2013年4月7日日曜日

感情/感覚のシリアライズ化

2011/09/17 2:00

この前、「感情/感覚のシリアライズ化」を記した。 この威力を一応説明しておこうと思う。 まず、公に公表した事により特権の効力が一般化された。 つまりこの件に関しては何人も、公表後の後追いとなるため特許は認められない。 その範囲はというと、今後世に出る「感情/感覚のシリアライズ化」をした、 またはそれに習った(準じる)文書および表現全てとなる。 あまりにも勿体ないという意見も多数あるが、敢えて公表した。 それは、特許による権益(数十年×1個人)よりもその特許を自由に使用して 得られる権益の方がはるかに大きく、全体として考えたとき(これこそが いままで言ってきた「全体」。分からない人には分からない)の人類/人文的な 最大跳躍の1ツールとなるからである。 近い将来、この意味、この権利の強大さを世間一般が知る事になるのだろうが ここで既に公表されている事を記す事で、そういった個人や局所集団による 利益確保を抑えるものであり、本来の個人意思、個人感情、個人感覚を 保護するための礎となるものである。

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