら、言葉だけの薄っぺらい権利やらに
対処するべきかを学ぶことができたのである。

あちらの構造理解の通り、末端でギャーギャー騒いでいるものたちは
単なるコマなので、こういった理解までは及んでいまいが、
所謂あちらの「頭脳」はこれくらいは分かるくらいの脳は
持ち合わせているはずである。

そうすると、実はあちらの頭脳こそが、こうなるために、
つまり右や保守を強くするために敢えてそうしていたとも
考えられるのであって、実はあちらの頭脳こそが
二重スパイ的な、あちらの中心・根っこから自己崩壊するために
ここまでやってきたのでは、とも考えられるのである。

というのは最大の皮肉であり冗談なのだが。

2020年10月9日金曜日

あちらの根底にあるのは既得権益や外部からの搾取ということ

構造理解により、あちらの根底にあるのは既得権益や外部からの
搾取ということは嫌という程理解できたであろう。

いくら巧言令色を並べてメッキで覆い尽くそうと、その格・根っこは
変えられない。(「巧言令色鮮なきかな仁」という名文があるのに
なぜそこから学ばないのか。論語読みの論語知らずであることを
国家レベルで醜態をさらして何が楽しいのであろうか?)

あちらの根っこが既得権益や外部からの搾取であることは、
よほど頭が追いつかない者でもなければ瞬時に分かるはずであって、
それこそ、あちらの「論理」(屁理屈ともいう)が出た時点で
わかっていたにも関わらず、ここまでのさばらせたのは、
それはそれで「扱いやすかった」からということは既述の通り。

しかし、さすがに猿に核のボタンを持たせるのはやり過ぎだと、
いよいよ大きな山が動いたというのが正しい世界情勢の読み方。
(これも既述の通り。)


ーーー
ここまでわかっても、せっせとあちらへ加担している方々は
ぜひとも衰えることなく、方向性を変えることなく邁進して
いただければと思う。
あちらのこれまでを見ると、敵前逃亡や味方を盾にしてトップが
逃げるなど恥も何もないようなことをしているが、決して
そうではないことを身をもって示してもらいたいものである。
というのは、これも分かりきってることなのだが、いざ「ダメだ」
と気付いた瞬間にトップから蜘蛛の子を散らすように綺麗に
消えていくことが簡単に想像できるからである。
いくらこう言っても、実際になるとまんまと逃げて、素知らぬ
顔をして社会復帰するのだろうな、という何とも言えない
焦燥感を先に述べておく。
(また、それを受け入れる度量があるわけであって、せめて
その時くらいは、世の有り難みを感じてくれればと願う。)

2020年10月6日火曜日

詭道を拠り所とする機関

 総括的になるが、国の方向性を決める機関が詭道を拠り所と
していたのでは、うまくいかないということ。

詭道は戦局の一部で使うものであって、それを常態とした
ところが敗因であろう。(この辺も孫氏に書いてなかったのか?)

おそらく戦局が芳しくなくなったら、嘘の上塗り、世代が
下れば新しい手法が通用するようになるから、新しい嘘へと
つなげていけば良いくらいに思っていたのだろう。
その辺が浅はかだったという結論。

蓋を開けてみれば、そこにはただ不徳だけが残った。
(詭道の中で私利私欲のままに謳歌できて幸いであったろう。)

世界のニュースで、もはやこういった「倫理」レベルで
大体的に言われるようなったということは、世界の見えない
動きとしてすでに方向性ができたと見える。
一般市民の肌感覚レベルまで認識が降りてきた、降ろして
よいということになった、ということ。

ーーー
肌感覚、倫理感では上記の通りだが、実際の政策レベルで見ても、
やはり以下の点も敗因であろう。
それは、「どんなに頑張っても全て持ってかれる」ということ。
あちらの教科書通りなので説明不要だが、あちらでは誰が何を
やるかは全てトップが決めて、取り分もトップが決める。
途中でうまくいかなくなって、自由経済を取り入れたが、基本は同じ。
個人的に自由経済だろうが、やはり取り分は全てトップが吸い上げ
られる仕組み。

全国民がロボットならうまくいくのだろうが、そうではなかった
「だけ」ということ。それに気づくために百年と何億という人を
棒に振ったのだから、その浪費は甚大である。(あぁ勿体ない。)

経済については上記の通りであるし、例えば芸術分野であっても
どんなに努力して有名になっても、その「人」が有名になるわけでは
なくて「国」やら「党」やらがその取り分をぶんどって行ってしまう
のでは、個人としてやるせないだろうし、そもそも努力しなくなる。

学術も同様。ノーベル賞が出ないのも頷けるのではないだろうか。
せっかくとっても、それは「国」やら「党」やらの取り分なのである。

この結果は「上に政策あれば下に対策あり」と言われることからも
明白だが、上も下も相互不信である。詭道を持っていてすれば、
さもありなんと。
だれもこのような不信の世の中に住みたくないだろうし、住んでいる人は
やる気を失うだろう。

ーーー
以前書いたとおりであるが、計画経済はあくまで短期戦術用である。
つまりその時点の最新技術をコピーして、それを計画的に量産すれば
勝てる(そりゃそうですね)、という単純極まりないもののはずだが、
なにやらもっともらしく言って、それを「成立」させるには「搾取」が
正当だと、本末転倒理論になっているだけであろう。
(自分が成り立つには食べ物が必要だ的な。)

基本すぎることを書いたが、またこれはこれで当の本人も気づいてて、
というか、実際うまくいかなくて、ああでもない、こうでもないと
ひねくり回して延命しているようだが、どうやっても「本」に立ち返ると
この単純極まりない「不徳」「倫理欠如」によって崩れるようにしか
見えない。
(おそらくこういった「考察」はそれこそ、あちらが出現した当初に
すでに出切っていることだろう。これはその再掲でしかないのだが。)
(現代の経済学からすれば、こんなことは幼稚園レベルであるはずだが
学者は何をやってるのか?と思われるかもしれないが、学者は学者で
こういう点では弱いのである。つまり学者の糧はどこから来てるか、
ということ。もはや明白だが学会が変に牛耳られてるので、変なことを
いうと飯の食い上げとなっては困ってしまうからである。)

ーーー
前回と同様になるが、将来の歴史の教科書には
「詭道を持って覇権を握ろうとしましたが、不徳によって滅びました」
の一文で片付けられるだろう。

2020年10月3日土曜日

平均顔プロジェクト

毎年の平均的な顔を残していくプロジェクト。

毎年残すことで、百年、千年単位になって、
人類の変化をたどることができて、翻って
過去の研究にも応用できる。

平均の取り方は、簡単に考えて
全世界規模
国別
など。
平均の取り方でも、完全は全ての人からの抽出だが
無理があるので、統計学が出てきて、たとえば
無作為抽出でとる方法。
しかしそこには隠れたパラメータがあるので、
何かしらの「ふるい」に掛けた平均もとっていく。
(「除去」の意味ではなくて、あくまで単なる
「ある角度から見たフィルター」)
いろいろな考え方のフィルターがあって良いので、
たくさんの「平均」を残したほうが良いし、残って良い。

ーーー
念のため、もう少し学術的にしておくと、
これまで、所謂身体的特徴(身長、体重、…)は
とられてきたわけで、ここで言うのは、より
自由度の大きい、パラメータの大きい統計を
とっていこうということである。
つまり、顔にとどまらず、人のあらゆる箇所に
このアイデアは及ぶ。
また、人に及ばず、あらゆる生物、あらゆる
無生物、あらゆる事象に及ぶ。
アイデアの発端として足がかりにしていただければ
それでよい。)

2020年9月29日火曜日

現状の単純明快な説明

 現状の世界情勢の単純明快な説明。

大陸が詭道を持って覇権を取ろうとしたが、
詭道を選択したことで徳が積めず、全世界から
見放されたということ。

金儲け組も「はい、ここまでです。終了」と。
システムが動くと、金儲け組は手も足も出なくなる。
システムとはそういうもの。

ーーー
ここまで一般大衆の肌感覚で世論、世情が動くということは
とうの昔にこの流れは決まったということ。
(詳しくは既述を参照。)

世に出るものでもないので、永遠に真実は不明だが、
裏であっても密約は100年ルールがあるので、
例えば「WWIIで敗戦した日本から搾取を許す」とか
いった密約も期限が切れるのだろう。
(というか、もはや一般市民を騙せなくなったのだろう。)
(大陸もうまくやっていればあと20〜30年くらいは
 搾取できたのであろうに、下手をこいたものである。
 まことに良いことであった。)
(そもそも密約なのに大陸はそれを一般に認識されて
 しまうことをしでかしたほうが恐ろしいと思う。
 世に出てはいけないものを出してしまうということ。
 ちょっとまえの北のノビチョクも同様。カメラにまで
 しっかり映って今ではだれでもノビチョクを知るようになった。
 裏の世界では「何をしでかしてくれたんだ。許さん。」とかに
 なるだろう。)

結論すると、世界史的には「大陸は詭道を持って
覇権を取ろうとしましたが、自らの不徳によって
つぶれました。」といったところだろう。

改めて、利己のために周辺を100年近くも振り回さないで
欲しいものだ。まったくの無駄な100年になってしまう。


2020年9月25日金曜日

コロナ禍による「新しい日常」で逆に気づいたこと

 コロナによって「新しい日常」とか言われているが、
外出時はマスク着用があたりまえになった。

帰宅時の手洗い・うがいは日本人的に以前からも
普通にしていたが、コロナによって更に念入りに
やるようになった。

その結果、幸いコロナにも感染せず、加えて風邪も
全くひかなくなった。

そこで思うのは、以前は気をつけていたようでも、
如何に感染菌に無防備で、自分をさらけ出していたのだろうな
ということ^^

以前に風邪を引いたときに思い当たる節があって、
満員電車で通路中央付近で立ち乗りしていた時に、
隣の人のジャケットが明らかに汚くて、顔を近づけないように
していたのだが、乗り降りか何かの拍子に鼻を
その人のジャケットにくっつけて息を吸引してしまった。
やはりというか変な匂いがして、その時に咳でもして
多少なりとも吸引したものを吐き出していればよかったのだが、
そんなことしたら相手に失礼かなとか、まぁたいした害はないだろうとか、
またはそこまで明確に意識もせずに、そのままにしてしまった。
そしてその日の夜から具合が悪くなって、風邪をひいたということ。

(これが本当に因果関係があるかどうかは無論検証不可能で、
あくまで主観です。また誰がどうだとか攻めるものでもありません。
一つだけ言うことがあるとすれば、無論悪意が無く、自分が着てるものに
無頓着であれば致し方ないと思いますが、やはり清潔にするというのは
自分のためだけでは無くて公共にも影響が及んでるのですよ、という
辺りでしょうか。そこまで意識が及んでますか?ということですね。)
(もしも悪意があったらある種のテロですね。社会の闇ですね^^)

ーーー
私と同じような人が大勢いるはずで、そうするとコロナのワクチンが
完成した後は、コロナ以外の風邪とかで医者にかかる件数が
激減するのではなかろうか、と推測されるのである。
よかったよかった。

※ただし、ワクチン接種して効果あるという事が広く知れ渡ると、すぐに安心してしまうのも人情。マスクをしない人が出てきて、その「慣性」は簡単には止められなくて、また「日常」に戻るのだろうか?
※常に無菌状態だと菌耐性が無くなるという話もあって、「許容範囲」で菌と付き合っていくことは生物として永遠に続けていく必要はあるのだろう。無論こういった話は慎重にしなければならず、変な偏った人に批判されては堪らないので、深くは触れない。

2020年9月24日木曜日

偏向の功績

 A新聞などに代表される偏向報道の「功績」を

敢えて考えるならば、それはメディアは無色透明ではなくて

色を持っているということを一般市民に知らしめた、

ということであろう。


表向きは「報道とは事実を伝えることである」という

立派なことを言いいながら、裏では自分たちの利己追求や

他国・悪魔に魂を売るようなことをしていることが、

白日にさらされることになったのであるから、

それはそれで「功績」なのだろう。


表向き、つまり情報を得たい側である大衆に対する

裏切りも甚だしいが、おそらく彼らの論理は

「自分たちで情報が欲しくて自分の意思で買って読んで

いるのだから、買ったほうが悪い」くらいにたかを

くくっていたのであろうが、もはやそれも通用しなく

なるだろう。


商売の精神みたいなことを云々するつもりはないが、

やはり客をバカにしたり、表向きしてなくても、

そのやり口が客・大衆・世間をあざ笑うようなことを

していてはやはり滅するのであろう。

(因果とかいうかもしれないが。)


ーーー

以前書いたとおりであるが、偏向報道慣れした

賢い大衆であれば、お分かりになるとおもうが、

例えばこれで大半の人に愛想をつかされて潰れたと

しても、それでは根本原因は解決されない。

むしろその根本はまんまと藪の中に逃げ込むだろう。


この辺を丁寧に追い詰めると、既述の構造理解の

とおりとなるのである。





2020年9月10日木曜日

A新聞の世論調査の結果で支持するが7割超えの深読み

 A新聞の世論調査の結果で、安倍政権支持するが7割超えしたこの深読み。


メディアのシェアがまだ高いうちに、「あのA新聞が政権支持を報じた!

日本のメディアはあてにならない。」という、捨て身の錯乱工作を

始めたのだろうか?

彼らの目的は日本の信用失墜であって、もうシェアと保てないことを

悟って、「それならばみんな道連れだ!」的な利己的発想。

(それにしてもやぶれかぶれだな。まぁいつものことか。)


2020年8月1日土曜日

酒を飲むと注意が散漫になる

酒を飲むと注意が散漫になる、とは昔から言われていたことだが、コロナの第二波で見るとこんなにも如実に数字として現れるのかと、誰しも驚いていることだろう。
夜の現場を知ってる人であれば、ある意味納得だろう。
つまり酔うと、実際にかなりバカになる輩が多数排出されるわけで、彼らが3密を避けるとか、帰ってから手洗い、うがいをしてから寝ることができるはずがないことは現場を知っていれば分かるだろう。

無論経済問題とのジレンマがあり、夜の街を開放できるかどうか、色々な指針・基準を設けて、数値的根拠を持っての判断であろうから、現在は夜の街の開放による第二波が許容範囲かどうかを、現場でリアルタイムで判断している真っ只中ということだろう。


2020年7月30日木曜日

姿・形を変え現世の利益を貪ることの後の絶えないこと

本ブログの成果もあり、最近ようやくまともな
ことをいうものがでてきた。

それは、これだけあちら側が精神的に得るものの
酷さを構造的に論破してしまったのだから
当然とも言える。

ここまでくると、これまで現世の利益を貪らんが
ために、あちら側につこうかと考えていた輩も
考えを改めざるをえまい。
そして、構造理解の通り、「これはもうだめだ」と
いう暗黙的臨界点をこえれば、あちらのトップを先頭に
離脱競争が始まる。(滑稽すぎるだろう。)

ーーー
事後にいろいろ考察されるだろうが、根本はタイトルの通り、
「姿・形を変え現世の利益を貪ることの後の絶えないこと」
だろう。

盲信して突っ走ってしまった人は頭が足りなくて残念であるが、
理解できるのに確信犯的に行動した人は、誰も何も言わないから
どうぞ反省していただければ、ということだろう。

せっかくの過去の英知で立派な理解力があるはずで、
数千年を越えてようやく奇跡の一生を得たにもかかわらず
それを放棄したのであるから、当然の報いを自分に施すことに
なることは、それこそ立派な頭脳であれば自明であろう。



2020年6月29日月曜日

全体を考えてるはずの主義がむしろ誰も行かない 明らかに落ちる橋の方に進んでいる状況について。

全体を考えてるはずの主義がむしろ誰も行かない
明らかに落ちる橋の方に進んでいる状況について。

もはやタイトル通りすぎて説明さえ要らないが、
このへんが所謂蓄積を蔑ろにしたツケなのだが、
最善と思って「超頭脳」みんなで考え出した選択は、
結局大衆主義と変わらないか、むしろそれより
アホな選択ということ。
(が証明された、と説明は続く。)

なんとうか、説明は簡略な方がよいということが
最近わかったので、今日はこれだけにしておこう。
(続けるならいくらでも続くのだが。)

2020年6月25日木曜日

愚の露呈

なんというか、これだけあちらの愚が露呈して、一般市民感覚で
認識されるようになって、多くの先生方の苦労のお陰であるが、
構造や力学も解明されて、もはや政治的にはもちろんだが、
言論的にも文化的にも文学的にも、あらゆる分野でネタとしては
「もういいんじゃないか」レベルであろう。
(おそらく民間レベルで認識できるということは、氷山の例でいうと
すでに海中の大きな動きとしてすでに出来上がっていて、今目で見え
始めている「完成」は、すでに過去の出来事なのであろう。)

ーーー
それにしても、常々言う通りであるが、着目すべきはそんな表層ではなく
そのあとのことである。

それこそ何千年の歴史を誇ってるようだが、裏を返すと何千年も前の
徳から全く畜善できていない(むしろ浪費してる)ことを、裸で
何の恥もなく面の皮だけ鋼鉄のようにして、全部他人のせいにしてきた
わけであるが、周りからするといい迷惑なのである。
(そしてそんなことは無論これっぽっちも、意識にさえ浮上しない。)

この精神発展上の観点から、これは彼らが自ら選択した堕落からなのか、
はては周りからの影響で、うまいこと仕立て上げられてそうなったのかは
いずれ歴史が検証してくれるであろうから、そちらに任せるとして、
いよいよ根性を叩き直すとなった時に、ほんとうにちゃんと立て直せるか
どうかの問題なのである。

ちなみに自分たちを中心として、四方をインソルトした呼称をしているが、
ふたを開けると(やっぱりというか)、「バカと言った人がバカ」に
本当になっているから哀しい。(子供に諭すレベルの精神性でしかなかった
ということ。これだからいいように使われるのであろう。)
そしてその周りへの迷惑はご覧の通りであるので、むしろ「中身のほうが
むしろが腐ってる」ということで「中腐」と呼称仕返してあげたほうが
本人のためになるのではないだろうか。
思い返せば、「自分が世界の中心」という考えは、自己満足や自己陶酔こそ
すれ、反省して改善することたりえまい。だからこそ論語くらいで時間が
止まっているのであろう。
何事も当事者が気付いて反省しないと何も変わらないので、
これは是非自分たちで自覚して改革してもらいたいものである。
(外から変えるのは難しい。性格が他人から言われて変わるものではない
という面と、あちらの情報統制の面で、ということである。
既述の通り、できることは「その後」を見据え、つまり変化後もそれを
構成するのはやはり人であるので、二の舞にならないような精神性を
もてるように精神形成の手助けをすることである。)

ーーー
これまでも書いた通り、ほとほとどうしようもないのだが、これも
裏を返すと「扱いやすい」ということでもある。
(簡単に言うと大陸全体の個人個人がみんなまじめで勤勉で人格者だったら
と想像すると、逆に恐ろしいだろう。そういうこと。)

しかし、この扱いやすく、コントロール可能な「形態」も、ご覧の通り
民間レベルでほころびが目に見えてきたレベルになってしまったため、
いよいよ「次のステップ」へ進むわけである。

というのが読み筋。
(なので、先生方も矢面に立たれて、ハリボテのコマと頑張っていただいて
いるが、あちらはそのうち勝手にトップを先頭にして我先に散っていく
のだろう。かと言って手を抜くと突け上がってくるので(みんな学習済み)
無論気を抜かず、お付き合いしてあげないといけないが。)

ここら辺までわかると、いかにハリボテのコマとやりあうことが浪費で
あるか分かるだろう。
こんなくだらないことではなくて、英知の結集で将来の建設的なことを
考えたいものである。
そうはいっても目の前にこの具体的なトゲがあるので、それを抜かないことには
次へは進めない、という構図である。

ーーー
注意点としては、いつも「こと」が起きる前は感情に訴えるような情報が
でてくるので、注視すべきである、ということ。無論簡単に踊らされては
いけない。
ことを起こすからそうなってるのか、そうなったからことが起こるのかは
いつもうやむやになるが、単なるコマとしてではなく、客観的に見ることが
できるのであれば、少しでも多くの人がそういった冷静な態度で
見ていかなければなるまい。


2020年6月24日水曜日

構造理解による、表に立ってる人の考察

あちら側の構造理解によって、あちら側の表に立ってる人は
大量生産ハリボテのコマだとわかったが、そうすると
つきつめると大陸とか半島のトップさえも、そうなのでは
ないかと思う。

(さらに突き詰めると、国の形態としてそうなってる中で
住んでる人には、それは言わば言外の常識なのではないか
とさえ思う。そうすると、我が国内のあちら側の人たちの
なかでも常識で、私が世間知らずなだけなのかもしれない。
もっと一般常識化されても良さそうである。)

秘匿で利己な環境で権力を持ったら、わざわざアホヅラを
さらして人前に出ようと思う人はいないのである。

そうするとなぜ、わざわざアホヅラを晒しているかというと
通過儀礼なのであろう。「これだけやってやりましたよ」という
誰にも文句を言われない成果を残して、そのあとは老後を
まったりと過ごすのであろう。いつも言う通り、元が利己なので
子孫の分まで案じたとしてもせいぜい数世代先くらいまでしか
考えない。しかもあくまで自分の子孫だけ。
(実はこれがあちらが高らかに掲げていた「理想」の
実態なのではないか?なんと儚い理想であろうか。)

ただし、どんなに成果を上げても秘匿で利己な彼らの構造自身に
よって、その保障された老後さえも簡単に覆されるのであるが。
(実例は枚挙にいとまがない。学習能力的な問題になってくると
思うのだがよくも懲りずにやるものだ。)

おまけに、もはや良心には立ち返る資格さえ自ら放棄するという
特待権付きでであることは、既述の精神構造理解を参照。

精神構造理解の通りであるが、早く「自ら人を放棄したものは
自ずとその組織の意思決定には参加する資格も放棄したことと
同義であり、よって政治への参加も不可」とする政治3.0が
実現してもらいたいものである。

2020年5月27日水曜日

精神的堕落の構造

精神的堕落がなぜこれほど構造化されてしまったであるが、
すべて我が国のせいにすれば良いといった風潮と、
それをまんまと「賢いやり方・正しいやり方」と思い込んで
邁進してしまった集団があった、というあたりに行き着く。

いつぐらいから考察するべきかは精査していかなければ
ならないが、例えば大戦前後などでまずは考えられる。

無論、大陸側は易姓革命の土壌であり、
その精神的特性上、相容れないものがあるという
認識は大戦前というか開国前から存在していた。
(さらにその属国はすでに話しても無駄、くらいの
認識だった^^。まあ属国精神と言ってる時点で「骨」が
存在しないのだから当然であるが。そういう点では
本当は可哀想な国なのであるが。(と、これを言うと
またつけ込んでくるので表立っては言わない。
ここで得た教訓は「同情」という精神構造を理解できない
人に同情を示しても、それはあちら側にはバカにしか
見えず、まんまと差し出した手を噛まれる、という事だろう。
何かの映画にもあったが、相手を野獣と考えるとわかりやすい。
こういう例えをするとまた「人権がー」とか言い出すので
表立っては例えない。))

大陸側の歴史は「国を獲ったものの勝ち」なので、
いかに相手を出し抜いて優位に立つかという戦術は
練り上げられてきたが、集団全体を通しての精神性という
点では、それこそ論語とかで時間が止まってしまい、
その本質的な部分はむしろ我が国で発展したという
点はよく言われている通りである。

これがまず前提としてあって、開国→戦争→戦後となるのは
歴史の通りであるが、精神史的には最初の命題のとおり、
大陸はすべて我が国のせいにすれば良い事にした時点で
精神的方向付けも決まってしまったのであろう。
なぜ大陸とそのお隣だけそうであって、他のアジアの国々は親日なのかは、
それこそ糸を一本一本解きほぐせば分かるのであるが、
なぜ大陸とそのお隣だけがそうなったのか、または「そうされられたのか」のかは、
まあそのほうが扱いやすかったのだろう。

精神史的には残念ながら堕落が蔓延する事になったわけである。
また、あちらの土壌も手伝って、それはもう何の疑いもなく私腹を
肥やす事に邁進できてしまった。(この辺は何の道徳も持ちえ
なかった点で情けない。)

何事も先ずは知る事、知覚する事である。
「恥」という人の感情は大切なのであって、無論私が説明するまでもないが、
それを以って改善のきっかけ、原動力になる訳である。
先ずはこの構造理解と精神的堕落の認識から始まる。

精神の堕落

構造理解によって、運命的、宿命的欠陥がないにも関わらず、
自らの認識を放棄してまでも、「ロスした人」を装うものたちが
存在する事が判明した。
これは本来の自分の能力を放棄している事から、精神の堕落と
言える。

「地獄に行く」とは大きく言えば抽象であるが、かといって
それを無視して利己に走ったものを見ると、はたしてよい
結末を本当に迎えているかといえば、決してそうでない。
精神的堕落をした人々が、その根本的堕落を見えないように
隠して「自分たちは正しいんだ、少数派なんだ」と言い合って
徒党を組んで、自分を見ないがために目は蛇のように冷徹になり、
他人の同質を見つけては同胞化したり、なびかないものに対しては
嫉妬したりやっかみしたりして「あなた方も同様の性質があるでは
ないか」と批判ばかりする。
これはまさに自分の非を見ない裏返しからくる作用である。

そのような徒党を組んだ蛇の集団の、一分子の行く末、行き着いた末、
つまり滅する瞬間が、幸多い結末になるとは到底思えないのである。
前回詳述した通り、つまりは、というかやはりなのであるが、
最後は自分の心に戻ってきて、自分自身で築き上げた精神的堕落に
よって自分自身が突き落とされるのである。

実は地獄に行くという事も、その人個体の中で自己完結した話なのである。
ただ、上記構造を第三者が見たときに、その人に諭すために、
または子どもにわかりやすく説明するために、
外的要因である例えば閻魔大王によって地獄に突き落とされる
などと抽象化しているのである。
(こんな大昔から言われ続けている話なのに「科学が発展した
現代において私には関係ない」といって、精神的堕落に邁進して
しまった人々は大いに後悔すべきである。)

ではなぜこれほどにも精神的堕落が構造化してしまったのかについては
次回述べる。

2020年5月25日月曜日

直しようのない性格の掘り下げ

構造理解によって、本当の少数派とそれを
利用するものの構造が分かったが、精神性に
ついてもう少し掘り下げる。

本当の少数派、つまり「何かロスした人」は
その宿命性で可哀想であり、周りが温かく
見守っていかなければならないが、どうやら
本当の少数派でもなく、つまり先天的、宿命的に
何の欠損もないのに、少数派に転がり込もうとする
輩もいるという事。

前回の集団ストーカーに関して「加担即悪」について
書いたが、善悪を認識するのは最終的に「その人」なので
あって、世の中はそういった認識を「ロスした人」が
大半であるはずがない。

厳しい言い方、怖い言い方をすると、この辺が滅するときに
地獄に行くか、天国に行くかの分かれ目なのであろう。

善悪の判断ができるのにも関わらず、それは自分がよく分かってる
にも関わらず、それでも自分を偽って、分からないふりをしたり
自己認識を凍結なのか麻痺なのかよくわからないが、なかったものとして
自分を正当化させる事。その方が「本当にロスした人」よりも
重罪であろう。(本当の少数派に対して失礼である。)
(この辺についても過去に書いてあるので参照。そこでは、
周りに影響せず静かに滅していただければ、もしくは頑張って、
本当の狂人になるしかなくなる、くらいの事を書いておいた。)

ーーー
そして前回の「扇動するもの」につながるのだが、確かに
悪への加担が巧妙化しており、不良債権の細分化販売みたいに
買った人=加担した人が気付かないような仕組みができている。

経済が先行してショックとして目に見える形になったおかげで
ひとびとも本論について具体的にイメージできるが、ここまで
具体的に例示しないと「なぜダメなのか」が理解できないあたりが
人類としてまだまだレベルが低いという現状なのだろう。

歴史は常に対処療法であって、なにか不具合が出てきてから、
それを認識して、その上で対応してきた。
これを先手で迎えるにはどうするか、ということである。


2020年5月22日金曜日

コロナ総括

これもそのうち総括されるだろうが、
今回の騒動があってもなくても世界的な
流れは出来上がってたわけで、今回の騒動は
いわゆる最後の賭けだったのだろう。

世界の大衰退を期して。
周辺諸国も操って弱体化してるから
効果覿面と思ってたのかもしれないが、
やはりというか、いつもどおりというか
和の国がそれこそ和をもって撃退して
しまったの図。

おそらくあちらは手玉に取ったマスコミ
とかしかパラメータとして見てなかったのが
失敗の原因と言えるが、いかにも
浅はかで「らしさ」があってよい。

ーーー
これだけだと単なる総括でしかないので、
やはり精神的な側面も見ておきたい。

その辺はどうも、逆に「詭道の国」と
言われて、それを「自覚」としている
という点に行き着くのではないか?

そもそも「詭道をもって…」というのは孫子とか
はるか前の書物なのであって、とうてい現代からすれば
参考にはなるとは言え、すべて鵜呑みにしていては
とうてい太刀打ちできないというか、それこそ
行動原則を相手に真っ裸でさらけ出しているようなもので
「どうぞ手玉に取ってください」と言っているような
ものである。

「詭道をもって…」で全てうまくいくと、浅はかに
考えた事が敗因である。
哀しいのは、それで何億兆の人と、何十百千年を
費やしてしまった事、当然それを疑いもなく扇動して
しまったものの累積された罪、
これらを思うと、過去の宗教者も然りであるが
それは嘆きたくはなるわな、となるのである。

ーーー
(もっと大きく万とか億年単位で見たときに、これは
発展し過ぎて自滅しすぎないようにするための
自然機構であったのだ、と総括されるかどうかは知らないが。)

ーーー
構造理解から始まり、精神的に得るもの、直しようのない
性格ときて、振り返るとやはり人の心に行き着いた。
世界中が、あちらさんを「大きなだだこね坊や」と、直接は
言わないが、みんなが直感的に感じているその感覚は、
いつも言う通り人の叡智として正しい感覚なのである。

もう「大きなだだこね坊や」でいること、または
「いさせる」事は、この辺で、どのみち限界がきた
ということなのであろう。


こうなってきた(したてあげてきた?)のだから両陣営とも
もはやこれまでということで、お互いに表面上は顔を立てて
終わるのであろう。終わり方が熱くなるか穏便にいくかの
違いはあるにしても、大局は、これまで述べた通りで
人の積み重ねた叡智はそれほど愚かではなかったという
結論である。
(そこに辿り着くまでの無駄は大きすぎるが。次回は
もっと真剣に取り組まなければならない。)

ーーー
一応追加しておくと、敗北側は当然その通り敗北して
新しい仕組みになって勝者の傘下に収まるか、とか
なのだが、勝者側としても、これまで手のひらで
扱いやすいように踊ってくれたものを、一旦、
「そちらの行動原理は見抜きましたよ」という事を
相手に知られてしまう、というトレードをせざるを
えない点がある。

相手は当然「しまった、では行動原理を変えないと」
となる。相手というのは、ありきたりな表現だが
悪の根源とかなんだろうか?

これが一旦は潜伏してどこかで再起するのか、
この核を継承したどこかが立ち上がるのか、
今回は精神的には、新しい手法として「罪の分散化」までは
対処できるようになったが、「病原菌」はどういった
潜伏、突然変異を起こすのかは、気を緩めずに
注視しなければならない。

(この筋書きがヒーロー物語の通りになってる時点で
次の悲劇は起きるのだろう。)

直しようのない性格

どうしようもない性格の人を知っているだろうか?
身近にいれば分かるかもしれないが、そういった人は
どうやっても性格が直らないのである。
「馬鹿は死んでも直らない」とはよく言ったものだ。

最近ではあまり居なくなったが(「残存」している者については
後述するのだが)、海外を見ると本当に昔の
性格がひん曲がった人みたいな人がまだまだいたりする。

例えば人を妬むな、やっかむなと、いくら言い聞かせても、
本人も納得したように見えるのだが、最後はやっぱり
妬み、やっかみを持ってしまう人など。
これは、もう「そうゆうふうにできあがってしまっている」
とかしか言えなくて、根本にあるのは親から同じような仕打ちを
受けた、つまり絶対的な愛を知らない、とか、
「不信」とかに行き着くのであろう。

こういう人を直すには、本当にゆっくりと時間をかけて
分かって行ってもらうしかないのである。

ーーー
「最近ではあまり居なくなった」と書いたが理由があると
思っており、それは明示的な宿命を背負わされたものが
減ったからだろう。

現代は自分の希望・理想を追い求めることができるように
なってきているので、そこで性格がひん曲がるかどうかは
自分次第だろう。

昔の時代は、自分の希望・理想があっても宿命的に叶えられず
「歪み」となって性格にも歪みとして反映された。

事はそう単純ではないのは承知だが、片や大局的に
考えることもまた必要であろう。

また逆に、こういうどうしようもない人と、なぜか一緒に
なってしまう人もいる。
宿命論とか性格論とか色々あって、そういう話を聞くのが
好きな人もいるだろうが、これも大局的に見れば、人には
自浄作用があるので、本人の表層意識からは、つまり自分の
認識としては持ってないが、どこか人としての自浄作用とか
(深層心理とか言われてたりするのかな?)が作用して
引っ張られているのである。

ーーー
ひるがえって、現世の途方もないリソースの浪費について
目を転ずると、結局は人のこういったどうしようもない
心に辿り着くのである。

人をよく知っている人であれば説明さえ不要と思うが、
世界をダメにしている人を一目見れば、「あぁこれはダメだな」
と自然と、というか人の叡智としての感覚で瞬時に分かる
ものである。

最初の例で書いたように、身の回りに「困ったちゃん」が一人いれば
周りみんなで気を使いながら、長い時間をかけて温かく
快方を願っていけば良い。
「三つ子の魂百まで」もよく言い当てたもので、悪い方に
当てはめると、困ったちゃんと伴走しなければならなくなった人は
それこそ一生をその人の快方だけに費やす、ということもありえ、
実際に数多そういった事例があったのだろう。

たった子供の三年とか、物心つく十年とか、成人する二十年とかの
接し方で、その人の一生を方向付けてしまうのだから、もし親が
意図的に不信を植え付けたり、他人の仕打ちを繰り返したり、
そもそも子供を放置したりする罪は恐ろしく大きい。
最悪はその子供だけの人生だけで済めば良いが、上記のとおり
周りのはるか何倍、何十倍、何千倍ものリソースがその人の
快方だけに振り回されるのである。

不幸にも上記のような人ができてしまったとしても、それは母数からすれば
例外的少数であったので、社会で温かく支えればよく、
実際そういった包容力のある社外ができてきた。
今巷で行っている「少数派」の本当の意味はこういった人である。
(間違えないで欲しいものだ。)
こういった少数派を温かく支えていかなければならないのは
人として当然であって、誰かが言ったからとか、制度がそうなってる
とかとは関係なく、人の自浄作用の本能的に支えるものである。

ここから本当の罪が始まる。
つまり、どうやら構造理解によって、上記でいうところの
本当の少数派を煽り立てたり、同情を装って、または本当に同情する人も
さらに煽り立てたりして、本来は快方させるべきものを、
逆に傷を深くえぐっている輩がいることが判明した。

政治とか人を良い方向に持っていくべき人が、悪い方に扇動したら
道を見失っている人がみんなほいほいついて行ってしまうではないか。
上記の例で親の罪は大きいと言ったが、悪の扇動という点では
罪をさらに煽っているので、そのはるか何千、何億倍も重いだろう。
(既述の「そんな重い罪を背負えるのか?」参照)

「どうしようもない人」の例に戻るが、そういった人が変わるかどうかは
最後はその人次第である。「いい人になりたい」という気持ちがちょっと
でもあれば、最初はそれまでの習慣という慣性が働いてなかなかうまく
いかないだろうが、積み重ねや何かのきっかけで快方の糸口が見つかって
いくはずである。
「どうしようもない人」を元に戻すのは本当に途方もないことである。
何かの映画でゾンビに知能を持たせようとするシーンがあったが、
これは「正常な人だったら持ってる感覚」がすでに腐ってなくなってしまった、
しかしどこかに眠ってるはずなので呼び起こせるはずだ、という意味では
(決していいとは言えないが)いい例である。
ここでいうゾンビとは「親の愛情なり、人を信頼することなり、何かをロスした人」
ということで、もっと適当な例があれば良いのだが。
映画ではゾンビに何かをやらせてうまく行ってる間はよかったのだが、
ちょっとミスしたら一気に感情=本能側に戻ってしまって終わりだったが、
実際の「何かロスした人」との関係も似ていよう。ちょっとずつ、ちょっとずつ
信頼関係を築いて行って、そういった人は人から何か言われることを嫌うので
それこそ温かく態度や行動で接していくしかない。うまくいかないと慣性と
いうか発作みたいなもので、また昔の、というか当人にはある意味安住の
地に帰ってしまう。その途方もない繰り返し。
それでも何とか積み重ねていって快方の糸口を見つけていく
「行」のようなものである。

しかし、悪の扇動は当初から「いい人にならなくてもいいですよ」と
耳元で囁いているようなものである。
せっかく「いい人になりたい」という気持ちがあったとしても、そんな輩に
からめとられては、快方への糸口もぶった切られる。

最初に「残存している人」と書いたが、「残存させられている人」と
言ったほうが正しい。宿命もなくなり希望を持って生きられたはずなのに
本当に残念・無念としか言いようがない。

最初は「人はそんなにずっと恨みを持ち続けられるのだろうか?」と
不思議に思っていたのだが、構造理解によって「恨」をフランケンシュタインの
ように無理やり永続していることが分かってきて腑に落ちた。

構造理解によって、真の罪は、可哀想なものを利己のために扇動して
いるものである。
(ここでいう罪も根本をつまびらかにすれば悪の扇動であることまで
判明したので、現世法がそのうち追いつくのも時間の問題だろう。)

ーーー
「いたちごっこ」ともよく言うが、悪の変遷も面白い経路を辿るものである。
その特徴にいかに潜むか、隠れるか、秘匿するか、という面があり、
最近「集団ストーカー」なるものを知って、なるほどと思ったものである。

人を追い込むのに陰湿なやり方をすることは知っていたが、よくそんな
暇なことができるなと感心していたが、現在ではそれさえも分業している
ということだった。
例えば「この家の前を通る時にこういったことしてくれたら、いくらいくら
あげますよ」と。その家の人はみんなから見られていると思ってしまう。
そんなことを気にしない人もいるが、気にしてしまう人もいるわけで、
そういった心理をうまく攻撃しているのだろう。
こんな芸当は素人にはできないわけで、陰湿さもここまで来てるのだと
妙に感心してしまった。

問題は軽い気持ちで、というか悪いこととも知らずに加担してしまった
人である。これは前回書いた通り、本当に何をやってるのか認識できない
人はかわいそうなのであるが、そこまで認識が遅れてる人が大半でもない
はずなので、認識した以上は加担しないことであろう。
つまり「加担即悪」の基準で気をつけていかなければなるまい。

リーマンショックでもないが、質の良くない債権をリスク分散とか
いいこと言って細分化してみんな知らずに買っていたが、いざ破裂すると
被害を被るのは自分である。
集団ストーカーも人を「傷つけること」を細分化して、みんなに
売り歩いているのだが、それを寄せ集めると「傷つけること」であるので
甘い言葉に乗って買わないことである。
「破裂」とは例えば「地獄行き」とかが分かりやすいだろうか。
まあ「積悪」すれば刑務所行きとか表面上でも現れたりするが。

ーーー
集団ストーカーも真の悪は、それを取りまとめてる人なり組織なり
なのであるが、組織となるとリーダーとかがいるわけで、そういう
ものが悪を扇動している罪は大きかろう。
ただ、こんなことをするのは末端組織であって、またその元締めが
いて、と、今度は組織の分散論になってくるのである。
つまり末端組織では「なんか悪いこと」くらいは知ってようが
これもまたリスク分散のように「罪の分散」がされているのである。

政治とかで前線に立っているもの(前回でいう「ハリボテのコマ」)
も実は何も悪いことはしてないと思っているのではないだろうか?
それこを真性の、良質のコマさんである。
(そりゃあいいように使われるわ。)

ーーー
今回、政治3.0によって、いわゆる左巻きの処理は一旦は完了して
政治も正常化し、一見穏やかな生活が戻ると思えるかもしれないが、
また悪は一旦潜伏して、次の隠れ蓑を見つけるに違いない。

常々言う通り気にしている点はむしろそういったことである。

2020年5月21日木曜日

C2Cコピーサービスの発展。Cストレージ。

C2Cコピーサービスの考えを発展させると、
そもそもコピーさえいらないのでは?
となる。

つまりユーザサイドではどこにデータ存在しようが
問題ではなくて、データが存在してしようさえできれば良い。

クラウドサービス提供側としても、もはや垣根を取っ払い、
流出するユーザもいれば、その分流入してくるユーザもいて
痛み分け的な関係になるので、それであれば共同出資して
クラウドストレージ専門クラウドサービスにしてしまった方が
お互いにメリットである。

というわけで、これもサービス先行で発表を先に
行っておく。

ーーー
敢えて現状のサービスについて言っておくと、各社独自の
サービスとセットでストレージを提供していて、ユーザは
「何て便利なんだろう!」と食いつくが、そのうちストレージが
足りなくなって、「過去データを自分でバックアップや消すのも
大変だし、追加ストレージを購入するか。」という算段。
このサービスとストレージを抱きかかえた算段は素晴らしいが、
これだけ世の中のストレージ単価が下がってきたというのに、
ITの雄としてはいささかせこくないか?という、
誰ともなくささやかれてきた問題の解法が出始めた、
という結論にまとめられるだろう。(将来のいつかの時点で。)


C2Cデータコピーサービス

クラウドからクラウドへのデータコピーのニーズが高まっている。

例えばiosデバイスで撮った写真や動画を
googleドライブで一元管理したいとか、
逆も然り。
FacebookやAmazonなども然り。

現状だと、たとえばiCloudで写真や動画を
ローカルPCにダウンロードして、google driveに
アップロードするなど、人によっては
頑張ってやっているかもしれない。

このニーズは、例えば既にどこかのサービスの
ストレージを購入してしまった人がいて、
それ以外のサービスは無料枠で抑えたい、
とかである。

手動で頑張って一元管理してる人からすると
クラウドtoクラウドでコピーできたら、手間も省けて
コピー速度も速くていいのにな、と思うだろう。
クラウドサービス提供側は大容量帯域を使用してるはずで、
クラウドサービス間であればデータ転送も速いはずだからである。
(クラウド→個人PC→クラウドの動線がものすごく無駄である。)

そこで、クラウドtoクラウドのデータコピーサービスを
発表しておく。

無論サービス提供側の賛同を得られるかが重要となってくる
のであるが、まずはサービス先行でスタートさせる。

そもそもサービス提供側もこのニーズは認知しているはずであるが、
これを許可してしまうと、「容量がなくなったら追加ストレージを
買ってもらう」戦略が成り立たなくなってしまうので、
自分からこんなサービスを解放するわけがない。

そこで第三者がサービス先行でサービス提供し、
ニーズの勢いを目の当たりにすれば、サービス提供側も
次第に賛同してくれるだろう。

ーーー
本サービスの第一段階としては、
Aクラウド to 本サービス(これもクラウド) to Bクラウド
の形態となる。

ここでは
・Aクラウドのサービス規約をクリアして、データを取得
・Bクラウドのサービス規約をクリアして、データをアップロード
となる。

ユーザは最初に本サービス上で上記2つのクラウドの
初期設定が必要であるが、それ以降は
AクラウドからBクラウドにデータコピーが可能となる。

ーーー
ニーズの勢いにサービス提供側も抗えなくなったら、
第二段階として
Aクラウド to Bクラウド
の形態が達成する。

第一段階でクラウドtoクラウドのAPIが完成しているので、
このデファクトスタンダードとなったAPIを使ってもらうのである。


COVID-19の「まじめに」やってきた側への被害

構造理解の通り、せいぜい数世代くらいまでしか
考えてないあちらからすれば、今回の武漢肺炎は
世界の停滞を招いたので、「しめしめ」と影で
ほくそ笑んでいることであろう。
(構造理解によってあちらの利益=私服は
妨害によって得られる利益 × 妨害によって得られた
時間ということが判明したので、停滞すればするほど
都合がよい。最終目標は世界をバカが埋め尽くすこと。)

しかし、まともにまじめに生活している側からすれば
そんな軽い気持ちでことを起こさないでもらいたい、
ということ。

口蹄疫についてや、今回の武漢肺炎について書いた
とおり、悪意が入り込んだ時点で何でもありになる
のである。

ーーー
もしかすると今回の武漢肺炎の「真犯人」がつきとめ
られたとして、その真犯人が弁明するには「まさか
ここまでことが大きくなると思わなかった。」程度の
ことだろう。
本当に事の重大さを知っているものにトリガーを
引かせる訳がない。

また、「隠し通せる」と確信したのだったら、あちら側の
人たちは自ら進んで白状するはずもない。
道徳も信頼も何の土壌もないのだから、そんなことは
期待しようもない。

前回書いた通り、せいぜい期待できて、その人が
滅する直前くらいに良心の呵責をやっと知覚するか
どうかでしかない。

ーーー
改めて「まじめに」やってきた側への被害は大きい。
しかし嘆いてばかりもおられないので、「新しい日常」で
経済発展するしかない。
大まかな道筋は在宅でできる業種が以外とあることが
判明したので、それの継続。
実際に在宅勤務している人々の実感としても、在宅だと
逆に近所の経済にも貢献できたり、いわゆるコミュニティにも
自然に接したり関わりが持てたりで、何か昭和の古き良きが
取り戻せている、というメリットも認知されてきた。

そうするとそもそも地方勤務も可能になるので、
「地方勤務・地方再生」が促進できる。
既述「一極集中の弊害」で書いた通り、これまでの都市への
一極集中だと、どうしてもリソースのボトルネックが発生して、
ある一定まで達すると思うように発展性、効率性が上がらなく
なってくるのだが、地方再生によって日本全国の拠点がフル稼働可能となる。

※「現代版防人」でも書いたが、一極集中時代の現世は
どうしても親元を離れざるをえない人が多数存在したわけで
暗黙的な宿命とも言えた。
これは私が言うまでもなく、現代の負の側面として各方面で
言われている通りなのだが、暗黙的な核家族促進と言え、
より踏み込めば家族の絆の分断と言えよう。

これも次第に、というかもはや解明されつつあるのだが、
政治2.0時代のいわゆる左巻きが牛耳ってた時と全く
重なるのであって、暗黙的家族分断とどういった関連が
あったのか、ということ。
(むろんあちらは嘘と秘匿が基本なので、何の証拠も
残してはいないだろうが。
文脈上は真犯人を突き止める事はどうでもよくて、
現在アメリカもとっている手法であるが、簡単に言うと
「だれがどう見てもそうとしか言えない」ように
間接証拠を積み上げていく、ということ。)

ーーー
この道筋によって経済発展しだしたら、また左巻きは
今度は地方再生しないようにわめきだすのだろう。

それを待って、呆れ果てて対処するのも一つであるが、
既述の通り政治3.0の時代は来ているので、そうなる
前に対処したいものである。


2020年5月15日金曜日

オリジナル言語と翻訳語を併記する機構

国際化対応アプリケーションは、インストールした
端末の言語に応じて自動で翻訳された言語を表示して
くれる機構がある。

一般的にはそれで良いのだが、ネイティブスピーカーが
翻訳してなかったりすると返って訳がわからなかったり、
または語学学習者はむしろオリジナル言語では何と
書かれているのか知りたいことが多々ある。

そこで、オリジナル言語と翻訳語を併記する機構を発表しておく。

無論、併記するのでスペース的な制約には大きく左右されるのだが、
機構としては存在していて良いと思う。

・オリジナル言語と翻訳語を同一レベルで併記
・オリジナル言語をルビで併記
・翻訳語をタップするとオリジナル言語を吹き出しで表示
などの併記種類がありアプリ作成者またはアプリ利用者が選択可能。
種類も順次追加可能。

ーーー
上記選択肢に
・翻訳語のみ表示
も含められるので、此の機構はi18nの拡張機構と考えられる。
つまりメインストリームに取り込むか、分岐・フォークか
となってくる。

2020年5月11日月曜日

物理的に得られるものに対して、精神的に得られるものについて

さて、いわゆる左巻きは「総量(面積)計算」によって
最大限の利益を得ようとしている構造理解ができたわけである。

つまり根本が利己で、それを秘匿し金メッキを何重にも
塗ったくり、先兵にはハリボテのコマを大量排出して
「何を言われてもビクともしない。恥さえ感じない」という防御と、
蛇のような執着と陰湿さで1ミクロンでも揚がった足さえも見逃さないという
攻撃を持って現世を謳歌しているのである。

ーーー
構造は分かったので、がんばって相手に寄り添って考えてみようとする。
つまりそんなことを続けて確かに、彼らの利益・利己は充足されている
のだろうが(とは言ってもその構造上からも、結局一時的な「うつつ」でしか
ないと思うのだが。)、では、彼らが精神的に得られるものは何だろうか?
ということ。

これまでも書いてきたが、彼らの構成員がそうだからなのか、またはその
構造を動かしていくと勝手にそうなってしまうのかは分からないが、あちらの
根底にあるのは「不信」である。

よくもあのように四六時中人を疑い続けて、自分が属している「仲間」さえも
「いつ騙されるか、いつか騙されるなら先手を打って排除しよう」みたいなことを
考えながら精神を保っていられるな、と思う。
(逆説的には、人は疑い続けてもちょうど人の一生の期間くらいは精神を
 保てる、ということなのだろう。そして滅する間際に絶望的後悔をすると。)

以上が前提で、では彼らが得るものはというと、ひどく濁って自分でも嫌になる
ような「心」であろう。それしか残らない。
彼らが「活動中」は周りに「お仲間」みたいな人がたくさんいて、みんなが
やっているのだから大丈夫と思ってるかもしれない。しかし構造理解の通り
騙し合い組織であって、ちょっとでも分が悪くなればトップを筆頭にして
一目散に誰も居なくなる。幸い「定年」まで裏切りもなくやれたとしても
活動を停止した人には物凄く冷たい組織であろう。
つまり残るのはひどく濁った自分の心だけ、ということ。
おまけに、構造理解の通り行動原理が利己なだけに、その活動とはつきつめると
利己の為の嘘であったり、人を騙すことであったりということが、「定年後」に
ゆっくり考えると嫌でも分かってくるであろう。
(このへんがお隣のトップの末路がなぜこうもそろいもそろって不幸なのかという
 原因だと思ってたりするのだが。つまり良心に気づいてしまったのだろう。)

何も定年に限ったことではない。病気や怪我でも何でも良いのだが、ふと組織の
考えを抜けて、敢えて言えば自分の本性に立ち返って、それまでの行いを振り返って
みると分かるのであろう。

しかも、実はそんだけ一生を費やしても自分の取り分は大したことがない。
構造理解の通り、既得権益のパイのブン取り(かなり力づくのブン取り)でしかないので、
総量は決まっている。そしてあちらの超頭脳はかなり賢いので、一気に取らずに
時間×その時取れる量という総量計算をして精巧に利己を充足しているのである。

その構造上、彼らが「将来のために」「人類のために」「発展のために」何かを
するはずもなく、つまりイノベーションも生まれるはずもなく、せいぜいコピー精度を
高めるくらいなのである。

ーーー
個人の話に戻り、あちらの組織としては、コマに本性に立ち返られてしまっては困るので、
決してそうはさせないのである。(前回書いた「歯車」参照。そういう悪知恵だけは
イノベーションしている。)
巷に溢れている「最初はこれ、それが出来たら次はこれ」みたいな手法や、
それこそ情報は腐るほどあるので、彼らに適した小難しい論文とかを絶えず課題として
読まし続けるとか、そういった手法は「よく」出来上がっているのであろう。
そして逆の立場のこういった記事は決して目に触れさせないようにしている。

前回書いた通り、それはまるで任侠の世界であって、一旦入ったら出られない仕組みに
なっている。軽い気持ちでなのか、知らず識らずなのか、自己判断基準が甘いと
あちらの巧みな手法に絡め取られてしまうである。
(これも後ほど一本書くが「加担即悪」の気持ちでいないといけないのであろう。)

「本当に何も知らないで」やってたら、法的にも無罪になったり、地獄行きも免れたり
するかも知れないが、よほど道理の認識ができないようなものでなければ、やったことの
結果は認識できるはずであって、最後に残るのはやはり自分の心である。
または開き直って、それが正義と自分を偽れば心が落ち着くかも知れないが、これも
認識能力がよほど欠如してなければ正義とは納得できまい。(または本気で人ならずに
なるか。確信犯になるのだが。)

残るものとしてくっついてくるのが、そういった「実績」である。構造理解上、実績とは
どこか巡り巡って人を傷付ける事とか、嘘とかになっていて、その「成果」として
わずかばかりの「おまんま」代として報酬を得ているのである。
この実績が累積されて臨界点を超えると、現実世界上では法の裁きとなろうし、運良く
現世法で裁かれなくても、子供に言い聞かすような言い方をすれば、地獄行きとかに
なったりするのである。

そして、あちら側で「頑張れば」悪名さえ残し得るが、決して偉人としては名は後世に
残せない、そういう切符か宝くじみたいなものを、なんと無料でゲットできるのであった。

ーーー
まとめると、あちらのやり口だと、たかが目の前のおまんまを得るくらいの利益しかもらえず、
しかも本当に残るのはひどく濁った自分の心だけ。
ちやほやされてた時は気づかなかったかも知れないが、まんまとメッキの富豪になったり
安定した老後を迎えたりして、安住の地を求めようとすればするほど、嫌が応にも利己を貪った
自己を振り返さざるをえず、本来は安住の根っこであったはずの自己の本性には決して
帰れぬ身となってしまった事に気付くのである。(悲惨すぎる。)

社会的に待っているのは、海のような歴史と伝統で成り立ってきた「正常な」社会であり、
その社会をさんざん自分で罵ってきたのだから、「復帰」できるかどうかは自分の心次第
であろう。
自分が属してきたあちら陣営は上記の通り、役立たずになった瞬間に捨てられている。
ここでも残るのは自分だけ。絶えきれなくなって、最後までバカを装って、それまでの
実績を無かったものとして「正常な社会」に復帰させてもらうかどうか。

安心して欲しいのは、そのような人でさえも救済されるという事である。
(または、こういう理解が世間に広まって、あちらのコマが減りだしたら焦り出して
あちら側の老後も保障しだすかも知れない。いつもどおりメッキの保障だろうが。
(保障となると構成員が少しずつ保険料みたいに救済金を出し合って痛み分けをする
思想だが、構造理解上、あちらの構成員が自分の利益から一円さえ出すわけがない
のである。))

2020年5月3日日曜日

我国の組織論

我国の組織論について。

微妙な表現しかできないが、我国の組織は本当に
公の通りの組織しかないという事。
(反語としてその他の国は?と続けて欲しい。)

国の重大事項について、公以外で、その組織のベクトルを
あらかじめ決められるのならば強い。(そしてずるい。)
(国に限らずであるが。小さくとっても大きくとっても)

ここで論は二手に分かれて最後に合流する。まず分岐から。
・我国の組織はなぜそうなのか。
・我国以外であらかじめ決めてる組織のジレンマ。

ーーー
まず我国の組織はなぜそうなのかについて。
これは言わずもがな敗戦によって、組織の「箱」が敷き詰められて
しまったからであろう。これだけ時間が経ってボトムアップで
「横のつながり」など言われて動きがあったりなかったり。
(本当に律儀である。)

さらに律儀なのは、おかしな左巻きが入り込んでもなお、
決められた「箱」で頑張っている事である。
外野から見ると滑稽らしいが、(外野で敷いたフィールドであるはずだが。)
例えるならば、「これでもか」と厳しい鉄格子を張り巡らせて、
猛獣を送り込んだが、最初はやられっぱなしだったが、やはり
適応能力で、鉄格子をアメーバのようにくぐり抜けて、猛獣さえも
往なして、次なる次元に到達したようなもの。
自分で例えておきながら注釈を何点か。
猛獣を放ったというか、猛獣が現れたのは鉄格子を敷いた側からは
意外だった事だろう。猛獣側が虎視眈々と狙っていたと言えよう。
「やはり」適応能力で、と書いたが、これをさせて結果を見る
意味があったのだろう。(潰れればそこまでの用済みにすれば
良いだけ。)

ーーー
次に我国以外で、「あらかじめ決めてる組織」のジレンマについて。
確かにこれをやれば迅速で強くていい事だらけのように見えるが、
理論的に矛盾している。という事も実践側も重々承知していた、
という事。
矛盾とはほころびであって、いくら鉄壁を築いても自らの
矛盾によって崩れてしまうものである。

彼らも早晩解決しなければならないと思っていた事であろう。

ーーー
「だから」なのか、「結果として」なのかは知らないが、
「させてみよう」なのか、「結果として」なのかは知らないが、
我国は公の左も右もそのまんま、開けっぴろげのまんまで
例えいくら馬鹿げていても、忍耐強く、浪費を最も嫌うのに
眼の前で繰り広げられる左巻きの浪費を見続け、いよいよ
政治3.0という解決策を練り上げてきた、という事。
結論終わり。

ーーー
当初の話に戻り、我国の組織論として、手っ取り早くは
他国を真似して、外野から阻害されない「何か」を
作ればよい。

しかしそれは小手先である。しかもご覧の通り左側が猛烈に
反対する。

では「公」で通すしかあるまい。
(左はすべて先手を打って懐を温めてきたと思っている事
であろうが、上記「組織」を容認するか否認するか
既に内部の意識崩壊が見て取れるが、おそらく
いいとこ取りの人の生き血を吸う選択を練り上げてくるのであろう。
めでたし、めでたし。)

確定前に述べる事

確定前に一応述べておく。

※本題の前に、一昔前だと遠回しにしても
口にするだけで、どこで何をされるか分かったものでは
なかったのだが、現状はみんながバンバン、それこそ
実名とかで公然と論じてたりするので、絶世の感がある。
これこそ草の根の声なき声の先人の諸先生方の血の滲む
ような奮闘の結果であろう。本当に有り難い事である。

本論は、この時点で確定か、未確定かいろいろ情報が
錯綜している事案について。

まずは一般認識から。
ここでいう一般は声なき声の一般をいう。
それはやはり若造には無理だったかという事。
(一般大衆のこの感覚が大事。)

世襲の弱点だが、カリスマ性はそうやすやすとは
引き継げないという事。それこそ事例は世界の歴史を見渡せば
腐るほどあるのだが、これだけ文明が進んだ現代において
なぜそれを学習できなかったのか?という点が結果として、
お粗末だったと言われる事になるだろう。
(結果として実践できなければ本当に学習したとは
 言えない、という点は基本なので省略。)

最初に公で目にした人々は、おそらく何かの冗談かと
思った人が多数いたと思う。(この人の感覚。)
最大限ポジティブに考えると、「あちらの帝王学は
世界レベルから跳躍して、実践の全くない若造でさえも
トップに君臨できる秘密の学問を確立したのだろうか?」
というのが当時の意識だったろう。

しかし、というかやはりというか、そうではない事が
この数年で明るみに出たという事。
こうなると話は一気に分かりやすくなる。
つまり世襲によって、世襲前後の総合的な「力」が、
善処しても例えば9割で引き継げた、としよう。
(当局は無論10割と公表。)
しかしこの結果からすると、それはやはり6割とか、
よくて7割程度だったのだろう。

そして問題は次である。
この短期間で6〜7割になってしまった力が、お次は
どう見てもそれよりも弱い形で継承される事になりそうである。
そうすると、どう考えても当初から比べると力は
半分未満であり、臨界点を優に超える事になる。

ーーー
ここまでは誰でもわかる事であり、
つまりそれが表に出てきたという事は、
「世界」はすでに「次」のシナリオ、
「これだけ敷いておけばあとは勝手に歯車は回る」
という「次」のレールは出来上がっている、
と読むのが筋である。
(間違いであれば修正すれば良い。)

2020年5月2日土曜日

休業要請に応じない店に見る構造理解

休業要請に応じない店があるようだが、ここに
端的に構造が現れている。

つまり店の表に立っている代表は、いくら要請や指示を
受けても痛くもかゆくもないのである。

本当の実権は他に握られており、店の代表は社会道徳よりも
影の支配者しか見ていない。
要請に応じてこなかった店も順次応じ始めているが、それは
「実権」サイドが良心を発揮したとか、もはや批判を
逃れられなくなったとか、はたまた批判の影響を将来的に
考えて総量計算して損得を天秤にかけた結果として
要請に応じたのだろう。
(「実権」は事業が失敗したらさっさと他に移ってしまうので
損得の天秤で判断する事はないのだが。吸えるところまで
吸い尽くすのが基本。)

店に立ってる代表はただのコマ、ハリボテでしかない。
そのコマが良心に目覚めて営業自粛するという事は
構造上ありえないのである。
店の代表の目的は、客を入れて利益をあげる事が目的であり、
そもそも道徳などは、「実権」サイドの目的履行で「忙しくて」
省みる余地などないのである。
(秘匿の強みは裏の目的が他者にばれなくて済む事だが、
欠点としては他者に憶測を許してしまう事だろう。
つまり大衆がこれだけ「公共に反する」と店を批判してるのに
なぜ要請に応じないのか?と、大衆はその裏の目的を憶測し
始めるわけで、これも一つの大衆の憶測に過ぎない。)

ーーー
此の構造が左巻きの構造と酷似している。

常軌を逸して日夜他人の欠点探しに明け暮れる徒党を組んだ輩。
どうすればそこまで人一人が、例えば総理個人を
批判し続ける事ができるのか?と疑ってしまうのだが、
こういった構造がわかると理解できる。

既述の通りだが、あれは個人ではなくて、むしろ個人は
ハリボテであって、彼らの「崇高なる」理想のために、
口だけ借りて動作しているだけである。
そこにはハリボテ個人の良心を挟む余地はないのである。
(あな恐ろしや。)

国際会議の場で、どこぞの「代表」がものすごい主張をして
一歩も主張を曲げない事があるが、それこそその代表の
目的は「言う事を言う」事なのであって、その場の流れとか
総意に沿ってとか、代表個人の判断で発言を引っ込めたり
妥協するという選択肢はないのである。(もしそんな事を
して帰ったら、それこそ命にかかわる問題なのだろう。)

ーーー
此の構図はなんだか任侠に似ている。
しかし彼らが「仁義」とかを解してるとかは到底思えない。
(彼らには崇高な人智とかは勿体なさすぎる。)

つまり、任侠の構造だけ真似して(お得意の)、
任侠では仁義が中核にあるのだが、それを都合のいいように
別のものに置き換えているのだろう。

そして一旦左巻きに絡めとられると、歯車として
組み入れられて個人意識とは無関係に動作するしか
なくなるのである。(よくできている。)

ーーー
よくできていて、何か事を成すにはこれほど便利なものは
ないが、政治3.0ではもはや通用しない。

左巻きがハリボテのコマの大量生産で来るから、
ではこちらも木偶の坊の大量生産で対抗しよう、
とはならないのである。

2020年4月26日日曜日

世界構図の理解

なんだか左巻きの思想に毒されて長いことおかしな状態であったが、
政治3.0に当たり改めて振り返ってみると、世界の構図は以下の通り。

声なき声として歴史を継承してきて、地に足をつけて歩んできた
ものが大半であり、その叡智によってたとえ異物が混入しても自然と
排除・融和する仕組みが成立されてきた。

それに対して、反対者が出てくる。おそらく根本原理は至極単純。
例えば「こっちの方が声なき声のマイノリティだ」くらいに行き着く。
負の感情に限らないのだが、なんらかの「核」ができると、それを
元に成長することができる。たとえ本質が嘘だとしてもである。
(これはお隣を見ればよく分かる。金メッキに金メッキを上塗りして、
お家芸なのでいったいどこから計測すればさえ元を辿るのは困難なのだが、
少なくとも例えば戦後から令和の現在まで7〜80年くらいは
金メッキでも崩れずに存在できるようである。(もしかすると
金メッキの最高新記録を樹立することが目的なのか?なるほど
勲章は金メッキメダルということか。))

ーーー
地に足がついた者の排除・融和システムは洋の東西で異なる向きの
意見が強いような気がするが、根本は一緒である。
つまり潰せるなら排除、潰せないなら融和である。

着目点は、その正統、異端に関わらずに同じ方向を見ていた、
ということ。だからこそ排除・融和システムは成り立ってきた。

しかし、ここに素っ頓狂な左巻きが入り込んだという訳である。
どこを目指して言っているのか方向が当初は分からなかった。
しかし最近ようやくその根本は破壊の上に利己を追求することと
判明されたので、ようやく世界が立ち上がったという構図。

ーーー
融和が得意な日本を見るとよく分かる。最初は左だろうが
なんだろうが、市井としては静観。「いずれ社会に馴染んで
溶け込んでいくであろう」と。
しかし一向に馴染まない。そもそもまともな話にさえなって
ないのではないか?人権やら権利やら理論なんだか屁理屈なんだか
すっ飛んでて振り回された挙句に、当初の目的からは
かけ離れた場所にいる。
振り回されることを知ってて、常にこちらの足元を見ている。
何がしたいのだろう?何が目的なのだろう?
しかしあちらは秘匿こそが原理なので、分かろうはずもない。

理屈詰めだとここでストップする。
日本人の相手の気持ちを察する能力の高さをご存知だろうか?
おそらくこれこそが左に打ち勝った根本原理と解明される。

相手が例え素っ頓狂な、せいぜい数世代先の利己しか考えない
ような輩であっても、それさえも包み込んでしまうという
融和が出来上がるのである。

これが現在の世界構図といったところだろう。


※一点だけ脱線すると、左がマスコミと学会を掌握すれば
上手く行くと考えた「超頭脳」はいささか稚拙であろう。
確かに現状のマスコミや学会だけ見れば、世界は明日にも
崩壊することになりそうであるが、声なき声、市井、
地に足を着けて見てみると、「何てことはない」という構図。
(賢明な市井はマスコミの煽りを、優しく聞き流して
 あげている、という構図。)
人類、大きく言えば宇宙が築き上げてきた叡智はそれほど
愚かではない。


ーーー
「押してもダメなら引いてみろ」というように、今回で
融和が有効だとされれば、しばらくは融和の時代に入るだろう。
(1,000年くらい?最近は周期が短くなってきたのでもっと
短いかも。)
しかしそれもいずれ効かなくなり、また力の時代がくるだろう。

大切なのは如何に早く「言語化」するか。(「力学化」するか、
とも言える。)
陰陽師でもないのだが、正体不明を捉えるにはまず、それに
呼び名、名前を付けることである。抽象が具体になる訳である。
理論を見つけて表すのである。みんなが同じメソッドで正体を
共通的に認識できて、認識を共有できるのである。
ここまでくれば相手はいくら逃げても逃げられず、土俵に
立たせることができるのである。
(大抵は土俵に立つ前に逃げ道を掘って行方を眩ませて
しまうのだが。もう少しひねりの効いた展開はできないのだろうか?
おそらく、この辺が次の課題であろう。)

2020年4月25日土曜日

目的インストール機構

目的インストール機構を発表しておく。

「これをやれば/こうすれば」「目的が」「達成される」仕組み・機構。

ーーー
アイデアの発想は単純。
現在、知りたい情報はインターネットを調べれば大抵が望んだ情報が
手に入るようになった。同時に情報があふれて、使う側も鵜呑みに
しないように、などといった初心者へのガイドライン的なものも
できてきた。(まさに黎明期を辿ってきたものであれば、その変遷から
して変な輩が混ざったりして自然と正常・異常は見分けられてきたが、
「これは便利」と、その過渡期を知らないパソコンおたくでもない一般大衆や、
それこそ本物の子供がいきなりインターネット空間に放り出される状況が
発生してきたので、公共の福祉を保つために後追い・ボトムアップで出てきた
こと。)

知りたい情報が溢れているとはいえ、各々が散らばった状態。
では、何か目的を持った人がその目的を達成させた時にどういったことを
学んでいったか?
目的が達成されたのであれば、それと同じ内容を最低限辿れば同じ
目的が達成できるのではないだろうか?(少なくともそれだけの努力を
したという痕跡を本人に残せられる。)

これを恐れながら少し具体化しようというアイデア。
日常生活での例は、それこそ巷に溢れかえっている。
「◯◯が好きなのに、これも知らないの?」
「◯◯を知りたければ、これとこれを先ずは読んどかないと。」
「◯◯を習得するには、◯◯学習が1,000時間は必要と言われてる。」
「◯◯の道に進みたいのなら、やはり入れるのであれば名門の◯◯に
 入るしかない。」

ーーー
最初に言っておくが、これを具体化することの危険性を挙げておく。
イメージで言えば映画「マトリックス」でトリニティがヘリコプターの
操縦を差し迫った状況でも瞬時に「インストール」したようなことである。

この機構がうまく働いて(アイデアとは恐ろしいもので、成功を確信しているから
出す一方で、その計り知れない影響まで考えてしまって戦慄するものである。
おそらく過去のアイデアもそうであったろう。)、誰でも目的を達成
できるようになれば、それまでの名門の存続に直結するからである。
(「名門」にとってはイノベーションの時となるのだが。)

または、個人としても「専門家狂」が多数排出されてしまうのではないか
という懸念。
本当の目的もわからずに、ただ個人的能力が高いのでいくらでも
専門能力を「インストール」してしまって、それを影で見てたヨコシマな
考えを持った連中にまんまと悪利用されてしまう、など。
(これは現状でも同じことが言えるはずであるが。)
(技術・イノベーションによって力関係が崩れるという歴史。)


ーーー
機構としては、「目的」の達成のための前提条件があれば、
「これとこれとこれ」といったような前提条件をスコアリング。
◯◯の資格があれば◯点、どこかのページで◯点だったら◯点。
など。(APIを公開するので準拠してくれて審査に通れば連携する。)

「目的」としては、「ミュージシャンの◯◯をとことん知りたい」や
「◯ヶ月で◯kgダイエットしたい」といった具体的なものから、
「末長く健康でいたい」とか「世の安寧を祈りたい」といった
抽象的なものまで、様々存在するだろう。

これも最近流行のフィードバックを受けて自己改善する機構
(自浄作用という自然の叡智を拝借しているだけだが。)を
使って、次第に目的は拡充・内容も改善されていく。

最初は具体的で普遍的な目的から出発することになるだろう。
つまり完全ランダム抽出でも、例えば◯割は達成できるような
「目的」と「教材・コンテンツ・カリキュラム」など。

いわゆる「誰でもこれだけやればできるようになる」系のもの。
問題は本当にやるかどうかで、実際はやらないからできるようには
なってないだけである。
この機構はやるところまで管理できるのがポイントだろう。
ネガティブな言い方であれば、結果として何もやってないという
後ろめたさの見える化。
ポジティブな言い方であれば、自分のやったことが数値で目に見えて
わかるということ。

この最後の部分の、具体的に何かをするためにはどうするかという
「点と点」を結ぶという作業が、最初に述べた
「知りたいことは大抵インターネットを調べればわかる」という
ことなのであるが、この点には心強いオープンパートナーとして
GoogleやAppleやFacebookやAmazonなどが存在しているのである。
(あくまでデファクトスタンダード的にGAFAを挙げたが、
 無論その他にも数多のオープンパートナーは存在する。)

こうして見てみると、如何に情報が「散らばった」状態であるか
わかるだろう。そこでこの機構によって「目的」と「手段」の
橋渡しをして、自己改善によってアニーリングしていくのである。

(こういう点からして、本機構は完全に自己意欲が出発点なのであって
例え本機構が完成しても、本人が「嫌々」やっては、むしろ危険である。
例えばどこかの機関でこれを一斉導入したとしても、個々人に対して
自己意欲が発端となってるかどうかを、形骸化しないような自己宣告か、
それに加えての自動判定機構が必要となってくるだろう。)

ーーー
こうしてくると、(これは言わば「機械化」が始まった頃からの論争であるが)
オートメーションできる箇所と、現状としてはまだ専門家・名門でしか
ティーチングできないところの住み分けが明瞭になってくるという点で
メリットである。(最初に述べた通り、片やイノベーションの時であるが。)

何より大切なポイントとしては、それまで人感覚(これこそ最大の叡智であって
科学が到底及ばない領域であるが。)でしか分からずに、「これはあそこ」
「それはそこ」としか決められなかったことが、スコアリングされて、
そうすることでフィードバック機構で洗練されていって、今まで
見えなかった「無駄」が見えて改善されることである。

ーーー
SNSとの連携であるが、本機構が「自己鍛錬」であるため、いささか
連携性は薄いと思う。ただし時代の潮流的に連携の道はあっても良いと思う。
ただし、「あの人はあんなにやっているのに、私は。。。」といった負の
比較が発生した時点で終了。
自己鍛錬のはずが自己嫌悪になってしまう。
(SNS連携は実験的に進めていくしかない。)

ーーー
いつの世の中もそうであるが、技術と倫理はせめぎあってきた。
本機構も、それこそ倫理の結集と対峙することになるだろう。
しかし、技術サイド、イノベーションサイドとしては、では
何故の技術・イノベーションなのかという原点に立ち返る。
それは純粋な人類発展を望むからである。
それからしたら、後追いで足を引っ張る輩は可愛いものである。

2020年4月12日日曜日

「馬鹿な世の中にする」の掘り下げ

前述であちらの意図は「馬鹿な世の中にする」と
書いたが、これを掘り下げると「なるほど」と
合点がいった。

つまりあちらの「超頭脳」は総量計算をしている
のだろうということ。
もしも政治が「正常に」機能して何事も円満に
滞りなく進むのであれば、そこにかけるリソースも
軽減でき、いわゆる「小さな政府」で済む。

逆に何かを決めるのにも莫大な審議時間と関わる
集団が大きくなればそれだけリソースを消費する。
人員的な幅を広げて、決定までの時間を伸ばせば、
面積の計算と同様で、それだけ懐に入る総量が
増えるのである。(なるほどよく考えた。)

単純化すれば「反対すれば儲かりますよ」と言うだけ
なので、みなさん血眼になって「突けるポイント・弱点」を
自己のおまんまのために必死になって探っているのである。

あちらの明文化してないモットーが「先ずは反対、
最低でも引き伸ばし」という理由がご理解いただけるだろう。

三毒を地で行く

以前に書いた通りだが、彼の国や集団はまさに
三毒を地で行ってるのだが、それで良いのかというと
良い訳がなく、単純な因果応報でいよいよ
結果・報いが表面に現れてきた、ということ。

前回に証した通り(というか私以前にも誰でも知っていた
ことだが)、彼の国や集団の究極的根本は私利なのだが
それを言う訳にはいかないので、それは秘匿する、
ということ。

まさに先人が嘆いた通りだが、現世でも姿や形を変えて
煩悩が現出するのである。そして「簡単に稼げる!
簡単に食っていける!」ものを目の当たりにすると
人々は易きに流されてしまう、というのも世の常、
ということ。
(その根本は悪かどうか、個人個人で判断基準を
 持たないといけない。自分から悪を選択するものは
 除くが。子供の例え話で言うところの、閻魔大王に
 地獄行きの判定を食らう輩。)

ーーー
以上が基礎知識。
では彼の国や集団の手法はというと、無駄に高度化
されていて秘匿が基本なので表にはなかなか出てこないが、
その手法の特徴として、「相手をいかに怒らせるか、
いかに煽るか」ということが挙げられる。

簡単に言えば感情論の舞台に引き込んでやろうと
言うこと。そうなればもうあちらが勝ったも同然である。
(上手くいかないと本当に実力行使をするから困る。)

そこから見えてくるのは、いかに世の中を馬鹿な世の中に
するかという二次的な目的になってくる。
(それを確信的に誘導しているのか、またはそういった
思想の集団が行動すると結果的にそうなるのかは不明。)

ーーー
具象を見てもわかるが、彼らの中で表の世界の前線に立って
いるのはコマなのであって、彼らは「何を言われても、
たとえ裸の王様でも主張を変えない勇猛なる戦士」なのである。
そのような「対話のスタンダード」を鼻から持ち合わせていない
輩と対峙してリソースを消耗することほど勿体無いことはない。

彼らの言うところの革命とかで、人の価値観とか、感覚さえ
破壊している輩である。鼻から「まともな」議論などしよとさえ
してないのだが、それを言っては生きていけないようなので
そこは秘匿している。
しかし人とはそこまで馬鹿ではなく、相手が腹の中で悪意を持って
言っているのかどうかは、人の叡智としての「感覚」「直感」で
分かるのである。

現在のレベルでは、それが「分かって」も、どうすることもできず
「人権だ」とか言われてしまうと降参するしかなかったのだが、
政治3.0ではそこをこのように具体化して解決していく。
悪行が目に余り、もう野放しは許されないと。

ーーー
世の中は本当に救済である。三毒を地で行く輩もこうやって
救済されていくのである。
人とはどうしようもないが、同時に可愛いものである。

大方の人が「気づき」始めたので、遠からず解決されるだろう。
むしろ私が懸念しているのは、これが解決されても、次は
どう姿、形を変えて出てくるのだろうか?ということ。
おそらくトップはすでに逃亡先、潜伏先を構築済みだろう。

今回はそこまでも先手を打って逃げ得を許さないか、許すか。
これかいかに改心するかどうかが判断基準だろう。

2020年4月11日土曜日

濁悪(じょくあく)

ひょんなことから、方丈記(鴨長明)の全文を精査している。

この「令和(2020年)の武漢コロナウィルス疫病えやみ」とも言うべきこの時期に、
方丈記を改めて1文字ずつ書き起こしていると、現状の世相にマッチして
タイミング的・時空的偶然に震えたりする。

本書の中にも出てくるが、まさに「濁悪じょくあく」つまり
五濁悪世ごじょく あくせ」の世になるか、ならないかの瀬戸際とも
言える状況なので、先ずは身の上の安全を第一に、その上で過去の
これらの肉声・知識に教えを乞い、世を憂い、世界の安寧を祈りたい。

2020年4月6日月曜日

テレワークで地方再生

武漢コロナウィルスによって、経済的なダメージなど
マイナス面が非常に大きい。

会社も在宅勤務(テレワーク)せざるを得ない状況が
出てきている。
武漢コロナウィルスのマイナス面ばかりではなく、
これを好機ととらえられないか?

職種によっては在宅勤務をしてみて、
「あれ?在宅で十分に仕事ができるのでは?」
という気付きがあり、正常化した後も選択肢として、
そのまま残す企業も出てくるだろう。

出社前提だと、どうしても通勤圏が形成されてしまい、
つまり現在の都市集中はごく自然な現象なのであって、
いくら「地方再生」を叫んでも、自然現象には勝ち目が
ないことくらいは、ちょっとでも賢ければ分かりきった
ことである。

そうであるならば、政府はこれを好機ととらえ、「在宅勤務で
地方再生」キャンペーンを行えばよい。
別の原因で半ば強制的に始まった在宅勤務の動きだが、この
現象は「勢い」「加速度」を伴った動きなので、今後、全体数が
増え、在宅勤務が深化し、時間もまだまだあと数ヶ月から
下手をすると十数ヶ月続くのであり、そうなると正常化したあとも
慣性が働いて、在宅勤務形態を存続させる企業が残っていく
はずである。

政府としてはこんなに願ったり叶ったりな現象は滅多にあるまい。
「地方再生」は右も左も珍しく意見が一致しているので、
いつもの野党の反対も少なく進められるので、なおよい。
(まぁ左はいざ始めると、態度を一転して粗探ししてまた
既得権益にしがみついて反対しだすのだが。)

ーーー
これによって、「本当は親元で一緒に暮らしたいが、食っていく
ためにはどうしても都市に住まねばならない」といった、
現代版の防人的悲運を持った、多くの声なき声が救済される
のである。
日本人らしく声なき声で押し忍んできたが、はと気付いて
日本の形を見てみたら、都市の一極「超」集中状態に
なっており、日本全体で見た時の産業効率はむしろ悪く
なっていることに気付いた状態。(都市側が過密で
ふんずまった状態。いくらリソースを集中させても、
どうしてもどこかにボトルネックが発生するので、
そこで頭打ちになる。
では地方を活性化しようとしてもみんな都市に行って
しまってるので、リソースが足りない。)

声なき声で押し忍んできたのにも関わらず、「効率が
悪い」とか言われてしまっては、いたたまれなさ過ぎる。

2020年4月2日木曜日

個人特定法のアイデア

プライバシーや個人情報保護などの法と、
広告業者のせめぎ合い・いたちごっこが
激しいが、今回は個人を特定するアイデア。

(どちらの利になるかは知らないが、
というか表沙汰にしないでやってるだろうが。)

ーーー
単純だが、自分で書いた記事を会社で検索する
ことを検知する機構。

例えば何かを自宅で書いて、次の日検索の上位に
なってるか気になって、会社でキーワードで
検索してみる行為。

こういう行為は無論、自分のキーワードを知ってるので
論点・「キー」で検索する。
しかも一日のあいだ中、息を抜いたときとかに見ている。
キーワードもあまり変えない。

十分すぎる「特徴」である。
これはほんの一例にすぎないが、こういった「特徴」を
繋げるのは現状では「あり」であろう。

そうすると、実質的に、場所はもちろん
「所属」、果ては「部署」くらいまでは分かる。
これに限らず情報を寄せ集めれば「個人」まで
特定できる。という算段。

※なお、本当に今までに誰もこのことを言及してなければ、
このブログこそが、アイデアの「原点」になる。
以降で出てきたアイデアはこのブログを原点とした
アイデアになるので注意願います。

ーーー
無論、統計・分析に特化した方々が日々研鑽しているのであるから
いくらでも「知らない」つながりは日々構築されているだろう。

そしてそれは外にはでない。もうすでに出来上がってるかもしれないが
表には知られないように運用されているのだろう。
(嗅ぎつかれてしまっては、どんな言いがかりをつけて
 責められてしまうか、わかったものではない。)

ーーー
「特定」することは悪なのか?
というところに帰ってくる。
(それが悪だとすると、知らない人に会って、その人を
「見る」だけで法に触れてしまう。
知らなくとも、「コミュニティ」に属して、望むと望まないとに
かかわらずに「会って」しまう人もいる。それさえもダメなのか?
ダメでないなら、逆に何を根拠にダメではないのか?他人のはずである。
哀しいことにこの辺が現在の限界である。
述べ立てるのであれば、それ以前にこれを論拠立ててから公に出たほうが良い。)

2020年3月28日土曜日

経済的な面

ちなみに、そもそものあちらの主義的な箇所であるが、
自分たちではイノベーションはせずに、相手の
イノベーションを真似して、その後に計画経済で
繁栄するという時点で、経済的に豊かになれるはずがない、
ということはもはや誰でもわかっていることだろう。

では、なぜなお性懲りも無く残っているかというと、
慣性がついてて惰性として残っているだけである。

ーーー
そうすると、むしろ抜け出したいのはあちら側
本人だと思う。
そしていよいよ動きが具体化してきた。

あちらは詭道なので、いつもながら先ずトップが
敵前逃亡する。
裏切りの嵐が吹き荒れるだろうから、これまで
熱心に「労働」して功績をあげてこられた方は
裏切られないように注意したほうが良い。
(というか完全トップダウン組織なので、重要な
情報も上から順に掌握してるので、綺麗に上から
抜けていくのだろうが。)

政治3.0。冷静になって考えよう。人類はそこまで馬鹿ではない。ただ分かる人と分からない人がいる。

冷静になって考えよう。
人類はそこまで馬鹿ではない。
ただ分かる人と分からない人がいるということ。

ーーー
このような非常事態にも関わらず与党の批判や
揚足取り、足の引っ張りしかしない野党を見て、
果たして国の最高意思決定機関がこれでいいのかと
多くの方々が思っているはずである。(ずっと前からだが。)

良いわけがない。

現状のまま、つまりボトムアップのままでは何も
変わるまい。左巻きが見透かして権利やらを主張して
変わらせまい。

よって、世の賢明な・聡明な方々で科学的・理論的に
あり方を見直すべきである。
政治のバージョンアップ、政治3.0の時である。
(政治1.0 : 初期の「正常な」時代
 政治2.0 : 左巻き思想が入って、かき乱された時代)

ーーー
そもそも「健全な」「理想の」議論とは、解決すべき
議題・目的があり、その実現方法としてA, B, C, D...と
複数の案があった時に、それぞれの立場で意見を主張して
お互いの主張を認め合い、認めるからこそ譲歩すべきとこは
譲歩して解決の糸口を見つけていくのである。
(ディペード。ディペードでは相手を批判しないことが
 トップくらいのルールだと思ってるが。)

現状の国の最高意思決定機関を見てみると、前回書いた
小学生の議論の例をとると、相手の意見を罵って、
自分の主張だけを感情的に述べ、最後は権利を盾にして
絶対に譲歩しない生徒のようなものである。
本来の議論の目的ももはや忘れ去られて、周りのみんなは
「あぁ困ったな」という状況。このような困ったちゃんに
小学校時代に遭遇した方もおられるだろう。

この「あぁ困ったな」という感情は正常なのであって、
人の感覚は英知の結集なので、科学的に解明すると、
科学的根拠がある、という例がいくらでもある。

つまりこの辺に解決の糸口がある。


議論においての、相手に対する反対意見は大きく
2つある。

1種類目は相手の意見を考慮した上での反対意見。
相互理解=コミュニケーションとしての反対意見である。

2種類目は自己主張としての反対意見。
自分の立場はこうですとよ。

(根本を辿ると全て2種類目になるのかもしれないが、お互いに
2種類目を主張し合っても何も解決しないので、「議論」して
角をとっていきましょうね、という最初の話に戻る。)

2種類目を固持すると意見が感情的になったり、果ては
問題を細分化して、「理論化」して(世はこれを
屁理屈というのだが。)、「ここの最後の末端の
条件が疎かにできないので、巡り巡って賛成でき
ません。そうですよね「論理的」に。」などと
言い出してしまう。

その議論をしている集団が弱くて、こういった2に
負けてしまうと、本来の目的とはかけ離れた、
「何をしたいんじゃ、これは?」という法案が
通ってしまったりする。(過去にもそんな例が
ないだろうか?というかそんな例ばっかり?)

2種類目を固持し続ける人は、そもそも「議論」というものが
1種類目になって議論することであるはずなのだが、
かけ離れれしまってて、そもそも「話にならない」
「議論にならない」ので、まずはそこを身につけて
きてから出直してきてくださいということ。
(既述「対話のスタンダード」の理念)

※科学的解明が必要な箇所:
論理の一本でも糸が通ってれば、末端から、
というか末端にこそ「肥やして」、下から
上へ築き上げようという魂胆が、嫌という程
明らかだが、
論理としては、下に嚙み砕くほど、その程度に
応じて係数をかけていくことが「本来」であって、
これまでの「自然」を見ても、その秩序を保って
こそこれまで成り立ってきたのではないか?
「本来」と「自然」を科学的に論拠立てていただきたい。

(もしも末端の異物が勝るなら、全人類ががんで
滅亡している。「私は悪人です」とは誰も言うまい。)

(「科学的に解明」というのは、すでに学問領域が
かなり侵食はされてるものの、それが仇となるのだが、
学問機関は崇高しているのであって、一応(と言っては
大変失礼なのだが)人類の英知として誰も侵すことの
できない領域として、左巻きでさえも従ってる領域で
あるため、「科学」「学問」的に証明できれば、
いくらもがいても、自らが制圧してきた(と勝手に
信じてきた)学府から、科学的に論理崩壊を
指摘されるに至るのである。)

ーーー
次に、上記「2種類目」を固持し続けられるようになるには、
簡単に言うと「阿呆」になることである。何があっても意見を
曲げない、何を言われても平然としている、如何に恥ずかしい
ことでも「目的」のために厚顔を貫くモノである。

街の真ん中で大声で自分の主張をして、「度胸をつける」
「箔をつける」などという催しがあるようだが、裏としては
2の人材育成だろう。

こういった「コマ」に前衛に立たれると議論がストップして
あちらの目的が達成されるのであった。(めでたしめでたし)

ーーー
次に「2種類目」が狙うのはどこか?無論「弱い」ところが攻めやすい。
政治1.0時代は綻びだらけであった。ただし皆が同じ目的を
共有していたため、上げ足取りや重箱の隅を突いてくる
輩はないかった。

そこから政治2.0になった最初の頃は、「攻撃」し放題であった
ことだろう。攻撃にあった集団は、それまでの伝統・良心を
持って対応するしかなかったので、何とも心細かったと思うが、
何とか現状に落ち着いている。
(そもそも2種類目は集団論からすると異物なので、受け入れ側の
集団・組織は「何とか融和できないものか」といった過程の結果と見るべきか。)

ただ、教育関係やメディアはことごとくやられた。
(こちらは「弱いから」という理由ではなく、確信的に
攻めたのであろうが。)

相手の弱点を見つけて攻撃すれば「褒めて」もらえるから
簡単なものである。それでおまんまが食べられるのだから、
「もうやめられない」境地だろう。
政治1.0などは性善説的に成り立ってきたものであるから、
攻撃できる箇所はいくらでもある状態だった。
弱点の攻撃を個人でやったら単なる嫌な人だが、徒党を組んだり、
国を挙げてとなってくると「哀しく」なってくる。
(相手の弱みを常に見張っている人の、あのやっかみ持ちの
ような、蛇のような目はいつ見てもぞっとする。
そんな人たちが徒党を組んで内部では一体どんな腹の
探り合いが繰り広げられているのだろうか?
そんな組織があちらの「理想」らしいから、どうぞ、
さぞや幸福に人生をお過ごしなのだろう。)

ーーー
何だかあちらの教科書みたいになってきたが、相手を知った上での
話なので当然の流れである。
(またあちらも教科書は公になってるので、それをそのまま
なぞっても問題はない。)

根本にあるのは利己のための破壊・暴力である。
ただそれを言っては「私は悪人です」と言ってるのと
一緒になってしまうので、その部分は深く隠している。
根本からして正体は表に出さないのが特徴。

既成事実・既得権益を破壊して、自らが利己のために
新しい既成事実・既得権益となる。根本が利己のために
将来はどうなっても良い。(いつも言っている
「せいぜい数世代」しか考えてない、ということ。)

人の「感覚」までも破壊してるので、あちらさんの
具象をみると身の毛がよだつのも尤もなこと。

そういえば自ら地球人ではないことを、本当の本気で、
つまり正気であれば恥ずかしくて子供でも言えそうも
ないことを、情けないことに国のトップが言っていた。
秘匿が本務であるはずなのに、こんなに正々堂々と
「左とは「正常な」人としての感覚は持ち合わせていない
集団ですよ。」とトップが言ってしまって大丈夫だろうか?
と逆に心配になったものである。
(しかしこのお陰で誰でもこのことを公で発言できるように
なったため、みんなから喝采を受けた。そしてその後も
その人は特にあちらの「お上」からお咎めもないようなので、
あちらの「超頭脳」もこの論理崩壊に気付けなかった?
いやそんなに「超頭脳」が愚かではないはずなのだが、
あまりにも事が大きすぎるので、お得意の開き直りか?
と、これもまた多くの人から憶測されることになった。)

ーーー
社会は議論の結果としてルールを作ってきた。
最後の最後まで折り合いがつかずに「哀しいけど」ルール化しなければ
いけなかったものもあろう。

政治3.0への持っていき方であるが、「2種類目」はやはり「議論」の
崇高なる理想をはなっから理解できてない、理解しようとも
していないので、「哀しいけど」何かしらルール化するしか
あるまい、ということ。
これは決して排斥ではないことは、これまでの既述を「理解」
できれば理解できる。

つまりあちらさんの決して譲れない「権利」も内包する。

「本当の」2の人は社会的弱者なのであって、優しくして
あげなければならない。(集団の英知で昔から優しくしてたが、
左が群がり出して、あたかも優しくしてないことに
させられてしまったが。)

日本はそうやって、相容れないものも優しく包み込んで
「よしよし」と生きる道を一緒に見つけてあげてきた。

英知であり、解決法である。

ーーー
これらは無論私ごときが言うまでもないこと。
世には遥かに賢明・聡明な方々がいる。

結論としては「対話のスタンダード」が議論する上での
基本的要件となることである。

ーーー
後記としては、上記の通り直接的には大陸のコロナに始まり
コロナのために、世界のみんなが「力」も恐れずに開けっぴろげに
民間からも声が出初めて、あちらの「陰湿な」やり方よりも
「公」が勝ったということに他ならないことに、
改めて激動を感じている、と言ったところか。
(無論まだまだ気をつけなければならない。)
(声なき声が、メディアの「頑張り」も虚しく
主導した通りにはなりようがないこと。「世」は愚かではない。
むしろその「頑張り」に「慈悲」を感じて
援助までする暖かいお年寄りまでいる始末。
よほど救済されてる。ふぅ。
これで編集後記を締めます。)

2020年3月25日水曜日

この過渡期の大切さ

「相転換」とはやはりこれほど劇的なのだなと。
千年単位くらいで見ると大樹の節のようなもの。

どういうわけか集積して発散する。

既述の通りなので詳細は繰り返さないが、
こんなに具体的に既述しないと理解できない、
できなかった方々がいたことが哀しいということ。
(今まで熱心に読んできてくれてた方々には
「何回繰り返すのか」と言われてしまう。)

ーーーー
最近のご時世は楽になって、そこまで
「潜らなくて」も一生を安泰に過ごせてしまう。

千年単位で見た時の節とは何か、
ーーーー

「ちゃんと考える」ことを標榜としているメディアである
ならば、なぜ知識の真相に潜らないのか?
民衆は阿呆ではないので知っている。
おそらくメディアも阿呆でない民衆を知っている。
それでもメディアは「知った上で」続けている。
それを民衆も知っている。

結論としては「何かしらの操作ができそうだ」と思って
実施している輩にやらせて、結果が彼らの求めた通りの
「せいぜい数世代」の利益として彼らに還元されれば、
それで彼らも大満足なのではないのだろうか。

ーーー
これが下らな過ぎて、故に誰も書こうとしてこなかった
所以である。根本と突き詰めると、先代、先先代の
苦労が勿体無いすぎるので誰も書けなかったのである。

おそらく、今日はこれくらいで終わるが、「ちゃんと
積んできたもの」は、無論「無音」なのだが
というか私のような輩がその端々を出してしまって
いいのか思いやられるが、西洋音楽で言うところの
「重低音」は長く広く響くことだろう。

2020年3月22日日曜日

口蹄疫について再掲

既述の通りだが、口蹄疫が日本で広まった時に
「メディアは広まった後だけをワーワーと
不安を煽るように報道しているが、では、
出処はどこだったのか?という、小学生でも
持つ疑問となると、途端に口を閉ざす。
メディアに関わってる人は一気に熱を失って
根本を追おうとはしない。」と書いた。

あまり周期的なルールは知らなかったが、確かに
10年くらいの周期である。(結果を追う考察なので。)

結果を追う考察は置いといて、当時の論としては
「果たして誰か病気に罹患した、例えば鼻を
ゴム手で触って、外して、バッグに入れて、
一般市民で、空港も何も疑われずに通って、
国内に来てそれをはめて国内の牛の鼻に触ったら
感染するだろうな、ということ。
サスペンス風にこうやって書くと、あたかも
黒い服を着た誰かがいたと思うかもしれないが、
誰もわからないということ。
(無論阿呆でもないから、足が着かないようにしている。
そこではなくて、「悪意」を持った輩がいたとすれば
未だにそれを防ぐ法も、手段も整備されていないということ。
あの時にあれだけ、具体的に損失を出して、肌感覚で
「痛み」「苦しみ」「飢え(これが一番きつい)」を
味わったのだから、「法も、手段も」整備されたこと
であろう。)

ーーー
それを踏まえてなのだが、今回のコロナは逆に
分かりやすすぎて、サスペンス好きには冷笑されて終わる。
(国を上げてやっているのだから、もう少し、せめて
小学生レベル以上にしてくれと思ってるだろう。)
突き詰めると、出処は「金」なので、仕事は雑である。
「やって」「金をもらったら」「あとは知らん」)

ーーー
突き詰めると敗因は、「現代」と思って、探偵小説や
現代法よろしく、アリバイさえ作っておけば
何をしでかしても良い、と「国」として意思決定して
しまったことであろう。
(世の「頭脳」はこれくらいのことは、とうに「理解」
している)

数千年を費やしての「骨董」思想国家と思われる
所以である。

こういった「骨董」的考え方は、無論、末端の細部を
個々にみると全て正しいのだが、では全体を俯瞰してみると
「正しく」ないのである。
ここが哀しいかな現生法の限界なのであった。

ただ、現代の限界・欠点を把握した、ということが
大きいのであって、把握し、定義できれば、克服できる
のである。

例えば、どこでも対処に苦慮していると思うが、ものは
使いようというように、彼らの粘り強さを買って、
対外的な世論戦術の矢面に立つように誘導してあげれば
良いのである。彼らも生きる道を見つけて、嬉々として
対応してくれるだろう。
(いつもの通り、ちゃんと皮肉を皮肉と受け止めるように。)



解明のしあい

前号までの通り、ここまで開けっぴろげに
一般庶民まで浸透してきたのであるから、
まさに右も左も「解明のしあい」の様相を
呈してきた。

つまり権利だ少数だとか便宜のいいことばかり
利用して便乗してきたあちら側。
それこそメディアを牛耳って、大衆はもちろん
そういった少数派も含めての、あたかも世論の
代弁者面をしているわけだが、そのようなことは
前述の通り「誰でも」知っているだけである。

発信に特化してるため、発信しないものは
何の意志もないと短絡している時点で、
いや上層はそこまで阿呆ではないはずで、
その危険性を知っている・知っていたはずだが、
やはり組織構造上、イエスマンしか上層に行けいない
ため、まんまと情勢判断を謝る体制に自ずから
した時点で負けであったのだろう。
(ほったらかしにしたというか。)

「世論」の構成員とはそこまで愚かではないのであった。
という結論。それに数年だか数十年だか数百千、数千年を
浪費してきたということ。

これ自体が一般庶民の言葉なのであって、メディアが
懸命に流している情報も知ってるし、懸命に秘匿くしている
情報も一般庶民は知っているのである。(大陸をみよ。というのが
一番わかりやすい喩え。)

こんなに金をかけて情報操作しながらも、いざ「世論」調査を
してみると与党が遥かに勝っていたり、いざお上の話になると、
おそらく統計を取ったこと自体を亡きものにしているのであろう。
(彼らの構造上、トップが全能なので、この「失態」をした時の
怒りようは凄まじいのだろうな。そしてその部下たちは可哀想だな。
「正義」と思い込んでまんまと利用されてきた人はなおさら
いたたまれない。)

そもそもメディア自体がこのように、報道の精神さえ曲解して、
あることないことを垂れ流しているのだから、その反動として、
一般庶民、彼らの言う「世論の構成員」は、これまでメディアに
焚き上げられることを恐れて関係ない人のふりをしていた声たちも、
SNSなどの新しいメディアの力を借りて、正々堂々と「声」を
上げていくのだろう。

(この理論自体はSNS黎明期に記した論と何も変わってないが、
いよいよ具体化してきたので再掲した。)
(いよいよ国家レベルになってきたということ。大切なのは
「その後」であって、「構成員」は愚かではないが、ミスリードを
してはいけないということ。)
(所謂「左側」に加担してきた方々は、どうぞ潔く相転換後は
隠居でもして、それでも地球の資源を消費しながら、ありがたく
生きながらえることにでも満足して、おとなしくしていてもらいたいの
だが、おそらく彼らの面の皮の暑さでは、何の恥じらいもなく
素っ裸で外を歩けるのであろう。)
(それらも、ちゃんと「よしよし」と抱擁していかなければならない、
ということも含めての「その後」である。
考慮することが多すぎて、大忙しだが着々と対処して
行かねばなるまい。当事者はどうぞ手抜かりなく。)



2020年3月20日金曜日

情勢についての余談

先ほどのブログに付け加えて述べておくが、
現在の激変は過去になかったと感じている方が多数。

つまり一般市民感覚だと、戦後?(昔過ぎ?)から
経済成長して、これまで、インフルエンザで休校になったり
自然災害で出勤できなかったりするぐらいで、
例えば都市とか国家規模で発令がなされることはなかったのである。

ニュースでどこかの国が戦争して、不謹慎であるが恐らく多勢が、
学生であれば「学校行けなくなっていいな」とか、会社員であれば
「会社行けなくていいな」とか言うくらいの庶民感覚であった。

ある意味、平和ボケしていたという「一般市民感覚」と
言えるかもしれない状態だった。

それが今回、政府の一声で全国が一斉に動いた。
これは何も特筆するべき何事でもなく、「当然」のことなのだが、
これでようやく「有事」の際の「現実味」が少しは湧いたのでは
ないだろうか?
(無論そのことは記事として特集を組めばかなり面白いのだが、
その面白さを知っているメディアは、決してそんな特集は組まない、
否、組めないのであった。それをちゃんと認識してあげましょう。
暇だったらやり玉に挙げるとか。日常やられてる分として。)

常に寝ぼけたことしか言ってない、左側もようやく寝耳に水を
食らったのではないだろうか。
(無論、左側の頭脳は全能なので寝耳に水ではないだろう。
末端のコマについて。)

ーーー
このような非常事態にも関わらず、政府の重箱の隅を突いている
輩は、いざ有事になっても、どうぞその姿勢を変えないで頂ければと思う。
(そしたら今度は人権だとか言い出すのだろう。)
つまり平時、有事関わらず政府を言及しているというのであれば、
いざ有事になっても、平常通り淡々と桜の話でもすれば良い。
(そしたら今度は人権だとか言い出すのだろう。)
すばらしいかな、個人の安全とかも投げ打って見事に
桜の話をされればよろしい。(誹謗とかいいだす。)

ーーー
「あちらは感情がないので良いが」、というのはまんまと
罠にかかっているので言わないようにしましょう。

確かに、世には出ないが、あちらに対する「対処」は
数多存在するのでそういったことはどんどん明るみに
出しましょう。というか、いよいよ、そもそも「勢力」が
亡きものになる現状であれば、いくらでも、それこそ喜んで
「売って」くれる人が続出するだろう。

ーーー
単なる独り言。

改めての再認識でしかない

私が言うまでもないのだが、今回も形を変えての
改めての再認識である。

つまり世の中は表層であるということ。

表層とはコロコロと変わるものなのである。
ーーー
恐らくというか既定路線化しつつあるが
天変地異もあって天にも見放されつつあるのか
わからないが、(少なくとも特にそういう
まやかしや風水を未だに主軸においてる
お隣の方たちの後押しにはなってるかもしれないが、)
いよいよ大陸が崩れると「みんなが確信」
したのであれば、それまでの「既得権益」は
それは見事に恩も知らずに寝返っていくであろう。
(繰り返すが、私が言うまでもない。小学生くらいまで
知ってる。)

それが詭道の末。それまで詭道で儲かっていたのだから
どうぞ償いの人生を歩んでください、ということ。
誰も償いの人生など歩きたくないから、嗅覚鋭く
去っていく。(人とは可愛いものだ。)

これまで敢えて抽象的に言ってきたが、これからは
目の前の人達が現世の具体として行動していくのである。

表面として顕著なのはメディア。まさにいつの世も翻弄されている。
(これも私が言うまでもない。)
我国の詭道トップバッターも真っ先に寝返って「むしろ」戻ってくるのではないか?
語順も並べ替えたり、そもそも由来も不確かな文字も削って
あたかも我国を代表するような名前にまんまと、ちゃっかりと
居座るのであろう。

メディアを信奉していた方々には、卒倒してしまうくらいの
「怒り」が沸き起こってくるのであろうが、そもそも「メディア」とは
そういったものだと思ってきた人には、「そういうもんだよね」と
今更感しかない。出処さえ不明(自己主張を除く)なのだからあまり
信奉しすぎないほうが良い。(インターネット・SNSの広がりで
「自然と」情報親和性が使われているので、大半は問題がない。
先生方の言う統計学的に若干流されてしまう方々がいるということ。)

ーーー
そうはいっても「大衆」の「慣性」は常に気をつけねばならない。
マスク騒動、紙騒動しかり。
例えばメディアが、というか各国の中枢が「いよいよきたか」と
顔を見合って「では」と厳かに準備をし始めたことを、まんまと
嗅ぎつけて超特大スクープなのだが、ことがことだけにまずは
自らの保身を確保しなければならない。つまり発表による影響を
シミュレーションして、当然自分が崩れないような道筋を考えてからで
ないと報道するわけにはいかない。
つまり「大衆」が知る時にはすでに報道側の、最近お得意の「権利」やら
「自由」やらは120%くらいは確保されて出ているのである。
会社という組織、団体が、例えるなら「山」が、すでにその方向で
動いているのであるから、その報道を知った個人がそこから動いては
遅きに徹しているのは致し方ないのである。

殊にこういった国が久しぶりに動く今この時には尚更である。
(ミスリードになってないかな?そもそも誰も読むブログでは
ないので問題はない。)

恐らく「なぜ誰もわからなかったのだ。」「いや、私は知ってて
どこそこに書いていた」とかなってくるのだろう。

ーーー
改めて話が戻るが、いざそうなって、大切なことは「その後」である。
「そう」であることが既定路線であるならば、恐らくすでに
「その後」もあらかた決まっていると読むのが筋。

「その後」も今と同じマインドセットの人民では同じ結果になる、
ということは既述のブログを参考。
「その後」を考えることが大切なのである。

ーーー
「その後」を考えるにあたって、希望的観測なのか、憶測なのか
誰もわからない。
表に出てこない「超頭脳」でさえわからない。
しかし「人」とは施政者以上に「わかる」ものであることは
歴史を知っていればわかる。
つまりまんまと「その後」を「設計」しようとしている場合は、
例えば「白紙の状態から」「設計」できるとは考えないほうが良い。
その時点で時代は逆戻りする。(もう少しはっきり述べると
あちら勢力のやっていたことと何も変わらないということ。)

ーーー
いざ解放されたその刹那なり、境界的な隙間なり、「人」は
見事なまでにありのままを捉える。

つまり現在の情勢。何が本当で何が嘘だったのか。
(言うまでもないが)この説明で充分であるが、具体化しないと
分からないものがいることが哀しい。
(世の哀れみとはそういったこと、そういった層で
あったと思う。)
こちらは「正に」「いた」「あった」ことを
そのまま堂々としていれば良い。
(いつまで「誠」が勝つみたいな、誰もが
わかる倫理を国家規模で演劇を演じなければ
ならないのか。その浪費を悲しめと言うことも
既述のブログを参照。「一生は限られてる」時点で
「リソースは限られている」のに、何でそんなに
リソースを無駄遣いできるのか?それこそが
せいぜい数世代しか考えられない脳しか持ち合わせて
いない証左であろう、ということも既述なので
よければ参照。)

つまり「まんまと」「暴かれる」のである。
このエネルギーはそうれはもう強かろう。
(あな恐ろしや。)
(付け加えると「まんまと暴かれる」時点で
「頭脳」の負けである。かなりの大半の人は
「知ってた」と言い張るだろう。
つまりよくもこんな西暦二千何年にもなって
骨董の思想が世の中に国レベルで残ってていたのだな、
という、例えば千年後に恥ずかしさで
いっぱいになると思うのだが。誰もそんなこと
までは気にしないのだろうか。(平和だな。)
(これは皮肉なのであって、ちゃんと
皮肉と認識して、正常な感覚を持っているのであれば
ちゃんと怒りを覚えて正常化していきましょう。)

2020年3月18日水曜日

欧州制限について

いよいよ欧州からの制限も追加された。

政府として制限を決定した時点で当然の
流れだが、それではこれまで散々喚き散らしてきた
左側陣営の出方を見てみよう。。。


なるほど。答えを見るまでもなかったか、
ということ。


では現実世界をどうぞ。SNSなりなんなりで
お楽しみください。

2020年3月17日火曜日

コロナに関して、あの機関の操られっぷりについて

コロナに関して、あの機関のトップの操られっぷりは凄まじいが、
ここまでくると、買収されていることを
アピールしてるのではないかと見紛うほどだ。

しかしこれはある意味、これまでは内部の人は内情を知っているが、
言えば職を失うから言えなかった状態だったが、よもや
トップが自ら白昼のもとにさらしてくれて助かったと
思っている人が多数なのだろう。

そうなると、トップもへこへこと馬鹿なふりをしながら、
良心に立ち返って、組織の腐敗ぶりを内外に示すことが
できる好機ととらえて、買収アピールに打って出たのかもしれない。

(違うと思うけど、違わないかもしれない。)

結論というか結果論としては、こういった「国際」なんちゃらや
「世界人権」なんちゃら機関というのは左側勢力の格好の
餌食になるということが白昼の下にさらされたということ。

もしも本当の真実が晒されるとブーメランで金の出処に
戻って行ってしまうので、それは今回の機関のトップにも
当然「制裁」が降ってしまい、可哀想であるが、おそらく
それを覚悟しての上の告発なのだろう。

なお、左側にやられた例として、ちょっと前のヒステリック演説も然り。
(子供を使って不安を煽る戦略。不安を煽って金儲けができるとは
なんて楽なんだろうか。)



2020年3月7日土曜日

訪日について、その2

訪日が延長された。
これまで最大限の努力・配慮をしてきたのだが、
これは明らかに、つまり誰がどの国がどう見ても
あっち側の都合で延長したということ。
つまりあちらがこちらへの貸しを作ったということ。

ーーー
こちら陣営もようやく、国際政治は「貸し借り」で
成り立っているということが分かって、実践できる
ようになってきたということ。

言葉には出ないが、表層上は誰でもどの国でも
そうとしか受け止めようがない貸し借りを演じていくもの、
という暗黙の了解で、現状の国際ルールは
成り立っているのである。(ある意味、そこに
落ち着いた。)
(哀しいかな、そうでないと実際の民衆がついてこれない
現状があるということ。)
(この辺がまさに現状の混沌の原因ということ。原因まで
もはや突き止めたので、もはや解決されるというか、
こうやって地道に解決して行っている。
つまり上も下も右も左も見境なく混沌と混ざり合っているのが現状。
こちらも先進を謳っていながら、よろしく権利やら少数やらを
振りかざして「加担」だけしている輩がいるということ。
防波堤がないことをいいことに、わんさかと押し寄せてきている。
これを言われて、正しく反論できないのが現在の言論状況、
言論レベルということ。政治・倫理・言論界隈のレベルアップが
問われているのである。)


ーーー
ルールと裏の理論が分かって、ルールと流儀に
律儀である以上は、詭道には負けようがない。
と言ってしまえば儚すぎるので誰も知ってて
言わないのだが、まぁそういうことであろう。

これがこのように一般レベルで現実に出てきている
ということは、裏はすでに完全崩壊くらいしてる
レベルということ。

世の一般はそれを後追いで見て拍手喝采している
のである。(いい悪いは抜きにして。)

2020年3月6日金曜日

根源の一つ。論理の飛躍。少数派取り込みの力学。

論理の飛躍がまかり通っている。

つまり少数派が、即権利を持つこと。
それでは野党即与党となる。(これが目論見)

本当の少数は徒党は組まないのである。
(少数と本当になった身のこともわきまえないで、
ずけとずけと押しかけること、甚だしい。)
少数派の「集合」は徒党ではない。

ここの基準が曖昧なので、付け入る隙になっている。

力学を記しておくと、
少数派に左寄りが加わって、徒党化を促進しているということ。
(いくらでも事例がある。)

これくらい力学が示されれば、足がかりとなり
詭道の瓦解も促進されるのではないか?



2020年3月4日水曜日

感動の強さの力学

世のプロダクトの手法は感動。


なぜか?
それは感動は継続するからである。
重力と一緒で、持続される力は加速度となる。以上。

説明を続けると、加速度が付くと何もしなくても
勝手にあっち側からやってくるのである。以上。

過去から散々言われていること。
継続は力なり。
経済で言えば複利。

実はその裏の力学は単純なのである。

(もはや教科書に載る基本法則だと思うが
 基本法則を記す。)

マスク不足、基準を誰も言わない

マスクや紙がパニック的に買い占められて不足している。

これまでは
マスクはそもそも必要だったら買う程度。
紙は無くなったり、無くなりそうになったら買う程度。
だったのだが、個人の「合理性」によって
個人レベルの備蓄が始まったわけである。

「個人レベル」というのが大きくて、個人×量なので
あっという間に無くなったわけである。

そしてそれら「個人」の前提意識としては、
「今買っとかないと無くなる」ということ。

こういう精神状態になると、金魚と一緒で
「あるだけ買っておけば間違いがない」となるわけである。

これは決して批判でもなんでもなく、むしろ
聡明であればあるほど、行動も早く、というのも
抱えるものも大きいであろうから、上に立つものの
「判断」、「英断」として、そうなってくるのである。

本題に戻るが、上記までの思考過程で抜けている情報がある。
つまり「ではどれだけ備蓄していればこのような状況でも
安心できる量なのだろうか?」ということ。

右も左も、強者も弱者もワーワー喚いているが、肝心の
基準が「なぜか」誰も言及しない。(意図的?)

よってここにまずは基準を記す。
一人1日一枚として、通勤・通学の基準的な一ヶ月の日数の
20日とすれば、一ヶ月持ちこたえるのであれば
一人20枚/月
である。
母数が少ないので、バッファを加えるとしてもプラス5枚程度。
安全を見ればプラス10枚程度。(1.5倍。そうすると30枚になるので、
休みも含めて毎日新しいマスクが使える。もはや標準偏差や
標準分布とか難しいことを考える必要さえない。逆になぜこんな
簡単な理屈がまず真っ先に出ないのか?「報道しない自由」を
盾にしている?この基準をすっ飛ばして、全国の「マスク争奪戦」を
嬉々として報道している。「どこを向いて放送しているのか?」とは
昔から言われているが、まさにその通りである。キャスターも良心が
あるのだろうが、諸先輩方々も含めて、あくまで私情を捨て去って
原稿を読むことに徹するように、それこそ「道」ができているのであろう。
(誰がどう見てもプロバガンダ時代の風潮が色濃く残っている。)
(これこそが、左側の思惑の「知らないうちに加担させる」こと
なのである。真面目に頑張って就職や教授コースなどに入ったのに
まさか加担者になってるとは誰も思わないのである。また、もしも
気付いたとしても、「いよいよこれからだ」という船出の青年が
そうやすやすと辞められるものでもないのである。
まぁ、これがこうやって一般レベルでさえ認識できるレベルになってきた
ということは遠からず是正されるのであろう。そして、左側もむしろ
それを、というかこの記事などを見ていて次の素晴らしい対策を練るので
あろう。))


個人が最大でそれだけを毎月買ったとしても、供給側としては
需要を軽く上回る、これだけ生産してますから余裕ですよと。
そういう話。(買う側への安心感の提供。政府も言及したが、
こういった構造を理解して聞けば分かるが、一般的には単に
「まだまだあるから安心して」と供給側だけのことにしか
聞こえないので、あまり安心できてない結果になっている。)

これでこの基準が間違ってるなら、どうぞ批判すればよくて、
それでこそようやく基準を考える足場ができるのである。


中には超心配性がいて常に最低1年間の備蓄がないと安心できない
人もいる。そういった人ももちろん備蓄して良い。
それらを含めてのバッファ。
(こういうことこそが本来の少数派救済なのだが、左の人はすぐに
「じゃああれも、これも」と、お得意の「粗探し」で母数確保だけを
目指される。それは何でも膨れ上がってしまう訳である。)

今回の事態は「みんな」が、「超心配性」になった事例。
そりゃ供給が不足する。

ーーーーーーーー
「賢明」であるならば、上記「基準」を元にして備蓄するべき。
それ以上は「パニック的買い占め」と自分を律するべき。
簡単だが、なかなか、こんなに発展した「現代」にあっても、
「実践」することの難しさということ。
(以下は既述の、「如何に地に足がついているか」を参照。)

ーーーーーーーーー
もしも「聡明」でない輩だらけが徘徊する世の中に
なったのならば、哀しいかな「規制」を設けるしか
無くなってくるのである。ふぅ。
各トップや各個人の聡明さが問われている訳である。

2020年2月28日金曜日

歴史深層学習

各国が競って開発しているが、歴史深層学習機構がある。

歴史は事実と結果の連続なので深層学習にうってつけであり、制度が高まると未来予想・予測に使えるのである。

(大陸は自分たちで開発したAIの将来予測結果が「破滅」しか出さないので、研究者はいつも通り見なかったことにして、お上には大繁栄する結果が出たとでも言って悦に入っているのだろう。とほほ。)

2020年2月27日木曜日

中国訪日の相違点

国交正常化の時の訪日と比べられて危険視されている
令和の訪日だが、相違点を挙げておく。

第一で最も大きいことは主従関係が反転すること。
よくぞここまでストーリーが現実として出来上がったと思う。

これを持って反転する、というか中華の屈服は
もはや取り繕えないレベルに達したのは遥か昔だが、
最後の仕上げとして、象徴としての訪日なのだろう。

ーーーーー
千年単位くらいで見てみると、我らは「和」なのであって、
小手先の「でく」っぷりで対応は見誤らないのである。
象徴的すぎるかもしれないので、例えば大いなる「心」としては
せっかくの現代において継承した節目に
隣人を招かないわけにはいかない、ということ。
しかも一旦言ったこと。

ーーーーー
これであちらが「潰れ」ようと、それはあちら側の問題。

ーーーーー
「ナイーブすぎる」と言われて、キリキリと歯がゆい思いを
しているが、例えばこれで超化石的な思想に屈すれば、
それこそ何千年の浪費になるだろう。

ーーーーー
「誘導」は簡単である。ただし船頭が良い方に行っているのか、
現世だけよく行っているのか、数世代だけよく行っているのか、
未来永劫よく行っているのかを見極めるのは衆生としても
見極めていかなくてはいけない。

ーーーーー
元に戻るが、無論、あちらは詭道国家なので、注意は
怠るべからず。
前例で起死回生の手助けをした感もある、と言われている。
(経済と一緒で上記の周期くらいで見ると一事件程度。
「人×影響」の総和はどうだったか?の論点。(多分敢えて外されてる。)
喚けれれば喚くほど儲かる、という商法が一時的に
流行した時代と総括されよう。(左、「権」、LSGBT、etc。。。)

ーーーーー
敢えて対峙するならば、それが何をもたらすのか?
小学校の議論授業で言えば、主となる論点があるのに
「いやこれだ」「いやあれだ」のとあたかも主論に
準ずる論点のように言い募って、主論を妨害するようなもの。
みんなが主論について真面目に議論しているのに、
それを超越したが如く、主論、元の論を亡きがものの
如くする論法。
小学校の話し合いであれば、そのような輩はただの
妨害者として、ただし小学生的優しさというか、
詰めの甘さが手伝って、妨害者の論法を張らせて
しまうかもしれない。
しかし、その後は小学生的怖さで、その人は
誰も話したがらなくなるだろう。
(それに拍車をかけて「無視」だ、「差別」だと
いう論法にことごとく屈しているのである。)

たかだか小学生の仮定でさえこの程度である。
それを大の大人が、国の中枢機関で、ありがたがって
巻き起こしているのである。という憂鬱。
ここからは既述の「対話のスタンダード」を参照。

小学生にこそ学ぶべきであって、いかにそれら
妨害者を相手に気づかれずに優しさを持って
「よしよし」するかということ。

大の大人が、それさえ分からずに、むしろ
左的な「助長」する側に、つまり短期的利己のみを
追求するものを育成しているのである。
(左側に転じた、一見有能であったろう人でさえ
 転じた後はあのありさま。
 よほど「理想」が高いのであろう。)

ーーーーーー
今回の「和」の適用は単なる訪日に留まってない
こそのものなのだろう。

全世界の共通認識だが、中国はそういったレベルの話では
単なる猛禽でしかない。
つまりせっかく高度な話を交えようかと思っても、
中国は目先の餌にしか喰らいつかない程度の脳しか
持ち合わせていないという認識。
この共通認識は非常に大きいと思う。
(「主義」によって、そんなところで生を受けた
 人民はかわいそうである。)

ーーーーー
つまり換言すると「レベル」、「層」の問題なのであって、
(知識層としては、「あぁ、やっとまともな議論ができる
一般庶民が形成できてきたのであるな。」と思うくらいの
相転換の時点。)
またしても元に戻ってしまうのだが、ようやっと必要に
なるのは先ずは「対話のスタンダード」、それで現代の
困難を克服した後は「層理論」なのである。

ーーーーーー
敢えて現在の国会中継などに戻ると、小学生の議論を
遥かに下回るレベルが展開されていて、「まとも」な
首脳陣さえも「麻痺」してるのか(いや、それが
左の魂胆だろう。)、程度の低い論陣に引っ張られてしまっている。
大の大人の議論が小学生の議論レベルに劣っているという問題を克服する必要がある、といえば流石の左の脳であっても「理解」はできるだろう。
そして、原因ももうみんな分かっている。
原因がわかれば、(本当に哀しい、虚しいことだが)規制できるのである。
根気強くやって行くしかあるまい。

ーーーーー
敢えて考慮するなら、対話のスタンダードは、決して排除ではない。
如何に「いなすか」ということ。
例えば現政権が相当の阿呆であって、めでたく左が握ったとしよう。
そうすると素晴らしい理想・ユートピアが出来上がる。
無権者が有権者になる。少数派が多数派になる。
想像力が豊らしいので、それでもユートピアは保たれる。以上。
(現実は血を地にして「現世だけの悪夢」方や「永遠の繁栄」とか
なってその時点の英知を元にした、何かしらの「信条」の
礎ができるのであろう。つまり、それまで培ってきた「すべて」
(左が言うところの既得?)を放棄して、一から作り直すということ。)
それこそ、なんの基盤もないので、本性の野獣で生きていくしかあるまい。
原始時代に遡るということ。左はそれを知って加担しているからこそ
慈しむべきであるし、優秀な頭を持ってもしても加担してしまった
方も慈しむべきである。どうぞ、その分の享楽を在命中に味わってくださいと。

ーーーーー
まだまだ続きますが、今日はこれくらい。



左の総括

一応ようやく結果が出たようなので総括しておく。 (いつも通り具体を避けて抽象的に述べるので読みづらくてすいません。。) とは言ってもこれまで散々述べてきた通り、あちらの根本は「利己」であるということの繰り返しであるが。 まぁそれが象徴的に民意として「流石に目に余る」という結果にな...