2013年4月7日日曜日

序章

2011/03/05 21:21


批判を恐れずに言うなれば、これは無惨を遂げた無数の意思の救済でもあり、無数の穀潰しの救済である。統計学から言えば「優位層の増大」と言えてしまうのである。
無論、例外なく救済できればよいのだろうが、まだ途上である。また救済などときれいごとを言える筋合いのものでもないと自ら言っておく。ただ「それに少しでも加担できれば」と、若輩ながらのため息である。公表する気はない。するだけの意味も意義もないと一時は思った。なのであくまでも日記としてここに記す。

以前、「対話のスタンダード」と言う論文を出した。つまり、相互理解時の相互準備基準ともいうべきか、個人対個人として対話する場合の最低限の条件で、それを外れるという事はつまりコミュニケーションの何たる可を知っていないので、対話以前の話になってしまうという論だ。公的な対話は最低限このスタンダードを準拠していなければ、そのものは相互理解の何たるかをしってない恥ずかしいものだと相手に気付かせるものである。
これまでは相互理解を無視しても力でなんとかなる時代だったが、それはあくまでも偏りが見せた幻想であって、相互理解なくしてはお互いの理解、つまりコミュニケーションはなりたたないということにいつまでたっても気付かない人々のために書いた。
もはやそんな所に時間を費やすのは勿体ない。人類として浪費を感じないのだろうか?


今回の論も、そういった、「知らなければ人として恥ずかしい」レベルのものである。
なお、この論文はほとんどが仮説に乗っ取っている。言い換えれば偏見と言われてしまうかもしれない。よく批判者からは論拠をつつかれるが、論弁者からすれば目的が最大であり、またその過程が大事なのであり、全体を見渡してほしいというのが論弁者皆の主張であろう。(いうまでもないが。)なので、これは仮説だけの空論だと思ってもらって差し支えない。(最小をとれば。)ただし、言いたいのはこれまでの歴史を踏襲した、培ってきたものの凝縮だと感じてくれれさえすればよい。(森を見てほしい。)

最終は中和。何も起きない状態。それがよいのかよくないのかは判らない。温度均衡の状態。そこに分子の反応は発生しない。(真空レベルでは発生するがもはや分子レベルでは干渉されない。縮小のスープ状態)それまでに何ができるか。その問いは一気に全宇宙に広がる。この宇宙が中和されるのはいつか?たった意識のレベルでこれだけのいざこざがあるのにその更何彧層の「いざこざ」(表現しきれない。表現しきれない事が分かるかな?最低限そこに触れれば面白い。)があるのか?この感覚が何千/何万/何光年先の感覚かはわからないが今感じれる事を記念しておく事に意味があると思う。)つまり、何千/何万/何光年先の存在がこういった歴史を刻む事のできた、歴史を残すこののできた我々文明の文化を残したことをいつか見直してくれることを願って残すのである。
はたして残らなかった文明もある。そうならない事をただ願うのみである。全世界のサーバに残るからといって安らかではない。最後はいつも一緒だろう、如何に心に残るかだ。

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