2013年4月7日日曜日

第一章 環境として

2011/03/05 21:51


環境による可能性の発揚性について記そうと思う。

1.1 気候的環境
 温暖な気候の民族は温暖な性格を持ち、寒冷地帯の民族は冷静/冷徹な性格的変更を持つという。かといって自由への反乱は気候的環境を問わず起きている。蜂起するものは蜂起する。つまり人または動物としての本能として過剰な抑圧に対しては自己を主張するものである。寒冷地帯の民族は細かいが、温暖地帯の民族は大らかだと言う。寒冷地域でも大らかにやって成功する人も入れば、温暖地帯で細かくしきって成功するものもいる。温暖だからといって、いざ怒ると怖いという。主張はするが個が強すぎて集団として生活しにくいという。気候的/地域的環境は個性に影響があるかもしれない。また環境が個人に影響しているかもしれない。(科学されてないならこれが最初の分析になるだろう。新分野として発表しようと思う。)
 目的は、それらがどのように発揚されるかだ。あくまでもサブ論文として。
 発揚者はあくまでも自己意識として発揚している点である。
(全体:仮説。要参考文献)

1.2 生育的環境
 東大排出の子育てがあるという。また、全世界を見ればどこのどういった人が(本当の意味での)大学に入ったのか、世界に台頭する会社の社長になったのか、政治的トップになったのかその人の生育環境の影響を考える事ができる。(本当の意味というのは本当にその人の可能性を増長したのかということである。)それは対外的な(政治的/宗教的など)影響を排しての生育的な環境を考える事ができる。いわば帝王学とも言われるように特殊なもののように思われるが、所謂一般庶民からもトップに上り詰める人材もいるからもわかるように決して特殊なものではない。つまり生育環境によって本人の可能性/モチベーションを高く保たせる何かがあるのではないだろうかといった科学である。
 この場合も同じく、いかに自覚して発揚するかに掛かっている。

1.3 生活的環境
 自己の意識以前から虐げられてきた。もはや生命が我慢である。それでも乗り越えて上り詰めてきた。そういった環境についてである。強く政治的/宗教的な環境に左右されるが、ピュアな環境(つまりあまりもしくは全く政治的/宗教的な環境に左右されない環境)で考える例がある。(日本に多い?要参考文献)つまり、そういった人々の中で育った上で台頭者になった者の例である。
 これについてはその生活環境、つまり自由主義かその反対(封建か?社会か?)についての検討となるため2章に詳細を記す。
 ただ、強く虐げられてきた(本人の自覚として、もしくは第三者からの判断として)環境ではその傾向が強いと言えるのではなかろうか?

1.4 政治的環境
 政治とは何か?遡るのであればそこから始まる。それは組織を動かすための組織である。であれば構成員の全ての意見を聞き入れるべきである。しかし組織が大きくなれば意見がまとまらないという事で「代表」と言う考え方が出てくる。ただし、直接の監視ができないため監視するための組織も必要になってくる。そしてお互いの利権を第三者の視点で判断する必要も出てくる。この対等な3角関係もままならない組織がある事が哀しいが、そういった組織の軋轢にあって逆に可能性を発揚した者の例である。
 ソクラテスやガリレイから始めればよいだろうか?
 そして現代としては。。。

1.5 宗教的環境
 以前、「虐げられ、そのまま忘れ去られてきた人/ものがいかにあったか」という論文を書いた。ここで掘り下げる問題でもないが、ちゃんといま正対すべき問題である事は確かだ。(最終的にはとどまる事は勿体ないということだ。)
 森を見よう。その最終目標は何か?みんな一緒であるはずだし、あるべきだ。(そんなに小さいものを言っているものではないし、そんな小さいものに執着するものを輩出するために解いたものではない。しってるものはしっている。)
 つまり、越えたもの。達観者の例である。
 いくにんもいるが、それが、その到達点がただしく伝わらなかったのがこれまでの問題点であろう。これについては別冊/別論文としよう。

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