2013年4月7日日曜日

自由意志の侵食の問いかけ

2012/09/15 12:24


対象は今で言う国や世界レベルのことであり、これくらいのことは公ではないにしても当然考えられていることだろうから、そのことに全く関与していない一般市民がここにそれを記しても何ら問題はないわけである。

生物は生きているその時点で考えている範囲、考えられる範囲、imagineできる範囲がある。
未定義だがだいたい、狭い方から「自分だけ」から始まり「他人、他命、他物のことまで考えられる生物(あるいは物)」があり、「考えうる全てのREGION(虚であり現)」くらいだろうか。


生物として如何なる時点でも、如何なる生物でも最大限の範囲を考える可能性はあり得る。

これが正規分布になるのかどうかは統計を採っていないので分からないが、最小を探すのも最大を探すのも自然任せである。

最初に言っておくが管理の話ではない。
全員が最大者であっても成り立たないのはもはやアホでも知っている。

組織・社会を外部から管理できるかの話である。
自由意識と統制・管理の対峙の話である。

自分の生涯を通しで関わる組織・社会を「関与域」とする。直接関与するものは当然だが、間接的に関わるものも含む。
「関与域」以外を「非関与域」とする。

自分の生涯を通して非関与域からの何らかの働きかけを知覚することがなければ、それは自由意志の侵食にはあたらないのだろうか?
という命題の問いかけである。

良し悪しはともかく、非関与域からの統制・管理はとうの昔から研究され、実践されてきたのであろうことは想像に難くない。
自由と統制の対立は止揚しあう宿命であるので、ここにこれを発表し数ステップ駆け上がることくらいなんら彼らには問題ないのである。(うがったいいかたですが。。。)

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